アオハルとリアルの二人旅
「うわっ!」
目を開けて、先ず飛び込んできたのは女の子の顔、それも直ぐ目の前にある美少女の顔だった。
「うわ!? うわって何よ、その態度。アタシに向って良い度胸じゃない」
「いや、違う違う。急に目の前にプリチーな女の子の顔があって、驚いただけ」
「んなっ! ぷ、プリチー? そんな取って付けたような褒め言葉で機嫌を直すアタシじゃないんだからね! あっ立てる? 手、貸そっか?」
急に離れ、元々白いが故に分かり易く顔を赤く染めた少女は、頬に手を添えながら、もう片方の手を差し出した。
「いや、大丈夫。立ち上がれるよ」
あれ以来、立つ時に人の手を借りた事はない。
誰であってもだ。
立ち上がり、尻と背中に着いた芝生を払い落としながら、名前の示す通りの空色の髪を持った少年は、立つと自分より幾分か下に位置する少女の顔を見た。
光を受けると、虹のように様々に光彩を変える金色の髪は長く、緩やかなウェーブが掛けられている。
体にピッタリとフィットする艶やかさを持ったゴム状の材質で創られたスーツを体に纏い、その上から、服を着ている。
白く何をしても汚れることなく、その汚れをはじき飛ばす純白のズボンと、胸の部分に穴の空いた水色のショートドレス。その空いた穴からはスーツに閉じこめられて尚、その大きさを誇示している胸がはじけ飛ぶように前に出てその大きさをより強調している。
気の強い光りを持った青色の瞳は、猫のように目尻が持ち上がり、綺麗なアーモンド型をしている。
高く通った鼻筋も、何もしていないのに赤く色づき艶めかしさを持った唇も、細くスッキリとした輪郭を描く顔の中に綺麗に収まっている。
間違うことなく、迷うことなく、美人。いや、年齢を鑑みるに美少女と呼ぶに相応しい少女だった。
「そう。折角私が手を貸してあげるって言ってるのに、気の毒ねー」
「気の毒?」
固い地面に寝転んでいたせいで、硬くなった筋肉をほぐすようにグッと背伸びをしながら言うアオハルに、少女は唇を持ち上げ、ニヤリと意地の悪そうな顔をしたまま彼に向けていた手を差し戻し、自分の口元を隠しながら言った。
「底辺に住まう庶民が私の手を握る機会なんて、もう無いわよ?」
「……」
アオハルは顎先を掻きながら少しの間首を傾げていたが、やがて、彼女と同じようにニヤリと唇を持ち上げて笑うと、彼女に向かって言った。
「リアル。手、こうやって前に出してみて、前習えみたいに」
自分の両手を前に突き出しながら言うアオハルに、リアルと呼ばれた少女は一瞬キョトンと目を大きく瞬かせていたが、直に。
「前習えって……こう?」
と言って自分の両手を前に出した。
「えい」
その突き出された両手に、自分の両手を重ね、アオハルは少女の指と指の間に自分の指を入れ、ギュッとその手を握りしめた。
「なっ……。~ッ!」
声にならない悲鳴を上げながら、顔を真っ赤に染め上げていくリアルに、アオハルは。
「庶民でも意外と簡単に握れるみたいだな。このスベスベの手はさ」
と笑顔で言い、即座に手を離して、後ろに跳んだ。
「なに、するのよ! この変態!」
アオハルが後ろ跳んだ刹那の後、彼が今まで立っていた場所を鋭い蹴りが通り、空を切っていく。あのまま立っていたら確実にアオハルの体は宙を舞っていたことだろう。
「避けるな。この馬鹿! ペテン師! 初恋人繋ぎ泥棒~!」
「初恋人繋ぎ泥棒って何だよ。変な言葉つくるなよ」
避けたアオハルを追いかけて、何度となく繰り出される蹴りを一つ一つ躱していく。
その度にリアルの顔は怒りと恥辱でその赤みを増していく。
「っと! やばっ」
横にずれる様に跳んだその先に、あった小石に足を取られ、アオハルはぐらりと体を揺らす。
「取った!」
嬉々として地面を蹴り、空中で一回転しながら、上から浴びせるように蹴りを振り下ろしてくるリアルのその一撃をアオハルは、躱すと同時に彼女の内側に入り込んで、着地を一切考えていなかったリアルの腰を掴んで、グイッとバランスを戻し、地面に立たせた。
「あれ?」
「もうちょっと。だったな」
手を離し、リアルの後ろに立ったアオハルはクスリと笑い、蹴りを放った瞬間視界が突然回転したくらいにしか感じていないだろうリアルの頭に手を置いた。
