2022年2月27日(日)九重誠二 前編
ラーメンまぜまぜ事件の主犯である金髪の少年の名前が小林雄太だと分かったのは動画が話題になった数日後、2月23日だった。彼は春風高校に通う一年生だ。
確定的な情報が飛び交うまでまとめサイトも慎重に動いていたが、同級生と名乗るアカウントが、学校での行事写真をネットにアップロードしたことから、その少年が小林雄太だと断定された。
九重も自身のユーチューブチャンネルで何度も小林雄太の名を口にした。アクセス数は最初の頃に比べると減りつつあったが、それでも他の動画に比べれば再生数があった。まだ世間の関心が薄れていない証拠だ。
ただ九重はいま、その関心事を上手く考えられない状況にいた。
「おい、九重。なに渋い顔をしてるんだ? まさか好き嫌いが多いわけじゃないだろうな?」
葛原店長が鉄板で焼かれたホタテをハシでつまみながら言った。
「いえ、特に好き嫌いはないですよ」
「じゃあ食え食え。まだお前は若いんだから、精をつけなきゃいかんよ」
「それじゃあ、いただきます」
テーブルにはメイン料理となる海鮮の鉄板焼きがある。九重は自分の手元にある小皿にエビ、イカ、ホタテを乗せたが、小皿には一品ずつ乗せるべきだったかどうか、乗せたあとに九重は考えてしまった。大勢が集まって食べる飲み会は苦手だったし、酒には興味がないし、なにより苦手な店長と二宮副店長が対面にいるのは不幸としか言いようがなかった。同期との席のほうが明らかに良かったが、九重より仲の良い同期同士でグループを作っていたため、今日は一緒の席にいることすらできなかった。
こんな飲み会、断りたかったと九重は思う。
日曜日の帰宅直前に「今日はみんなで飲むぞ」と集めようとすることは店長のクセだった。このご時世なので断ることも許されたが、実際に断った人はパートやバイトの人たち、そして子育てをしている正社員に限られた。九重のような一人暮らしの男に断る権利は存在しない。
「おまえ、彼女いるのか?」
唐突な店長の質問に九重の箸の動きが止まる。
即答できる質問なのに、唐突すぎる質問に頭が上手く回らず、一呼吸置いて応えた。
「いないです」
「いないのか。大学卒業してからずっと一人か」
「ええ、まあ」
大学卒業する前も一人だと言いたくなったが、九重に言う気力はなかった。葛原店長に余計なプライベートを話すつもりはなかった。
「面白くないやつだな。もっとこう、がっついて女をゲットしなきゃいけないだろ」
「そうですかね」
疑問というより相槌に近い返答だった。九重は空気に話しかけているほうがマシな気がしてくる。
「この店にいないのか、例えばほら、あのバイトの子とか」
葛原店長が指で示したバイトの子は、カラーボックスのトラブルがあったときに九重と言葉を交わしたポニーテールの女の子だった。
彼女がこの飲み会に来ていることを九重は今まで気付けなかった。他の若いバイト仲間と楽しく談笑しているあたり、誘われたのだろう。
口元を手でおさえて声をあげて、豪快に笑って喋るような子だとは思いもしなかった。
「あの子の名前、私、知らないんですよね」
「だからなんだ」
「あんまり、そういう視点で考えたことなかったですね。まあ可愛いとは思いますが、私には不釣り合いな気がします」
「不釣り合いかどうかは何とでもなる。お前が合わせにいけばいいんだよ。例えば寝ぐせ。いつもなんかピンって髪の毛が飛んでる。朝礼であえて言ってなかったが、生活習慣の適当さが目に浮かぶぞ」
「それは、すみません」
「まあ、わかった。お前のペースで生きて楽しければそれでいい。俺は結婚したほうが幸せに暮らせると思っているけどな」
結婚を絶対的な価値観にしない人が増えているこの令和のご時勢のことをご存じないのだろうか、と九重は思いつつも黙る。ただ黙れば黙るほど、店長の言葉をくそデカフォントで強調してサムネイルとして構成し動画にしたいと思ってしまう。
九重が黙っていると、葛原店長は喋りを止めなかった。
