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一杯目のブレンドコーヒー

 燦々と降り注ぐ太陽の光が町の至るところを照らしていき、ビルの影の下で猫は眠そうにあくびをしながら寝転ぶ。新聞配達のおじちゃんは次から次へとポスティングしながら、バイクにまたがり働いていると雀や鳩も朝が来たことを喜んでいるかのように歌っている。そして今日も町の人々が朝の一杯を求めて珈琲喫茶~(むすび)~がオープンする。そんな毎日が私の日常。

 

「マスター。看板出してきますね。あと外のお花に水もあげてきます。」

そう店の店主に声をかけ私は外に出た。まだ太陽が上がりきっていない早朝の夏は湿気をあまり感じず少し爽やかに感じる。

「ん――。快晴だな~。太陽の光が眩しい。今のうちにアイスコーヒー多めに仕込むかな。今日はラテンアメリカ産でいくかー。」

 1人で空とお話をしながら私は店先のホースを蛇口につけて水をあげ始めた。日によってブレンドを変えるのが実はこのお店のこだわりでもある。小さな喫茶店だけどマスターはかなりの珈琲好きで年に何回かは直接仕入れの為に海外に行ってしまうほどに珈琲マニア。最近やっとアイスコーヒーの担当を任せてもらえたので、毎日の天候や季節などに合わせて日々考えながら豆を選んでいる。そんなマスターの珈琲に一目惚れして高校卒業後、直談判して働かせてもらうことになったのが私、香坂彩音(こうさかあやね)25歳。元々この喫茶店のある商店街が好きで小さい頃は近くの駄菓子屋によく行っていた。しかしだんだんと歳を重ねるにつれて行く店は変わり、甘いスイーツばかりを好むのは変わらないもののそれをより一層美味しくさせてくれる珈琲と出逢ったのが中学三年生の秋だった。高校受験が近付くにつれて眠気との闘いの日々が辛く、ふと父が飲んでいたインスタント珈琲を手に取ってみたのが始まりだった。さすがに最初からブラックでは飲めず、砂糖とミルクを大量に入れた甘々カフェラテではあったがなんとなく勉強がはかどるように感じた。そこから集中する場所を求めてたまたま入った珈琲喫茶~結~の珈琲を飲んだら感動してしまった。家で飲んだ珈琲とは比べ物にならないくらいの芳醇な香りに受験で疲れた心は癒された。たださすがに中学三年生のお小遣いで毎日通うのは厳しく、週一回の楽しみにしていたのだが、かなり渋めな店に10代の女の子が頻繁に来るのが珍しかったのかマスターが家で美味しく淹れる方法を途中で教えてくれた。そこからどの産地が酸味が強いなど豆の知識も詳しくなり、受験勉強の休憩時間に聞くマスターの珈琲と世界の産地の話が楽しくてどんどん珈琲の世界にはまってしまい今に至るのだ。マスターは見た目も蝶ネクタイをつけるほどお洒落で、白髪がとてもよく似合う。また珈琲を淹れてる時のぴしっとした姿勢と真剣な眼差しは惚れ惚れする。まだまだマスターの知識と経験には足元にも及ばないけど、いつか買い付けにも一緒に行けるくらいの人になるのが目標でもある。

「おはよう。綾音ちゃん。」

 植木鉢から顔を声のかかったほうに向けると常連の八百屋の竜彦おじちゃんが近付いてきた。マスターと小学校からの友人らしく毎日のように来店してくれている。

「おはよう。竜じぃちゃん。今日は焙煎したてのブレンドがあるからそれがおすすめだよ。」

「お~。それは楽しみだな~。あといつものこれも持ってきたよ。」

 そう言う竜彦おじちゃんの手元には台車に乗った大量の夏野菜があった。

「わー。今日もありがとう。今ねマスターと夏野菜のジャムも作ってみようかと思ってて、上手に作れたらまた味見してくれる?」

「それは楽しみだな~。こっちの宣伝にもなるから有難いわ。」

 竜彦おじちゃんは八百屋には並べないけど味には問題の無い野菜をいつも安く提供してくれている。こうところは小さい商店街の魅力でもあると思う。

「今、水あげ終わったから私が運ぶね。」

 と、私は手元のホースをパパっと片付けて先に竜彦おじちゃんに店に入ってもらい台車を店内まで押し始めた。竜彦おじちゃんは決まってレジ近くのカウンターに座る。マスターと会話しながら飲むのが毎回の流れだからだ。マスターはいらっしゃいと言いながらいつも通り珈琲を淹れる準備を始めた。

「綾音ちゃんにさっき焙煎したてがあるって言われたからそれとピザトーストで。」

「はいはい。かしこまりました。野菜ありがとう。野菜も近頃高いから助かるよ。」

 マスターは穏やかに笑顔を向けると竜彦おじちゃんもお互い様だろっと笑いながら手を軽くふった。私はこの二人のやり取りを見るとまるでおしどり夫婦のような時間の流れを感じてしまう。それぐらい時を共に過ごしてきたんだろうなといつも微笑ましくなってしまうのだ。そんな二人を見ながら野菜を冷蔵庫にしまっているとまた扉がガチャっと開く音がした。そして同時にかなり大きめな声でマスターおはようと言いながら竜彦おじちゃんの隣にドカッと座った。今度は電気屋さんの真信(まさのぶ)さんだ。

