3−2 歴史 ‐守るのでなく、ともに歩む‐
鬼狩り一族が生まれたのは遥か昔。
一千年前の古と呼ばれる時代、世界は争いとその恐怖に満ちていた。
秩序が崩壊してあらゆる文明や国が滅んだその歴史は、タタキもかつてリドウから教わった。
異なる国が、一族が、種族が争い合った暗黒の時代。それは鬼狩り一族だけでなく、世間一般からも古くから言い伝えられている歴史だ。
その時代は、ある一人の存在によって裏から支配されていた。
それが———“常夜”。
常夜は人間をはるかに超えた能力を持って、裏側から世界を支配した。
血を与えた人間を支配し、計画的に人を動かし、人を喰らい、あらゆるもの全てを裏で操り、戦争を引き起こし、世界を混沌に陥れた。
常夜よって、ありとあらゆる文明と時代が滅んだ。
だが、そんな人々を恐怖と畏怖の念で支配下に置いていた常夜に、唯一刃を向けた男がいた。
それこそが、鬼狩り一族の先祖だった。
先祖は特異体質により、常夜の血による支配を受けなかった。世界で唯一、常夜に対抗できる存在だった。
激しい激闘の末、常夜は敗れた。
もがき苦しみ、初めて抱いた死への恐怖を噛み締めながら常夜は、最後の悪あがきとして賭けに出た。
自分の肉体から何億、何兆もの細胞を分裂させて、世界中へばら撒いたのだ。
タタキにこれまでとは比にならない驚愕が襲った。
生まれて二十年間、こんな感情を味わったのは初めてかもしれない。
話が見えてきた。見えてきてしまった。
もしタタキの予想通りならば、吸血鬼という存在は種族、ましてや生物といえるものではない。
「細胞は芽となり肉となり、いずれ命を持った生命体と化した———それが、吸血鬼だ」
常夜は自分の一部をコピーとして、吸血鬼という人類の敵を完成させたのだ。
元より、この世界に吸血鬼など存在しない。
吸血鬼は人間、あるいは動物のように、生物の進化の末に誕生した種族ではない。
常夜という一つの個体が、己の肉体を蘇らせるために作り出された存在である。
「吸血鬼は細胞に刻まれた命令の下、人の血肉を喰らう。喰らえば喰うほど、その力が元に戻る。つまり素の姿である、常夜へと戻って行いく」
「…………」
「当然、先祖は吸血鬼と戦った。オリジナルである常夜を倒した実力で、多くの吸血鬼を倒しただろう。しかし、先祖は歳を重ね、とうとう病に倒れてしまった。世界を救った英雄であろうと、時の流れには逆らえなかった」
人間であり、寿命もある先祖は世界中に散らばった吸血鬼を滅ぼすことは不可能なのは、明確だった。
「先祖は己を中心に吸血鬼と戦う使命を持つ一族を築いた———それが、鬼狩り一族だ」
レッテツは、鬼狩り一族と吸血鬼の歴史を全て話し終えた。
タタキは全てを聞いて、ゆっくりと視線を下へ移す。最初は驚きのあまり感情が高ぶっていたが、それすらも超えて今では冷静に頭の中を整理していた。
鬼狩りと吸血鬼の、表裏一体の関係。そして、想像以上のスケールの大きさにタタキの頭の中は問答を繰り返していた。
「父さんは、そのこと知って……ますよね」
「当たり前だ。あいつは良くも悪くも、先祖たちの誇りと使命を守ることを、誇りとしているからな」
タタキは暫く声が出なかった。
どのような理由であれ、あれ程までにタタラを追い詰めたのは許せない。だが今の話を聞いて、一族の長として父が背負っているものの重みを少しは理解できた。
感情の板挟みにタタキは頭を抑えた。
(まぁ、そう割り切れるもんじゃないわな)
苦しそうに考え込むタタキを見て、レッテツは残っていた茶を全て飲み干した。
少し、一人で考え込む時間が必要だろう。
席を立ち、部屋から出ようとしたその時、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「誰じゃ?」
「失礼します」
ギィィッと、錆びついたドアを開けて部屋に入って来たのは、リドウだった。
レッテツの後ろで頭を抑えていたタタキは、リドウの存在に気付き顔を上げると、互いに目が合った。
「リドウさん……」
「タタキ……そうか、その表情を見るに、一族の歴史を教えてもらったか」
タタキの思い詰めた表情を一目見て、ある程度の事情を理解したリドウは、過去の自分とタタキを写し合わせた。
リドウも二十歳のころに、鬼狩りの歴史を教わっている。
あの時の自分も、こんな表情をしていたのだろうかか、と感慨深く感じていた。
「俺たちの血や、力、使命は……先祖、先人たちから受け継がれてきたものだ。 我々は意思を受け継いできた先人たちの想いにも応えなければならない。 だからお前も、少しはタタリの心情を理解してやってくれ」
だからこそリドウは、タタキたち親子の関係の亀裂に気付き、できる限りのフォローをした。
これは親友のためでもあり、若き戦士の未来のためでもある。
「…………分かったよ。 でもだからって、タタラにしてきたことを許せるわけじゃないし、納得できるものじゃないッ」
「もう少し考えて見たい」タタキの言葉に、リドウは「そうか」と深く頷いた。
「リドウ。ここへ来たということは、ワシになにかようがあるのか?」
