1−3 狩人 ‐兄弟とはあまりにもかけ離れた…‐
「兄様、服装が乱れていますよ」
里にはどこも、負傷した鬼狩りの戦士や、病人が運ばれる病院が建てられている。
その中でもっとも大きな病院にある、木の香りが鼻をくすぐる一室。
白い壁と対照的な、黒く鮮やかな髪の毛を伸ばした少女はそう指摘して、ベッドから上半身を起こした。
少女の名は“タナリ”。
鬼狩り一族の長・タタリの長女であり、タタキとタタラの妹だ。
二人の兄と比べて病弱な体であるタナリは、今の体調は悪くないらしく、顔色も良さそうだった。
「仕方ないだろ。ダイガを巻くのに手間取って、これでも急いできたんだ」
ふてくされたようにタタキが言うと、タナリはベッドに座ったまま腕を伸ばしてきた。
「こっちにきてください。タナリが整えてあげますから」
「いや、一人でできるよ。二十にもなって妹に服装を整えてもらうとか……兄としての威厳が」
「ダメです。兄様は一つのことに集中しすぎて、周りが見えなくなることが多いんです。 一族を統べる家系の長男なのですから、ちゃんとしないといけません。だからこっちにきてください」
その口調は穏やかだが、頬は膨らみ眉はつり上がっていた。
正論を叩きつけられたタタキは、こうした時のタナリがなかなか引き下がらないのは、昔からよく知っていた。
我ながら自分で言っておいて、兄の威厳がないと内心、泣き言をこぼした。
「……わかったよ」
仕方ないとタタキが身体を寄せた。
それを見てタナリはニッコリと嬉しそうに笑い、テキパキと手慣れた手つきで、襟や取れたボタンを結び直し始めた。
「これでよし、と」
フンスッ、とやり遂げたという表情を浮かべながら胸を張るタナリ。
タタキが鏡で確認すると、崩れていた服装はばっちり綺麗に整っていた。
「随分と手慣れたもんだな。驚いたよ」
「兄様の妹として当然です。どうせまた服を乱して帰ってくるだろうと思ってましたから」
「どうせってお前なぁ……」
「でも当たりだったでしょう?兄様のことなら、タナリはなんでもわかるのです」
タナリは笑みをこぼして、額を突き出してきた。
褒めてとねだる時や、謝罪を求める時などのお決まりのパターンだ。そこで拒絶したら拗ねてしまい、機嫌を直してもらうのにかなり時間を要してしまう。
「本当に、仕方のないやつだな……」
タタキは呆れたように嘆息しながらも、前髪をその手でかき分け、チュッと唇で額に軽く触れた。
「……これでいいのか?」
「えへへ、兄様のキスはあったかいです」
タナリはとても満足げに微笑んだ。
「その笑顔、あいつにも向けてほしいもんだな」
が、タタキの言った何気ない一言によって、その笑顔は消えた。
「しまった」タタキは心の中でそう呟いた。
タナリの顔を見れば、不機嫌な表情で下をうつむき、影を落としていた。
「兄様……あの人の話は、ちょっと…」
「いや……だけどタタラは俺たちの兄弟だろう?俺の弟で、お前の双子の兄で……」
タナリは、双子の兄のタタラを苦手としていた。同じ兄のタタキとは、態度がまるで違う。
物心つく前に母が亡くなり、父のタタリもタタラの英才教育に力を入れて、体の弱いタナリに接っしてくれた時はほんのわずかだった。
使用人や医者など、気にかけてくれる人はいたが、それは仕事上の話だ。幼い頃から愛情に飢えていたタナリは、唯一愛情を持って接してくれたタタキを心から慕っていた。
しかしもう一人の兄であるタタラに対しては、日に日に父のような無機質で冷たい目になっていく姿を見て、嫌悪感を抱いてしまっている。
「兄様には悪いですけど……私はあの人が、嫌いです」
「でも……」
「怖いんです。だんだん、お父様みたいな感じに近づいていってるのが……まるで、あの人が二人いるような……」
カタカタと体を震わせるタナリの体を、タタキはそっと抱きしめた。
