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片隅

片隅

作者: 酒月沢 杏

すれ違う人々の背中を見て思う。


この人たち一人ひとりに、それぞれ語り尽くせないほどの人生という物語があるのだろうと。


それは確かな証明ではなく、自身の人生を一つの物語としたときの仮説だ。


ここで街を歩く彼らが、ここに立って歩くまでに一体どんな人生を歩み、誰と恋い焦がれ、誰を憎み、誰と愛情を分かち、誰のために泣いてきたのか。


そんなことを考えるのが、私の趣味であった。


嫌な趣味なのは持ち主である私が誰より知っているつもりだ。妻にも、友人にも話したことはない。


この趣味をぶつけるのはいつだって同じ場所。ノートの中。


私は仲が良さそうなカップルを見つける。


どこか飄々とした様子で男性をからかう女性。赤面しながらも満更でもなさそうな様子であしらうその姿はどこから切り取っても美しく、優しい絵に見えた。


春に入るかどうかのこの時期のコートが揺れる。


その足でいつもの時間、いつもの電車に乗る。人はあまり多くない。


その中で私は慌ててノートを開き筆を踊らせる。一番上には乾いた華という意味で乾華と書いた。


これは、ここに来る途中、駅の中にあった花屋のドライフラワーをみて思いついた。


私は先程の仲の良さそうなカップルを苗床にした下衆な妄想をノートにありったけぶつけた。


それは世界の片隅で日々行われ続ける日常の切れ端。


一人の人間の物語を構成する一部。


私はそれをせっせと、自己満足に文字に起こしていく。


夢中で書き綴った。人の人生を切り取り、まるで写真のようにノートの額縁に立派な題名を添えて飾り付ける。


ここまで傲慢で、悪趣味で、何より楽しいことがこの世にあるだろうか。


いや、問おたところで理解はされないだろう。


そんな中でふと、耳に目的地のアナウンスが流れて私は顔を上げた。


ノートを鞄の中へしまい、ペンを胸ポケットに挿した。


立ち上がり、扉が開き、電車を降りた。


人気はあまりない、蛍光灯が照らすホーム。それは少しだけ不気味に映る。


私は足早にその場を立ち去る。いたところでなにかあるわけでもない。


駐車場に止めてある白い自家用車に乗り込みエンジンをかけて走り出した。


車を使えば家まではそうかからない。かかって十分弱だ。


車で町を走る間も、私は彼らのことについて考えていた。


見た様子、あれは女性のほうが歳上であろう。確信はない。ただの感だ。


どうだろうか、爛れた関係・・・というわけではないが、普通の恋愛はしていないだろう。女性のほうがバツイチとか、あるいは・・・


そんな妄想を垂れ流し続ける。車内はけして静寂というわけではなく、気まぐれにいつも聴いているラジオが淡々と流れていた。


この時間のラジオは流行りの曲は少なく、私よりもう二、三世代上の人間が好みそうな曲がよく流れてる印象があった。


耳にそれを流して家が見えた。一軒家。なんの変哲もない普通の家。


妻と子供のためにと話し合い、買った建売の家だ。


駐車場に車を止め、鍵を開け中に入る。


もうそこそこに遅い時間だからか光は漏れているが部屋は静かだ。


「・・・ただいま」


扉を開けてそう、控えめに言う。


「おかえり、寒かった?」


「あぁ、コート着ていって正解だったよ」


妻は机の上で何やら書き物をしていたようだ。扉から出てきた私に声を返す。


「ご飯、温めようか」


「ありがとう、でもいいよ、自分でやる」


私はコートをハンガーにかけて隣の部屋に行き、クローゼットを前に部屋着へ着替える。


流石にスーツのまま食事をするのは気が引けたし、何より動きづらかった。


着替えて戻ってきた私を一瞥して妻は口を開く。


「今日、生姜焼き。トレーの上にラップしてある」


私は言われるがまま冷蔵庫を開け、トレーの上を探す。すると言ったとおり私のために分けてくれていたであろう一人前の生姜焼きが上からラップに包まれた状態で置かれていた。


