脱出
時間は少し逆戻る。
遺跡が現れるほんの少し前。
アオハルは充実感を覚えていた。やっとガクラン隊に入ることが出来るのだと言う充実感だ。正直に言って彼には自信はあった。
あの日からずっと鍛え続けた身体によって、あの時見たガクラン隊員と同じ武器を用いて遺跡を破壊することが出来るようになっていた。
リアルと共に旅をして、幾つかの遺跡を破壊して来たことも、彼の自信に繋がっていた。
コアの位置が分からないと言うのは一つの懸念材料であったものの、それとて今はまだ出来ないだけ、何かコツがあるに違いないと自分に言い聞かせていた。
この時彼は失念していたと言うより他に無い。
今まで彼が破壊して来た遺跡は全て、外に現れた後のものを破壊して来たと言うその事実を。
遺跡の恐怖とは現れてからでは無く、現れるまでいつどこから来るか分からないが故の恐怖、地面を突き破り現れることで上にある物を破壊する。その現れるまで過程こそが遺跡の恐ろしさであると言うことを。
アオハルは思い出していなかった。
彼がそれを思い出した時。
つまりは地響きが鳴り、地面が揺れ出し、偶然立っていた窓から見える広場に、ヒビ割れが走っていく様を見た時。アオハルの身体は一切の動きを止めた。
「アオハルくん!」
時間の感覚すらなくなり、ただ機械の様に窓の外を見続けるだけのアオハルに掛けられる、叫ぶような鋭い声は撫子のものだ。切羽詰まった声をしていた。
その声すら、アオハルの耳には音として届いても声としては届かない。
続いて掛かるリアルの声、それでもアオハルの身体は動かない。
自分が立っているのか、座っているのかすら分からないような、現実と夢の狭間にいる様な曖昧な状況に陥る。
地面が揺れているからだけではなく、視界の端に映る手が、大きく震えていた。
なんだ。なんなんだ。これは。
自分が今置かれている状況を、それでも彼は認識出来ない。
「アオハルくんを連れて行って! 今の彼は使い物になりません。過去の恐怖がフラッシュバックしている!」
また声が聞えて、次の瞬間、自分の胸を押され、そのまま身体が斜めになって行くのを感じた。
その感触でやっと彼は少しだけ今の状況を思い出した。自分が今遺跡の前に立っているという事実を。
恐怖? 何を言っている。俺は遺跡を恐れてなんか。そうやって否定しようとするが、未だに声は出ない。
「あ、アオハル!?」
戸惑いを含んだリアルの声に反応するかの様にアオハルは、倒れかけた所で足を開き、どうにかバランスを取ってその場に留まった。
(待ってろ、リアル。俺が今すぐ、あの遺跡を壊して、ガクラン隊としてお前との約束を絶対、絶対守ってやる)
アオハルはそう告げた。
告げたはずだった。
けれど現実には、彼の思いは言葉に乗ることは無く、アオハルの視界はそこで止まったままだ。
動かない、動けない、身体が言うことを聞かない。
寒気にも似た感覚が背筋を立ち上り、そのまま身体に留まれ続ける。まるで周りの空気がアオハルの形に固まってしまったかのように身体を動かそうとしても全く動かないのだ。
しかしアオハルの身体は動かなくとも、周囲は動き続けている。
揺れ続け、床が斜めになり、壁にはヒビが入る。建物中に伝わる衝撃は、やがて行き場を失って彼の頭上に集まっていることさえ、アオハルには確認出来なかった。
カタカタカタカタカタカタ。
突然聞え始めた音。地鳴りでは無い、もっと硬く、もっと鋭く、もっと小刻みな音。
その音はヒビ割れて行く壁よりも、地震の地鳴りよりも近いアオハルの直ぐ側から鳴っていた。
歯だ。
上下の歯が震えと共に音を立てているのだ。何故?
