2−1 蛹偽 ‐兄弟の時間‐
「わぁ〜、見てくださいよお兄様!私、里の外にある街なんて始めてきました!」
里から降りて近くの街の表通りを、マギミに車椅子を押してもらいながらタナリは上機嫌に街の風景を見渡していた。
そんなタナリに、マギミは自慢気に言う。
「ね、里とは全然違うでしょ?やっぱり里も、こんな風に改造した方がいいと思うんですよねぇ」
タナリは、人生で初めての祭に興奮していた。
目の前に広がる屋台や人々、色とりどりの飾りや、鼻をくすぐる食べ物の匂い。それらは全て、ほとんどの時を病院で過ごしてきたタナリの興味を誘うには十分だった。
そんなタナリとマギミの後ろを、タタキは苦笑いしながら歩いていた。体の弱いタナリの容体を心配しながら。
「大丈夫ですよタタキくん。言ったでしょう?今日はちょっとハメを外してもいいくらいだって」
体の弱いタナリの容体を心配するタタキに、マギミが耳打ちをして落ち着かせた。
それを聞いたタタキは、再びタナリの笑顔を見て思わず頬がほころぶ。
(やっぱりこういう風に、楽しく元気に遊ぶのが会ってるよな)
タタキはタタリの目を盗んで、タタラとタナリ、マギミを連れて里を出た。弟妹に子供らしい、楽しい時間を与えるために。
負い目がないと言えば、嘘になる。だが、やはり兄として見過ごせるわけにはいけなかった。
「ほら、タタラ行こう。置いていかれるぞ?」
「………」
最後尾をタタラが無表情で歩いている。
昨日、タタリに付けられた傷はある程度、完治していた。鬼狩り一族の回復力は並の人間より高く、技法や治療法でさらに回復を早することもできるのだ。
明るい笑顔で手を伸ばすが、タタラは差し出された手を一瞥し、その手を取ることなくタタキの横を素通りした。
そのままマギミとタナリの横を通る。
「あ……」
タナリはなるべく、タタラを視界に入れないようにしていた。
思い返しても、タタラと話したこと、ましてや面と向かい合ったことは一度もないのだ。今さら気不味く、タタラを前にすると怖い父の顔を思い出し、やはり無意識に視線を逸らしてしまった。
そんな兄妹とは思えない光景を見て、タタキはなんとしてでも二人の仲を改善させなければと改めて思い直した。
タタラの休暇は、一日中傷の治療か自己鍛錬、鬼狩りのための知識教養に打ち込む。
それは自分の意思ではなく、タタリによって頭に叩き込まれた命令……ほとんど洗脳のような形であった。
そんなタタラを里から出し、祭にやっとの思いで連れて行きたのだ。
(タタラも興味を持ち始めてるし)
タタラはタナリと同様に初めて里以外の行事に触れ、タナリほどではないが心境に変化があった。
無数の人種が街の中を行き交い、そこら中で出店などで買い物をする光景。街の各所に存在する居酒屋の店員やオーナーが買い出しや、発注していた商品を揃える光景。色々な旅芸人や冒険者が演説を行う広場。
「これを見てくれ!東の国でしか手に入らない、希少な魔石だ!」
「今日仕入れたばっかりの新鮮な野菜達だ!栄養満点だよぉ!安いぜ!」
「ブルーボアの肉に、秘伝のタレを付けた焼肉だッ!さぁ、喰わなきゃ損損!」
「…………」
顔は無表情ではあるが、普段のタタラを見ているタタキにとってはその変化を察していた。
まるで花にたかる蝶のように、きょろきょろと見回りながら、出店に出ている商品の数々を注視していく。
だがその途中、タタラはすれ違ったガラの悪そうな男にぶつかってしまった。
「ッ……おい、気をつけろ!」
睨みつけてくる男に対し、タタラは一瞥もくれず歩いて行く。
「ガキが、謝りもしねぇのか?良い度胸してんじゃねぇか!」
ぶつかっておきながら、そのまま素通りするタタラに、男は眉間にしわを寄せた。血管がピクピクと浮き出て、その表情は怒りに染まる。
男がタタラの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした瞬間、
「すいません、この子が粗相をしました」
二人の間にタタキが割って入った。
タタキは、未だにぶつかった男に対して興味を示さず無機質な目をどこかに向けているタタラの頭を抑え、二人で頭を下げた。
「今度からちゃんと見張ってろ!」
