3.突然の告白と遠慮
翌日は予定通りに朝からショッピングを楽しみ、午後には海へ。イオルは相変わらずのハイテンションで、それを見るルシェとベルロイの表情は複雑だ。
あっという間に夜になり、別荘での食事を終えた面々はそれぞれ部屋で休んでいた。
「ルシェ! ベルロイ!」
気怠い空気を切り裂いたのは、ノックもせずに部屋に入ってきたイオルだった。
「海へ行きましょう!」
「またですか……」
ルシェがお決まりのうんざりとした表情を浮かべる。
「昨日約束したでしょ?」
「約束した覚えはありませんが……」
「まあまあルシェ。行こうよ」
ベルロイがルシェをなだめながら立ち上がる。
「流石ベルロイ! 話がわかるじゃない! 夜の海も見たかったのよね~!」
イオルはそう言いながらさっさと部屋を出て行く。その後をベルロイが、ルシェもいつもよりも素直に立ち上がってついていった。
「なんだ、真っ暗で何も見えないわね」
海へつくと、イオルはキョロキョロと周りを見渡す。
「当たり前じゃないですか。明かりもないんだし」
「あ、でもほら! 星は綺麗ね!」
イオルは空を見上げて、そのまま砂浜に倒れ込んだ。
「ちょっと、汚れますよ」
「いいのよ、戻ったらお風呂に入るから」
ベルロイもイオルの隣に座り込む。
「星がよく見えるね」
「そうね。それに、海の音も落ち着くわ」
結局座り込んだルシェも三人でしばらく無言で星を眺めながら波の音に耳を澄ませる。
「楽しかったな」
ぽつり、とイオルが呟く。
「こんなに楽しかったの、久しぶりよ。いや、初めてかもね」
くすりと自虐的な笑いを零した。
「イオルは何でそんなにお金を必要としているの?」
急に切り込んだベルロイをハッとした表情のルシェが見やる。
「第三守護兵団の給料だって、悪くはないだろう」
「それじゃ全然足りないの」
笑みを消したイオルが答える。
「あたしは弟を買い戻さなくちゃならないから」
「弟を買い戻す……?」
顔色を変えたルシェが尋ねる。
「ルシェより一つ下の今年15歳。今フィデロ地方にいて、貴族の家で働いてる」
イオルは一拍置いてから、
「下僕として」
と、付け加えた。
「げぼ……」
その衝撃的なワードに二人は言葉を失った。
「あたし達の父親はね、弟がお腹にいる時に他の女のところへ行ったらしい。残された母さんは一人であたし達二人を育てるために働いて……それで死んだわ。あたしが16歳の頃だった」
淡々と話すイオルの声色は冷え切っていた。
「蓄えもなかったから子供二人で生きていけるわけもなく、能力も魔力も持たない弟は貴族の家に下僕としてもらわれた。能力があったあたしはダメ元で守護兵団の試験を受けて、今ここにいる」
通信ができるナビゲーターの能力は兵士として重宝される。入団に関しては実力主義なので、一定以上の能力値であれば家柄関係なく入団できるのだ。
「だから、あたしは家柄がしっかりしててお金に困らない家に嫁入りしたいの。それで……弟を買う」
貴族の家から下僕を買う場合、相手の言い値で買わなければならない。ある程度の家柄でないと、売ってすらもらえない。
「酷い姉よね。それしか弟を助ける方法がないんだもの。でも、能力もない弟を救う方法はそれしかない」
「いえ……」
ルシェの歪んだ顔が悲しそうなものに変わって「でも」と言ってから拳が握られた。
「それでイオルさんは幸せなんですか!? 望まない結婚をしてまで……」
「それがあたしの生きる意味なの」
声を荒げるルシェにイオルはぴしゃりと言い放つ。その言葉からは、固い意志が感じられた。
「いいのよ、別に。もしかしたら素敵な人に出会って、結婚した後にその人のことを好きになれるかもしれないから」
「そんな……」
イオルはむくりと身体を起こして立ち上がり、パンパンと砂を払う。
「さ、戻りましょ。明日は王都に帰るんだから、早めに休まないと」
その声は明るかったが、僅かに震えていた。ルシェは勢い良く立ち上がり、歩いて行こうとするイオルの腕を掴んだ。
「俺じゃダメなんですか!?」
「え?」
イオルがパッと振り返る。
「シャロク家なら、イオルさんの条件に合うはずです! それなりにお金はありますから、すぐにでも弟さんを助けることができます! それに、俺は父のように……いえ、父よりも出世してみせます! シャロク家をこれからも続く名家にするのが俺の夢です。イオルさんをこの先困ることもさせません!」
「なに言って……」
ルシェの言葉にイオルの目が驚きで見開かれる。
「俺はイオルさんより年下ですけど、3つしか離れていません! 身長だって今に伸びて、イオルさんをちゃんと守れるようになりますから!」
「何で……? 何でそんなこと言うの? 同情なんて……」
「同情じゃありません! 俺は……」
ルシェは一息置いてからこう言った。
「俺はイオルさんが好きです!」
「……は?」
「だから、望まない結婚なんかせずに、俺と結婚してください!」
イオルは口をパクパクとさせる。声を出そうとしているが、息の音がするだけで何も音は出てこない。
「考えておいてください」
顔を赤くしたルシェはそう言うと、イオルとベルロイを置いて別荘へと走って戻っていった。
「な、何……?」
