2022年2月20日(日)九重誠二 後編
九重は忙しい日曜日の仕事をおえ、私服に着替え、白色の軽自動車に乗り込んだ。スマホとカーナビをブルートゥースで接続し、Spotifyにダウンロードした無数の曲をランダムに再生し車内に流す。今日の曲は最近深夜アニメに楽曲提供した若手音楽グループの曲だった。曲名はよく覚えてないが何度も聞いたことがあった。
テンションの高い曲が車内で流れるが九重の気分は晴れない。胃がムカムカする。店長のパワハラ発言も若いクレーマーカップルの発言も頭のなかで何度もリピートする。不快な感情の悪循環が完成してしまっていた。
契約している駐車場まで来て車を止める。ブルートゥースの接続を切って軽くツイッターを眺めた。
九重にとってツイッターは情報源であると同時に暇つぶしでもあり心の安定剤でもあった。ただ癒し目的の動物動画にはさほど興味はなく、九重のタイムラインには常に人間のスキャンダルが表示されていた。特にスキャンダルを多く呟くインフルエンサーアカウントは重宝し、リストに入れて簡単に追いかけられるようにしていた。
Vチューバーとの熱愛、企業アカウントのツイート炎上、悪質ストーカーのライン会話ログ暴露、政治家のデマや差別ツイート……どれもこれもツイートの前半を読むだけで分かるような悪ばかりで不快な気持ちが湧く。当事者が開き直ってるケースも多々あるのでより腹立たしい。
だが現実に対峙した不快さとは違い、この不快さは胃や腸を変調させることはなかった。むしろもっとそういう話を見なければならないという欲求さえ湧いた。
九重は自身のこういった行動の根底には正義の心があると考えていた。正義の心があるからこそ、現れた悪のことが許せないし、もっと悪の暴露を希求してしまう。悪とのアクセスを容易にし、この世がより正しくなるための情報を集め、拡散するインフルエンサーとネット環境には感謝の思いがあった。ネットやインフルエンサーが分断と差別を生むという言説が世界中で繰り広げられているが、そういう輩ばかりではないことは知っていたし、受け手の頭が悪さこそ最も性質の悪いものだと考えていた。
ツイッターを眺めながら車から出て歩きだす。人がいない路地はスマホを見ながらでも歩きやすい。注意するのは犬のフンの存在ぐらいだ。
徒歩三分ほどで九重の住んでいるアパートにたどり着く。コンクリート塀で出来たアパートの狭い一室が九重の家だ。
扉を開けると生乾きの洗濯物のにおいがツンと鼻に入ってきた。昨日洗濯した服の臭いだろうと思う。足元には乾いているが畳んでいない服がくしゃくしゃに置かれている。九重はその服を踏みながらスマホをいじる。wi-fiが入る瞬間を確認して検索を加速させた。
九重はこの帰宅直後の時間が一日のなかで一番好きだったりする。なぜなら、動画のネタはこの帰宅直後の検索で生まれることが多々あるからだ。
『これヤバい マジ?』
Tiktok特有の女性の機械音声とともに流れた動画にはラーメン屋にいる金髪の少年が映っていた。
コショウをはじめとして様々な調味料がラーメンのなかに入っていく。ラーメンのおいしさが失われていくなか、ラー油は調味料の入れ物ごと入っていく。最後にキムチがラーメンのなかに入っていく。金髪の少年はそれを食べる。
『俺たちは客だろ。金を払えばなんだっていいだろ』
少年の友達だろうか。同じ年齢らしき男の子の声が聞こえた。
金を払えばいいという問題では明らかにない。衛生的にも問題だ。ずっと映り続けている金髪の少年はそんなゲテモノラーメンをそれでも食べる。普通のラーメンを食べずに、ゲテモノをあえて食べるのだから冒涜的な食事だ。
動画のコメント欄をみると『死刑』『賠償金億払い』『義務教育の敗北』『バカッター再び』という言葉が乱立しているだけだ。まだ少年の名前は明らかになっていない。ただラーメン屋の名前が『ラーメン龍麺亭』であることは動画から明らかだった。そのお店は日本に一店舗しかない道頓堀のはずれにある個人経営の店だった。検索してグーグルマップを開くだけでも動画がどの位置から撮影されたものか仔細に分かった。
パソコンを起動して5ちゃんねるを開くと、スレには同じような非難の言葉があった。そのなかのごく一部に個人の特定に繋がる言葉があったが、いずれも根拠がまだ弱かった。そもそも金髪の男の名前候補として古賀、小林、後藤と三人も名前が挙がっている時点で根拠が不十分すぎた。ここで適当に名指しで非難して無関係な人間だった場合、罪に問われるのは名指しした側になる。
九重はそんなヘマを踏むつもりはなかった。だが同時に独自の情報をつかんで発信したかった。
「名前の特定は今後調査。とりあえず今分かっている情報から推測と広げて、主張を後半に喋るか……」