その理由に、アオハルは唐突に気がついた。
彼の肩を押した小さくも強い力を持った手によって、彼は気づいてしまった。
止まっていた視界が急に動き、それと共に真横に飛ばされて行く身体。たたらを踏みつつ、肩が奥の壁にぶつかって止まったと同時に、身体の拘束が解かれ、彼は震えたまま自分を押したものの正体を見ようと横を見た。
彼の瞳が捉えたのは微笑み。こちらを見つめたまま口元だけで笑っている少女の顔。
その顔は一瞬で視界から消えた。上から降り落ちてきた瓦礫と、その瓦礫と共に舞い落ちたホコリと粉塵によって。
「撫子ッ!」
心に思った言葉がやっと口から出せた。
こんなに簡単なことすら出来なくなっていたのだ。そう実感すると共に、訪れたのは完全なる絶望だった。
落ちた瓦礫が派手な音をかき鳴らし舞い上がった粉塵が、煙となってアオハルの視界を遮る。その中に、撫子の姿は消えた。
消えてしまった。自分を助けて。
自分のせいで。その事実がアオハルの身体にのし掛かる。脚から砕けそうになるアオハルをそれでも支えたのは、もう一人の少女。
「アオハル! しっかりしろ! 今、貴方が呆けてどうするのよ!」
「リ……アル?」
パンっ――
彼女の名を呼ぶと同じくして乾いた音が鳴り、それと同時に熱を帯びる頬。
目の前ではリアルが唇を固く結んで真っ直ぐアオハルを見ていた。
強い意志を持ち、決して緩まぬ唇。緩めればそのまま決壊してしまいそうな、危うい綱渡りに似た緊張感を感じた。
何かを必死に押さえ込んでいるかのような。そんな顔だった。
「あの電波女を回収して、早くここから逃げるの。それが出来るのは今、貴方だけなんだよ!」
「俺……しか」
出来ない。と口の中で呟く。
そうだ。リアルでは撫子を助けることも、ここから運び出すことも出来ない。それが出来るのは。
「回収とは。まるで私が。死んでいる、みたいな。口ぶりをして、下さいますね」
途切れ途切れの声が聞え、アオハルはリアルと見つめ合っていた顔を同時に動かして、やや煙が晴れて瓦礫が見え始めたその空間に目を凝らした。
両手で頭を覆い隠すと言う格好で彼女は地面に倒れ伏せていた。口元に先ほどとは違う、嘲笑めいた笑みを浮かべながら。
腕では完全に押さえきれず瓦礫で頭のどこかを切ったのだろう。額から一本走った、赤い筋が頬まで流れていた。
「ふん。生きてたの。そのまま消えて無くなれば良かったのに」
生存が確認された撫子にリアルは相変わらずの憎まれ口を叩いた。
「素直に喜べないの、ですか。この妄想、お嬢ちゃんは」
所々言い辛らそうではあるが、彼女と同じように憎まれ口を返す撫子。
「それよりアオハル、くん。早くこの瓦礫、退けてはくれませんか? 足がちょっと、挟まれていて」
リアルからアオハルへと顔を向ける撫子、その顔は笑っていたが、苦しさに頬が引きつり、無理矢理笑っている様だ。
「あ、ああ」
うっすらと浮かんだ涙を袖で拭い、アオハルは撫子の元に近寄ると彼女の身体に積もった瓦礫を次々に退かして行く。退かす度に砂煙が上がるが気にせずに。
これほどの量の瓦礫が身体に降りかかっても撫子が無事だったのは、ガクランの防護能力の高さと彼女が純血種であり、一般人より身体の耐久性が高いと言うのが大きな要因だろう。
殆ど全ての瓦礫を退かし終えた後、薄い砂煙の中でアオハルが見た物は、他の瓦礫よりも大きな一抱え程もある瓦礫によって押し潰されている撫子の足だった。
膝より下、ふくらはぎの真ん中当たりから下は瓦礫に隠れて見えず、その瓦礫には赤いぬめりを帯びた液体が付着してた。その液体は床に到達し、じわりじわりと未だゆっくりと広がり続けている。
大量の血。少し切った程度のものではなく、瓦礫が血管を潰しているのは明白だった。
思わず息を呑む、後ろでも同様に息を呑んでいる気配があったが、それに目を向けている余裕は無かった。
即座に動き出し、上に乗った瓦礫の下部。血が付いている部分に手を掛ける。ピチャっと手に温かな液体が触れた。
「く、ぁっ」
瓦礫を掴む手に力を込めると、それにより持ち上げた箇所と反対側の箇所が支点となって彼女の足にのし掛かり、撫子は苦悶の声を上げる。
