2−2 蛹偽 ‐忍んだ悪鬼‐
四人は祭を心ゆくまで楽しんだ。
人形やマスコットが踊るパレード、アクロバティックな大道芸に目を奪われ、里では味わえなかった料理を堪能した。
そして今は、休憩として花畑の広場でくつろいでいる。
「楽しい時間って、本当に早く終わってしまうものなんですね」
名残惜しそうにタナリが呟いた。
日は沈みかけ、赤い夕日が辺りを照らしている。
再び不自由な病院に戻ると思うと、やはりずっとこのままでいたいと、欲をかいてしまう。
うつむくタナリの頭に、タタキの暖かい手が優しく乗った。
「大丈夫。また連れてってやるから。 体も良くなってるなら、次はもっと楽しい思い出を作れるよ」
「……はい!」
タタキの手から感じる体温により、タナリの暗い表情と気持ちが一気に吹き飛んだ。
笑顔でタタキに抱きつき、その顔を大好きな兄の胸に押し付ける。
タタキも抱きしめ返し、甘える妹の頭を優しく撫でた。
「そうだ、俺からプレゼントがあるんだよ」
「タタラもおいで」少し離れた場所で夕焼けを見ていたタタラを誘い、タタキは弟妹にあるものを渡した。
それは色とりどりの刺繍糸だった。
見覚えのないものに、タナリはコテンと首を傾げ、タタラは無表情でそれを見つめている。
「兄様、これは?」
「ミサンガ、っていうお守りだ。なんでも手首か足首に巻きつけて、リングが切れるまで付けてると、願い事が叶うらしいよ」
売店でふと、目に止まったものだった。
タタラには済んだ青色のを、タナリには赤の混じった桃色のミサンガを渡す。
「ありがとうございます、兄様!」
「……」
タナリは笑顔で受け取ったが、タタラの無表情は崩れず、ジッと手のひらに乗ったミサンガを見つめていた。
タタキは苦笑いを浮かべ、「貸して」とタタラの左手首にミサンガを巻き付ける。
ミサンガをつけながら、タタキは弟への願いを込めた。
(この先、吸血鬼との戦いにおいても、タタラが無事でありますように)
「兄様ずるいです!私にもお願いします!」
頬を膨らまして、タナリは自分にもつけてくれとタタキにせがむ。
「はいはい、仕方ないなぁ」タタキはミサンガを受け取り、タタラと同じようにタナリの左手首にミサンガを巻き付けた。
(はやく、身体が良くなりますように)
「タタキさん、あなたが結んでお願い事をしても、意味がないと思うんですけど?」
「へ?そうなのッ⁉︎」」
マギミの言葉に、タタキはしまったと顔をひきつらせた。
「大丈夫ですよ!兄様の想いのこもったミサンガは必ず願いを叶えてくれます!」
「ははは、ありがとうな」
兄妹の微笑ましい姿を見て、マギミはある言葉をこぼした。
「なんだかそういうところ、“ナナハ”さんにそっくりですね」
「ナナハって……母さんのことですか!?」
タタキはマギミの言葉に、ハッとなって驚愕した。
ナナハとはタタキたち兄弟の母で、父タタリの妻だった女性だ。
タタラとタナリは物心つく前に死んでしまったが、タタキはほんの短い時間だったが触れ合ったことがある。
「母様のこと……知ってるんですか?」
タナリは、あまり知らない母のことを恐る恐るマギミに問うた。
いったいどんな人だったのか、もしかしたらタタリと同じ怖い人だったのか、それとも優しい人なのか。
不安と緊張でゴクリと、喉を鳴らした。
「とっても優しい人でしたよ。負けん気が強くて、里の女性みんなが憧れてた人でした」
マギミうっとりとした表情で、ナナハのことを語った。
里の女は、ごく一部であるが戦士である男に差別される対象だった。もちろん、相手に適切な敬意を払っている者も存在するが、全戦に出ないサポーターである女は、下働きであり子を産むためだけの存在と、今でも少なからずその風潮は続いている。
タナリは身に覚えがあるのか、それを聞いてだんだんと表情が暗くなっていった。
タタリも任務で同伴した者の中に、そのような風潮に囚われた戦士がいたことを思い出す。
この風潮は里でも問題になっていることで、タタリとリドウも苦言を申していたほどだ。
「でも、ナナハさんはそんな女たちの希望だったんです」
語るマギミの声に熱がこもってきた。
ナナハはそんな男たちに真っ向から食ってかかった。生意気だと殴られようと、蹴られようと、殴り返し、蹴り返し、周囲からは“女の皮を被った男”と呼ばれるほどに、男よりも気高い姿に多くの女たちが憧れたのだ。
