2−3 蛹偽 ‐狩人たちの戦場‐
「わ、私の手じゃないッ⁉︎」
男が叫んだ。
男の目の前に広がる光景は、白い腕によって胴を斬り裂かれたタタラの姿があった。
白い腕は、男の突き出した手から生えていた。
異様な光景だった。その姿はまるで関節が二つあるような、アンバランスかつ生物的に不可能なものだった。
しかし、腕を突き出したのは男の意思ではない。積もった不安を爆発させ叫んだ直後、体が勝手に動いたのだ。
それは、体の中に潜む別のなにかの意思によるものだった。
今、彼らはその原因に直面していた。
体のの内側から破り出てきた腕を見て、男の頭はすでに状況を整理できる内容量を超えていた。
「あ、ああ……ああああああああああああ‼︎‼︎‼︎」
男は、この腕に見覚えがあった。
式が始まった直後に灯りが消えて、パニックに陥り、逃げ惑っていた時。一瞬だけ見えた、鮮明に覚えていたあの白い腕。
軽々と人の肉をえぐり、骨を折り、次々に人を死に至らしめた腕が、目の前にあった。
しかも、自分の腕から生えてきたのだ。
(……助けられなくて、ごめんなさい)
そんな中、タタキはパニックに陥っている男の背後から、斬鬼刀の切っ先を突き立てようとしていた。
歯を食いしばり、心の中で謝罪しながら、一気に男ごとその中に潜む存在を狩ろうと仕掛けた。
が、その刃が男の肌に触れることはなかった。
「なにッ⁉︎」
タタキは、背後から何者かに引っ張られた。
一人や二人ではない。多くの腕がタタキの四肢を掴み、そのまま一階へ転がり落ちてしまった。
立ち上がり振り向けば、そこには七、八人ほどの人らしき姿があった。
「屍鬼かッ!」
それは人の形こそすれど、人ではなかった。
どれもが生臭い血に染まり、傷から臓物を垂らしている。肌は死人のような灰色に、正気の無い目、開けた口から血の混じったよだれと、唸り声をあげている。
人であったもの、それが『屍鬼』。
吸血鬼の血が体内に入ることで、常人の倍以上の力を得る。その代償として、吸血鬼に絶対服従の下僕となった存在。血の服従は、死人でさえも同じである。
タタキたち鬼狩り一族は、その血に対する抗体を持っているため、吸血鬼と戦うことができるのだ。
一斉にタタキへ襲いかかる屍鬼たち。
腰を低く下ろし、掴みかかろうとする屍鬼の手をかわしながら、タタキは傷を負ったタタラの方へ目を向けた。
「タタラッ!無事か⁉︎」
タタラは斬り裂かれた腹に意識を示さず、斬鬼刀を構えてジッと男の方へ向いていた。
タタキの察した通り、やはり傷や痛みに構わず戦おうとしていた。
「戦うな!まずは止血しろ! 一旦、逃げるんだ!」
襲い来る屍鬼の攻撃をかいくぐり、さばきながらタタキは言う。
タタラは感覚が麻痺しているため、ダメージや疲労を無視した戦法を取ってしまう。そうなれば、いずれ体力切れとなって不利になる。
それこそがタタラの弱点だった。
「……」
「タタラッ‼︎‼︎‼︎」
一歩前へ出ようとしたタタラに、今日一番の怒号が放たれた。
ビクリッ、と一瞬だけその衝撃に体を震わせたタタラは、一階のタタキの方へ視線を落とす。
そこにはギロリとこちらを睨むタタキの姿があった。
「この場は俺が仕切る! 命令だ!逃げろ!」
さらなる怒号に、タタラは一旦躊躇する素振りを見せたものの、踵を返した。
二階の奥へ向かうタタラを見て、タタキはホッと安堵した。
しかしそれはほんの一瞬。タタキは直ぐに目を細め、刀を水平に振った。
「フッ!」気合の入った声とともに、近くにいた屍鬼を三体同時に斬り捨てた。
(助けられなくて、申し訳ありません)
さらに背後から迫るもう一体を、下段から斬り上げる。
(せめて、死んだ後まで罪を重ねないよう……あなたたちを殺しますッ‼︎)
屍鬼となった人間は、元には戻らない。一生、生ける屍となって吸血鬼の下僕となる。
死んだ後にまで、地獄のような罪を犯さないよう、鬼狩りは心を鬼にしてその刃を振るうのだ。
(親玉の吸血鬼は!)
タタキは怒気の孕んだ目を階段へと向けた。
そこには先ほどうろたえていた男の姿はなかった。
(やっぱり、いつまでもジッとしてくれないよな……!)
弟のため、タタキはさらに激しく刀を振るう。
(俺の予想が正しければ、あの吸血鬼は強い!)
