4-1 中ボス
「あぶ、な――」
『どうした、何があった!』
〈水魔法・100〉。
咄嗟に要求した声に、考一郎はやはり即座に答えてくれた。
おかげでなんとか、柾は死なずに済んでいる。
目の前に作り出した水の壁――それが羽のない竜の吐息に凄まじい蒸気を発しながら溶けていくのに、茫然としながら。
「レベル上げるぞ! こいつ相手じゃ無理だ!!」
『待て、状況を――』
待たない。
レベルを上げるときの感覚は2から3へのときですでに覚え切っている。
そして目指したのは次の4レベルではない。
5。
一足飛ばしだが、安全マージンが欲しい。必要ならさらにレベルを上げることも視野に入れつつ、柾は〈DPS〉へと働きかける。
ステータスの表示が変わる。
――――――――――――――――――――
Name:塔山 柾(Tohyama Masaki)
Level:5
HP:10^5
MP:10^5
ATK:5
DEF:5
MAG:5
AGI:5
Skill:六種属性魔法(火・水・風・金・雷・光)
――――――――――――――――――――
DEFの値が上がった影響があるのだろう。
ついさっきまで〈DPS〉を通してなお肌をジリジリと焼くようだった余波の熱気を、何とか締め出すことができた。
「とりあえず水の1,000――いや、やっぱ200くらいくれ。あんまり出力がでかすぎるとダンジョンが崩落するかもしれない」
『〈水魔法・200〉。――どうなっている? 状況は説明できるか?』
画像を転送する、と柾は伝えた。
すでに先ほど二度ほどやってみたことだから、もうウインクする必要もなく、感覚でできる。
『――進行態か』
「進行態?」
水魔法を使って防壁を貼りながら、柾は訊く。
『ああ。侵略生物の中でもいくらか成長にはバラつきがある。その中でも群を抜いた個体を進行態と呼んでいる』
「コアモンスターってやつじゃ?」
『ない。中ボスとでも捉えればいい』
「避けて通ったりは?」
一応の期待を込めて口にしてみるが、
『討伐してくれ。これクラスになると外に出てきた瞬間に東京が壊滅しかねない』
「――了解。必要になったらまたレベルアップするぞ」
やりたくねえ、とバイザーの奥で顔を歪めながら、柾はそう呟いた。
竜の吐く息にも限界があるらしい。
水の防壁の半分近くを削り取られた頃になって、屈折した視界越しに、その赤い炎が消え去ったことを柾は確かめる。
「風の300!」
チャージは即座。
まずは大きく腕を振るって、その場に残り続けていた熱気をダンジョンの奥深くへと流し込んだ。
どういう理屈で竜が火の息を吐いたのかは知らないが、燃焼の仕組みがごく一般的にイメージできる通りなら、多大な酸素が消費されているはずだ。低酸素濃度のためにいきなり卒倒しても敵わない――だから、まずは空気の入れ替え。
「水の1,000!」
次に要求したのは大砲。
ついさっきの〈水魔法・200〉でも熱気は防ぎきれなかった。だから、力で押し切ろうとしたらこのあたりまで要求しておく必要があるだろうと考えて。
形のイメージは複雑でなくていい。
ただ、鋭い槍のように。右腕に纏った水の魔法を竜へと向けて。
「食ら――はあ!?」
それを放つよりも、竜が飛び掛かってくる方が早かった。
轟音。
フィールドの支柱を破壊しながら、竜が突っ込んできた。
当然、柾は選択を迫られることになる。
そのままダメージ覚悟で迎撃するか、受けに回るか、回避に走るか。
そしてこれもまた当然、これまで普通に高校生として過ごしてきた彼に、命を危険に晒した状態でのカウンターなど望むべくもない。
「あ、っぶ――」
水は、回避に使った。
ただの水ではないのだ。水魔法。だから、その竜の巨体も受け止めようと思えばそうできたのかもしれない。が、このとき柾の頭を過ったのは自分の頭の上に被せるようにして作った水の壁を容易く竜が踏み抜く姿。
だから、水の槍を咄嗟に解いて、水流へと変えた。
自分自身にそれをぶつけることで、一気に竜の間合いから外れることにした。
無理矢理の動きだったから、一瞬、前後左右を忘れる。
どうにかもう一度竜に視線を合わせたときには、炎をその牙の奥から吐き出して、すでにこちらに照準を合わせていた。
「風の100! 両足!」
発生させた急上昇の風の道。天井に叩きつけられるのと、地面が火の海になるのはほとんど同時のこと。
「金の10、右手!」
ゆえに柾は、その右手の構造を金属性魔法を使って作り変えた。
〈DPS〉による装甲の一部をさらにメタリックな鉤爪に変換することで、天井にそれを引っかけるようにして、腕一本でぶら下がる。
そして、こう呟いた。
冗談じゃないぞ。
「ボスがそんなに動くなよ……!」
『柾! 進行態の砲口に気を付けろ!』
「は?」
『上向きだと街まで貫――』
水の2,000、と叫ぶのがあと少しでも遅れたら。
兄の言うことを理解するのがほんの少しでも遅れていたら。
地上にいる人間たちは、何万と死んでいたはずである。
「お、オォオオ――!!」
火の息。
それは、もしもここで柾が食い止められなかったら、ダンジョンの天井を貫いて地上まで破壊していただろうから。
水の槍と火の息が激突する。
