20.近づく距離
「ルシェ……あの……」
ズールに半ば無理矢理ルシェの部屋に連れてこられたイオルは、ルシェと向かい合いながら、どう話を切り出そうか迷っているところだ。お風呂上がりだと思われるルシェの髪の毛はまだ濡れていて、それを見ているのが何故だか恥ずかしくて直視することができない。
「ごめんなさい。夜遅くに」
「いえ、構いません」
ルシェの表情は心なしか固い。それがイオルの緊張をさらに加速させる。
イオルはパーティでルシェから告白の答えを求められた。何かしらの答えを伝えなければならないのだが、その前に聞きたいことがある。だけど、もしルシェが自分を拒絶したらと思うと、怖くてなかなか口にすることができない。
「あの、イオルさん」
先に口を開いたのはルシェだった。
「先程はすみませんでした、パーティで……。つい感情的になってしまいました」
「う、ううん! あたしこそ、ごめんなさい」
二人共頭を下げて謝る。
「俺はもう自分からあんなことは言いませんから。イオルさんがちゃんと考えてくれてることはわかっていますし、焦らずよく考えて欲しいと思っています」
「ルシェ……」
ルシェの言葉にイオルの胸がポッと明るくなる。
「ごめんなさい。待たせてしまって」
「いえ、イオルさんはズールのためにお金のある人と結婚することを考えていたのですから、突然状況が変わって混乱するのも当然です」
「ありがとう」
弟のように思っていたルシェだけれど、いつの間にかこんなにも大人びている。イオルはルシェをもう弟のようには思えなくなっていた。
「あの、ルシェ。一つ聞いてもいい?」
「はい。何でも」
ルシェが作ってくれた柔らかい空気に後押しされて、イオルは勇気を振り絞る。
「ルシェの夢はこのシャロク家を大きくすることよね?」
「大きく、というか、父よりも強い軍人になりたいだけです。能力ももっと使いこなして、もっと上に行きたい、と」
その言葉からはルイフィスを尊敬し、それより上を行くことを目標にしていることが伝わってくる。イオルには夢を語る時のルシェはキラキラしていて眩しく思えた。
「その夢……あたしは足を引っ張らない?」
「足を引っ張る?」
ルシェは眉を潜める。
「あたしはフィデロの田舎街出身で親もいないし、能力だって通信能力だし……。ルシェがもっと出世するつもりなら、貴族出身の人の方がふさわしいんじゃないかって思って。その方が今日みたいなパーティにも行き慣れているだろうし……」
「まさか、そんなことを気にしていたんですか!?」
「そ、そんなこと、って……」
イオルはポリポリと頭を掻くルシェをチラチラと見る。
「そんなこと、ですよ。まったく……」
呆れ顔のルシェはイオルの様子がおかしかった原因が自分を想ってのことだとわかり、口の端が上がってしまうことをどうしようもできない。
「俺は別にシャロク家を大きくしたり、誰かの力を借りて出世したいわけではないです。父さんみたいに自分の力だけで上に上がって行きたいだけです」
少し前のシャロク家は誰もその名を知らない家だったので、ルイフィスは家の力を借りることなく実力だけでやってきた。そして、自分の力だけで第三守護兵団の一班隊長に上り詰めた珍しい存在なのだ。ルシェはそんな父と同じように自分の力だけでやっていきたいと言う。
「だから、俺は自分の出世のために貴族の人と結婚したりするつもりはないです。好きな人は自分で決める」
幼さが影を潜めた男らしい顔でルシェはそう宣言した。その顔を見てイオルの心臓はその鼓動を早める。
「イオルさんは何も気にすることないです」
「そ、そう……」
ルシェに念を押されてイオルはようやく頷いて目を伏せる。このままルシェを見続けていたらどうにかなってしまいそうだった。
「……イオルさんがそれを気にしてくれてるっていうことは、少しは期待してもいいっていうことでしょうか」
だけど、ルシェは逃げようとするイオルを許さない。そう追い打ちをかけられて、イオルは何度も瞬きをする。
「き、期待、って……」
これを認めてしまったら自分の中で何かが壊れてしまいそうで、イオルはちゃんと答えることができない。何がどう変わるのか、イオルにはまだよくわかっていない。
「……まぁいいです、今は。待つと決めましたから」
切なそうにそう言われて、何故だかイオルも少し切ない。逃してほしいのか、引き止めてほしいのか自分の気持ちがわからない。
「明日は仕事ですから、そろそろ休みましょう」
「そうね……」
「送っていきます」
「い、いいわよ。同じ家の中だし」
「いえ、俺がそうしたいだけです」
ルシェはそう言って立ち上がってイオルの手を取った。自然な流れで取られた手が嬉しくて、イオルは顔を綻ばせる。
二人は部屋を出て静かな廊下を歩く。いつもよりも歩調がゆっくりなのは二人共同じだ。しかし、屋敷は狭く、イオルの泊まる部屋にすぐに着いてしまう。
「それじゃあまた明日」
「ええ、おやすみなさい」
別れの挨拶をするけれど、繋いだ手はなかなか離れない。沈黙に耐えかねてイオルが顔を上げると、しっかりとルシェと目が合う。イオルが思っていたよりも二人の距離は近く、恥ずかしさからまたすぐに顔を下げた。イオルはそんな行動とは裏腹に握っていた手にさらに力を入れる。
ぎゅっと握られた手を見たルシェは衝動的にイオルのことを引き寄せる。イオルは驚きながらも抵抗しないままにルシェの胸の中に収まった。自分のものかルシェのものかわからない早い鼓動がイオルを包む。
だけど、それは一瞬のことで、ルシェはパッとイオルの身体を離した。
「おやすみなさい」
ルシェはそう言うと、イオルから背を向けて部屋へ戻っていく。これ以上一緒にいると、ルシェの理性が持ちそうになかった。
イオルはしばらく振り返ることのないルシェの背中を切なげに見つめてから部屋の中へと入っていった。




