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21時のピアニスト  作者: 有世けい
2/14

21時のピアノ弾き(2)






20時59分。楽な服に着替え、デスク前で深く腰かける。

チェアのキッと軋む音が、逸る気持ちを窘めているようだ。

そして定刻になり『21時のピアノ弾き』がはじまった。


カタン、と彼女が椅子を少し後ろに動かした。

背筋を伸ばし、ペダルに右足を添える。

アングルが移り、彼女の顔が少しだけ大きく映った。

今日の彼女は長い髪をまっすぐにおろして、赤いノースリーブのワンピースを着ていた。

眉のあたりで切り揃えられた前髪の下では、いつもと変わらず目が閉じられていて。

ワンピースの色にあわせたのだろうか、リップの色は鮮やかな赤だった。


そしてまたアングルが変わり、スッと両腕があげられ、グランドピアノの鍵盤にスタンバイされる。

フゥ…と短い呼吸の後、彼女の長い指はまるで生を受けたかのように、白と黒のキーの上を駆け出したのだった。


ああ、やっぱり彼女の音は変わらないな……


今夜の曲はテンポが一段と速かった。右の指先が連続で打鍵し、左手は小刻みにリズムを刻む。右へ左へ、泳ぐように動くと、トップの高い音が気持ちよく響いてきた。

この曲は僕のつたない知識でもタイトルが分かる。

『小犬のワルツ』だ。作曲者はショパン。

よくテレビ番組やCMで使われていて、小さな犬が足元をちょこまかとまとわりつくようなイメージは、まさに『小犬のワルツ』だなという感想を持ったのを覚えている。


けれど、本当に目を閉じたまま、あんな速度でピアノを弾けるのだろうか?

手元を真上から映すアングルになっても運指は滑らかに速度を保っていて、ミスタッチなんかなさそうだ。

この動画はliveではないので、何度もプレイしたものを編集でつないでいるだけかもしれない。今時やろうと思えばどんな編集でもナチュラルに見えるだろうし。

だけどどちらにしろ、この『21時のピアノ弾き』から流れてくるピアノの音色に、僕は惚れているのだから、編集云々はどうでもいいようにも思われた。


そうして、さほど長くはない一曲が終わると、僕はすぐさま拍手をおくった。

彼女まで届くわけではないけれど、気持ちの問題だ。


画面の中の彼女は、弾き終えた余韻を壊さないよう、そっと両手と足をピアノから離した。

やがて、今夜の『21時のピアノ弾き』は終演となった。


”小犬のワルツだね”

”今日も上手いわー”

”安定のうまさ”

”なんで目瞑ってるの?”

”え、目瞑ってるの?それでこれ弾けたら、めちゃすごい!”


動画をもう一度再生しながら、コメントを読んでいく。

それぞれ注目するポイントは異なっているが彼女のピアノを絶賛するものばかりで、僕はそれらを読みながら、彼女のピアノに惹かれている視聴者がこんなにもいるのだと再確認していた。


いつもなら上部にあるコメントをさらっと視界に入れる程度だったけれど、今夜はなぜだか読み進めたい気分になり、下の方までチェックした。

すると、あるコメントに目が止まってしまった。


”この子、ホフヌングってカフェでもピアノ弾いてない?”


それは、彼女のプライベートに関することに触れた初めてのコメントだった。

そしてそのコメントに返信される形で、他の視聴者からも情報が寄せられる。


”ああ、あのグランドピアノがあるカフェ?”

”ただの飾りで置いてるのかと思ってた”

”いつ弾いてんの?”

”自分が見たのは、週末の夜だったかな”

”まじか。ナマできいてみたい”


僕はコメント欄の会話に参加する事はなかったが、直接彼女のピアノを聴いてみたいというのはまったくの同意だった。

今日みたいな軽やかな曲でも、ゆったりとしたものでもいい、彼女の音を直に感じたいと思っていたから。


けれどその反対に、彼女とは会わない方がいいような気もしていた。

彼女のプライベートも見ない方がいい。

そうする事で、純粋に彼女のピアノに耳を傾けられるだろうから。


僕は『21時のピアノ弾き』の、ピアノのファンでいたいのだ。


そっとコメント欄を閉じたところで、扉にノックがあり、僕は首を回した。


「宗一郎さん、お夕食の支度がととのいました。こちらにお運びしましょうか」


「いや、そっちに行くよ」


僕は扉に向かって返事をすると、デスクからゆっくり離れたのだった。









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