血で滑る事と、今まで退かしてきた瓦礫よりも大きいことに加え。出来る限り撫子に重さが掛からないように気を遣いながら慎重に力を入れようとした結果、瓦礫は簡単には退かすことが出来ず、腕に無駄な力が籠もり、ガクランの内側で血管が脈動する気配すら感じられた。
「アオハル!」
早くしろ。と口外に聞えるリアルの叱咤激励を背に。
「い、いいから。思いっきり、退かして、大丈夫です、から」
苦しみを押さえ込むように無理矢理笑顔を作って言う撫子の声を受けて。
「ああ、任せとけ」
どちらに対しても同じ言葉で返事をし、彼は瓦礫を握りつぶすように指に力を込める。爪が割れ、同時に砕けた欠片が割れた爪の中へと食い込んで行く。
激痛と呼ぶに相応しい痛みに。だがアオハルは笑みを浮かべていた。
「これで、滑らない……よな!」
それぞれの指の形に穴を開けそれに指を引っ掛けたまま、持ち上げる。
滑らないようにと手のひらに妙な形で力を込めていた時とは異なり、これなら滑る危険性が無い。
だから純粋に持ち上げることが出来る。
「リアル! 彼女を!」
「電波女を彼女なんて二人称で呼ぶな!」
僅かに持ち上がる一抱えもある瓦礫。持ち上げた瓦礫を放り投げなかったのは既に上から落ちてきた瓦礫によって、彼方此方にヒビが入りボロボロになった床に、これだけの重量の瓦礫を投げれば、瞬時に床が崩壊してしまうからだ。
だからアオハルは最後の一手をリアルに託した。
彼女を引っ張り出してくれ。
そんな風に最後まで言わなくても、アオハルとリアルならば、意志の疎通など容易いことだった。
小柄なリアルでも、背は高くとも華奢な体つきの撫子の身体を引っ張り出すことぐらいは出来る。
床に散らばった瓦礫の欠片を顔で集めながら引きずられ、撫子は瓦礫から危険地帯から、解放された。
「よし。っと」
瓦礫をゆっくりと置く。ドシンと揺れはしたものの瓦礫が床を割ることはなく、ヒビが入り床から剥離した床材が振動で微かに揺れただけで済んだ。
「撫子。立てるか?」
聞き方は問いかけだが、実際それが無理なことぐらい未だ血が滲み、皮が裂けて奥の筋肉がむき出しになった彼女の足を見れば一目瞭然だ。
アオハルは問いかけと同時に、撫子の腕を自分の肩に掛けさせるようにしながら、彼女を起こそうとしていた。
「助かりました。ありがとう」
「それはこっちの――」
「ん?」
「いや、今は早くここを出ることを考えよう」
「そうね。この建物、いつ壊れても……あれ?」
いつの間にか腕組みをし少々不満げな声で言うリアルだが、途中で何かに気がついたように声を変えた。
「あ?」
「……地震が、止まっていますね」
腕を抱えられ、どうにか立ち上がった撫子がポツリと呟いた。
僅かに揺れの残滓が残ってはいたがそれでもかなり小さなもので地震と呼べるレベルではなく、それすらももう消えかけていた。
身体が動くようになってから初めて、アオハルは顔を持ち上げて窓を見た。正確には窓の向こう側にあるものを見た。
悠然とその巨大な身体を見せつけるように存在するモノ。高く伸び太陽の光さえ覆い隠しアオハル達を見下ろす巨影。
濡れた壁とまとわりつく海草が、それの不気味さを増している。
「遺跡」
震え掛ける足、直ぐにアオハルはそれから顔を背けた。これ以上見ていたら、また身体が動かなくなるような気がしたからだ。
だからアオハルは無言で部屋の出口に向って歩き出す。
「待って」
「……」
撫子の制止にアオハルは応えない。
「妄想お嬢ちゃん。それを持ってきて下さい」
立ち止まらないアオハルに焦れるように唸ってから、撫子は床に落ちた彼女の武器、七草を指さした。
「~~ッ。アタシの運賃は高いからね!」
現状で言い合いをするのは得策ではないと判断したのだろう、リアルは大人しく撫子の言葉に従い、床に転がったままの七草を持ち上げた。
「重ッ。何これ。馬鹿みたいに重い」
「落とさないで下さいね。あれを壊すのに、それは必要なモノですから」
「今度から電波怪力女って呼んでやるわ」
「……」