「まあしかし最近の若いやつは……お前も含めてだけど、何考えてるか分からないことがあるな。こういうのを多様性って言うのかどうかは知らないが、多様性の果てにラーメンにこしょうを混ぜるやつまで出てくると、今後の日本が不安になるよ」
出ました、くそデカ主語『日本』。やはり主語がでかいと主張しやすいということが分かりますね、と九重の頭のなかで自分の動画が再生する。多様性という言葉の無理解も透けて見えるあたり格好のネタに思えた。ただ再生数は望めない。葛原店長が有名人でなく一般人だかからだ。
それにしても店長というネットから遠そうな人間からラーメンまぜまぜ事件について聞けると九重は思っていなかった。
これは取材として使える意見が聞けるかもしれないと思い、五十の一般人男性の意見を聞こうと思った。
「私は三十四歳なので若者という気はしないんですが、ただ、ああいったラーメンまぜまぜ事件を起こすような若者ってどうしていけばいいんですかね?」
「うん? それはさすがに通報しかないだろう。あの事件みたいに『やったらダメなんだ』っていう認識をみんなで持つべきだ。かつての飲酒運転、最近の煽り運転みたいにさらしあげまくって理解させていくしかないだろう」
「未成年であっても、ですか?」
「そりゃそうだろ。犯罪は平等に扱うべきだ。むしろ名前非公表ってあたりもぬるいと思うよ俺は」
パワハラな店長であっても九重とほぼ同意見だった。自分もパワハラ店長と同じ倫理観が心の内にあるのかもしれないと思うとめまいを起こしそうになったがこらえた。
「九重、その事件に興味があるのか?」
「いえ、別に」
嘘がすぐに出た。
「そうなのか。急に饒舌になったからめちゃくちゃ興味あるやつかと思ったぞ。ますますお前の考えてることがわからないな」
「すみません……」
「そう謝るぐらいなら仕事で成績だせ。てか早く食え。コース料理だから次のやつが来るぞ」
九重はそのあと静かに海鮮料理を平らげていった。葛原店長は二宮副店長と業務的な言葉をひそひそと交わしている。聞こえない言葉のほうが多い。
九重にとって、隣にいながらも九重との会話にまったく興味を示さず会話にも混ざってこなかった二宮副店長のほうが考えていることが分からない。ただ考えていることをすべて口に出してそうな店長とのコンビはバランスが取れているのだろうなと思う。
「九重さんは二次会どうする?」
「私はいいよ。明日も早番だしさ」
「わかった。じゃあ俺らで楽しんでくるよ」
今まで声をかけてこなかった同期たちがようやく声をかけてきた。二次会へ一応誘うのは社会人としてのマナーなんだろうと思う。ただ九重の心はもう別のものへと移っていた。
ラーメンまぜまぜ動画の撮影者たち。撮影した子たちは小林雄太の同級生らしいという情報止まりで、名前まで明らかになっていなかった。顔が出ていないせいかもしれない。
ただ小林の出る動画は他にも一つの動画が話題になっていた。話題にならなかったのはラーメンまぜまぜ動画の方がインパクトがあり、被害の話が出ていたからで、ネットで見つかっていたのはほぼ同時だった。
九重がその動画を発見したのは2月20日の夜、つまり先週であり、この事件を扱う最初の動画をあげたあとのことだった。
そのあと何度か投稿した動画では、ラーメンまぜまぜ事件以前の小林雄太の犯行にもしっかりと言及している。
「九重さん、また明日―」
同期たちは九重に手を振る。酔っているので身振り手振りが大げさだった。そこにはポニーテールのバイトの子も混ざっている。
酒の入っていない九重は小さく手を振って駐車場へと向かう。『おまえ、彼女いるのか?』という店長の言葉が頭のなかで響くが、彼女をいま作りたいとも思わなかった。
今やるべきことは一つ、動画で正義を伝えることだ。
小林雄太周りの事件を整理する動画を出す必要がある。
ラーメンまぜまぜ事件の動画が初めての動画と思われていたが、実際はちがっていた。その半月前、正確には22年1月30日に彼らはすでにその手の動画を投稿していた。
それが初めての動画とされている。
九重は車に乗り込み、エンジンを入れてからスマホで動画を再度確認した。