「私もナナハさんに救われて……。 だから嬉しかったの。憧れの人の子供の面倒を見られるなんて、ってね」
語り尽くしたマギミの顔は清々しいものだった。大好きな人のことを語り、その笑顔の眩しさは一層明るくなった。
タタキとタナリも、それを見て互いの顔を見合わせ、笑顔を浮かべた。
「ダイガには父さんに似てるって言われたんだけど、結局俺ってどっちに似てるの?」
「ん〜……さぁ? 長につっかかる時のタタキくんは、ナナハさんに似てましたけど?」
「そっかぁ……そうなのか……」
感慨深い気持ちを胸に、タタキは空を見上げた。
そろそろ日が暮れる。空の中心がちょうど夕日の赤と、夜の青に分かれいた。ゆっくりと少しずつ青が侵食していき、それを静かに眺めているタタキだったが、
「………ん?」
タタキはある異変に気がつく。
違和感を感じて、その場を見渡した。
「………静かすぎる」
「え?」
タタキの言葉に、タナリとマギミもハッとなった。
この街は夜でも、昼と同じぐらい賑わうらしい。
リラックス目的の公園にいたため気づかなかったが、まだまだ騒がしいはずだ。なのに、今は人の声や気配が全くしなかった。
「キャァァァァァァァァァア!!!」
その時、ある方向から女性の悲鳴が聞こえてきた。
その悲鳴にいち早く反応したのはタタラだった。悲鳴が聞こえてきた方向へ、一気に走り出した。
一歩遅れて走るタタキは、この場に残るタナリとマギミの方に振り向き、言い聞かせる。
「マギミさんは人払いの結界をお願いします!タナリ、マギミさんの言うことをちゃんと聞くんだぞ?」
「はい、兄様……。お気をつけて!」
タナリの応援を背に、タタキはタタラの後を追う。すでにタタラとは、彼が米粒に見えるぐらいの距離が離れていたが、辛うじて追いつき目的地へとたどり着いた。
「教会……か」
悲鳴の聞こえた方向、タタラが立ち止まっていた場所は昼頃に見た結婚式場の教会だった。
式は夜からと聞いていたが、始まっている様子はない。その教会からは、生暖かい血の匂いを乗せた空気が外へ漏れ出ていた。
タタキは何が原因か、直ぐに理解した。
深く息を吐いたタタキはタタラとともに、懐から刃部分のない刀の柄を取り出した。
ギュッ、と握られた柄は持ち主の意思と力に呼応し、ハバキ部分から一気に刃を形成した。
鬼狩りの戦士の主要武器『斬鬼刀』。
それは、不死身の吸血鬼を殺すことができる唯一の武器。つまり、この事態は吸血鬼によるものである。
真っ先に教会の中へ入ろうとするタタラだが、その肩をタタキに掴まれ、止められてしまった。
「待て。タタラ、急ぎすぎるな」
肩を掴まれても、教会へ目を離さないタタラ。
だが、タタキの言葉に反応して横目で見やる。
「お前は、自分の体をかえりみないで戦うクセがある。一人突っ走りすぎるのも同様だ。 自分の体は大切に、回避や防御も注意しておけよ。いいな?」
「…………」
「……タタラッ‼︎‼︎」
返事をしないタタラに、タタキは怒号を上げた。
あまりの気迫にタタラは振り向くと、そこには今まで見たことのない真剣な表情のタタキの顔があった。
鋭い眼力を向けてくるタタキに、タタラは面と向かってゆっくりと首を上下し、うなずいた。
「うん、いい子だ」それを見て、タタキは優しく微笑んだ。
「じゃあ、俺が先に行く。 後ろは任せたぞ」
そう言ってタタキは先頭、タタラその後に続いて教会へ入る。
教会の中は静かすぎた。今日ここで結婚式が開かれるのが疑わしいほどに薄暗く、静寂に包まれている。
鬼狩りの戦士は特殊な訓練により、真夜中の暗闇でも数秒で目が慣れ、音を一切立てることなく移動できる。それにより二人はどんどん教会内を確認し、奥へ進んで行った。
タタキが大聖堂の扉をゆっくりと開け、確認するよう中を見る。
そこには、
「ッ………」
大聖堂の部屋一面に広がる赤い血と臓物のデコレーション。無残に食い散らかされ、その中に辛うじて人の形を保っているのは、ごくわずかだった。
一瞬ここが聖なる教会だと忘れてしまうような無残な光景に、タタキの顔は憎悪に染まる。
中をうかがおうとしたタタラの視界を遮るように腕を動かし、タタキは首を横に振った。
「ここには、吸血鬼はいない。次を探そう」
タタラも鬼狩りの戦士だ。このような場面は見慣れているだろう。だがやはり兄としての性か、大聖堂の中を見せないよう無意識に配慮してしまう。
(自覚はあるけど、やっぱり辛いな)
そう思いながら一階を調べ終わったタタキは、今度は二階へ向かう。