デスクトップにある『取材メモ』というメモ帳のなかに今回の出来事の分かっている部分と調査項目を書き込む。そのメモを開きつつワードの『動画原稿』を九重は書いていく。夕飯の時間が迫ろうとしていたが、この新鮮なネタは早く投下したもの勝ちだと感じていた。そのためなら夕飯が深夜になっても構わなかった。
髪の毛を整え、うがいをし、ヒゲを剃り清潔感をとりあえず出す。容姿の不潔さばかり目に入ってしまう動画になれば、どんな発言をしても聞いてもらえない。
原稿をプリントアウトするとスマホを片手に九重は駐車場へと行く。そして自家用車に乗った。だが運転をするわけではなかった。助手席にある機材にスマホと原稿を固定させ、ライトを灯す。明るさには目を細めたくなるが、それは我慢する。固定した原稿がちゃんと読めればオッケーだ。
生配信ではないし、一発撮りでもない。九重はそのことを頭に入れつつ、リラックスした状態でスマホの録画ボタンを押した。
ユーチューブチャンネル、セイチャンネルのための動画だ。名前は九重誠二の誠から取っていることを誰も知らない。
『こんばんは。セイチャンネルのお時間です。本日の動画は……そう、いま話題になりつつあるラーメンまぜまぜ事件です。まだ週刊誌は扱っていませんが、このチャンネルではもうメインでがっつりと話題にしていきたいと思いますよ。
ラーメンまぜまぜ事件。概要欄にミラーではない本動画のアドレスを載せましたが、簡単に言うとある金髪の少年がラーメンに調味料全部ぶち込んだっていう動画ですね。おいしいとんこつラーメンになにしてくれるんだっていう店長の声が聞こえてきそうでしたが、店長も大人。どう対応すべきか身構えてたんでしょう。最終的に警察が来る、来ないの話になってましたが、この辺の真相は不明です。
えっと、ここでは分かることだけ言います。あのラーメン店は難波のはずれにあるお店です。まあつまり、難波に通えるような学生の犯行ってことがわかります。難波は電車もたくさん通ってるので、彼が通ってそうな学校はたくさんあるかもしれません。まあ実際は半グレとかそういうので通ってない可能性もありますけどね。
でもそんなことは今のところどっちでもいいです。金髪の彼が何者か、撮ったやつも何者か、そんなものは時間が解決してくれるでしょう。私も時間のある限り解明に力を入れてみようと思います。
今日の動画はサムネにもしましたが、今から言うことが一番大事です。
炎上で笑いを取ろうとするガキ、おもんない、もうやめろ。それだけです。
彼らは分かってないんでしょうね。事の重大さっていうのを。私が子どもの時代、まだ謝って済むギリギリの世代でした。それはネットがなかったということが大きかったと思います。でもいまは違います。ネットがあって、その動画は永遠に残ります。さっきも言いましたが特定もされます。住所も名前もすぐバレます。本人がバックれるものなら、親や兄弟や家が攻撃の的になるでしょう。そのうえで賠償金です。今後もラーメン屋は風評被害を背負っていくことを考えると、ダメにした調味料代だけじゃ当然済まないでしょうね。精神を病んで休業したら休業補償なんかもしなきゃいけないんじゃないでしょうか?
払えるんですかね、ガキに。これ。でもまあ、大人は容赦しないですし、私も調子乗るガキには容赦しないですよ。
この動画みてる若い人たちはホント真似しないよう、お願いします』
録画終了。あとは編集をしてユーチューブチャンネルやtiktokにも動画をアップロード。これで九重の正義の心はひとまず満たされた。
2月21日になると事態は一変した。
起床早々、アップロードした動画の再生数は普段の十倍を達成し、二十万再生を突破していた。今回の題材選びは大成功だった。
そのうえ、この事件は今朝、テレビのニュースとして大きく報じられた。店主は「今後同じ事件を起こさせないため、ここで懲らしめる必要が私にはある」と正義感あふれるコメントを出し、仮に謝罪が来ても受け入れず、慰謝料を請求する姿勢を見せていた。
テレビが大々的に扱う話題の動画は強かった。普段、スキャンダル動画を見ないような一般人も動画を見に来る。案の定、朝にも関わらず動画のコメント欄は『動画をアップロードするな』『未成年の子どもをさらすな』といったものまであって荒れていたが、九重は無視した。
大事なことは次の一手だった。それには少年の名前が必要だった。
未成年だから報じないマスゴミとはちがい、ネットは少年の名前を公開しても法的に、まだ裁かれない。
謝罪なく逃げ切っているラーメンまぜまぜ事件の犯人の金髪の少年には、まだまだ大人の正義の力を見せつける必要がある。
次回から書き上げ次第更新していきます。