イオルはバランスを崩して砂浜にへたり込む。その横に、成り行きを見守っていたベルロイが近寄る。
「大丈夫?」
ベルロイの問にふるふると首を横に振って答えた。
「急なことで驚いたと思うけどさ」
イオルの横にベルロイがしゃがむ。
「ルシェも勢いだけで言ったことじゃないと思うよ」
「そんな……だって……」
虚空を見つめながら、イオルは混乱したように呟いた。
「時間はあるんだ。ゆっくり考えると良い」
ベルロイはそう優しく声をかける。ただ、ベルロイの表情は少し曇っていたのだった。
***
「へー、ルシェが、ねぇ」
海から戻って数日後。イオルとベルロイ、リコルは仕事後に王都の店で夕飯を食べている。ベルロイが事の経緯をリコルに説明した。
「どおりで海の帰りからイオルの様子がおかしかったわけだ」
「だってしょうがないじゃない! 急だったし……」
イオルは顔を赤くしながらもじもじとする。
「それで? イオルはどうするの?」
「どうするって……」
いつもの元気さはなく、眉を下げて困惑の表情を浮かべる。
「わからないわよ。こんなこと初めてだし、考えてもなかったから……」
「でも、イオルの希望は叶えられるわけでしょ? 弟を救うっていう」
「それは……そう、だけど」
イオルは浮かない顔で頷く。
「顔も名前も知らない人といきなり結婚するよりは、よく知ったルシェと結婚する方が手っ取り早いんじゃない?」
「相手は今年16なのよ!? 結婚なんてできないわ」
「じゃあ婚約にすればいいじゃない。それでもルシェはきっとイオルの弟をすぐに救ってくれる」
「それは……」
それでも浮かない顔のイオルは俯いた。
「ルシェを巻き込むのが嫌なの?」
「……」
イオルは無言で目を伏せる。それが答えになっていた。
「まぁ、しばらくゆっくり考えなよ。イオルが男としてルシェを好きになれるかどうかも、考えたほうがいいと思う」
すっかりしおらしいイオルはこくりと頷いた。
「じゃあイオルはそろそろ帰りなよ。明日は朝からでしょ?」
「二人は?」
「もうちょっと話してく」
「え?」
リコルの言葉にベルロイが目を丸くする。
「ベルロイだって飲み足りないでしょ? ね?」
目線で同意を求められて、
「ああ……うん」
と、ベルロイは頷いた。
「わかった。じゃあ先に戻るわね」
元気のないイオルはそれ以上何も言うことなく、店を出ていった。
「どうしたの、リコル?」
ベルロイが不思議そうな顔をすると、リコルは鋭い目つきを向けた。
「ベルロイはそれでいいわけ?」
「それで、って?」
「とぼけないでよ」
リコルは憤慨しながら続ける。
「ベルロイだって、イオルのこと好きなんでしょ」
ベルロイはぐっと喉を鳴らしてから苦笑いを浮かべる。
「リコルって自分のことは鈍いのに、人のことには妙に気がつくよね。俺に触れた?」
「触れてなくてもわかるわ」
リコルは触れた相手の心を読むという特殊な能力を持っている。そのおかげで、人の心の細かなところによく気がつくのだ。
「何で自分もイオルが好きって言わないの?」
「わかるだろ」
ベルロイは残っていた酒をぐいっと飲み干す。その背中は丸まっていて、背が高くてがっしりとした身体つきのベルロイのいつもの迫力がない。
「俺は鉱夫の息子だ。ルシェと違って家柄は良くないし、イオルの弟を救うことができない」
リコルははぁ、とため息をつく。
「そんなことじゃないかと思った」
「そんなこと、って……」
「今日ね、ルイフィス隊長に呼ばれたの。ルシェにイオルの弟のこと聞いたんだって」
「もうルイフィス隊長にまで話が行ってるのか」
「そう。ルシェはね、まだ結婚できない年齢だから、それを見越してルイフィス隊長にお願いしたんだって。イオルの弟さんをシャロク家で救ってほしいって。もし、イオルがルシェとの結婚を拒んでも、同じ部隊の隊員として頼みたいって」
「ルシェが……」
ベルロイは目をみはる。
「そうしたら、イオルは自由になる。自由に恋愛ができるようになるの」
「だからって、俺がそこまでイオルのために動いたルシェから横取りするようなことは……」
「何言ってんのよ」
リコルはベルロイの言葉をぴしゃりと否定する。
「イオルは自由になるのよ。誰と恋愛して結婚するかはイオルが決めることなの」
ベルロイは黙ってリコルの瞳を見つめる。
「イオルの幸せを願ってるんでしょ? そこに横取りだとか、そんなことは必要ない。ルシェだってきっと望まない。このまま自分の気持ちを隠して、黙っている方が怒るに決まってるわ。少なくとも私は怒る」
「リコル……」
「ルイフィス隊長はイオルの弟を救う気でいたわ。イオルのためを思うなら、ちゃんと気持ちを伝えなさいよ」
「イオルは困るよ」
「困ってもいいわよ。あの子、ちゃんと恋愛したことないんだから、困るくらいがちょうどいいの」
そう言い切るリコルにベルロイは笑顔を見せる。
「イオルが聞いたら怒りそうだ。でも、そうだね」
はぁ、と小さく息を吐き出す。
「ルシェの気持ちを知ってたから遠慮してたけど、ルシェはこのことを知ったら怒るだろうね。……イオルのこと、困らせてみるか」
「うん」
リコルもようやく笑顔を見せてベルロイにグーサインを送ったのだった。