「気安く撫でるな!」
「おっと。初恋人繋ぎに次いで、初頭撫で撫でも奪っちまったかい?」
頭上に置いた手を弾こうとするリアルの手を躱し、アオハルは屈託無く笑って見せた。
「そんなもんとっくに父親に……って、何で私の攻撃が当たらないのよ貴方は! この卑怯者!」
このやり取りも、もう何度目になるだろうか。リアルと出会ってからアオハルは何度となく彼女を怒らせ、その度に攻撃されているが、彼女の攻撃がアオハルに当たったことは一度としてなかった。
リアルが弱い訳ではない。
それどころか彼女は一般人としてはかなり高いレベルの運動神経を持っている。それでも彼女の攻撃がアオハルに届かないのは、なんと言うことはない、彼女よりも彼の方がより高い運動神経と、それを使いこなせる身体能力を有しているからだ。
「しょうがないよ。だって俺、ハイヒューマンだもん」
「むぐぐぅ。むかつくわ! 種族の差なんて努力で埋めようが無いじゃない!」
「どうだろう。怠け者のハイヒューマンなら追いつけるんじゃないか? 俺は努力を怠らないけど」
「余計に無理じゃない!」
端正な顔を怒りに歪めて声を張り上げるリアルは、感情に操られたまま再び攻撃を繰り出した。
今度は先ほどまでとは違い、だだっ子が暴れているかのような何も考えず手足を振り回すだけの物で、アオハルはそれを全て笑いながら紙一重で躱し続けた。
ハイヒューマン。
ありとあらゆる人種が、何世代にも渡り交配し子を成し続けた結果、突然変異で生まれる様になった新しい人種。見た目には普通の人間と大差無く、子供の頃は普通の人間と変わらないが、二次性徴を迎える頃になると身体能力が爆発的に向上し、常人の数倍に達する身体能力を有する。
もう一つの特徴として、身体能力が向上する頃になると同時に自然には絶対に生まれることのない奇妙な髪の色へと突然変化する。
この混沌と化した世界で生まれた歪みの一つだ。
アオハルはその証たる、空色の髪を風に揺らしながら攻撃を躱し続け彼女を誘導し、やがてその場所へと辿り着いた。
「ストーップ。ほら、大切な乗り物に傷がついちまうぞ?」
「む?」
ピタリ、と振り上げた手を止め、リアルはアオハルが自分の背中を預けている物を見上げた。
人の大きさを超える程の巨大なカボチャ。
勿論本物のカボチャではなく、これは乗り物である。リアルが移動の際に使用する乗り物で、高効率のソーラーパネルによって発生した電力だけで、内部を常に一定の気温と湿度に保ち、走り出せば最高速度は約三百キロ。一日中充電するだけで一月以上走り続けることが出来、どんな悪路を走ろうと内部に衝撃を伝えない構造、ボタン一つで座席がベッドに変わったり、空気中の水分を水に変え内部に保管された固形ジュースと混ざることで、常に切らすことなくジュースを作り続けられる装置も兼ね備え、何より外部からのありとあらゆる衝撃を防ぎ、ガスや気体すら通さず、中に入るだけで鉄壁の要塞に変わる防御性能を持つ、彼女曰く世界最高の技術で造られた究極の道楽作品だ。
「あー、ちょっと! アタシのパンプキンに触らないで頂戴。これはアタシ以外誰も触っちゃ駄目なの!」
「はいはい。了解ですっと」
三度振り上げられた拳を避け、アオハルはその隣に並ぶように置かれた彼の愛機へと腰を下ろした。
「まったくもう……」
アオハルが背中を置いていた部分を服の袖で擦りながら彼女はジロリとアオハルを睨み付け、次いで彼が腰を下ろしている黒塗りのフレームに、細いタイヤを二つ着けただけの原動機すらない、脚でペダルを回し、その力をチェーンでタイヤを回す。いわゆる自転車という現代においては考えられない程、無骨で無駄の多い乗り物に目を向け、小さく鼻を鳴らした。
「貴方もいい加減、その不細工な乗り物から乗り換えたらどう? アタシ程とは行かなくても、今時原動力が自分の脚なんて非効率過ぎるんじゃないの?」
「いいんだよ俺はこれで。コイツは体を鍛えることも出来るしな」
使い込まれ、すっかり手の形にすり減ったハンドルを撫でながら、アオハルは薄く笑う。
「せめて、補助的な装置を付けるとかすれば良いのに。貴方が遅すぎて迷惑してるのよ。このアタシが」
