第四話 オーバーフロー
ゆっくりと、闇の底から意識が浮かび上がるのが感じられた。だが、頭の芯にはまだはっきりしないものが残っている。彼ーーーラグマ=ウォニスは、何とか状況を掴もうと、自らの記憶をたぐり寄せていた。俺は・・・魔動騎士の試験を受けに皇城まで来て、総司令殿が姿を見せたことに驚いて。そうだ・・・俺はあの機械に座ったんだ。そうしたら光が・・・青い、光が・・・。そこまで思考がおよんだ時、その直後に味わった凄まじい衝撃と苦痛を、彼は同時に思い出していた。
「う・・・うぅ・・・」
その記憶は、口から漏れたうめき声とともに、彼の意識を完全な覚醒へと導いた。開かれた眼に、見覚えのない石組みの天井が映り、彼は自分が寝かされていることに気付いた。
「おお、気が付いたかね。身体の具合はどうかな?」
足元の方向から、のんびりした声が聞こえた。ラグマは身を起こそうとしたが、まだ全身に痺れが残っていて、ゆっくりとしか動いてくれない。
「無理をしてはいかんよ。オーバーフローのショックはかなり堪えるはずだからな」
ようやく上半身を起こしたラグマの前には、白衣を着た、額の禿げ上がった男が立っていた。歳の頃は50代後半といったところか。
「オーバー・・・何です?それにここは・・?」
「ここは皇城の医務室。ワシは医者だよ。医療班長のラリー=シェルドだ。君は選抜試験の最中に気絶して、ここに運び込まれたんだ。覚えておらんかな?」
「あ、いえ。覚えてはいるんですが何が何やら・・・それより、俺はここで手当を?ありがとうございます」
「いやいや、手当らしい手当はしておらんがね。早めに回復してくれて良かったよ」
「あの・・・さっきの、オーバー何とかっていうのは・・・?」
「あぁ、オーバーフローのことか?それについては私よりも・・・」
彼は、そこまで言うと自分の頭を軽くはたいた。
「おっといかん!君が目覚めたら呼んでくれと言われていたんだった。うん、これからお呼びする方が、そのことについては教えてくださるよ。少し待っていてくれ」
そう言って、彼は白衣を翻して部屋を出ていった。
一人残されたラグマは、ふと思い出して急に不安に襲われた。
(そういえば・・・試験は?あの機械に座って気絶するなんて他にいなかったし・・・不合格なのか・・・)
溜息とともに肩を落としてみたが、まだ正式に不合格を告げられたわけでない。あれは単に機械の故障か何かの事故で、もう一度きちんと検査に挑めるかもしれない、まだ希望はある!と自分に言い聞かせた。気が付くと、身体の痺れはほとんどなくなっていた。
しばらくして、ラリーが戻ってきた。彼に続いて医務室に入ってきた人物を見たラグマは、息を呑むほどに驚き、慌ててベッドから飛び降りて直立不動の姿勢をとった。
「そっっ・・・総司令・・・様!あっいや・・か、閣下!」
その男、帝国軍総司令ガルス=ヴァルフィリットは、敬称を間違えるほどガチガチに緊張しているラグマを見やると、苦笑いを浮かべた。
「おいおい、目を覚ましたばかりであろう?無理をしなくともよい」
「いっ、いえ!失礼に当たりますから・・・!」
ラリーはそんなラグマの様子に、ガルスの隣で笑いを噛み殺している。ガルスは、さらに苦笑しながら、
「君がそうガチガチでは、こちらも落ち着いて話ができんではないか。身体のほうが大丈夫なのであれば・・・そうだな、こっちのテーブルについてもらおうか。さあ。」
と、部屋の中央付近に置かれたテーブルへ向かい、椅子に座った。
「は、はぁ・・・では、し、失礼いたします・・」
ラグマが、なおも固さの残る様子でガルスの向かいに座ると、ガルスは軽く咳払いをし、一転して締まった表情となって、話し始めた。
「さて・・・ではまず、君がここに担ぎ込まれることになった理由を話すことにしよう。君は、検査用の機械に座った途端、青い光に包まれた・・・そうだな?」
「は、はい、仰る通りです。その後、ものすごい衝撃を受けて・・・」
「気が付いたらここに、というわけだな。うむ。やはり間違いないか。」
そこまで言うとガルスは、上体を少し反らせ、背中を椅子の背もたれに預けながら腕を組んだ。
「ラグマ=ウォニス。君を襲った青い光と衝撃は、検査機のオーバーフローによるものだ」
「オーバーフロー・・・先ほどシェルドさんからも聞いた言葉ですが、どういう・・・?」
