2022年2月27日(日)九重誠二 後編
今やるべきことは一つ、動画で正義を伝えることだ。
小林雄太周りの事件を整理する動画を出す必要がある。
ラーメンまぜまぜ事件の動画が初めての動画と思われていたが、実際はちがっていた。その半月前、正確には22年1月30日に彼らはすでにその手の動画を投稿していた。
それが初めての動画とされている。
九重は車に乗り込み、エンジンを入れてからスマホで動画を再度確認した。
1月30日。
場所は難波のコンビニ店内。
映像は揺れに揺れていたが、コンビニ店内にはあまり人がいないことと、カメラは小林雄太を中心に動いていることがかろうじて分かる。
「お昼だし、昼飯食べようぜ」
撮影者の少年の声が聞こえる。まだ特定に至っていない一人だが、ラーメンまぜまぜ事件のときと同じ声だ。
「いま食べようぜ。さっき買ったやつが鞄のなかにあるじゃん」
別の少年の声。やはり撮影している人間は二人なのだと分かる。
「あーそうだった。そうだった。鞄のなかのやつね」
小林雄太が鞄のなかに手を入れて、焼きそばパンを取り出した。お買い上げシールが貼ってある。
「ここのコンビニは飲食オッケーだから食べようぜ」
「そうだね」
小林は躊躇することなくやきそばパンの袋を破って食べはじめた。しかしそこはイートインスペースではなく通路だ。邪魔以外なにものでもないし、マナー違反をしている。
焼きそばパンを食べ終えた小林はパンコーナーへと歩いていき、店内にあるパンを手に取る。
「グリコ森永事件って知ってる?」
小林がカメラに目線を合わせながら唐突に言う。
「知らね、なにそれ」
「昭和の出来事。関連した色々な事件が立て続けに起きるんだけど、そのなかにスーパーとかの菓子に青酸を入れたっていう事件があったんだ。スーパーの陳列棚にある商品のなかに人知れず毒物が入れら、森永が脅迫された。そういう事件」
「昭和物騒すぎるなー。で、それがどうしたんだよ」
「いや、別になんでもないよ」
「なんでもない話、急にするなよー」
「ゴメン、なんかむき出しのパンみてると、ふと思い出した」
小林はカメラに手を近づける。大きく開いた手のひらの親指だけ曲げ、手を閉じた。
妙に見覚えのある動作だったが、どこで見たのかいまいち思い出せない。何となく見てたテレビだろうか。
「それより小林、そこにあるパン、どうするつもりだ?」
「えーっとそれは……もちろん、こう!」
そこからの小林の動作は早かった。
つかんで、袋をやぶって、食べる。コロッケパンのコロッケの部分はポロポロと床に落ちていくが小林は構わず食べ続けた。
「小林やばいって。俺、コロッケパンの値段、店員に渡してくるわ」
ただでさえ酔いそうなほどカメラが揺れているにも関わらず、よりカメラが揺れる。
彼らが金を払う場面も、小林がコロッケパンを食べきる場面もはっきりと映らない。
画面が安定したときにはすでに小林以外の二人はコンビニにいた。といっても画面には映っておらず息だけが聞こえる。
そしてコンビニから小林が素早く出てくる。そのまま遠ざかる姿もラーメンまぜまぜ事件と同じだ。
動画はここでおわる。
九重は再確認した動画を見つつ、この内容で拡散せず、なおかつ発見の話題があまり出なかったのは、あまりにも上手く取れていなかったせいだろうと考えた。
彼らの撮影が上手くいけばこれが最初の拡散になっていたかもしれない。
九重は車を運転しているときも、駐車場からアパートまでの短い距離を歩いているときも、そしていまだに散らかったままの服を踏みつけながらも、これから作る動画の言葉を考え続けた。
何度もネタにし続けると重複部分が必ず出てくる。そういったところはファスト教養時代のためスキップされるし、最悪動画を見てもらえなくなる。それを考慮したうえで、現状を整理して、自分の言葉を語らなければならない。
ついでに今まであげた動画のコメント欄を見る。この返信を動画内でしてもいいかと九重は考える。コメントは様々あり、全部には答えられない。
厳選したコメントだけを『取材メモ』に記載し、原稿を書き上げる。
原稿のコピーをもって、駐車場の車のなかで撮影をはじめた。