舌打ちをし、去っていく男の背を見てタタキは深く息を吐いた。
「タタラ。人にぶつかったら謝るんだぞ、いいな?」
目を鋭く細めてタタキはしかる。
タタラは一瞬、その言葉にピクリと反応したが、直ぐに目をそらし祭を回り始めた。
「おい、タタラ……」
「難儀ですね〜、ホント」
ガクシ、と肩を落とすタタキに、マギミが串に刺さったブルーボアの焼肉を差し出した。
「あの……」
前を歩くタタラを、タナリが呼び止めた。
声に反応し足を止めるも、振り向かないタタラに、タナリはうつむきながら言う。
「兄様の言葉は……ちゃんと聞いてください」
「……」
「悔しいですけど……兄様はあなたのために、言ってることですから」
周りは昼間から祭りのように騒いでいるのに対し、二人だけその空間から切り離されたような静寂に包まれていた。
「はいはい。せっかくの兄弟水入らずなのに、こんな空気はやめましょう」
その空気を無理矢理吹き飛ばしたのはマギミだった。タタラとタナリの手を取り、二人を交互に見ながら笑顔を振りまいた。
「兄弟なら仲良くですよ。ささ、お祭を楽しみましょう!」
「は……はい!」
「……」
マギミによって、なんとか雰囲気は持ち直された。
タタキは胸を押さえてホッと胸をなでおろし、マギミと向き合う。
「ありがとうございます。マギミさん」
「本当は俺の役目なのに」タタキはマギミに頭を下げた。
「いいんですよ。私もあんな空気でお出かけなんて耐えられないし。 そんなことよりも笑顔ですよ。しっかりしなさいお兄ちゃん」
パンッ! タタキは肩を思いきっきり叩かれた。それはとても力強く。
一見細身に見えるが、マギミの体はよく見ると鍛え上げられており引き締まっていた。一族の女として、全戦にはでないものの、下手な男の一撃よりよっぽど骨に響く重さがあった。
思った以上にたくましい女性に、タタキは再び感謝を込めて言った。
「ありがとうございます」
そんな四人は屋台を回りつつ、街の中心である観光区に入った。観光区には、実に様々な娯楽施設が存在していた。それは表通りの比ではなく、劇場やサーカス、闘技場、展望台、色とりどりの花畑や巨大な花壇迷路、美しい建築物や広場などある。
見渡せば見渡すほど目が回りそうになる観光区の中で、タナリが興奮した様子である方向へ指を差した。
「兄様!兄様!あれを見てください!」
タナリが指差した場所。そこは白く、色とりどりの花が飾り付けられている教会だった。その周りに多くゲストたちが集まり、微笑ましく会話していた。
「結婚式か」
「素敵ですねー………私も早く婚期こないかな」
一瞬死んだ目になったマギミをスルーして、三人はもっと近くへよった。
タタキがゲストの一人に話しかけ、結婚式の詳細を聞いてみた。式は夜かららしく、今ここに集まっているゲストは教会の下見や式の準備の手伝いに来ているらしい。
「私も素敵な出会いが欲しいです」タナリがそう呟きながら、タタキにチラチラと視線を向けた。
タナリの視線に気づいたタタキは、苦笑いを浮かべて「兄妹は結婚できないから」と返した。
「愛に血は関係ありませんよ」
「関係あるよ」
兄と妹がそんな漫才を繰り広げている中、タタラはまたしてもどこでもない、特徴のない建物や人の影、その間を見つめていた。
表情は微動だにしない年不相応な無表情だが、首は少しずつ曲がり、何かを追うように目が動いていた。
「タタラ……どうかしたのか?」
タタラの動きに疑問を抱いたタタキが近づく。
タタラの表情は変わらない。ただジッと何かを見つめていた。
タタラが見つめる方へ、タタキも視線を通したが、何を見ているのか分からなかった。
「お兄様ー!はやく来てください! パレードが始まってしまいます!」
「ああ、すまない! さ、タタラ行こう」
タナリに呼ばれ、タタキはタタラの手を取って引っ張った。
少し抵抗があったが、そのままタタキの歩きに流されてタタラはその場を後にした。しかし、その目はやはりどこかを見つめていた。
タタラは気づいていた。自分たちの後をつける存在の気配に。
その気配のいる先に目を向けると、気配は直ぐに場所を移し、時にタタラたちの方へ近づき、時に離れているのが分かった。
タタラたちは監視されていた。
(………何かが、いる)