15.姉弟の時間
騒がしい夕食を終えるとズールはいち早く立ち上がる。
「本日はお邪魔いたしました。それでは……」
「あ、待ってズール」
ズールを止めたのはまたしてもルシェだった。
「もうこんな時間だから、帰るのは明日にしてくれないか?」
「明日に……ですか?」
「うん、もう母さん達は寝る時間だろう? 今帰って起こすのも悪いし」
「音を立てないように慎重に帰りますので……」
「いや、そうじゃなくて」
ルシェが焦ったような表情をする。
「実は、父さんのところに秘密の客がやってくるんだ。秘密の客だから顔も見られたくないらしくて、ズールの帰りが遅くなるようだったら帰るのは明日にしてくれって言われているんだ」
「なるほど」
秘密の客なんて嘘の話なのだが、ズールは納得したように頷く。
「大旦那様の頼みでしたら、帰るわけにはいきませんね」
「あたしの部屋に泊まっていくといいわよ!」
すかさずイオルがズールにそう言う。
「姉ちゃんの部屋に? ……いいの?」
「もちろんよ! ちゃんと布団も用意してあるわ!」
少し迷ったズールだったが、野宿でもして身体を汚くして帰るのはいけないと思い、イオルの言葉に甘えることに決めた。すんなりと話が進んだことに三人は安堵した。
***
心配そうな顔をしたルシェとベルロイと別れて姉弟はイオルの部屋に向かう。二人きりになるのは、離れ離れになった時以来だった。
「ここよ」
イオルの部屋に入ったズールは部屋の中を見渡す。ルシェの部屋と作りは同じだけれど、置いてある小物がピンク系統の物が多いからか、明るく見える。その部屋は、可愛らしい内装が昔貧しかった頃にイオルが夢見ていた部屋そのものに見えた。
一見整理整頓されているように見えて、引き出しが閉まりきっていないのを見て、ズールはクスリと笑う。
「姉ちゃんは変わってないね」
「どういう意味よ? さ、座って」
イオルはズールに椅子を勧め、自分はベッドに腰かけた。
「昔から掃除が苦手だった」
「片付けが苦手なのよ……」
「料理は姉ちゃんの方が上手だったけどね。風邪を引いた時に作ってくれるミルク粥、好きだったなぁ」
「またズールが風邪引いたら作りに行ってあげるわよ」
「シャロク家に?」
「ええ、もちろん」
「皆さんにご迷惑になっちゃうよ」
「大丈夫よ。みんな優しいもの。ズールだってわかってるでしょ?」
ズールを案ずるような優しい顔つきで尋ねた。
「だけど、立場はわきまえないと」
「ズール……」
イオルは悲しげに顔を歪め、意を決したようにズールと向き合う。
「ズール、フィデロでどんな酷い目にあったのかお姉ちゃんに教えて?」
「姉ちゃん……それは……」
「教えて。別に仕返ししたりしないわ。だけど、知っておきたいの。あたしはズールのお姉ちゃんだから」
ズールは俯いて考える。この状態のイオルは何を言っても引き下がってくれない。そんなことは十分理解している。それでも、ズールはイオルを悲しい顔にさせることは言いたくない。ズールはイオルの弟、頑固なところも似ているのだ。
「いいんだ、本当に。姉ちゃんが幸せでいてくれることが、一番嬉しいから」
「ズール!」
「ずっと心配してた。姉ちゃんはきっと僕を助けようとするだろうって思ってたから。お母さんみたいに自分の身体を売ってお金を工面したりしないだろうか、とか、変な結婚をして僕を買おうとしないだろうか、とか」
「うっ……」
後半はまさしくそうしようとしていたので、声を詰まらせる。
「でも、実際は姉ちゃんは自分の立場を守った上で僕を救ってくれた。ここへ来て、ルシェ様とベルロイさんと楽しそうに話してる姉ちゃんを見られて僕は本当に嬉しいんだ」
「ズール……」
ズールの優しさに、イオルは瞳を潤ませる。
「それだけで十分だよ。本当にありがとう」
「ううん、それじゃダメ」
ぶんぶんと何度も首を振る。
「ズールがあたしの幸せを願ってくれるように、あたしだってズールに幸せでいてほしい。これからは自分の意志で、自分の好きなことをしてほしいの」
「それは……」
「今まで一人だけで頑張ってきたでしょう? だけど、今はもう一人じゃないの。近くにあたしがいる。だから、もっと頼って? あたしにもズールの荷物を一緒に背負わせてよ」
「でも……」
「ズール、お願い。お願いよ……。あたしにお姉ちゃんとしてやり直させて?」
「姉ちゃん……」
ズールは小さくため息をつく。姉の涙に弱いのが弟なのだった。
「わかったよ、姉ちゃん」
渋々話し始めた内容はズールの下僕としての日常。食事も満足に与えられず、教育もされないまま丁寧な仕事がもとめられたこと。失敗すると容赦のないお仕置きが行われたこと。
覚悟はしていたものの、聞くに絶えない辛い事実だった。それでもイオルは一生懸命にそれを聞き、受け止めた。
「ズール……」
イオルはズールに抱きついて泣いた。ズールもイオルに抱きつかれたのをきっかけに糸が切れたかのように泣いた。こうして大泣きしたのは、ズールにとって久しぶりのことだった。
泣き止むと、イオルはズールの頭をよしよしと撫でる。まだ一緒に住んでいた頃の姉弟に戻ったようだった。
「ズール、シャロク家の人達はそんなに酷い人達じゃない。もう少し甘えてもいいのよ」
「わかってはいるんだ……」
ズールはずるずると鼻をすすりながら言う。
「だけど、どうしても、怖くて」
「うん、そうだよね、怖いよね」
イオルはしっかりとズールの手を握る。
「でもね、大丈夫よ。もし、シャロク家の人達に酷いことされたら、あたしが殴り込みに行ってあげるから」
「殴り込みって……」
物騒なことを言うイオルにくすりと笑みを零す。
「本気よ? あたしはルイフィス様だって全然怖くないんだから!」
「姉ちゃんに勝てるとは思えないけど……」
「大丈夫! あたしにも味方がいるわ。ルシェもベルロイも強いし、もっと強い仲間だっているのよ?」
「そうなんだ」
ズールは昔は一人でいじめっ子の家に乗り込んでいったイオルを思い出す。今は助けを求める、信頼できる人がたくさんいるのだと嬉しくなった。
「それは安心だね」
「そうよ! だから、いつでも言ってくれていいのよ!」
イオルに信頼できる仲間がいて安心だ、というつもりだったのだが、イオルは別の意味と捉えたようだった。それでもいいか、とズールは微笑む。
「あたしはこんなに近くにいるんだから、もう一人で抱え込まないで?」
「わかったよ、姉ちゃん」
ズールの笑顔は昔に戻ったかのような晴れやかなものだった。