「詳しいことは今は省くが・・端的に言えば、だ。君のマーグ力が、あの検査機の許容限界を超えていた、ということだ。コンバータに限界を超えたマーグ力が入力されると、ああいう現象が起こる。我々はそれを、オーバーフローと呼んでいる」
ガルスの言葉を一つずつ頭に入れながらも、それの意味するところを、信じられないという心持ちで理解していったラグマは、言葉を切ったガルスに、最も気になっていることを問うた。
「あの・・・お話の中身は・・多分理解できたと思います。だとすると、試験の結果は・・・」
ガルスは、口角をわずかに上げ、告げた。
「もちろん、マーグ力検査としては合格だ。文句なく、な」
ラグマの顔に、抑えきれない喜びの色が浮かぶ。5年前のあの日から、絶えず願い、目指し続けてきた道への扉が、今まさに開かれたのだ。
「ただ・・・一つ問題があってな」
舞い上がらんばかりのラグマの心を、ガルスの一言がそっと抑えた。
「あの試験機、中身はウンディーネと同じクラスのコンバータでな。・・・ウンディーネは知っているな?」
「ええ、もちろんです!我が国の最新魔動戦機・・・・・あっ!!」
重大な事実に気付いたラグマは、明らかに狼狽えた目をガルスに向けた。
「そういうことだ。君のマーグ力は、大きすぎてウンディーネですら受け止めきれない。君の乗る機体をどうするのか、それが問題、というわけだ」
「し・・・しかしウンディーネ以上の魔動戦機なんて・・・」
すっかり喜色の失せた顔で力なく言うラグマを、しかしガルスはにやりと楽しげな表情で見つめ、それから種明かしをするようにさらに話し始めた。
「ところがだ。一機だけ、存在するのだ。ウンディーネを超える、おそらく君のマーグ力をも受け止め切れるであろう魔動戦機がな」
ガルスは、ラグマの表情を観察しながら、なおも続ける。どうやら、彼はラグマの反応を窺って、楽しんでいるようだった。
「ただし、その機体は現在のところ帝国軍に所属していないのだ。だから、それを君の乗機とするには、現在の所属先から帝国軍へ転属させねばならない。」
「軍以外に魔動戦機を所有するところなんて・・あるんですか?」
もっともな疑問である。この世界ではかつての聖王国の時代以来、軍組織以外が魔動戦機を所有することなど皆無と言ってよかったからだ。それは元を辿れば、聖王国という国家が、全世界に拡がったその支配を盤石とするための鉄則であった。やがてその鉄則は常識となり、聖王国亡き後も生き続けていた。
だが、ガルスはそのラグマの質問を聞くと、さらに楽しげに口角を上げた。
「あるのだよ。その機体の現在の所有者は・・・・」
わざとらしい間のあと、静かに、だが衝撃的な一言が響いた。
「皇帝陛下だ。」
数秒の間。ガルスの口から飛び出たその言葉の意味をラグマが認識するまでに、それだけの時間を要した。
「こっ・・・皇帝・・陛下!?」
あまりの驚きに裏返ってしまったラグマの声に、ガルスはさらに追い打ちをかける。
「そうだ。その機体に君が乗るには、君自身が皇帝陛下に拝謁し、お許しを得なければならん。」
「俺、いや、私が皇帝陛下に・・?で、でもご拝謁の作法なんて全然わかりませんし・・一体どうしたら・・」
予想外の流れにすっかり狼狽え、顔を青くしているラグマに、ガルスはついに耐えかねたように笑いだした。
「すまんな、意地悪はこの辺にしておこう。実のところ、機体の使用に関してはすでにお許しが出ている。」
「・・・へっ!?」
帝国軍総司令にして、皇帝の右腕。ガルス=ヴァルフィリットその人が、自分のような小僧をからかって笑っている・・・ラグマにしてみれば想像だにできなかった状況に、彼はすっかり混乱していた。
「まぁ聞け。皇帝陛下は、堅苦しい儀礼など抜きにして、君と話がしたいと仰せだ。もとより陛下は虚礼を嫌うお方。心配する必要はない。・・とはいえ、最低限の作法はあるから、これから謁見の間に向かう間に、私から教えよう」
最後の一言に、ラグマはさらに顔を青くする。
「い・・・!?今、から・・・ですか!?」
「そう!陛下からは、君の身体に問題がなければ、すぐにでも連れてくるようにとご下命を賜っておる!・・・魔動騎士を志す者が、よもや陛下の命に背くとは言わんな?」
ガルスは心底楽しそうに言い放つと、席を立った。
「さぁ、行くぞ!これも選抜試験のうちと思え!」
ラグマは、とんでもないことになったとオロオロしながら、緊張のあまりに震える膝を何とか鎮めて、ガルスのあとに続くしかなかった。