挑むが勝ち
二人が乗り物を止めた場所は、町人達と撫子がいる場所の真反対側に位置していた。
ここからなら、誰にも気づかれることなく逃げ出すことが出来る。
「ほら、アオハルも早く乗りなさいよ」
荷物は全て置いてきた。
それほど重要なものは持っていなかったし、取りに戻る訳にも行かなかったからだ。
だからアオハルの自転車はここに来た時よりも遙かに軽い。その状態なら、いつもより早く走ることが出来るだろう、早く逃げることが出来るだろう。
先にパンプキンに乗り込んだリアルが、スピーカー越しに急かす。
アオハルは黙ったまま自転車のペダルに足を乗せた。
踏み込もうとした足が重く、ペダルもまた重く感じた。
何も乗っていないはずの荷台に目をやる。やはりそこには何もない。
金属で造られた荷台が、後ろタイヤの中心に繋がっているだけだ。
ではこの重さは何だろう。一体何をそんなに重いと感じているのだろう。それを捜すかのように、アオハルは自分の背後に手を伸ばした。
サドルに跨ったまま、何も乗っていない荷台の上を滑らせるように手を翳す。
そこには何も無いのだから、手に何かが触れるはずは無い。だが、予想に反しアオハルの手に何か硬いものがぶつかった。荷台の上ではなく、ぶつかったのはアオハルの腰、そこに仕舞っていたあるものだった。
無言のまま、服の下から手を入れ、腰に差さったそれを手にする。
あの日、ガクラン隊の隊員である男から譲り受けた武器。無骨で、撫子の使っている銃型の武器から比べたら、とても原始的な武器と言わざるを得ないもの。
これで金属球を発射出来るようになるまで二年掛かった。
正確に狙いを定められるようになるまで更に三年。
五年間一日たりとも欠かさずに鍛錬を続け、やっと使いこなせると自信を持った日のことは今でもしっかりと覚えている。
手中にあるそれをアオハルはジッと見た。
「ちょっと! 早くしなさいよ。町の奴らに気づかれたら面倒なんだから。それともなに? 思い直しちゃったりしてるの? だから言ってるでしょう。逃げることは恥ずかしい事なんかじゃ――」
「でも」
リアルに最後まで言い切らせること無く、アオハルは口を開いた。
リアルは勿論、撫子もきっとそう言いたかったに違いない。逃げることは恥ずかしいことではない。
逃げることを選んだ自分を恥じる必要は無い。いや、撫子ならもしかしたら逃げて欲しいとさえ思って、あんなことを言ったのかも知れない。
それでも。
それでもだ。
アオハルはそれを強く握りしめる。
「それでも、リアルも撫子も逃げてない」
「っ!?」
大声を出したアオハルに身体をビクリと震わせるリアル。
そんな彼女の方を向き直り、アオハルは更に強く続けた。
「俺に逃げろ逃げろって言う癖に。お前は逃げていない。お前が家を出たのは、逃げ出すためじゃなくて、自分の運命を切り開くためだろ」
「それは!」
アオハルの言葉にリアルは動揺した。それだけで十分だ。
彼女は家族を守るために家を出た訳でも、家族を嫌いたくないから逃げた訳でもない。彼女自身に与えられた、与えられてしまった遺跡を感じ取ると言う力と共に生きて行く為に、彼女は家を飛び出した。
いくら誤魔化そうと、彼女にはそんなことは分かっていた筈だ。
共に旅をし続けたアオハルにも、分かり切っていることなのだから。
何も言えなくなったリアルに、アオハルは続けて言う。
「撫子だってそうだ。自分の信念だけは絶対に曲げようとしない。あんな怪我をしている癖に、まともに動ける筈なんか無いのに。それでもガクラン隊としてあの遺跡を壊そうとしているんだ」
「アオハル……」
「だったら、俺も逃げ出す訳にはいかない」
「……遺跡を壊すのを手伝うの?」
