プロローグ
東の空から、染みわたるように迫ってくる夕闇に抗うがごとく、その街は燃えていた。建物を、人を、命を、舐め尽くすようにうねり、猛り狂う炎は、刻一刻と、その街の命運を呑みほしつつあった。そしてその炎の合間からは、巨大な何者かが激しく戦う様子が見え隠れしていた。
―――その地獄の中を、よろよろと歩く少年がいた。その背には、ぐったりとした少女が背負われている。やがて彼は、ようやく炎に埋め尽くされていない小さな広場にたどり着くと、がっくりと膝をつき、背負った少女とともに地面に倒れ伏した。
「もう・・・脚が動かない・・・こ、ここまでか・・・」
彼のうつろな瞳には、やがてここにも襲い来るであろう、勢いを増して荒れ狂う炎が、確かに映ってはいた。だが彼には、もはやそれの意味するところ―――「死」を恐れ、逃れようとする気力さえも残っていないようであった。
だが。自身の背にかかる少女の重みを思い出した時、そして、自分に死が訪れるときには、背中の少女にも同じ運命が待っているのだと気付いた時、少年の瞳に光が戻った。
「まだ・・・まだだ・・・!サラだけは、死なせない・・・!」
あちこちの火傷や傷が痛む。脚もガクガクと言うことを聞かない。喉も、煙を吸ったおかげで声も出ないほどだ。しかし彼は、どうにか立ち上がると、再びゆっくりと歩を進め始めた。
その時。彼の行く手、燃え盛る炎に包まれた建物の後ろから、巨大な影が現れた。その姿は、例えるなら鎧をまとった巨人の戦士。だがその巨人には、右腕がなかった。続いて、同じ姿の巨人が二体、同じく建物の陰から現れた。こちらは五体満足のようではあるが、いたるところにすすが付いており、また鎧のところどころに破損も見られた。右腕のない巨人は、少年とその背に背負われた少女を認めると、残った左腕で他の二体に合図を出し、彼らの前に膝をつくようにかがみ込んだ。
「シルフ・・・味方・・・!た、助かっ・・」
少年はその呟きの途中で気を失い、再び倒れ込んだ。それと同時に、巨人の胸部を覆う鎧が跳ね上がるように開き、がっしりした顔つきにヒゲを蓄えた中年の男が飛び出してきた。男は、ピクリとも動かない少年と少女に駆け寄ると、二人に息があるかを手早く確かめた。幸いにも、二つの生命はまだその息吹を失っていなかった。男は安堵したように頷くと、まずは少年に覆いかぶさっている少女を抱きかかえ、今しがた自分が降りてきた巨人の左掌へそっと載せた。次に、もう二体の巨人のうち一体に合図をすると、その巨人も同じ姿勢でかがみ込み、右掌を差し出してきた。少年をそこへ載せるべく抱き起こした時、残る一体の巨人から声が発せられた。
「大隊長!やつらが近付いてきます!急いでください!」
それを聞いた男は、一息に少年を抱え上げ、かがみ込んでいる巨人の右掌へ載せた。彼が素早く自分の巨人の中へ戻り、その捷さに呼応したかのように、跳ね上がっていた胸部が閉じると、巨人は少女が載せられた左掌を優しく包み込むように握った。もう一体、少年を預けられた巨人も、同様に右掌をそっと握ると、二体の巨人はゆっくりと立ち上がった。そして、三体の巨人―――人型兵器「魔動戦機」たちは、滑るように南へ走り去っていった。
この日、ギルラゼア帝国暦180年2月10日。帝国領北部の街ハルシーザは、隣国ヴァフォース王国軍の侵攻を受けて陥落、破壊された。宣戦布告はおろか、予兆すらも感じさせない、完全な奇襲であった。