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21時のピアニスト  作者: 有世けい
12/14

秘密(3)






「あしながおじさん…………」


のぞみさんが、喉の奥から絞り出すように呟いた。

その声は、掠れているようにも感じた。


「そんなまさか。まさか、そんな……まさか」


背を向けたまま同じ言葉を繰り返す姿は、さっきまでの混乱とは比べ物にならないほどの動揺、混乱が彼女を襲っている証だ。

驚かせてしまう事は覚悟していたが、その度合いは僕の想像を超えているようにも思えて、申し訳なさも浮かんでくる。

すると僕を擁護するように彼女の母親が口を開いた。


「のぞみ、ちゃんと聞きなさい。東雲さんに失礼よ。あなた達が ”宗さん” ”宗くん” と言ってるから、てっきり宗という苗字の方と親しくなったのかと思ってたけど……東雲さんの事だったのね。東雲さんはね、お父様を通じて連絡くださったの。ピアノが弾けなくなったわけじゃないのにただ目が見えなくなったというだけでピアニストへの道を塞ぐのは勿体ない、そう言ってお知り合いの音楽関係者の方を紹介してくださったのよ。その方が大学側に推薦してくださって、東雲さんが寄付してくださって、あなたの受験が実現したの。驚くのも無理ないけど、まずはお礼を申し上げなさい」


母親的な圧もあったけれど、半ば鳴き声で言われると、こちらまでもが感情を揺さぶられそうになる。

いや、ダメだ。ここで感情を揺らしてはダメなんだ。まだ彼女に伝えるべき事があるのだから。



「宗さん、あなたが、”あしながおじさん” だったの………」


のぞみさんは、僕を見ないまま、最後のダメ押し的に尋ねた。


「……ずっと言い出せなくて、騙したようなかたちになってしまって、申し訳ない」


僕はその場で頭を下げた。

騙すつもりはなかったけれど、そんなの言い訳にもならない。彼女が ”あしながおじさん” の事を話しているのを、隣で何食わぬ顔して聞いていたのだから。

彼女から見れば、裏切られたと感じてしまったとしても不思議ではないだろうから。

ところが彼女はいきなり


「ありがとうございました」


はっきりと、そう言ったのだ。

こちらを向くなという指示を守ったまま、後ろにいる僕にまっすぐ伝わるように、爽爽と、明瞭に。

それは、さっきまでの困惑が嘘のようだった。


「私はあなたのおかげで、ピアノを取り戻せました。すべてが……もう何もかもが嫌になってた時、あなたは私にきっかけをくれた。コンクールで入賞した私に甘い言葉で近寄ってきてた人達が事故の後一気に離れていって、人を信じられなくなって、ピアノに触れる事すらできなくなってたけど、あなたは無理矢理にでも私にピアノとの時間をくれた。『21時のピアノ弾き』があったから、私は苦しい現実から逃げずに、見えないままピアノを弾く事を覚えた。いくら感謝してもしきれません。大学の事だけじゃない、私に『21時のピアノ弾き』を与えてくれて、本当の本当に、ありがとうございました。それだけじゃない、あの時私が飛び降りるのを止めてくれて、本当に、……もう本当に、ありがとうしか言えない……」


そう告げるなり、のぞみさんは鍵盤すれすれにまで頭を下げた。


「のぞみ……」


彼女のお兄さんが小さく呼んで、母親は涙を堪えるのに必死で、父親はそんな母親の背中を擦って宥めていた。

互いが互いを思いやるいい家族だな。僕は心からそう思った。


「………ねえ、もう振り向いてもいい?直接宗さんの顔を見てお礼を言いたいの」


彼女が頭を上げて言った。けれど僕は、まだそれを許すことができなかった。


「もう少しだけ、待ってくれるかな。もう一つ、きみに話さなきゃいけないことがあるんだ」


僕の中の緊張感が、いっそう高まった。


「まだ秘密があるの?」


彼女はやや首を回しかけながら、いったいどれだけ秘密があるのかというように訊いてきた。


もう逃げられまい。

僕は心を決めるしかなかった。


いや、今日ここに来るまでに決心はしていたはずだった。そのための準備もしてきた。だけどいざ彼女…自分の好きな人と向き合うとなると、固まったはずの気持ちがにわかに竦んでしまうのだ。

それでも僕は、この先の未来を、彼女と一緒に生きたいんだ。だから彼女に全て打ち明けると決めたのだから。

例え彼女が真実を知った後、僕から離れていったとしても。




「僕は………、僕はきみを、利用したんだ」









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