そろそろ本題に移ろうと、リドウは姿勢を正した。コクリと頷き、レッテツと向かい合う。
「“共喰の吸血鬼”が出ました」
その時、空気が変わった。
レッテツの表情はさらにシワと覇気を纏い、タタキから見たリドウの横顔はどこか決心めいたものが映っていた。
タタキは直ぐに、空気の変わりように気づく。
「共喰……って?」
「言葉通りの吸血鬼だ」
タタキの問いに、リドウが応える。
「吸血鬼は人を喰らう……だがたまに、同族を喰らう吸血鬼が現れる」
“共喰”について語るリドウ。その声にはいつもの彼とは違う、怒り、憎しみ、殺意が混じっていた。
「でも……吸血鬼を喰らうんなら、別に今倒す必要は」
吸血鬼を喰らうことはつまり、吸血鬼を殺すということだ。ならばいずれ倒すにしても、今倒す必要はないのではないか。
言い方はアレだが納得のいく考えに、二人は首を横に振った。
「共喰は、他の吸血鬼と比にならないほどの力を持つ。さらに奴の狙いは、人の血肉ではない……鬼狩りを殺すことだ」
「殺すって……狙いは俺たちってこと⁉︎」
「基本、吸血鬼は鬼狩りを襲うことはない。だが共喰は違う。多くの鬼狩り一族の世代、時代に現れ、強い鬼狩りの戦士を殺していった。 いわば、宿命のようなものだ」
つまり、これは鬼狩り一族のための戦いでもある。
共喰によって、多くの鬼狩りの戦士が死んだ。
当時、長であり最強の鬼狩りの戦士だったタタリの父……タタキたち兄弟の祖父も、共喰の手によって殺されたのだ。
「たとえ殺しても、いつかかならずまた新しい共喰は現れる。厄介なものよ」
「だからこそ、早急に倒さなければならない。レッテツさん、この一ヶ月間に多くの武器の製造をお願いします」
リドウはレッテツに深く頭を下げた。
二人の立場はリドウの方が上だが、命を預ける武器を作る相手への敬意を、リドウは忘れない。戦士として、土台となってくれる相手に対する必要な敬意だ。
「あいわかった。 下のやつらにも伝えておく」
「ありがとうございます」リドウは感謝の意を込め、レッテツの手を両手で強く握りしめた。
「その戦い……やっぱり、俺やタタラも出るんですか?」
タタキの問いにリドウは一瞬、躊躇う表情を浮かべたが、「ああ。戦いは、二つの組みに別れることになる」面と向かって答えた。
「俺とタタリが率いる一班、前線部隊。お前が率いる二班、敵を取り逃がさないために陣地を囲む後方支援の部隊だ。 流石に今回の戦いは、お前たちは俺たちの補助に回ってもらう形になっている」
「そう……ですか」
「だが、絶対に無事とは言えない。共喰は強い。もし俺たちが取りこぼし、逃亡したとなれば、お前たちが抑える。いずれも一班か二班に、必ず死人が出る。 甘い考えは捨てることだ」
先ほどとは打って変わって、リドウは厳しい口調で言い放った。それもこれも、若者の未来を奪われないためだ。
その言葉はタタキの胸に突き刺さり、良い意味でその体を動かした。
「分かりました」頭を下げて、タタキは踵を返して部屋を出ていった。
一瞬だけ見えたタタキの決意を表した瞳に、リドウはどこか思い詰めた表情を浮かべていた。
▼
タタキは里を駆けずり回った。
一つの決意がタタキの体を動かし、タタリを探す。
タタキの予想が正しければ、タタリは共喰との戦いの準備のためにタタラを鍛えようとするだろう。
癪だが、タタキは父の考えをよく理解していた。
予想通り、タタラを連れて森の奥へ向かうタタリの姿を見つけた。
「父さんッ!」
呼ばれた声に反応して、タタリは振り向いた。
その表情は「またお前か……」という呆れたようにしかめている。
タタキは二人の間に入り、タタラを引き離してタタリと相対する。
「タタキ、お前いい加減に……」
「俺は鬼狩りとして戦う! 最強の鬼狩りになって、全ての吸血鬼を倒す!」
タタキは面と向かって宣言した。
その表情には複雑かつ多くの感情が乱れている。だが先ほどの会話の時の弱々しい姿とは違い、迷いの中に確固とした決意が見え、タタリを真っ直ぐな目で見つめていた。
予想に反した息子の言葉に、タタリの表情は変わらないが、ピクリと眉が反応した。
いったいどういう心境の変化なのか、タタリは黙ってタタキの眼を見据える。
「だからタタラにはもう、あんな訓練はやめろ!俺は、タタラと並び立って吸血鬼と戦うッ!」
共喰は、多くの鬼狩りの戦士を殺して来た。ゆえに将来最強の鬼狩りになる可能性のある、タタラも狙われるはずだ。
避けられぬ運命であり宿命ならば、タタリはその障害をタタラとともに打ち砕くと決心した。
たとえ才能や実力が釣り合わなくとも、死にものぐるいで弟に追いつき、彼を守ろうと。
「そうか……。期待している」
何を感じたのか、タタリはそれだけ言って二人に背を向けた。
タタリは父の意外な言葉に眼を見開いた。先ほどのように、プレッシャーを放ちながら、言い返してくるかと思っていた。
「…………」
そんな中、呆然と立ち尽くすタタキの背をタタラはジッと見つめていた。
ドクンッ、ドクンッ……と、今までにない心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。
(……兄さん)