「まさのぶ……お前いつも朝からうるさいぞ。」

 真信さんが座った早々に竜彦おじちゃんが苦言した。真信さんはかなり身体も大きい。たぶん体重も90キロはあるはず。また仕事柄色んな家を巡るので日焼けもすごいから見た目のインパクトは抜群。

「竜じぃ、朝から小言は止めてよ~。あ、マスター俺はアイスコーヒーとハムサンドダブルで。」

「お前は朝から食べすぎだ!だからここの脂肪が増えるんだよ。」

 と、言いながら竜彦おじちゃんが真信さんの横腹をつねり始めた。真信さんはいててて離してよと言いながら身体を捻りながらその手からなんとか逃げようとしたが、竜彦おじちゃんは年の割に力が強いらしく苦戦をしている。そんな二人を見ながらマスターはやれやれと珈琲の準備を始めたので、私も食事の準備を手伝うのに側に近寄った。すると竜彦おじちゃんの攻撃からやっと解放された真信さんが話しかけてきた。

「綾音ちゃん、今日も美人だね~。で、彼氏はできたの?」

 私はその一言にまた始まったと心の中でため息をついた。

「もー。またそれですか?いい加減セクハラで訴えますよ。」

「えー。なんでよ。俺は心配してるんだよ。親心と一緒でしょ?実際綾音ちゃんのお父さんと同級生なんだから親子も当然だよ。」

 確かに真信さんは父と同級生だがそれが親子も当然は流石に無理がある話だ。ただやっぱり田舎の下町ともなると私の年齢で1人2人子供がいる子はちらほらいる。なので若干ではあるが仕事とは別でこの手の話題が出る度に焦りを感じてるのは正直無いわけではない。

「綾音ちゃん。俺の息子はどう?33歳でまだ独身だよ~。」

「……はぁ。だから無理って言ったじゃないですか。だって息子さん東京で勤めてるって言ってましたよね。私ここから離れるつもりないです。」

「えぇ…。でもさ、会ったら意外と……。」

 すると急に隣の竜彦おじちゃんが察してくれたのか真信さんの耳をつねり始めた。

「って、いってーよ!やめて!」

「お前はデリカシーというか色んなものが足りない!だから嫁に逃げられるだろう。」

「ちょっ、違うから。逃げられてないから。たまに実家に帰られちゃうだけだからっ。やめてよっ!」

「俺からしたら同じだよ!」

 二人がわちゃわちゃとしている間に珈琲と食事の準備ができたので私はできましたよ~っと各々前に運んだ。すると二人とも話すのを渋々やめ珈琲と食事を堪能し始めた。私はふぅっとため息をつくとマスターがこそっと近付き小声で彼氏できたら紹介してねとクスっと笑いながら言ってきたので、私はとても恥ずかしくなって軽くマスターの肩を叩いた。みんな私を娘か孫と勘違いしてるじゃないだろうか。


――――――――――――――――――

喫茶店の朝は早く、そこから怒涛のランチ、ティータイムとなり夕方には大分落ち着いてくる。仕事終わりのサラリーマンだけでなく最近は学生さんも増えてきた。近頃のレトロブームがあり昔ながらの喫茶店は以前より通う年層の幅が広がってきている。私ももう少し後に生まれたら彼氏を誘えたかもしれない。当時の彼には古いと小馬鹿にされてむかついて振ってしまった淡い過去もある私には今の子達が少し羨ましい。

 そんな青春の記憶を思い出しながら食器を洗っているとまたしても少し騒がしく扉を開けて客が来店した。スカートをこれでもかと短く折り、胸元のボタンを外し、ネクタイも緩めた女子高校生。私の7つ下の妹香坂綾女(こうさかあやめ)だ。店に入ってくるなり、暑い~死ぬ~水~と言いながら私の近くに寄ってきた。

「綾女っ!いつも言うけど職場なんだからもうちょっとしっかりしてっ!」

 私はカウンターに座った綾女に水を出しながら小声で言った。すると人の話を聞いていないのか水を一気に飲み干し、生き返ったぁ~と言葉を発した。その姿に私はコラッと小さく頭に拳をぶつけた。そしてすぐマスターにすみませんと頭を下げたが、そんなやりとりをマスターはいつも通り微笑みながらこちらを見つめていた。