発生した高温の蒸気が、レベル5の〈DPS〉の上からすら、柾の肌を焼き始める。
「上げるぞ!」
『待て、不用意に――』
レベル7へ移行。
それでもまだ、継続的なダメージを感じながら。
「金の1,000!」
巨大な金属箱を作った。
シンプルに。単純に。
強大な質量で、圧殺してやるつもりだった。
がごん、とそれは地面に衝突し、大きくダンジョンを揺らした。
「そりゃ当たらないよな――金の30! 風の100!」
その金属箱を竜はやすやすと避けた。
が、それでも一瞬、火の息は止む。だから柾はその隙を突いて自身の高度を下げる――竜の砲口が、地上へと向かないように降りていく。
けれど地面の上はすでに火の海だから、もう少し工夫しなければならない。
体高六メートル程度だろう竜の目線の高さ――そこをキープしながら、周囲の支柱に金属性魔法で作り出したワイヤーを差し込んで、風とともに移動する。
「風の200! それから500!」
右へ移動――竜の目線がそれに釣られたのを確認してから、すかさず反対方向への急速移動。眼球の動きが止まっている。自分の姿を見失っている。
小細工は成功。
背中を取った。
「――水の3,000!」
貫いた。
竜の尾の付け根のあたりから入っていって、不格好に背骨を抉りながら頭部まで槍は直進する――後頭部を貫いて喉から出ていったときには、その口腔に込められていた炎の大部分が消える。
「オォオオ――……」
燻る火。
僅かな断末魔とともに、竜の四肢から力が抜けていく。
「……金の1,000」
今度は、もう外す余地はなかった。
竜の頭部上空に金属箱を作り出す。
それから右の手首を返してやれば。
どおん、と地下空間を震わす大きな衝撃とともに、その強大なモンスターが、潰れ果てた。
一秒、二秒、三秒――柾は注視していた。
再び竜が動き出すことがないかを。
なにせ元がスライムだ。頭を潰したくらいでは致命傷になっていない可能性だって、十分に考慮できる。
けれどそのびくりびくりと動いていたのも単なる神経反応の残り香であることがわかり、そしてそれもやがて止んでしまえば。
ふうっ、と大きく息を吐いて、地べたにへたり込んだ。
「何とかなった……つーか、何とかしたぞ。兄貴」
『身体の調子はどうだ?』
「やー。直撃は貰ってないけど、余波でちょっとやってるかもしんない。今んとこは興奮しすぎて痛みとかないけど」
『いや、そっちのことでは――』
途中で言葉を切った兄に、は?と訊き返した。
何の心配をしているのだろう、と思いながら。
「あ、〈DPS〉が爆発してないかとか、そういう話?」
レベルを7まで上げたことを思い出して、そう言えば。
『……ああ。大丈夫か。爆発して死んでないか』
「死んでたらどうやって喋ってんだよ」
一応、柾は自分の四肢を目で確かめてから。
「煤は被ってるけど、まあそんなに見た感じでは壊れてないし、大丈夫じゃん。……あ、なんか顔まわりヒリついてるかも」
『装甲か?』
「いや、普通に生の顔」
HP充填、と考一郎の声。
「これって一回HPゼロになって、そのときについたダメージってことか?」
『いや。……根本的に、HPというのは完全にダメージをシャットアウトするものではない』
「あれ。最初にこれが耐久値とか言ってなかったっけ」
『鎧の上からでもダメージ自体は通るだろう。それと同じだ』
とか言いつつHP充填で痛みは消えるのか、と柾は不思議に思いながら。
痛みがなければないでも攻撃を受けた自覚が芽生えず不便だ、ということも思っていたので、「ふうん」と軽く流した。
「あと、一応金の150くらい貰っていいか? 6つくらい」
『構わないが……何に使う?』
「いや。ここのダンジョンの支柱がかなり崩れてるから……って、もしかしてこのまま崩れるなら崩れるでもいい感じ?」
いや、と考一郎は答えた。
『補強できるようなら頼む。下手に探索不能領域ができてしまうと、こちらに不利に働かないとも限らない』
「了解」
装填された金属性魔法を用いて、柾は次々に支柱の再構成を行っていく。
もしもこれがもっとダヴィンチの橋のような一見してわかりづらい設計になっていたら流石に手を出せなかったと思うが、幸い辺り一面を見る限りそこまで複雑な構造にはなっていない。
まあこんなものだろう、という大雑把さで、柾は周囲に柱を立てていく。
とりあえずのところ崩落の心配はなさそうだ、と確かめれば。
「……流石に、今日はもう帰っていいか? それとももう少し周りの探索だけでもした方がいい?」
『いや、帰還しよう。それこそ周辺探索なら俺がガジェットを使ってやっておく。強敵との戦闘の後だ。明日も休みにするから、十分な休息を取るように』
了解、と柾はもう一度頷いて。
「うおっ」
『どうした?』
「いや、なんかちょっと、足元ふらついて……」
ぐらり、と身体が揺れた。
相当気を張る戦闘だった。肉体と神経の疲れが安心感とともに一気に降ってきたのだろう――たたらを踏んで、頭を二度三度と振ってから柾は顔を上げて。
それから、自分がつい先ほど討ち滅ぼした竜の死骸に、目を向ける。
そして、こんなことを思った。
できればもう、二度とこんな相手とはやりたくない。