『こんばんは、そしてこんにちは。セイチャンネルのお時間です。本日の動画は、あのラーメンまぜまぜ事件の主犯こと小林雄二関連の話をおさらい、そして色々もらった私に向けての叱咤激励コメントに返事していこうと思います。
小林雄二がいかに許せないか、というより許してはいけないかといった話は以前までの動画を参照していただければと思います。後から出るバカを減らすためには許してはいけないんです。たとえ未成年でも。私がこの動画でも、他の動画でもキチンと名前を出して話題にするのはそういった意味も含まれています。名前を公表しないメディアは甘すぎると思います。話が脱線しましたね。小林雄二の事件のおさらいをしましょう。といっても彼の動画で犯罪動画だったものは二つです。
一つは1月30日に起こったコンビニ店内での飲食事件。荒い動画のおかげか当時拡散は免れてましたが、会計前の商品の飲食は窃盗にあたるそうです。窃盗だと意識しなくてもダメなんだと、考えればわかることだと思いますね。
二つ目は2月19日のラーメンまぜまぜ事件。ラーメンに調味料をぶちこみまくったことであらゆる人の怒りは爆発。小林雄二本人はまだ学校に通わず自宅謹慎という扱いになっているそうです。本名公開のおかげで住所もバレてるようですが、このチャンネルでは一貫してその情報だけは貼ってません。小林雄二という悪ガキに対しては賠償金を払い罪を刑務所あたりで償うなどしてもらうまで容赦したくありませんが、さらされた住所を頼りに会って殴るきっかけを与えたとか、家族に危害が加わったとか、そういった事態はのぞんでません、やめてください。それ自体も犯罪行為なので。ただ大人の身勝手な正義感はすでに暴走しているようで宅配テロなんかで仏像を送ったようですね。やめてあげましょう。
さて、ここで前回の動画も含めてあらゆるコメントをもらっていたわけですが、一番気になった質問に答えてみたいと思います。その質問は「セイさんのせいで小林が自殺したら責任取るんですか? どうするんですか?」というものです。いくつかいただきました。
結論から言いますと責任は取りません。悪いのはネットや大人の力を甘くみてイタズラと称する犯罪行為の数々を重ねてしまった小林雄二ただ一人じゃないですか。それにこの事件に対して当事者がどうケジメをつけるか、その自由を私は束縛できません。偶然にも近い地域には住んでますが、彼が自殺しようとしたら止めようがないんです。二十四時間監視するわけにもいかないですからね。そもそも私、自殺しろとは言ってませんよ。罪を償うことのみ言及してます。ちゃんと動画みてくれたら分かると思います──』
想定より長く喋った九重は動画を撮りおえ、自室に戻ってパソコンで動画を編集した。
おそらくコメント欄は荒れるだろうと予想ができた。ただ荒れることを恐れていては何も言えない。そういったヒヨった言説であれば、他人の動画に任せてしまえば良い。
編集した動画をアップロードする。再生数はいつも通りかと思いきや、一時間もすれば伸びていった。
コメント数の増加具合の方が目に見えて大きい。『賛同します』という言葉もあれば『追い込んだ時点で責任取れよ』という言葉もあった。予想の範囲を出なかった。
コメント欄を見ていると午前二時になった。九重のシフトは明日も早番だった。増えていくコメントに対して、言い返したくなる言葉が増えていった。キリがないので言い返さない。
伝わる人に伝わってくれればよい。ただそれだけのことを思いながら九重は目を閉じた。
動画投稿から二日後の3月1日、火曜。
天候は快晴、寒くはあったがカーテンの間から差し込む温かい日差しが九重の体調を整える。温めたコーヒーを飲んで、特に見る気もないテレビをBGM代わりにつける。
今日はサービス業にありがちな平日の曜日のお休みだった。
ドライブに出るのも悪くはなかった。
車で行けそうな場所を手当たり次第探してみた。候補としてあがる観光地の多さに、一生かかってもすべて行くことができないなと苦笑する。
片手間で九重はスマホを操作して動画のコメント欄を表示する。こちらは天候とはちがいやや荒れ気味で、所により口論が発生していた。あまりに酷いとブロックするが、一つ一つの口論は一日程度で収まる大人しいものだった。
