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バスが到着し、並んでいた人が後方の扉から乗り込んでいく。雨だからかバスはいつもより混み合っているが、二人で座れる座席は空いてそうだ。真冬を先に乗車するよう促し、紅は折りたたみ傘を閉じて、サッと軽く振り水気を切った後バスに乗車した。
「ピッ」
交通電子マネー『SAPICA』をICカードリーダにかざして顔を上げると、先に乗車した真冬がバスの右後方の座席に座っている姿が見えた。紅は傘を畳みながら真冬が座っている座席のまで歩き、声を掛ける。
「隣、座っても良い?」
「はいっ!もちろんです!」
真冬は笑顔で答え、「んしょっ」と言いながら窓側につめて、少し広がったスカートを正すために座り直した。真冬の隣に座ると、肩が触れ合う距離感になった。フワッと優しいローズのような良い香りがする。
「発車しまーす。」
バスがアナウンスと共に走り始めた。週の後半で、また雨が降っているためか乗車している人たちは少し疲れた様子で、車内にも鬱屈とした空気が広がっていたが、隣に座る少女は非常に嬉しそうな様子で、二人がいる空間だけは少し明るく感じた。
そんなことを思っていると、隣の真冬がプルルっと震えた。
「今日は少し寒いですね・・・。」
「そうだね。今日は雨も降ってるし。」
「やっと暖かくなってきたと思ってたのですが・・・。セーターを着てくれば良かったです。」
6月に入ったというのに、今日の朝夕の気温は一桁台まで冷え込むらしい。真冬は西南高校の冬服である紺色のブレザーと緑のチェックのスカート、黒タイツという装いで、紅も黒い学ランに白いワイシャツと冬服を着込んでいるが、確かにまだ肌寒さを感じる気候である。
「先週は結構暑かったのになぁ。この時期は服の調整が難しいな。」
「そうですね。家に帰ったらしっかりあったまって風邪を引かないようにしなきゃですねっ。紅くんも、あったかくして寝なきゃダメですよ。」
と人差し指を立て、少し大人ぶった顔で笑顔を向けてくる。
「そうだね。今日はバイトで遅くなっちゃうけど・・・。」
「そういえば、紅くんのバイトについて伺ったことなかったですね。どんなバイトをしているのですか?」
「大通り公園の三越デパートの近くにある、PCショップで働いてるよ。」
「PCショップ、ですか。」
どうやら真冬はピンときていない様子だったので、紅は補足する。
「うん。パソコンの本体とか、その部品とかを売ってるお店で、普段は接客とか在庫チェックとかを担当しているかな。」
「パソコンですか。難しそうです・・・。」
「あはは。でも扱っている商品が少し特殊なだけで、業務は普通のお店と同じだと思うよ。真冬は、パソコン苦手?」
「そうですね。今までも学校の情報の授業などで触ったことはありますが、個人的に使う機会は無かったので得意ではないです。」
「まぁ確かに、スマホがあれば十分か。」
「でも入学案内の時に、高校では授業でプログラミングなどを学び始めると伺いました。あまり経験がなく不安ですが、少し楽しみです。」
真冬は両手を胸の前握って、可愛らしく意気込むポーズを見せた。真冬は医者を目指しているだけあり非常に成績優秀であり、どうやら知的好奇心にも溢れているようだ。
「俺も多少知識はあるから、何か困ったことがあったら遠慮なく聞いてよ。」
「ありがとうございますっ!その際は頼らせていただきます!」
こんなに可愛い女の子から頼りにされるのは、男冥利に尽きるというものだ。そんな会話をしていると、バスのアナウンスが流れた。
「ご乗車ありがとうございます。次は大通り西3丁目に停まります。」
「あ、俺次のバス停で降りるんだ。」
紅は窓枠に設置されている停車ボタンを押そうと、少し立ち上がり手を伸ばした。と同時に、バスが大きく左折し始め、遠心力で紅の体勢が崩れた。
「おっと。」
紅はとっさに窓に手をついた。すると、真冬の体がピクっと跳ねた。今、紅は真冬に少し体重を預け、真冬の小さな頭が紅の胸に密着し、いわゆる『壁ドン』しているような体勢になっている。
「ご、ごめん!」
紅はあわてて真冬から離れ、謝った。
「い、いえ!大丈夫です!ちょっとびっくりしただけでっ!」
真冬は手をブンブン振りながら許してくれたが、まだ顔が真っ赤である。正直めっちゃ良い匂いがして、紅もドキドキしていた。が、すぐにふーっと息を吐いて冷静になって、真冬に声をかけた。
「ほんとごめんね。どこかぶつけなかった?」
「いえ、本当に大丈夫ですっ!」
「良かった。あーでも今日昼休みに拓海とバスケしたら、ちょっと汗臭かったかも・・・。」
「むしろスゴく良い匂いがしたというか・・・。あ、いえ何でもないです!」
真冬がアワアワしながら思わず口走った言葉に、紅も少し照れてしまった。
そうこうしている間に、バスは紅の目的のバス停に停車した。どうやら、別の人も降車予定だったようで、停車ボタンが押されていたようだ。
「おっと、じゃあ俺はここで降りるから。」
「あ・・・。はい、今日は傘に入れていただきありがとうございました。バイト頑張ってくださいね。」
真冬は少し名残惜しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になって言った。
「ありがとう。・・・あ、そういえば夜は雨止むみたいだし、バス停からバイト先まですぐだから傘貸すよ。」
先に本屋によるつもりだったが、どちらにしてもバス停から大した距離ではない。
「え、いえ、そんな!悪いです!」
真冬はそう言ったが、紅はそのように遠慮することが分かっていたため、立ち上がって折り畳み傘を真冬の隣に置き、
「明日返してくれれば良いから。じゃ!」
と言って歩き始めた。
「え、あの・・・!あ、ありがとうございます!また明日!」
真冬があわてて言いながら、手を振った。ちょっと強引すぎたかな、とは思うが、可愛い女子にはカッコつけたくなるものである。紅も振り返って軽く手を振り返すと、先ほどよりも少し混雑した車内を足早に進み、バスの運転手席にある精算機にSAPICAをかざして、前方のドアから降りた。
外に出ると、雨は霧雨程度には落ち着いていた。まだ4時半前だが、天気が悪いためあたりは薄暗くなっている。いつもより人通りは少なく、「カッコー、カカッコー」と鳴る音響式信号の音と、ライトをつけ、シャーっと水を切りながら走る車の走行音だけが聞こえる。大通公園のランドマークであるテレビ塔を見上げると、オレンジ色光る電光時計が浮かんで輝いて見えた。紅は湿った冷たい外の空気に少し寒差を感じてブルっと体を震わせた後、小走りに本屋に向かった。