04.生存競争
ぱしゃん!
陽光が照らす青天の下、凪いた川の水面を1匹の魚が跳ねる。
少し苔むした流木にも似た茶黒い鱗に、空を泳ぐ大きな背鰭。口元には短く伸びた二対の短い髭を生やし、巨体に似合わない小さな鈍い真鍮色の目をギラギラと輝かせていた。
その魚は空中で身体を大きく捻らせると、水面に向けて力強く打ちつける。
水飛沫が高く舞い、大きな波紋が円を描く。
その様子を、近くの岩陰から覗く縦長の瞳孔が2つ。
闇に溶ける黒い毛並みをしたその2つの瞳孔は、今さっき魚が跳ねた方の水面をじっと見つめる。
吐く息の音すら殺して、静かに“その時”を待つ。
一方、魚はそんな事など露も知らず、まだ波紋が揺れる水面の下を、背鰭を大きく揺らしながら気ままに泳ぐ。
しばらくすると魚は水底へと近付き、口元の短いヒゲを揺らながら長く伸びた川底の藻を、散らばる砂利ごと大きな口で食べ始める。
泥が舞い上がり、透き通った水を濁らせていく。
ジャッ!!
途端鳴る、砂利が擦れる音。岩場の影から黒猫が駆け出す。
素早く速く、されど静かに。
金色の目を持つその獣は、凹凸の多い河原を身軽に駆け、藻を食む魚へと一直線に近付き、
ズルッッ
「ミ゜ャッ!!?」
盛大に足を滑らせた。
ドボォン!!
情けない声を上げながら、黒猫は不格好な姿勢のまま勢いよく水飛沫を上げる。
魚はその音に驚き、瞬く間に深い川の中央へ向かって泳いでいく。
「………」
ずぶ濡れになった黒猫は、苦虫を噛み潰したような渋い顔をしながら、ただ逃げていく魚の方をじっと見つめていた。
_ _ _ _ _ _
「…クションッ!!!」
せせらぎが揺らぐ川のそばで、大きなくしゃみがこだまする。
人生初の“狩り”を始めてから、はや3時間。
既に日は高く登り、眩しい程の日差しが河原を照らしている。
しかし、未だに成果はゼロ。
いくら万全では無いとはいえ、まさかここまで上手くいかないとは…。
正直、かなり舐めていた。
多少本気出せば、魚の1匹や2匹捕まえられるだろー笑…なんて考えていた、数時間前の自分を殴ってやりたい。
が、今の俺にはその殴るための拳すらない。
まさか猫の体が、ここまで不便だとは…。
…いや、落ち込んでいたってしょうがない。
まだ猫になって日が浅い以上、上手くいかないのはわかっていた事だ。
なら、俺が今するべきなのは落ち込む事よりも、試行回数を重ねて少しでも成功へと近づけること。
“失敗は成功の母”とも言うし、今はひたすらトライ&エラーを繰り返していくしかない。
(…うし!)
溜まった不安を振り払い、勢いよく立ち上がる。
そうと決まれば、早速狩りの続きを…
(…ん?)
その時、視界の端をなにかの影が通り過ぎる。
枯葉かと思ったが、よく見てみると岸の近くをなにかの影が泳いでいる。
あのサイズ…先程逃した魚と同じくらいの大きさだ。
もしかしてさっきの魚が戻ってきたのか?
それにしては、戻ってくるのが少し早すぎる気がするけど…
少し違和感を感じるものの、好奇心に押されて川辺へと近づく。
その時だった。
ザパァンッッ!!
「ッッ!!??」
突然激しい水飛沫と共に、“何か”が川から飛び出す。
「ニ゜ッ!!??」
避けるより早く、喉に走る鋭い痛み
じんわりと広がる、嫌な熱さ
(か、噛まれた…!?)
そう思った時には既に遅く、鋭い牙のようなものが毛皮を貫く。
「ニ゛ャガガガッッ!!?」
(い、いだだだだだッッ!!?)
激痛が脊椎を伝い、脳へと危険信号を送る。
なんとか逃れようと必死に転げ回るが、しっかりと刺さった牙はそう簡単には抜けない。
暴れ回る俺に、噛み付いた“何か”は外れないよう、さらに強く牙を突き立てる。
痛い、痛い、痛い…!!
考えている余裕は無い…!
このままじゃ、喰われる…ッ!!!
「グ、ガァアアッ!!!」
(ッッッでぇなぁ、この野郎ッ!!)
グンッッ!!
溢れ出す怒りを力に変え、そのまま勢いよく飛び上がる。
ブチブチッッ!!
(うぐっ…!!)
引き裂かれる肉と、神経を千切るかのような鋭い痛み。
同時に、一気に軽くなる体。
多少強引だが、何とか引き剥せたようだ。
ボタボタと首筋から流れる血を確かめつつ、襲ってきた“何か”の方を見る。
その姿を一言で表すなら、“不自然”だった。
細長く流線型の体型
濡れて輝く焦げ茶色の毛皮
丸みを帯びた小さな耳
短いながらも鋭い爪と、その間にある水かき
これらだけを見るならば、“カワウソ”と呼んでも良かっただろう。
しかし、その“下”は全く違う。
ぬらぬらと照った濃淡な鱗
白く滑らかなブヨブヨとした腹部
規則正しく連なる半透明の背ビレと、筋肉質な尾ビレ
その下半身は、完全に魚類そのものであった。
よく見ると、口元にはコイのような肉質な髭。
喉の側面には、魚類に見られる赤みがかったエラが着いている。
まるでカワウソとコイを、半分から混ぜ合わせたような奇妙な姿。
獣でもない、魚でもない、異形の生物。
まさに、“歪”。
「ぎゅる゜る゜…」
半獣半魚の獣が唸る。
口に水が溜まっているのか、唸り声の中に泡立つような奇妙な水音が混ざり、それがより一層獣の異質さを際立たせる。
あの四つ目の熊と対峙した時にも感じた、ひと目でわかる程の“敵意”と“殺意”。
逃げなきゃ、殺される。
ひとまず、ここは一旦距離を…
ジリ…
(いっ…!)
首から走る、ズキンとした痛み。
先程の傷のものだ。
無理やり外したせいか、出血がかなり酷い。
このままでは貧血で倒れてしまう。
かといって無理に動き回れば、心拍数が上がりさらに出血してしまうだろう。
「ぐる゜る゜ゥ…」
どうこう考えているうちに、獣がそっと距離を詰める。
どうやら、そう簡単には逃げさせてくれないらしい。
(…ふー…。)
息を整え、覚悟を決める。
おそらく今の状態では、この獣から逃れることは難しい。
失血が酷い以上、考えている時間すら惜しい。
ならもう、やることはひとつ。
「…ガルルァ…!!」
(…かかってこいよ…!)
牙を剥き出しにして姿勢を低くし、できる限り恐ろしく唸り声をあげる。
威嚇の構えだ。
うちの猫も、よく父に対してやっていた。
これなら少なくとも、突然距離を詰められることは無い。
こっから先は、食うか、食われるか。
(さぁ、“生存競争”といこうか…!)