階段を上がり最初に目に入った、一番近くにある部屋のドアにゆっくりと手を伸ばす。
その時、握りこぶし程度にドアが開いた瞬間、そのドアは内側から勢いよく開かれ、何者かが飛び出してきた。
「うわあああああああああああああああ‼︎‼︎」
恐怖の混じった悲鳴とともに、壮年の男が肩を突き出して突進してきた。男は目をつむっており、相手が誰だか分かっていないようだった。
突然の攻撃を二人はあっさりとかわし、男の手を取り、関節を逆の方向へと曲げた。
「ぐあぁ!」
「人間?……生存者がいたんだ」
「すみません」一応安堵して、謝りながら手を離すタタキだったが、男は頭が混乱しているらしく、再び暴れまわった。
「やめろ!こっちに来ないでくれぇ!」
「落ち着いてください!俺たちは人間です!」
タタキは暴れる男を取り押さえ、気を落ち着かせた。
はぁ、はぁ…と息を荒くし、男はタタキとタタラを交互に見渡した。だんだんと呼吸が安定していき、正気に戻ると力が抜けてその場にへたり込んだ。
「な、なんだ……人か。よかった……」
安堵した男は深く息を吐いた。
「いったい、ここでなにがあったんですか?」
「し、知らないよ!結婚式が始まると、途端に灯りが消えて……そしたら何かに襲われたんだ! 怖くなって、二階に逃げて……」
必死に舌を回し、タタキにすがりつく男。
よほど恐ろしかったのか、全身がブルブルと震えている。
「そうだ……わ、私の他には?私の他に生きてる人は⁉︎」
男の問いに、タタキは苦い表情で首を横に振った。
それを見た男の震えは止まり、今度は顔を青くして床に伏した。
「そんな……新郎も?花嫁も?……お腹の中には子供もいたんだぞ!?」
「夢だ、これは悪い夢だ……」男は頭を抑えてブツブツと呟く。
それをみたタタキにも、表情に影を落とした。
(いつ見ても、慣れないな……)
なにはともあれ、タタキは救出を最優先とした。男の肩を持ち、タタラに後ろを任せて出口へと向かう。
その途中、少しずつ冷静さを取り戻してきたのか男は、ヨロヨロと歩きながら二人を訝しげに見る。
「君たち……いったい何者なんだ?」
「こういうのを専門にしてる部署みたいなもので……それ以外は答えられません」
鬼狩り一族の存在は機密事項である。
鬼狩り=吸血鬼の存在がバレることを意味しているため、下手に喋ることはできない。
今現在この国も慌ただしくなっているため、混乱を避けるためだ。
「専門って……こんな子供まで?」
男は後ろを歩くタタラを見て、目を細めた。
外見からしてみれば、まだ若さが抜けない二十歳の青年のタタキと、十五歳のタタラ。明らかに頼りなさげだが、今は信じるしかない。
そして、三人は一階へ降りる階段についた。
「俺が先に降りますから、ゆっくり後に続いてください」
タタキがまず先頭で階段に足を踏み入れた。
その後を男、タタラと続いていく。
「………」
「な、なにかね?」
階段へ降りる途中、男はタタラの視線に気がついた。
十五とは思えない冷たい無機質な目を向けてくるタタラに、男は脂汗を流し震えた目で振り向く。
「………」
「タタラ……まだ決まってない」
タタラの底知れぬ雰囲気に気づいたタタキは、顔半分を後ろに向け、言い聞かせた。
しかし、タタラの目は変わらない。ただジッと男を見つめ続けている。
この異様なプレッシャーは、男も察しがついた。
「な、なんなんだ?君たち、本当に私を助けてくれるのか!?」
男の積もりに積もった不安が声とともに漏れ出した。首を前後に振り、二人を交互に見る。
先ほどまでは自分を守り、助けてくれると思っていたが、その考えはすでに消え失せていた。
考えようによっては、今の状況はまるで挟み撃ちのようにも見える。今いる場所が階段であるため、ほぼ逃げ道は無いに等しい。
男の不安はより一層深まるものとなる。
「…………」
「なんとか言ってくれッ!」
何も答えないタタラに、男はとうとう声を大にして叫んだ。
その瞬間、男はタタラに向けて手を突き出した。
恐怖と不安の混じった顔を浮かべて前に出る男に、タタラは素早く斬鬼刀を抜き、振るった。
地の利はタタラにあり、完全に男の腕を斬り落とせる。
だが突き出された男の手から、もう一本の腕が突き破って出てきた。
腕は病的に白く、明らかに壮年の男の腕とは異なる若々しい筋肉に鋭い爪があった。
攻撃のタイミングをずらされ、タタラの胴に爪の一撃が刻まれた。