レンジの中にそのまま入れて気持ち長めに時間を設定してスタートさせる。


それを待つため箸と茶碗を出して妻と対面になるように席についた。


「・・・いつも遅くなってごめん」


妻は私の言葉に少し驚いたように顔を上げる。だが、すぐに表情を戻し・・・否、先程よりも少し柔らかくなった表情になった。


「自覚あるんだ」


「そりゃぁ・・・まぁ・・・」


端切れが悪く、バツの悪そうな顔をする私を見て、妻はクスクスと笑う。


「別に、一度だって咎めたこともないのに」


「でもさ、娘にもあまり顔を合わせてあげられないし、食事を一緒にとってあげられないのは、親としてどうかなって・・・」


「そっか、まあ、君はそういうことすごい考えちゃうタイプだしね」


見透かすような声音に私は恥ずかしくなって口を閉ざした。


そこでピーッと独特な電子音が流れる。どうやら温めが終わったようだ。


まさか電子レンジに救われる日が来ようとは思わなかった。


私は逃げるように席を立ち、生姜焼きの乗った皿を取り出す。火傷するほどではないが少し熱い。


ラップをはがし、机に持っていく。ついでにご飯の準備もした。


「い、いただきます」


「どうぞー」


妻は脱力した声で言葉を返した。


咀嚼音とシャーペンが擦れる音のみがこだましている。いや、それ以外の音を認識できていない。


「・・・どう?、美味しい?」


「え?」


突然聞かれたので咄嗟に返すことができず、目を見開く。


うちには夕食のたびにこんなことを聞く習慣はなかったはずだ。


それこそ、新婚の時は多くはないにしろ言ってはいた。最近はお互いにあまり、言っていなかったが。


「・・・おいしいよ。すごく」


「そっか。それならいいんだ」


そこで妻は何も言わなくなった。


チラリと様子をうかがうと、どうやら自身の作業に集中しているようだった。


だが、その表情はどこか満足そうで、私は少しだけ後悔する。


あぁ、もっとちゃんと言ってやらないとなと。


私は無心で食べ続けていたせいか、自身の箸が空を切り、初めてなくなったことを知った。


食べていれば物はなくなる。当たり前のことだ


「ごちそうさまでした」


「・・・そんなにおいしかった?」


「え?、な、なんで?」


確かに、聞かれたときにおいしいと返したが、そんな素振り、見せていなかっただろうに。


「だって、夢中で食べてたし・・・最後、なくなったの気づいてなかったっぽいから」


・・・どうやらみられていたらしい


顔が少し、熱くなるのを感じた。


いい歳こいてこれでは、娘にも


「今日はもう寝る?、明日は休みでしょ?」


「あぁ、少し疲れたからね」


そう言って席を立ち、明日洗おうとシンクに皿と茶碗を置いた。


「お風呂は?」


「明日起きてからはいる」


「おやすみ」


「・・・おやすみ」


リビングの扉を開けて廊下に出る。


階段を上り、自分の部屋へ入った。


机の上に置かれていたノートパソコンを開き、電源を入れた。


私は鞄の中に雑に詰めてあったノートを取り出し、メモ帳型の執筆アプリケーションを開いてキーボードを叩き始める。


まずは今日書いた分をパソコンに写していく。


ノートに広がっていたお世辞にも綺麗とは言えない文字はみるみるうちに液晶ディスプレイのゴシック体の文字列へと変わっていった。


ノート分を写し終えたところで続きを書き始める。


彼と彼女の出会いを少し綴ってみる。


手が止まった。


息をついて、部屋に備蓄してあった缶コーヒーを開けて飲んだ。


私は、もっと、人々の人生を切り取っていきたい。


それが例え、どんな物語より傲慢でつまらないものだったとしても。


文字を介して彼らの感情が踊るのがわかる。


怒ったり、悲しんだり、喜んだり・・・愛したり。


私はこの感覚が大好きだった。それはまるで、自分が忘れてしまったものを探すような、そんな感覚だ。


もっとも、踊らせてるのは私だ。何他人事みたいな言い方をしているんだ。


少しだけ自己嫌悪に陥る。おそらく、広くは理解されない自己嫌悪の仕方である。


深呼吸をして、再びディスプレイに向き合った。


あれからどのくらい書いていただろうか。


私は時計を見た。二時間ほどが経過して、時計の針は深夜一時を過ぎたあたりだった。


パソコンの画面の右下には「終」と小さく、控えめに打たれていた。


どうやら今日は調子が良く、すぐに書き終わったようだった。


それを確認し、データが消えるなんて絶望的なことが起こらないように、私は急いで上書き保存ボタンを二回押した。


・・・念のためだ


ファイル名を「乾華」として保存する。


パソコンをシャットダウンして、画面が暗くなるのを見届けて、私はベッドの布団に潜り込んだ。


壁掛け時計の秒針が動く音を聞きながら深く息をして体を布団へと沈めていく。


・・・この私の日常ですら、誰かに切り取られているのだろうか。


片隅で暮らす私たちを、どこかの誰かが、文字にしているというのなら、


ほんの少しだけ、恥ずかしさと嬉しさがこみあげてくる。


私が、私たちが生きた証を、どこであろうと残せるのだから。


瞼の裏には、私の家族が映る。


・・・明日は妻と娘を連れてどこかに出かけよう。


そう思いスマホに目覚ましをかけてイヤホンを挿した。


例えここが世界の片隅で中心じゃなかったとしても


私は、確かに幸せなのだ。

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