悪しき言葉
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ああ、つぶらやくん、もうお手紙の準備はできた?
普段からお世話になっている人へ、感謝の手紙を書く……国語の授業の一環とはいえ、なんとも恥ずかしいものね。そのうえ、鉛筆握って書き進めていると「あれ、あの漢字のここの部分ってどうだったっけ?」なんて思うことが、一度や二度じゃなかったり。
これ、おいおいは、みんながとんでもない落とし穴にはまっちゃう気がするんだけど……杞憂かな? いずれにしても鋭敏なセンスを保つために、手書きの文章って大事だと思うの。そんな感覚の塊だからこそ、不思議な力が宿るケースだってある。
私も少し前にそんな経験をしてね。手紙に対してはちょっと用心深く接するよう、心掛けているわ。ちょっとその時の話を、聞いてみないかしら?
私たちが小学校6年生に上がり、ゴールデンウィークを目前に控えた金曜日の休み時間のこと。先生方から教室にいるみんなへ、封筒に入った手紙が一通ずつ配られてきたの。
当時の私は、空いている時間さえあれば、自分の席でひとりあやとりにはまっていたわ。その時には、八段はしごを作っている最中だったの。
それが自分の名前を呼ばれて、机の上に封筒を置かれるのだから、かなり気が削がれる。表面上は先生にお礼をして頭を下げたけど、先生が教室を出て行ってしまってから、ぼそっと「消えちゃえばいいのに」とぶつけたわ。誰にも聞こえないほど、小さくね。
机の上に置かれた封筒のあて名は、もちろん私になっているけど、ひらがなのみで書かれていて字が汚い。そして見覚えがあるものだったの。
これは昔の私の字。小学校に入る前後の、漢字が書けない頃のものだった。
ふと思い出したわ。そういえば国語の授業で、6年生になった自分に向け、手紙を書いたことがあった。書き上げたものは先生方が回収し、しかるべき時まで預かってくれる話になっていたわ。
確か、「私は5年前の君だよ」とか「今、アニメではこれが流行っているけど、そちらはどう?」とか他愛もないことを書いていたはず。想像できてしまう中身に、興味は湧かなかった。
他のみんなが早速開封してノスタルジーにふける中、私はランドセルの中へ突っ込んですぐさま思考回路をあやとりへ戻していく。再び封筒は、脳裏のほこりの下へと埋もれていっちゃったわ。
次に封筒にお目見えしたのが、二ヵ月くらい経ってからのこと。いよいよ夏休みが見えて来るという時期に、私は母親からお目玉を食らう。学校で預かっていた保護者による懇談会出席の紙を、ランドセルに入れっぱなしで出さなかったせいよ。
予想通りというか、底へと押し込められていた出席票は、何度も出し入れされる教科書の重みに潰されて、くしゃくしゃになっていた。もはや見る影もない蛇腹状に、折りたたまれた出席票。遠慮なく、ゲンコツが頭に飛んできたわ。
その時、一緒に引っ張り出されたプリント群の中に、例の未来への私の手紙も入っていたわけ。胴体の真ん中にはきっちりと横に折れ目がついちゃって、ふちはところどころ破けて中身がのぞいているし、見るに堪えない。
私はこってり絞られた後、発掘した紙たちを処分するように言われたわ。涙さえ浮かべながら謝り続けた私は、ランドセルを抱えて説教場の台所を後にする。そして自分の部屋へ戻ると鍵をかけて、母親に聞かれないよう、ぶつくさ文句を垂れていた。
――ちょっと出し損ねただけでギャーギャーうっさいし……オニババ。
手にしたものたちを無造作に机の上へ放った時、あの封筒だけがひらりとはぐれ落ちて、椅子の下に。
はばかりなく大きな舌打ちをして、私は封筒を拾い上げて、改めて見苦しい格好だと感じたわ。せめて外側の筒だけでも処分したい。
いまだ開けていなかった封に指をかけて、中身の二つ折りの紙を引っ張り出す。想像していた通りの言葉が並ぶとばかり思っていた私は、紙面を広げて目を疑ったわ。
縦に書くため線が並ぶ便箋。それを無視するかのように、横書きの二段重ねでこう書かれてあったの。
「みらいのわたし
そんなことば、だれもききたくなんかないよ」と。
びっくりして、いったん便箋を閉じちゃったわよ。改めて、おそるおそる開いてみると、今度はあの時に思い出した通りの文面が並んでいる。何度、閉じて開いてを繰り返しても、あの文字が見えることは、もうなかった。
見間違いかな? と思いつつも、あの字体は忘れられない。
今、目の前につづられている私の文章は、とがった鉛筆の芯によって書き出されたもの。それに対して、あの字は先割れした鉛筆で、力任せに書きなぐったようなタッチだった。
でももはや証拠がない以上、あの文面のことを誰に訴えても信じてはもらえないでしょう。
――だからこうして、陰でつぶやいてんでしょうが。
私は怖さをいらだちで紛らわせながら、手紙をくしゃくしゃにして、部屋のゴミ箱へ突っ込んだの。
