2022年3月8日(火)九重誠二 前編
ホームセンターイケダ大阪店の会議室のなかは空調が効いていて換気もできている。多人数で会議ができるようパイプ椅子は十脚置かれているし、長机を畳めば大人数の収容が可能だ。九重は入社したときにここで研修用のビデオを見せられた。あの時にいた同期の半分はもう退職している。
今はこの会議室のなかに三人しかいない。九重、葛原店長、二宮副店長の三人だ。
換気も出来ていて三人しかいないのに、九重は息苦しかった。
「お前がいいやつだってことは知ってる。ちょっと暗いところはあるなって正直思うが、それを補う良さがある」
葛原店長は長机をあいだに挟んで九重に対して言う。九重は具体的にどういいのか気になったが期待はしない。今は褒められる場でないことは重々承知していた。
葛原店長の言葉は九重の返答を待たずに続く。
「ただ俺はお前の仕事ぶりを見ていて時々思うことがあるんだ。お前に適した場所はここなのか、ここで本当にいいのかって。お前自身もそうは思わないか?」
「どうでしょうね……考えたこともないです」
考えたことはあったが別の職のことは上手く想像できない。ユーチューバーという仕事もあるがそれ一本で食うのは至難の業だ。コメントが炎上したことで動画投稿頻度が減っている今となっては、収益化そのものも遠い。
「これはマジメに考えたほうがいい。34歳だったよな? 四十代になってからの結婚はさすがに晩婚化社会といっても厳しいと思うぞ? 私は二十代で結婚できたからいいが、あれは時代の流れもあったしな。それに昇給のない今の給料じゃ相手も探しにくいだろう」
「結婚そのものに興味がないので……」
「それは九重、勘違いだぞ。結婚は興味の有無でやるものじゃないんだ。結婚する、しない、どちらの選択も興味程度じゃ測れない重さがある。だから結婚しないにしてもマジメに人生を考えなくちゃいけない」
「はい」
心のこもっていない返事を九重は口にする。
葛原店長の遠回りした言い方にめまいを覚えつつも、何を言いたいのかわかっていた。早く本題に入って欲しい。
「少し話は変わるが、今年度の家具部門の利益は分かっているな」
「はい」
「お前が家具部門に着任してから年々数字が落ち続けていることも分かっているな」
「はい」
「分かっていてやらなかった理由は分かっているか?」
九重は言葉につまった。妙に引っかかる日本語も気になったが、思い浮かぶ理由はあった。だが認めたくはなかった。
同期、あるいは先輩社員のようにサービス残業をしてでも仕事をしようとしなかった。残った仕事はすべて次の日に回し続けていた。乱れた売り場はなかなか元に戻らず、新しい売り場作りも上手く回らない。パートの篠原さんは懸命に頑張っていたが、無理をさせるわけにもいかなかった。
「理由は私が一生懸命にやらなかったからで……」
「なら懸命にやれ、と俺は言い続けてたよな? まあここまで来てしまったから、もうやる気の問題とかではないと俺も思うんだ。人間には得意、不得意があるだろう。そして言ってしまうとお前は不得意なことをやり続けてた。自分の得意分野は何か、もう一度考え直してみる機会が必要なんじゃないか。俺が九重の何が得意なのかは分からないから、これ以上の助言はできないが」
ああ、と九重は納得する。
これは事実上のクビ宣告だ。経営者は「お前、クビ」ともう言えない時代だから自己都合退職を促す。ホームセンターには追い出し部屋なんていうものがないので、精神的に追い込む。
だが九重は気が楽になっていた。もうお店で守らなければならないノルマが存在しなくなった。もうどう頑張っても退職しかない。頑張る必要性はもうない。
「私にお金を稼げる得意分野は残念ながらありません」
「ホントか? ブログとか書けばいいんじゃないか?」
「ブログとかノートで稼げる人って一握りの文才とバズり嗅覚のある人しかできないことですよ」
「まあお前に料理の才能はなさそうだしな」
「ええ、まあ」
葛原店長と話がかみ合わない。ただ九重に苛立ちはもうない。苛立っても、すぐに出会わなくなる人間だからだ。
もうやれることは一つしかない。
それは『セイチャンネル』の運営だけだ。そこで貫いてきた正義を伝え続けること。それが九重に残さている。
「有給消化も込みで、いつ頃やめることができますか?」
九重は相談した。サポートに徹していた二宮副店長が消化できる有給の日数から最終出勤日までを逆算する。明日、明後日でいなくなることはできないが、できるだけ早くこの店からいなくなるよう調整した。
会議室から出て九重は背伸びをする。肩の荷が下りた。
「言っておくが引き継ぎが完了するまでイケダの社員なんだからな。そこはちゃんとするように。特に篠原さんにはしっかりと伝えること」
「分かってます」
嫌味でもなんでもなく、素直な気持ちで九重は言った。
「そっか、九重くんもやめちゃうのね」
九重はバックヤードにいた篠原さんに声をかけ、辞めることを伝えた。篠原さんは悲しんだり驚いたりすることなく、その言葉を受け止めた。
「前に辞めた人がいたんですか?」
「しょっちゅうよ。九重くんと同じ時期に入ってきた子たちもそうだけど、それ以前の子たちも。このご時世でもボーナスは1.5か月分もらえるみたいだけど、フォークリフトの労災絡みで辞める子もいれば、サービス出勤とかいって百連勤して体ぶっ壊して入院したまま戻ってこなかった子までいたもの。
九重くんは労災や過労とは縁がないなとは思ってたけど、それでも近いうちに辞めると覚悟してたわ。でも、いざその時期が来るとちょっと寂しいわね」
「そうでしたか。でも寂しいと言ってもらえると少し救われます」
「でも仕事は最後まで手を抜いたらダメだよ。というか手を抜いたら私が苦労するし」
「それはもちろんちゃんとします」
「ホント? 今までちゃんとしてた気がしないけど」
「そう言われると言い返せないですね」
ハハッと二人ともに笑う。平日とはいえ客がいないわけではない。家具担当者が二人ともバックヤードで雑談している暇なんて本来あるはずがない。だが今日ばかりはそれが許されている気になっていた。
九重は篠原さんがこうして笑っている姿を見ることが初めてだったので、なおさらこの時間がいとおしく思えた。本来の仕事はこういう気持ちになれることも大切なのではないかと今さら思う。
「それで九重くんは新しい仕事、何にするか決めてるの?」
「いえ、それは……決めてません」
素直にユーチューバーです、と言おうと思ってやめる。
『セイチャンネル』の運営は今後も続けなければいけないことだ。それは九重にとって食事をするぐらい当たり前のことだ。自分の思考を発信し続けていく責務がそもそもある。
そこで語られる正義を途中で投げ出したくはない。
だがそれは仕事とはいえない。収益化の見込みが立たない以上、今は仕事にもならない。実家暮らしになったとしても、親から生活費の請求は免れないだろう。
「失業手当って長く出るみたいだけど、遊ばず早く決めた方がいいわよ。人間、何もしないと病んじゃうみたいだしね」
「わかりました、考えておきます」
九重はそう言ったものの、次の仕事については何も思い浮かばなかった。
思い浮かんだことはやはり『セイチャンネル』のこと。そこに割く時間が膨大に出来ることは喜びだ。
特にいま話題の小林雄二の件はすぐにでも動くべきだった。
引き継ぎに割く時間は最低限にとどめ、有給を上手く消化しつつ、最大限ユーチューブに時間を費やす。
そう九重は心に誓った。




