憎悪と恐怖の違い
覚醒したアオハルの目の前にいたのは、腕組みをしながら、虫けらでも見るような目付きでこちらを見下ろすリアルと、その隣で微笑を浮かべながら、アオハルが起きたことに気がついて、顔をやや赤く染めた撫子の姿だった。
「まず一つ。あれは事故だ」
「どの口が言うか!」
「どう見ても事故じゃないか。こうなることが目に見えてて、わざわざお前の前でドア開ける奴がいるか」
「いえいえ。分かりませんよ。そう言う趣味なのかも」
「被虐趣味? 気持ち悪い。じゃあ殴ったのは逆効果だったのね」
「勝手に話進めないでくれる!? どっちかって言うと俺は虐める方が」
「加虐趣味ですか。えぐいですね」
「どっちでも駄目じゃん!?」
「普通はどっちの趣味もないでしょうに」
クスクスと笑いながら撫子は言い、その後、表情を引き締めてから改めてアオハルを見た。
もう顔に赤さはない。
真剣な表情だった。
「それで、わざわざ私が時間を取ってあげようとした心遣いを無視してまで入ってきた理由はなんでしょうか? もしかして」
「何よ?」
チラリとリアルに目を向ける撫子に、リアルは腕組みをしたまま憮然として答えた。
その目には彼女に対する敵意が満ちていた。
「貴女がその理由でしょうか」
「はあ!? 何の話よ、アタシにも分かるように言いなさいよ」
「あ、そいつ話の主語抜いて話すのが癖みたい」
「なんて迷惑な癖」
「……変な癖が付けられているみたいで気に入りませんけど、まあ良いです。それで、わざわざ私の部屋に入ってきて何か話があるのでしょう? 聞いてあげます。どうぞ」
「あのう。その前に一つ良い?」
「ご自由に」
「これ、解いてくれませんか?」
下手に出てつつそう言ったアオハルは、後ろ手に組まされてチクチクと肌を刺す荒縄で縛られた自分の手をぱたぱたと動かしてアピールする。
「駄目」
「何故お前がそれを言うリアルよ。まさか」
「そう、君を縛ったのは彼女です。ですから私の意志では解いて差し上げられません」
「そしてアタシは絶対に解いてやらない。オイタをしたペットはしっかりとお仕置きをしてやらないとまた繰り返すもの」
「……くそ。何を言っても解いて貰える未来が見えない。もういいよ、このままで」
縄を解かれるのを諦め、どうにか脚だけで立ち上がったアオハルは安っぽいベッドに腰を下ろした撫子の前に立ち、彼女を見下ろした。
「話して貰うぜ」
「言ったでしょう。運命からは逃げられません。何でもどうぞ、運命の人」
「コラ電波! 人の下僕に色目使うな!」
「誰が下僕だ」
「貴方みたいのは、アタシがしっかり管理してやらないと駄目なの!」
「……そうですか。どうぞご随意に。結局最後は私の元に来ます。それが運命と言うものですから」
「……本当にどっちももういいよ。話させてくれ」
「チッ」
「ふふ」
如何にも不服そうに舌打ちをするリアルと、上品に笑ってみせる撫子。対極の反応を見せた二人だったが、取りあえず黙っていると言うことで意見が一致したらしく、二人はただジッとアオハルに視線を注ぎ続けた。
「俺がガクラン隊に入れない理由って言ったけど、それ、どういう意味だ?」
ピクン。視線の端で腕組みをしていたリアルの身体が震えた。
「言い方が悪かったようですね」
そう前置きをしてから、撫子は立ち上がる。
「入隊するだけならば簡単です。私と共に来て本部で生態データを登録し、バッチを貰う。これだけです。ですが、今の君では例え私達の仲間になったところで何も出来ない。何も出来ないまま、それでも遺跡の情報だけ送信され、無駄に特攻して命を落とすだけ。私にはそれが分かります。ですから入れないのではなく入れたくない理由。と言ったでしょう?」
「俺の実力も見ずによく言える。それとも何か? アンタは一目見ただけで相手の強さが分かる目でも持ってんのか?」
「少し違いますが、似たようなものは持っていますよ。ともかく、実力不足と言うのが一つ。そしてもう一つの理由は先ほども言いましたね……」
一度言葉を切った撫子はアオハルの目を見据えて続けた。
「君、遺跡を恨んでないもの」
「っ!」
「私達の仲間は癖が強く妙な方ばかりですが、一つだけ全員に共通していることがあります。遺跡が憎い。憎くて、憎くて、憎くて憎い。憎い上に憎いを重ねてもまだ上に憎いを重ねられる。そうした想いが、要するに私達、ガクラン隊の共通認識なんです。君にそれが有りますか?」
「有るに決ってる! 俺は、俺の家族も妹も、友達も、未来も、全部奪った、あの遺跡が――」
「怖い」
感情のままに言葉を重ねるアオハルの言葉を遮り、その続きを歌い上げるように撫子はピシャリと言い切った。
「っ――クッ」
アオハルの息が止まる。
彼女の言った言葉が心臓、その奥の心にしみ込む。いや、その表現は的確では無い、そんなゆっくりと入ってくるようなイメージでは無い。いきなり内部に大量に詰め込められたような、そんな圧迫感を覚えた。
「その感情は憎いではなく怖い。なんですよ」
「ちょっとアンタ! 黙って聞いてれば、好き勝手言ってくれるじゃない。アタシの下僕がそんなビビりな訳ないでしょ? 証拠でもあんの?」
「私自身の経験が証拠と言えば証拠でしょうね」
「え?」
自分を指しながら言う撫子にリアルはぽかんと口を開け、彼女を見つめ返した。