▼
(……なぜ)
タタラはうろたえていた。
(なぜ俺は……)
二階の奥、タタラは手頃な部屋を見つけて傷の応急処置を行なっていた。
その最中、タタラはなぜ自分はタタキの言葉に逆らえないのか考えていた。
タタリのように、幼少の頃からの教育による命令ではなかった。
どこか、もっと根本的な理由らしきものだ。
タタラにとって、父の言葉は絶対である。逆らえない絶対的な存在であり、自分の存在意義のようなものだった。
鬼狩りとしての教育を骨の髄まで叩き込まれ、それ以外は不要とされていた。それは家族に対しても、同然だった。
なのに、
(あの声に、眼に……逆らえなくなった)
うっとおしく寄り添って来るタタキの存在が、次第に大きくなってきた。
その事実を実感し、今タタラは困惑している。
タタラが応急処置を終えた直後、部屋の壁が崩壊した。
いち早く気配を感じ取っていたタタラは、いち早くその場から跳びのき、崩壊した壁の向こうを見た。
「なんなんだ、いったいなにが……なぜ私の体は勝手に……!」
そこにいたのは、白い腕を生やした男だった。
恐怖で顔を歪め、泣き言を喚きながら自分の意思に反して勝手に動く体を引きずっていた。
「た、助け……ッ!」
助けを求める男に対して、タタラは斬鬼刀を構えた。
それ見てサァッ、と顔から血の気が引いた男に向けて一閃、斬鬼刀を振るう。
タタラの攻撃が男の左肩から右脇腹へ斬り裂いた。
その直後、ズボォッ!生々しい音ともに男の背中が内側から突き破られ、なにかが飛び出した。
斬り裂かれた男は断末魔も上げられず、まるで中身がなくなったかのように、ペラペラな姿で床に倒れた。
「驚いたなぁ、本当に斬るんだぁ」
男の中身から出た人影が、興味深そうに言った。
男の手から出てきた腕の張本人。白い肌に鋭い牙と爪、血の色より赤い瞳を持つ吸血鬼。
細長い筋肉に覆われたその体はヒョロく、明らかに潜んでいた男のサイズと合わない長体の男だった。だが、細い腕には確かな筋肉がありどこか力強そうな雰囲気を放っている。
ケラケラと薄く笑う吸血鬼は、その赤い瞳にタタラの姿を映した。
「今まで見てきた鬼狩りは、人間の声に動揺してたのになぁ」
吸血鬼は人間とほぼ同じ外見だが、その生態能力は全く別のものである。
強力な吸血鬼は己の体を伸縮し、人間に寄生することもできる。
太陽の光に照らされれば、灰となって消滅する吸血鬼にとって、人間の体内に寄生し光を遮る手段でもあり、鬼狩りの目を欺く隠密能力でもある。
寄生された人間は感覚が麻痺し、体の中に吸血鬼がいることに気づかない。しかも肉体の主導権のほとんどは、寄生した吸血鬼のものだ。
この吸血鬼はそれにより、タタラの心の動揺から出た隙をつこうとしたのだ。
タタラはこのような習性を持つ吸血鬼に覚えがあった。
鬼狩りは取り逃がしたり、戦闘経験のある吸血鬼の能力や特徴を後の後世のために、レポートとして記録する。
その記録と目の前の吸血鬼の外見が一致した。
吸血鬼・蛹偽。
何十年も鬼狩りの追跡を逃れてきた吸血鬼だ。
ダンッ! タタラは勢いよく床を蹴り、斬鬼刀を構えた状態で蛹偽に飛びついた。
「ああ……。そういぅタイプかぁ」
勢いに任せて刀を振るうタタラだったが、蛹偽の姿が消え、勢いのままに前方へすり抜けた。
床へ着地し振り向けば、そこには上半身を曲げた状態の蛹偽の姿があった。
蛹偽は上体反らしによって、タタラの攻撃を避けたのだ。
蛹偽は上体反らしの不安定な状態から、その長い腕を振るった。
振るわれた腕は、ゴキリ、ゴキリと嫌な音を鳴らし、明らかに手の長さを超えて伸びた。
蛹偽は関節を自在に増やして外し、腕とは思えない不自然な軌道を生んだ。
まるで鞭のようにしなるその腕は、簡単に床や壁を破壊して、タタラへと迫る。
タタラは上段に刀を構えた。迎え撃ち、タイミングに合わせて腕を斬り落とすつもりだ。
腕の鞭が、タタラの間合いに入ったその時。
バチィインッ‼︎ 空気が弾けた。
響き渡る衝撃と音が、タタラの耳から脳へと麻痺させた。
「ヒヒッ!」
蛹偽の腕はまるで、ではなくまさに鞭であった。
一気に腕を引き、空気を弾くことで擬似的な衝撃波を生み出したのだ。
人間では絶対にできない技法、吸血鬼がその生態能力を自己流に極めた戦闘技術である。
(感が良い。辛うじてぇ直撃は、避けたなぁ)
グラリと倒れかけた体を、タタラは左足で支えて持ち直した。直ぐに蛹偽に向かって肉迫するため、体勢を低く落とす。
蛹偽の腕の鞭は脅威。だが、それは広い場所ならの話だ。
今この場は教会の廊下。広く大胆に、腕の鞭は使えない。しかも長い手足のせいで小回りは利かないだろう。
体格の差と場所の利点を生かし、タタラは蛹偽を翻弄する作戦に出た。
今度はタタラの頭上へと、腕の鞭が放たれる。
タタラは更に走るスピードを上げ、それを通り過ぎようとする。が、衝撃による脳の麻痺が残っており、踏み込んだ足に上手く力が伝わらなかった。
通り過ぎることが叶わず、再び鞭の衝撃波に襲われた。
タタラは弾けた空気に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
蛹偽は顔をしかめる。
己の腕の鞭は、一撃で相手の肉体を破裂させられるほどの威力を持つ。ましてやタタラのような子供なら、上半身くらいは確実に潰れているはずだった。
偶然か狙ってのことか、タタラは体をそらして直撃を免れていた。
(攻撃のタイミングをぉ、読みかけてる)
蛹偽はトドメを刺すため、腕を大きく振りかぶる。
狙うは頭蓋骨。確実に殺し、血肉を喰らうために、体内から突き出した骨を棘状にコーティングして強化した。
壁に打ち付けられ動かないタタラに向けて、蛹偽はその腕を放った。