新しい動画を投稿しようにもネタがない。
というより事件の進展がない。動画撮影者たちも新たな悪さを働かないし、そもそも名前に繋がるヒントすら特定されない。
同業のユーチューバーもラーメンまぜまぜ事件以外を主軸にしはじめている。
新しい動画を投稿してもアクセス数が稼げないことは火を見るより明らかだった。
いっそ、ドライブとして小林雄二の家に行ってみた方がいいのか、という考えすら湧く。いわゆる自宅凸というやつだ。ただこれはマスコミがやるようなやつであり、九重がやると迷惑系ユーチューバーになってしまう。
九重は邪念を振り払った。
今日は休むか、他のネタでも探そう。
コーヒーカップを洗い、外出の支度をして、惰性でツイッターを開く。ツイッターを開く理由は特になく、九重にとっては呼吸をすることとあまり変わらなかった。
だがツイートの文面を見て、九重の動作は止まる。
それどころか九重の呼吸が止まりそうにもなった。
何度も目を疑った。
誤字、脱字、視力の低下。そのどれでもない。
では誤報、デマ、フェイク。
だが引用リツイートやリプライ欄を追いかけると信憑性が増していく。情報源としてリンクまで貼られている。
貼られたリンクは音沙汰のなかった小林雄二のアカウントだった。投降時間はつい二十分前。自分以外の熱心なラーメンまぜまぜ事件追跡者が見つけたのだろう。
動画は暗かったし音声もほぼなかった。ビービー、と街灯特有の虫のような音だけが動画に拾われている。周りの景色はほとんど分からない。ただ何をしようとしているのかははっきりと分かる。
立ちながら自分の足元を映す。靴が見える。そこだけ光ってみえるのはライトを照らしているからだ。ただ明るく映っているのはそこだけしかない。足の指先より外側はライトが届いているはずなのに真っ暗だ。
一歩進んだ先には落下しかない、ということが説明なく分かる。周りの景気で唯一分かるものが足元より下にある光、おそらく街灯であることから、かなりの高さであることが推測できる。仮に落ちたら骨折どころでは済まされない。
誰が小林雄二のアカウントでこんな動画を、と九重はあえて疑問に思いたかったが、動画はすぐに彼の顔を映しだした。
「うわ」
つい誰もいない自室で声を出してしまう。
間違えようもない金髪の少年の顔は間違いなく小林雄二の顔だった。しかしその表情は笑みを浮かべていた。口角が持ち上がり、歯すら見える不敵な笑み。
なんの笑み? 誰に対する笑み?
疑問が次々と浮かび上がると同時にカメラは揺れる。そこで動画がおわる。
動画のタイトルは『小林雄二です、自殺します、みんなのこと絶対に忘れません』。
九重は信じたくなかった。
『セイさんのせいで小林が自殺したら責任取るんですか? どうするんですか?』
九重はこの質問に対してはっきりと動画で「責任を取らない」と言った。
責任を取る理由もないと思っていた。
だがこの荒れる気持ちを抑えきれないのは何故だろうか。飲んだコーヒーが逆流しそうになる気分の悪さはなんだろうか。日光の眩しさにめまいを覚えてしまうのは何故だろうか。
「責任、私にはない。勝手に死んだだけだ。それに動画なんてみんなあげてる。セイチャンネルはそのうちの一つでしかないんだ。再生数も十万回はこえなかった。やはり責任はない、ないんだよ」
九重は声に出して言った。コメントの返答として口にしたい言葉をコメント欄に書かず部屋のなかだけに無散させた。
自分のあげてきた動画のコメント欄を今日はもう開けない。しばらく離れるのもいいだろう。ドライブにやはり行くべきかもしれない。
そもそも動画で言ってきたように、勝手に自殺されたら止められない。それに自殺したからそれまでの主張が悪に反転するのはおかしな話だ。物事の本質は一つもずれていない。
九重は深呼吸をして、吐いて、心を落ち着かせた。
悪いのは誰か。小林雄二だ。
だとすれば、その悪事について語ってきた自分も悪か。悪なわけがない。
悪の反対が悪であるはずがないので、やはり九重は自分のことを正義だと思い込むことにした。