「いや」
「じゃあ、遺跡を壊すのを止める?」
「いや」
リアルが口にした、そのどちらの言葉もアオハルは否定する。
逃げ出さずに向き合うと決めてしまえば、答えはこんなに簡単なのに。
「俺が、俺自身が、俺自身の力で挑むんだ! あの遺跡に」
振り返れば、こそこそ逃げ出そうとする二人を見下ろすようにそびえ立つ、遺跡の姿があった。
「偉そうに俺達を見下ろしやがって。もう俺に勝った気でいやがる」
「いや、実際負けたでしょ貴方」
いつもの調子を取り戻し、軽口を叩くアオハルにリアルもまた軽口を返して見せた。
「ふざけんな。俺がいつ負けたなんて言った? 危ねぇな、このまま逃げ出してたら、奴に不戦勝をくれてやるところだったぜ」
「――なら、行くのね」
「ああ! あのデカブツは俺が、俺のやり方でぶっ壊す。撫子にだって邪魔はさせねぇ。俺は我が儘なんだよ。どっちも叶えるのが俺のやり方だ」
欲しい物は全て手に入れる。欲張りになって生きていく。
そう決めた。
それが今、この瞬間に決めた、借り物では無いアオハルだけの生き方だ。
先ほどまでとは違う、別の速度で心臓が動き出す。早く早くと急かし続ける。一つ鳴る度に送られる熱は炎となってアオハルの心を燃やしていた。
「だったら……乗って行く?」
「あ?」
プシューと空気の抜ける音と共にパンプキンのドアが開いた。
今まで他人はおろか、アオハルが触ることすら拒否して来たリアルの口にした言葉が信じられず間抜けな声をあげるアオハルに、彼女は自分の後ろ、荷物置き場となっている後部座席を親指で示した。
「町の中は遺跡が現れたせいで地面がガタガタ。自転車で走るにはちょっと辛いでしょ。良かったら乗せていくわよ? その自転車も一緒にね」
「優しすぎておっかないな。乗車賃が滅茶苦茶高そうじゃねぇか」
フッと鼻から息を抜いて笑いつつ、アオハルは言った。
それに合わせるようにリアルもまた笑って答えた。
「当ったり前でしょ。滅茶苦茶高いに決ってるじゃない」
言葉を句切り、リアルはアオハルに手を差し向ける。
「何せ、乗車賃はこれから先ずっと、何があってもアタシと一緒に旅を続けることなんだからね」
どうする? と挑発的な目を向けるリアルに、アオハル何の迷いもなく自転車を持ち上げて、招かれたパンプキンの入り口から乗せると、そのまま自分も中に入った。
「乗っけて行ってくれよ。そんな激安な乗車賃なら、幾らでも払ってやるよ」
「毎度あり。今日は大もうけね」
パンプキンのドアが閉まり、リアルは足下のペダルを踏む。それと同時にエンジンの駆動音が車内に聞え出した。当然と言うべきなのか、荷台の上でも本来はあるべき振動が一切無い。
彼女が共に旅をし続けてきた、世界最高の技術で造られた究極の道楽作品。それに恥じない乗り心地だ。
さあ、行こう。
背中を丸まった内壁に預けながら前を見据えるアオハル。
だが、いつまで経ってもパンプキンは動き出すことは無かった。
「おい、リアル? 折角俺が心の中で出した、かけ声に合わせて発進させろよ」
壁に着けた背中を剥がし、前に身を乗り出しながら前を見る。
後ろから覗き込むように見たリアルは、震えていた。
車内は一切振動していないのだから、その震えは当然、彼女自身が震えていると見るべきだろう。
「おい。リアル?」
彼女の身に一体何が起こったのか。
それは直ぐに理解出来た。その状態の彼女をアオハルは幾度となく見て来たからだ。いつの間にか荒くなっていた呼吸を無理矢理押さえるように、リアルは視線だけでアオハルを見た。
脂汗の浮いた額をハンドルに打ち付けながら、彼女は荒い息のままか細い声で呟いた。
「ここに。また、遺跡が来る、わ。それも……今度は一つじゃない」