このように、家族がバラバラになってしまったのは、やはり母が死んでしまった時からか。
あの時はまだタタキも幼く、今では思い出などうろ覚えではあるが、父も母も自分も、よく笑っていたことは覚えている。
重たい空気の流れる中、横にスライドされ、ガラガラと音を立てて部屋のドアが開いた。
「あら、お……お取り込み中でした?」
空気のぶち壊す、あどけない声。
医療用のワゴンを押しながら部屋の中に入ってきたのは、メガネをかけ、ナースキャップを被った白衣の女性だ。年の頃は二十代前半くらいだろうか。
女性らしいラインをした身体に、ショートカットされた茶髪。その顔立ちは整っており、十分美人と言える。
「こちらは、私のお世話にしてくれている看護師さんの“マギミ”さんです」
タナリは気不味そうにタタキから離れ、ぎこちない声で言う。
「タタキです。妹がお世話になっています」
妹の世話をしてくれるマギミを前にして、タタキは頭を下げた。
里には男女で役割が大きく分けられている。
男は鬼狩りとして肉体と技を磨き、命をかけて吸血鬼と戦う。
女は吸血鬼との戦闘に人が近づかないよう配慮したり、負傷した戦士の治療をするなど、サポートに徹する。
里で生まれ育つ女は鬼狩りとしての素養は学ぶが実際に戦士になる者はほとんどいない。里に仕え、年頃になると戦士の男と契りを結んで子を産むというのが常である。
マギミもその一人。その点で言えば、非常に優秀な部類だった。ゆえにあわよくば将来の伴侶に、と密かに願う若い戦士たちも大勢いる程に。
マギミはにこやかな笑みを浮かべた。
「タナリちゃんから、お噂はかねがね聞いています。とても格好いいお兄さんだって」
「いや、そんなことないですよ」
戦士たちの中でも美人と評判のマギミを前にして、タタキは照れ臭そうに頭をかく。だが、視界の端に頬を膨らませたタナリが映り、直ぐに元の調子に戻った。
「……タナリの調子は、どうなんでしょうか?」
「順調に体力がついていますよ。ほんの少しだけですが、一人で歩けるようにもなってきましたし。この調子なら、近いうちに日常生活にも支障がないかと」
「そうですか。よかった……」
タナリは生まれた時から体が弱く、物心ついたときから車椅子生活に縛られ続けていた。
一族の使命を重んじる者から時々、嫌味な視線を受けることも多々あった。
タナリの心に深い影を落とすことになったが、それが歩けるようになり、普通に過ごすことができるのならば、兄としてのこれ以上なく喜ばしいことだろう。
「……と、そういえば私見ちゃったんですけど」
二人の仲睦まじい様子を見て、マギミはある事を思い出し、気不味そうに言った。
「長が、弟さんを連れて……森の奥に入っていったんです」
「え?」
「やっぱり、兄弟は揃ってなきゃダメかと思うんですよね。だから、今からでも呼んできま———」
「ごめんなさい」
マギミが全てを言い切る前に、タタキは血相を変え、近くに置いてあった応急処置用の救急箱を掴んだ。
「え?……え⁉︎」
「兄様!」
「すまん、後で必ず戻る」
突然のタタキの行動に、マギミは困惑し、タナリは必死な表情で呼びかける。
タタキは罪悪感をおしてタナリに謝り、急いで病院から飛び出した。
「兄様……」
▼
里から少し離れ、森林の開けた場所。
そこではタタリが若い頃から鍛錬に使っていた場所で、空いた時間を使い、ここでタタラをシゴいていた。
互いに刀を持ち、タタラはタタリの攻撃を逸らし、ないし躱しながら、かれこれ数十分も凌いでいる。
その光景ははたから見れば異常だった。
鬼狩りは幼少期から厳しい修行を課される。しかし、今行われている修行はそのような訓練とはかけ離れた、一方的な蹂躙のようだった。
もちろん、タタリは手加減はしているが、一切の手心がない刺突。既に2人の足元は、タタラだけの血で汚れている。
