6-5 オオウミガラス
食事は要らなかった。
疲労も、なかった。
それが元から本当はそうで、ずっと自分で自分を誤魔化していたのか――それとも、レベル17になった恩恵としてそういう機能が解放されたのかは、よくわからなかったけれど。
ダンジョン内の敵は、徐々に強くなっているように思われた。
単なるスライム状の敵とはほとんど会わなくなった。進行態、というわけではないのだと思う。単に、これらの侵略生物の底上げが行われただけ――力の下限が、最初に遭遇した竜の進行態と同ランクにまで上ってきただけなのだと、そういう仕組みになっているのだということが、柾にはわかる。
知識として、そうわかっている。
それが何に由来した知識なのかも、前川の一言から、何となく察されている。
俺はなんだ?
人間のふりした、宇宙生物。
騙されてることにも気付かないで、ずっとへらへら笑ってた。
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「ち、ちーっす……」
恐る恐る、という顔で彼女はやってきた。
少しだけ、柾は驚いた。
もう人間が来ることのできない領域まで踏み込んでいると思ったから――地球の言語を聞く機会が再びあるとは、思ってもいなかった。
しかし、考えてみれば確かに、一人だけそれができる人間がいないこともない。
「元気……じゃない、よね」
「……まあ」
あまり元気ではない、と。
返した先にいたのは、七澄京子。
自称ラスボスの同級生。
今は、それが自称だけには収まらないともわかっている。
がさがさ、と彼女は右手に持ったレジ袋を広げながら、
「あのさ、とりあえずご飯、食べる?」
「……いや。腹、減らないから」
出鼻をくじかれたような顔。鳩が豆鉄砲を食らったような顔。可愛がられている家猫が急に鼻面にデコピンを食らったような顔。
罪悪感。
次には、柾は頷いていた。
「でも、せっかく買ってきてくれたなら……」
「あ、そう? へへ……買ってきてよかった」
彼女は饒舌に、沈黙を埋めるように話し続けながら、その袋の中身を広げていく。
この間は同じコンビニで買って来たんだけど、今回はちょっと色んなところを周ってきたんだ。冷食って解凍できる? たこ焼きとかさー。あと、業務用スーパーって本当にあるんだね。都市伝説なんだと思ってた。あとあと、普通にお弁当屋さんにも寄ってきたんだよね。普段そういう場所って行ったりする? 私は全然行かないなー。というわけで折角だから買ってきてんだけど。ところでどのくらいお腹減ってる? 今気づいたんだけど、なんか私、勝手に半分こするつもりでめっちゃすぐ食べるやつ買ってきちゃった。三人分なんだけどさ、いける? 正直私、ちょっと小食なんだけど。どう?
食えるよ、と答えて。
手慣れた動作で、柾は昆虫腕を覆う、金属腕を生成した。
おわ、と七澄は驚いて、
「すごいね、それ」
「まあ」
気のない返事で、食事を始める。
それから、柾はまだ自分に味覚があることに驚いた。
美味しい、と感じる機能がまだ損なわれていない。そのことが何か自分にポジティブな示唆を与えてくれるのではないか……そんな望みまで抱きそうになってしまって、やめた。失望までの助走をわざわざ自ら始めることもない。
「美味しい?」
「うん。美味い」
「選球眼いいでしょー。全部適当に買ってきたんだけど」
「打率七割はあるよ」
「え、どれ外してる?」
七澄は、いつにもましてにこにこと笑っていた。
不自然なくらい。
前置きとしての表情だ、と誰に言われなくてもわかる。
「あのさ」
二本目の飲み物を開けながら、彼女は言う。
「ニュース見た?」
「見た」
「え」
驚いて、
「見たんだ」
「被害者とか出なかったのかな、って気になったから」
「いい人じゃん」
「人じゃない」
「そっち~?」
あはは、と彼女は無理して笑って、
「それじゃ、その、」
「見たよ。俺が宇宙生物だって発表されてるとこ」
何日前のことだったかは、もう忘れてしまった。