「いらっしゃい。綾女ちゃん。今日もメロンクリームソーダ飲んでいくでしょ。」

 と、マスターは綾女に話しかけてきた。

「わーい。マスター優しい。ありがとう!支払いは綾音ちゃんがしますので、つけちゃ…あっ、痛。」

 綾女が調子良いことを言う前に私は再度頭に拳を軽く落とした。末っ子だからか本当に甘え上手で困る。また何故か憎めないのが軽く腹立つところでもある。

「……で、何しにきたのよ。」

「え、逆に綾音ちゃん。私の頼みごと忘れてない?怒りますよ~。」

「……頼みごと、てっ……何。絶対ちゃんと伝えてないでしょ。」

 私の返答に綾女は信じられないという表情見せ、今度はあちらから拳がぽかぽかっと飛んできた。

「ひどいよっ。了解って言ってたじゃん。明日私の高校の文化祭の準備で友達が沢山来るからお昼ごはんとかお茶菓子用意してくれるって綾音ちゃんが約束してくれたじゃん。だからスーパーの買い物くらい私も付き合おうかなってお店寄ったのにぃ~。」

 私は綾女にそう言われてあぁなんかそんなことを私が仕事の勉強してる時に言われたような気がするなと記憶をなんとか思い出し、その様子に綾女はとても不満そうに口を尖らせてじっとこちらを睨み始めた。さすがに私に悪いところはあると思うが仕事の休みの日に高校生の世話をさせられる身にもなってほしい。そんなやりとりをしているとマスターがドリンクをそっと出し、話しかけてきた。

「綾音ちゃん、今日はもう閉店する時間だからショーケースのケーキ好きなだけ持って帰っていいよ。片付けも今日くらいは僕1人でやるから、綾女ちゃんが飲み終わったら帰りなよ。」

 まさかの急なマスター提案に私は思わず断ろうとしたが、それよりも先に綾女がカウンターに上半身をのりだした。

「わーいっ!マスター大好きありがとーっ!」

 綾女のその反応を見てマスターが嬉しそうにニコニコしている姿を見てしまっては私も後に引けず、口からでそうになった言葉を飲み込むざるおえなかった。本当に若いって恐ろしいと思いながら、お言葉に甘えようと再度マスターにすみませんと頭を下げた。


――――――――――――――――――――――

 翌日は朝から忙しかった。綾女の部屋だけ綺麗にすればいいという訳にもいかないので、リビング、トイレ、階段とあらゆるところを綾女と掃除した。両親は共働きなので平日の昼間はさすがに不在だった。夏休みといえど部活がまだある子達もいるようで昼にこちらに集合らしい。一通りの掃除をした後に私はキッチンで昼食の準備を始めた。すると綾女も不器用ながらに手伝うと近寄ってきたがふと黙って私の姿をまじまじと見始めた。

「え、何……。」

「……。ねぇ、彩音ちゃんそのままの姿で友達に会うつもりじゃないよね……。」

 私はその言葉の意味が一瞬分からず、手を止めて自分の服装を食器棚のガラス越しに確認した。朝から掃除をする為に頭にはヘアバンド。休みの日なのでコンタクトは付けず度が強めの眼鏡。厚着して汗をかくのが嫌なのでブラトップ入りのタンクトップに下はかなりの年季の入った短パン姿。オフの日の定番スタイルの自分がうっすらとこちらをキョトンとした顔で見ていた。

「……。え、私友達に会うつもりないんだけど……。」

 今日は裏の立役者的な存在なはずなので、人前にでるような姿になるつもりはさらさらなかった。しかしその反応を見た綾女は私の手にあったじゃがいもとピーラーをささっと奪い取ってきた。

「……。綾音ちゃん。今すぐシャワーと化粧してきなさい。」

「……えぇ。いいよ~。だって……。」

 私が渋っていると先程まで可愛かった妹の表情がみるみるときつい顔になってきたのを察して私は諦めて浴室に向かった。確かに遭遇しないとも限らないし、身内のだらけた姿を友達に見られて恥ずかしい思いをするのは綾女なので譲れないのだろう。ましてや高校生なんて思春期真っ只中。色々な事に敏感な年頃でもある。さすがに私も気を緩めすぎたかなと軽く反省をしつつ洋服を脱いでシャワーを浴び始めた。

 時間が無いのでパパっと浴び、髪の毛をすぐにドライヤーで乾かし始めた。そして浴室の棚にあるいつもほぼ使わない香水に目がいった。学生の頃はそういったものが好きでよくつけていたが、社会人になってからは珈琲の香りを邪魔してしまう気がしてデオドラントもかなり弱い香りのものばかりを使っていた。

「たまにはつけようかな。」

 そう思い手首にワンプッシュつけて首にもワンプッシュ吹きかけた。学生の頃からキンモクセイの香りが大好きで秋になるとふんわり香るあの優しい香りが心を癒してくれた。その香りを常に身に纏いたくて買ってたのを懐かしく感じた。 いつの間にか仕事一筋の人間になっていたので、最近はたまにしか友人にも会えていない。こんな状態では彼氏なんてもっての他。最後に付き合ったのもいつだったか思い出すのも若干難しい。そんな物思いにふけっているとキッチンから時間無いからねーっと綾女の声が聞こえて、慌てて自分の準備を急いだ。


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