「君のその感情には私も覚えがあります。私の住んでいた家。箱と言うべきかしら。それが壊れて、家族が死に、私は一度自分の世界、その全てを失いました。生き残った私が先ず覚えた感情は、憎しみ。あの遺跡が私の世界を壊した遺跡が憎い。そう考えて、私は故郷を飛び出したわ。色々あって、色々経って。やっとガクラン隊を見つけて、そのまま入隊して、初めて遺跡を壊しに行った時、私は町を破壊して現れた遺跡を見て、身体が震えたわ。武者震いではなく恐怖によってね。私の世界を壊したあれをもう一度見た恐怖から、私はその場から逃げ出しました。逃げて、逃げて、逃げ出して。落ち着いた頃に気がついた、思い知らされたと言っても良いでしょう。ああ、私の抱いていた感情は、想いは憎しみではなく、恐怖だったのだと」
「……」
「……」
リアルもアオハルも、淡々としたまま告げる撫子の話ただ黙って聞き入っていた。
撫子は更に続ける。
「それを認めたら、今度は別の恐怖が訪れた。私にはもう遺跡を壊す事しか残っていないのに、それを恐怖してしまったら、一体自分に何が残るのかとそう思ったの。その後の一年は地獄だったわ。目的も無くただ世界を放浪するだけの日々。ですがそんなある日、私はある占い師に占って貰い向った町で、ある方と出会い、その結果今の私になったのですが、それは割愛させて頂きます。あれもまた、私の運命だったと言うことですね」
「貴女の電波はその占いから始まったのね」
「……つまり私が言いたいことは、君はまだ私で言うところの第一段階。恐怖を憎しみだと錯覚している段階にいると言うこと。そんな状態の君がガクラン隊に入っても何も出来ないでしょう」
ビシッと効果音のつきそうなほど華麗に、そして突き出された指は微動だにせずにアオハルに向けられた。
沈黙を保ったまま何も言わないアオハルを少し見つめた後、リアルは二人の間に割って入るように移動し、腕組みをしたまま強く撫子を睨み付けて、啖呵を切った。
「勝手なこと言わないでよ! アタシのアオハルはそんな情けない男じゃないわ!」
「……リアル」
「貴方もなにか言ってやんなさいよ。この女、貴方の今までを、ここに来るまでの貴方をアタシと一緒にいた貴方のことまで否定したのよ! ふざけんな! コイツのことはアタシが一番知ってる。コイツはそんなに情けない奴じゃない!」
「……」
リアルの啖呵を聞き終えて尚、撫子は何も言わない。ただ黙って氷のように冷たい目を向けるだけだ。
「リアル、いい」
「でも……」
尚も続けようとするリアルに対し、アオハルは自分の手を拘束している縄を力任せに引き千切ると、自分と撫子の間に入ったリアルの前に出て、撫子と向き合うと自由になった手を彼女がした物と同じように人差し指を伸ばして撫子に向け、
「運命を信じる様な奴に言葉で何を言っても無駄だ。むしろ今ので俺のやる気に火が付いたぜ。見てろ、絶対アンタに認めさせてやる」
と力強く宣言した。
「……一つ訂正しておきましょう。私は別に言葉が響かない訳ではありません。むしろ、今の君の様な強い意志を持った言葉には、無条件に心を揺らされます。ふふ、流石は私の運命の人ですね」
「ちょっと! アタシはそれ絶対認めないからね!」
吠えるリアルを無視して、一度目を伏せた撫子は、やがて片方だけ目を開き、その瞳でアオハルを捉えて告げる。
「テストをしましょう。アオハルくん、君にはしばらくの間、私と行動を共にして頂きます。そして私が次に遺跡を見つけた時、君が臆することなくそれを破壊出来たのならば君の勝ち。ガクラン隊の本部にお連れしましょう。ですが恐怖に駆られ逃げ出したら私の勝ち、そのままそちらのお嬢さんと生きるなり、修業して力を付けてからもう一度挑戦するなりご自由に……それで如何でしょうか」
「――面白い、乗ったぜその勝負。リアル、悪いけど俺に付き合って……」
振り返りながら言葉を続けようとした、アオハルはそのまま声を失う。
アオハルの後ろにいたはずのリアルがいつの間にか、壁際に移動していた。
彼女は傍目から見ても計る程、荒い息を繰り返しながら、壁に手を着けている。
その手は小刻みに震え、横顔には汗も滲んでいた。
「おい! リアル?」
「……必要が無くなった、みたい」
荒い息を繰り返しながら言うリアル。その言葉でアオハルは気がついた。
「まさか!?」
そう、まさか。
こんなにも都合良く、彼女の特技が現れるものか。とアオハルは絶句した。
「ここに、来る」
「来る?」
状況を掴めていない撫子が、首を傾げている。
それを無視したまま、リアルは続けた。いや、無視したと言うのではなく今から自分が口にする言葉が既に答えだったからかも知れない。
「この町に、遺跡が、上がってくる、わ」
とぎれとぎれに呼吸を繰り返しながら、彼女は何とかそれだけ言うと、そっと目を伏せ、そのまま眠りについた。気を失ったと言った方が正確かも知れない。
糸の切れた人形の様に床に向って倒れかけるリアルを、即座に壁際まで移動したアオハルがすんでの所で抱き留め、そのままベッドの上に運んだ。
彼女のためにベッドを空けた撫子は、額に汗を浮かべながら眠る少女を見て呟いた。
「これは」
「レーダー」
「え?」
「リアルはそう呼んでいる。コイツは」
ベッドの上に優しく寝かせてから、アオハルは立ち上がる。
握った拳に強い力を込められていた。
「遺跡が浮かび上がって来るその動きを読めるんだ」
震える拳はきっと武者震い、そうに決ってる。自分に言い聞かせるようにアオハルは心の中で呟いた。