けれど、丁寧に動画まで付いた記事で、会見をやっているのを見た。〈光の気配〉がしたものではない。普通に、警察と、あと名前も知らない年老いた政治家が一緒になって話していた。
対象04。
この星を襲う宇宙生物に対抗するために国際組織が秘密裏に育成してきた、友好的な宇宙生物。
それが先日に新宿で撮影されていた未確認生物の片方の正体である、ということ。
現在は東京の地下空間にある敵性宇宙生物の駆除に当たっていること。戦闘の激化が見込まれることから、以後東京から行政機能等を順次移転、また都民の避難のための対策を打ち出していくということ。
非難は轟轟だった。
誰が責任を取るんだ、そんな強力な戦力を国民どころか世界中に向けて隠匿していただなんて正気の沙汰ではない、一体情報公開というものをどう捉えているのか、そもそもその友好宇宙生物というのは何物なのか、哺乳類なのか、人間型に見えたが人権への配慮はどうなっているのか、昆虫や爬虫類のようなものは一般に人になつかない性質を持つというがその宇宙生物はそうではないのか、そもそも敵性宇宙人というのは何を根拠にそう見ているのか話し合いでは解決できないのか、いやそもそも地球の軍事力がそんな訳の分からない宇宙人ごときに負けるとは思われないこれを機に軍拡を――。
「そっか、ちゃんとエゴサしてたんだ」
「エゴサって」
七澄があえて使ったのだろう軽い言葉に、予定調和的に突っ込みを入れて、
「まあ、あんまり深くは見てないけど。無茶苦茶言われてるだろうな、ってわかってたし」
「無茶苦茶言われてたよ」
「報告しなくていい」
「だから見ない方がいいよ、ってこと。やさしーなー私」
見ないよ、と念押しのように柾は言う。
これ以上人間から心を離したら、どうなってしまうかわからないから。
「でも、なんで04なんだろーね」
「01から03までもいたからだろ」
「『いた』?」
そう、と柾は頷いた。
段々と、全ての知識が自分のものになってきている。
「俺、クラゲみたいな生き物なんだ」
「綺麗で可愛くて大人気ってこと?」
「どうも。……実際はあれ、地元の人とかからは嫌われてるらしいけどな」
そうじゃなくて、と。
「死なない生き物なんだよ」
「あ、なんか聞いたことあるかも」
生態的な話だ。
クラゲの中の一部の種には、老化したのちにポリプ――成体になるよりも前の形態へとライフサイクルを逆戻りする性質がある。
「俺も同じ」
「わかるんだ」
「生きてたら自分が死ぬかどうかくらいわかるだろ」
「中学生くらいまではよくわかんなくない? 私、自分は永遠に十四歳だと思ってた」
「今は?」
知ってる、と七澄が言う。
そういうこと、と柾はそれを軽く流して、
「ただ、記憶が吹っ飛ぶんだろうな。あんまり連続性がないんだと思う」
「じゃあ、実は四歳?」
「いや、ベニクラゲだって完全にゼロまで戻り切るわけじゃないから。生まれ変わったっていうより、若返……」
「いま話してる途中でどうでもよくなった?」
「よくわかったな」
「うんざりしてたもん、顔が」
そこまで察してくれるならあえて続ける必要もないだろう、と話題は先へ。
「対象04とか01はその……友好宇宙生物それ自体の識別番号なんじゃなくて、単に連続意識――その一連のサイクルのたった一周分、意識個体それぞれに付けられた名前なんだろ」
「国語のテストが始まっちゃった」
「俺は時間の縦軸で見て四番目の人格だ、ってこと。01から03は昔のこの身体にあった人格のこと」
実は噛み砕かれなくてもわかってました、と七澄は言った。
だろうな、と柾は思う。
それから、これは口にしなかったけれど。
これまでの01から03が人格を消失させたこと――それが、実は寿命ではないのではないか、ということも、同時に思っている。
この身体に老いという形の終焉があるようには思われない。
あるとしたら……たとえば、一種の到達。持てるエネルギーを放出し切ってしまったことで生じる、衰退と、再成長の必要。