本当に親子なのか信じがたい光景だ。
顔には出さないが、タタラの体力は底を尽きかけていた。
タタリは息すら切らしていない。寧ろ、その攻撃は苛烈さを増していく。
とうとう対応し切れず、タタラが振り下ろされた刀の勢いで体勢を崩す。
タタリがそれを見逃すはずもない。タタラの胴体目掛けて、鋭い突きが放たれた。
タタラは身体を無理やり横にずらす。しかし、躱し切れず、脇腹が僅かに抉れた。
飛び散る鮮血が、タタラの足元に生えている草花に容赦なく降りかかる。
激痛を堪え、後ろに跳ぶ。タタリはタタラを追わず、ただジッと見つめる。
「止まるな。来い」
様子見の体勢を取ったタタラに、タタリは冷たく言い放つ。
「私が吸血鬼なら……こうする」
その言葉と同時に、タタラの視界からタタリの姿が消える。
コンマ一秒の間を挟み、抉られた脇腹に向けて、背後から蹴りを入れられた。
タタラの視界の端で、無機質な目で見下ろす父の姿が映る。
一瞬、気を失いかけたタタラを、タタリは更に追い討ちで迫る。
斬り、突き、叩きつけた。
地面に転がるタタラを真顔で見下ろし、タタリは言った。
「立て」
父の放った言葉に応え、腕を支えにして体を起こし、立ち上がろうとするタタラ。
「遅い」
無情な一言と共に、抉られた横腹を再び蹴られた。
蹴られた横腹から血が吹き出し、タタラは顔から地面に倒れる。
「私が吸血鬼なら、あのまま首を落としていた」
ピクピクと痙攣し、その場でうずくまる息子に対して、タタリは淡々と言う。
そこには、父と息子という関係はなかった。
「立て、早く。私が吸血鬼なら……」
「タタラ!」
タタリがチラリと横を見ると、息を荒くし、救急箱を持ったタタキの姿があった。
タタキは周りに視線を回し、地面に倒れているタタラを見つけた。
「また………こんな!」
身体中から血を撒き散らした無残な姿のタタラ。
一見、死んでいるようにも見えるが、辛うじて胸が上下に動いていた。
タタキは急いでタタラの近くへ寄り添い、救急箱を開けて血を止め、治療する。
「タタキ、退け。修行の邪魔だ」
「これのどこがだよッ⁉︎」
タタラに包帯を巻きながら、声を張り上げた。
必死に呼びかけるタタキに、タタラは返事を返さない。
それどころか立ち上がり、タタリの方へ向かおうとしていた。
「やめろタタラ!本当に死ぬぞ⁉︎ ほら、痛いだろ?やめたっていいんだ、こんなの修行でもなんでもない!」
「タタラ、戻ってこい」
抱きしめて必死に押さえつけようとするが、タタラはタタリの声にだけ反応し止まろうとしなかった。
「いい加減にしてくれよ父さん!タタラを殺す気か⁉︎」
「タタラの才能を開花させるためだ。 そのためには、極限まで追い込む必要がある」
「それで死んだらどうするんだッ⁉︎」
「タタラは死なない。死なせるつもりはない」
タタリは里の長として、鬼狩り一族の中において、最強の実力を持つ。少しの力加減で、タタラが死ぬ一歩手前まで調整できるだろう。
だが、それは修行の度に半殺しにすることを意味していた。
タタラの肉体の限界が来た。
動こうにも、ダメージと血を流しすぎたために膝をつき、自分の血の赤に染まった地面に倒れた。
「タタラ……タタラ!おい、しっかりしろ!」
「限界か……次の修行までに、その傷を直しておけ」
「あんたは……どこまで………‼︎‼︎‼︎」
血が出るほどに歯を食いしばるタタキ。
今にも怒りに任せてぶん殴ってやりたい感情を抑えて、タタラを抱きしめた。今は、弟の治療が先だ。
「タタラ……」
傷ついた弟を見ながら、タタキの頬には涙が流れていた。
弟を守れなかった不甲斐なさゆえに、タタキは罪悪感と後悔に見舞われる。
「……」
そんな二人を横目で見るタタリは深く息を吐き、背を向けさっていった。
翌日、里からタタラとタタキの姿が消えた。