次の日。私は学校のクラスメートの女の子と、激しく口喧嘩したわ。
原因は私がランドセルにつけていた、マスコットのキーホルダーだった。クレーンゲームでその時の有り金をはたいて手に入れた、お気に入りの品。それが休み時間、トイレに行っている間に、なくなっていたの。
私は以前から、そのキーホルダーにお熱を上げていて、「触らせて」とか「欲しいなあ」とか漏らしていた子に、疑いをかけたわけ。
証拠なんか何もなかった。犯人を捜したい気持ちも少しはあったけど、それよりうっぷんを晴らしたい気持ちの方がずっと強かったの。
最初は遠慮がちに否定していた友達の語気が、どんどん強くなってくる。それを受けて、私も罵詈雑言を重ねていったわ。周囲のみんなも言い争う私たちを取り巻いてはいるものの、介入はしてこない。それでも先生方に報告した子がいたらしく、担任の先生が私たちを止めたわ。
結局、私たちは放課後、教室に残されてもう一度事情を先生に説明する。先生はクラスメートの荷物をここで全部広げてみて、中からキーホルダーが出てくれば、それを返却。出てこなければ私に、疑いをかけたことを謝罪するように提案。いずれにしても、最後は仲直りで決着をすることに。
彼女の服、ロッカー、ランドセルの中が全部開かれる。そろそろ他人へ隠しておきたいことが増える年頃に、これはだいぶ辛かったと思う。たっぷり時間をかけて持ち物検査がされ、最終的にキーホルダーは見つからず、頭を下げる私。
一応、先生の手前、仲直りをするフリはしたけど、私のはらわたは煮えくり返ったまま。私は逆に、彼女が誠心誠意で謝る姿を、この目に焼き付けて留飲を下げたかったのに。
――うまく隠して、恥をかかせて……ずるい。汚い。インチキ女!
私は部屋で布団にくるまりながら、一階の台所からいい匂いがしてくる時間になっても、ぶちぶちと文句を言い続けていたわ。
ガシャンと階下から、大きな音がした。思わず跳ね起きちゃうくらいで、様子を見に行っちゃったわ。
食器棚の下で茶碗が真っ二つに割れている。それは私が数年前に自分で選んだ、お気に入り。かっと血が頭に上るのを感じて、「ごめんね」としきりに頭を下げる母親をどやしたい気持ちでいっぱいになったけど、ぐっと耐える。
今まで私は、家だといい子ちゃんに振るまっていた。外で今日のような横暴ぶりを先生に告げられたとしても、「そんなことを、うちの子がするはずありません!」と親がかばってくれるように。
表面上は笑って許し、替えの茶碗を使うことを快諾する私。でも頭の中はもう、キーホルダーを盗ったあの子から、茶碗を割った母親へとターゲットを変えている。
――ふざけるな。私の見ていないところで……グズ、グズ、グズババア!
部屋に戻り、室内が揺れるくらいドアを勢いよく閉めた私は、また文句を垂れながら、布団の中へ潜り込もうとしたわ。
その時だった。ドアを閉めた時の衝撃を受けて、まだ揺れていた布団真上の笠つきの蛍光灯。それと天井をつないでいたコードが、唐突にちぎれたの。
間一髪、布団の中から逃げ出す私。明かりを失った蛍光灯は、柔らかい毛布の上に落ちたにも関わらず、備え付けてあった大小二種類の丸形が無残に割れて飛び散る。
その破片が逃げた私の右足、靴下のやや上にあたるすねの側面をかすめたの。遅れて、うっすらと血の筋が浮かんできたわ。
「こっの――!」
照明に向かって、罵りたい言葉はたくさん浮かんだ。それが一気に喉の奥まで這いあがってきた。でも、それが多すぎて、かえって私の舌が選べない。
順番なんかつけたくない。どれも一緒に吐き出したい。その思いを叶えたくて、でも叶わなくて、鼻からこめかみの辺りにかけて息がぱんぱんに張り詰めた時。
ぴゅるっと、両耳の中で鋭い痛み。遅れて、足から垂れているのと同じものが、耳の穴から散ったのを私は見て取った。まるで耳かきで乱暴にほじられたかのような痛みに耐え切れず、私は悲鳴をあげちゃったわ。
両親がドアを叩いてきて、私は鍵を開ける。血の気が引いた表情の二人に、私は助けを求めたけれど、彼らが口を動かしても全部「ザー」と、テレビの砂嵐が出す音に聞こえる。
「もっと大きな声で話して!」とお願いするたび、両親の顔つきには、困惑が混じっていったわ。
病院に運ばれた私はそこで、耳の手当てを受けたわ。診断によると、耳の内側をいじり過ぎたか、耳掃除のし過ぎで血が出たのでは? と判断されたけど、そのいずれでもない。でも「悪口を言おうとして、詰まったらこうなった」なんて、ばかばかしい理由を打ち明けるわけにもいかなかった。
私は先生の言う通り、耳をほじってしまったと告げて治療を受ける。けれど、その後しばらく、人の言葉を聞き取りづらくなっちゃったの。
あの手紙にあった、「だれもききたくない」という言葉。それには私の耳も含まれていたのでしょうね。誰も聞くことがない悪口を一身に受け止め続けて、とうとう嫌気が差しちゃったのだと思うの。