「嫌だね。コイツはこれで完成なんだ。余計な物は着けたくない。それに……」
「それに?」
「邪魔だったら俺のこと置いていけば? 別に目的があって一緒に旅してる訳でもないんだし」
「なっ!」
三ヶ月程前、それぞれが偶然立ち寄った村で出会い、二人の特技が互いの弱点を補い合い、それで一儲けすることが出来た為、そのままなし崩し的に一緒に旅を続けていたが、アオハルはそれほど彼女に固執している様子は無く、彼は今まで通り自由に旅を続け、リアルがそれくっついている形だった。
だから今日も朝起きると既に出発していたアオハルを追いかけている最中、草原で昼寝をしている彼と彼の愛機を見つけ、今に至っているのだ。
「なんですって! 貴方、誰のおかげであれを見つけられていると思ってるの?」
震える指先をアオハルに向けながら金切り声を上げるリアルに、アオハルはうるさそうに片目を瞑り、顔を横に倒し、少しでも彼女の声から離れた位置へと自分の頭を動かしながら言う。
「別にリアルがいなくたって、適当に探し歩いてればその内見つかるだろ」
「馬鹿じゃない!? そんなやり方じゃ百年経っても目的地になんか着かないんだから!」
「いいんだよ。そんな急いでる訳でもないんだから、その内辿り着けばいいの。そうすればその分修業出来る時間も増えることになるしな」
その言葉を聞いたリアルはフンと鼻を鳴らし、彼を指さしていた指を引っ込め、自分の胸元、正確には自身の大きすぎる胸を、下から掬い上げるように腕組みをしながら彼を見下し、告げた。
「そんなこと言って、どうせ貴方自信が無いだけなんでしょ?」
「何!?」
明らかに挑発目的の言葉にあっさりと引っ掛かり、彼女から離していた頭を逆に近づけながら睨み付ける。
「噂じゃ本物なら、あれを一発で壊すって言う話じゃない? それに引き替え、アオハルは何発も打ち込まないと壊せない。つまりは貴方は半人前で、それを認めるのが怖いから、時間稼ぎをしているのよ」
「んなわけあるか! 俺は今すぐだって構わない。いや! 直ぐにでもアイツらの仲間になってみせるさ。俺は、ヒーローになる男なんだぜ?」
「だったら。出来るだけ早く見付けた方が良いのよね?」
「ああ、そうだ」
ニヤリとリアルがほくそ笑んでいることも気づかずにアオハルは服の胸元を掴み、強い力でそれを握りしめながら言う。
「俺はこの服に誓ったんだ! いつか本物になってみせるって、今着てる形だけ真似た偽物じゃない、本物のガクラン隊の制服を着てみせるって。あの人と交した約束が今の俺を作っている」
「なら、アタシがいた方が良いよね? だってアタシがいないとあれ、見つけられないもの」
「おう! 頼むぜ……ってあれ?」
いつの間にか、リアルの望んだ通りの方向に話を持って行かれていることに気がつき、アオハルは首を傾げた。
「貴方って、ほんと、単純ー」
ケラケラと笑いながら、リアルはその場で指を鳴らす。するとそれまで微動だにしていなかったパンプキンが動き出し、扉を開けた。
その中に入り込みながら、リアルはもう一度アオハルを見つめ、勝ち誇った笑みを残して中へと入っていく。
「アイツに単純って言われると余計腹立つな」
リアル自身が非常に単純で、分かり易い性格をしているだけに、彼女に言われると余計に苛立つ。
その苛立ちを押さえながら、アオハルは自転車に跨り、ハンドルを握りしめる。
「ほらー、早く行くわよ。今日中に次の街に着かないと。昨日もお風呂に入って無いから嫌になるわ」
中に居ながらパンプキンの外壁の一部だけを透明にしてアオハルを見上げ、外に着けられたスピーカーから声を掛けてくるリアルに、彼はハイハイと適当に頷きながらペダルに脚をかけた。
「よし、出発!」
リアルの掛け声と共に走り出すパンプキン。アオハルのことを考えているのだろう、速度は時速六十キロ程で、彼の脚力ならば難なくついて行ける程度のスピードだった。
「自信が無いか……そう言うんじゃ、無いんだけどな」
リアルに言われた言葉を思い返し、ポツリと呟く。
自信がないと言う訳ではない。だがそれでも、今の自分はガクラン隊に相応しくは無いだろう。
一瞬そんな風に考えてしまった自分の考えを吹き飛ばし、彼は自転車のペダルを踏み車体を加速させた。