レベル100。
考一郎の言っていたことが本当に自分のためだったのではないかと、少しだけ柾は、思っている。
「難しい話だねえ」
頬に拳をつきながら、七澄は言った。
「でもまあ、そうか。人間ってどんな生き物?って訊かれたらそりゃ、ものすごく難しい話になっちゃうもんね」
「人間ってどんな生き物?」
「えー。なんだろ。薄汚くて……」
「最初にそれ出てくるか?」
「清潔で……とか言い出しても嫌でしょ」
いやそんなに、と柾が言えば。
えーそうかな、と七澄は少しだけ唇を尖らせて。
食事は進む。
二人、肩を寄せ合うようにして。
「そういえばさ、」
「うん?」
「お兄さんとは話したの?」
いいや、と柾は答えた。
「なんか怖くなっちゃって、話せなかった」
「そっか」
「向こうも怖がってたし、俺のこと」
「ほんと?」
「……どうだろ。思い込みかな」
「そうかもよ」
でも、と。
「……思い込みじゃなかったら、余計に傷つきそうだから、いいや。怖がってたってことで」
「『幸福とは、不幸へ落下する最中の状態である』」
「……誰だっけ、それ」
「私」
ギリシャ詩人かと思った、と柾が照れ隠しに言えば、やーい知ったか、と七澄がその脇腹を肘で押しやった。
「でも、そんなもんだよね」
「かな」
「だよ。私もたぶん、なんも訊けないや」
食事は進み、やがては終わる。
その他全ての、あらゆる行動と同じように。
「ごちそうさま」
「結構食べられたね。あ、冷食とかどうする?」
「どうしよ」
もうそろそろ終わりなんだよな、と柾は言った。
そうだよね、と七澄も頷いた。だから色々持ってくるかどうか迷ったんだけど、と。
「終わったらどうするの?」
「……どうしよ」
「逃避行?」
「現実的にはそうなる……のかな」
今さら帰っても、と思う。
以前より良い待遇が待っているはずもない――かといって、逃げ出したところで何か良いことがあるかと言われれば、それにも答えられないが。
「南極にでも住もうかな」
この身体なら平気そうだし、と右腕を上げる。
「クトゥルフ神話じゃん」
「く……何?」
「あ、知らないんだ。じゃあいいや、忘れて。でも、南極と北極だと北極の方がちょっと暖かいらしいよ」
「へえ。あ、陸地が少ないから比熱でか」
「じゃん? あとホッキョクグマとホッキョクギツネがいるよ」
「すげー推すじゃん」
そうしようかな、と柾は言った。
そうしなそうしな、と大して気も入れていない声で七澄がその背中を叩く。
それから、二人は後片付けをして立ち上がった。
地べたに付けていた服の汚れをはたいて落として、柾は首を傾けて、七澄はうん、と背伸びをしてから、ゆっくりと歩き出す。
ダンジョンの中。
もう、この二人なら、明かりも要らなかった。
「ナンキョクグマってさ」
柾が言う。
「なんでいないんだろうな。北極にはいるのに」
「大陸が繋がってないからじゃないの?」
「……あ」
「あと南極ってすごい標高高いんじゃなかったっけ。狂気山脈」
「そうなんだっけ。地図帳だと平たいからわかんないな」
「あ、標高を立体で再現した地球儀とかあったら売れそうじゃない? ビジネスチャンス」
「まだ誰もやってないってことは、なんか欠点があるんだろうな」
なんだろ、作るのが難しいのかな。
七澄の声は、地下の空洞に冷たく響いていく。
足取りに迷いはない。右。右。それからは弧を描くカーブの道を、ゆっくりと真っ直ぐに。
「ペンギンは?」
「ん?」
さらに柾が言った。
これが最後かもしれないと思うと、つい口をついて出る。
「ペンギンって、南極名物じゃないか?」
「名物って……もう食糧認定してるよこの人」
「南極ってペンギン以外食うものなさそうじゃん」
「魚を食べなさい、魚をー。ていうか北極に住むって話じゃなかった?」
で?と七澄が。
「ペンギンが何?」
「いや、だからあれはなんで北極にいないのかなって」
「絶滅したからでしょ」
「え、そうなの」
あれ、違ったっけ?
少しだけ、彼女は不安そうに。
「オオウミガラスってそうじゃなかった?」
「いや、全然知らない。何それ」
「なんかあの……シャチみたいな顔してるやつ」
「えー……わかんないわ」
「あれって乱獲しすぎて死んだんじゃなかったっけ」
ああ、と柾は頷いて、
「人間はそういうことするからな」
「お、歴史の証言者」
ふふ、と笑ってから。
彼女は、記憶を辿るように。
「確かね、オオウミガラスって……」
「うん」
「警戒心があんまりなくて、人間に向こうから寄ってきたんだって。それで、やりやすかったからやっちゃった、って」
へえ、と柾は言った。
心の中に、ふと思いついたことがありながら。
「塔山っぽいよね」
「おい」
「言ってほしかったのかと思って……」
その言葉をきっかけに、柾は想像した。
遥か昔の話。この星に降りてきた宇宙生物――対象01のことを。
オオウミガラスのように人間に対する好奇心が旺盛で、向こうから寄ってきて――なおかつ、その力が、自分と同じくらいに強い。この時代の、21世紀の人間たちですら太刀打ちできないほどの強大な存在。
それを、味方として留め置こうとしたら。
他の侵略生物に対する用心棒として扱おうとしたら。
それこそ情に訴えかけることくらいしかなかったのではないか――そんなことを、想像している。
「でも、大丈夫だよ」
彼女が言う。
「塔山は強いから、絶滅したりしないよ」
「絶滅も何も、俺の種族ってたぶん俺だけだけどな」
「元の星でも?」
「たぶん。……そんな感じがする」
「勘違いかもよ。私もたまに、世界に人間って私一人しかいないんじゃないかと思うもん」
ふ、と柾は笑った。
笑ったな、と七澄も笑った。
「強ければ、大丈夫だよ」
重ねて、七澄は言った。
「塔山は強いから、だいじょーぶ」
「どうも」
「いざとなったら人間なんて全部滅ぼしちゃいなよ。私が許すから」
「何様目線?」
「あらゆる生き物には人間を滅ぼす権利があると思うな。滅亡権」
「誰が唱えた?」
「ジョン・ロック」
「謝っとけ」
ぴたり、と足を止めるのは、目的地に着いたから。
ポケットの中に〈DPS〉は入っている――けれど、もう柾はそれを見なくとも構わない。
超感覚が教えている。
現時点で地球に来ている外星の侵略生物。そのワープ機能を蓄えているコア生物が、ここにいるということを。
そして当然、眠れる王の傍には騎士がついている。
飛んできた衝撃波――これまでの火球のような形態ではない。純化された念動の力。それを柾は、何の予備動作もなく出現させた金属壁で防いで。
ちらり、と後ろを振り向いた。
「……手加減とか、しといた方がいいか?」
「え?」
「いや。とばっちりで怪我したらマズいから」
一瞬間が開いて、ふふ、と彼女は笑う。
「平気だよ。私、どっちかって言うとそっち側だし。それに、どうせって感じだし」
「……一応は、気を付けておくから」
言って、柾は光を生み出す。
まだ視覚は機能している――大して必要とも思われなかったけれど、一応、ここからの戦いを有利に進めるつもりで、そうした。
浮かび上がる。
剣を持った、この星で最も邪悪な生き物のエミュレーション。
道具を持った、毛のない、裸の猿。
頭が不自然に膨れているのは、あるいは過剰な模倣の結果なのか。
人型にまで成長した、進行態がそこにいる。
「キキ……ヒヒヒ……」
「……結構、気持ち悪いな」
お前も、と。
身体に眠る熱を揺り起こしながら、柾は呟く。
あまり、抵抗は感じなかった。




