この出逢いは今運命へと変わる
「それにしてもあの胸くそ悪い行列と違って、こっちはあっさりと入れるのね」
指定された乗り物置き場に、パンプキンと自転車を止めたアオハル達は現在、町の中を散策していた。
「ん? ああ、あのオッサンの話だと、外に並んでいる連中がこの町にとっての生命線らしいからな。重要なんだろ。物がなけりゃ売り物は作れない。売り物があっても買い手がいなきゃガラクタだ。だから検査やら何やらに時間食うんだろうさ」
キョロキョロと辺り見回していたアオハルだったが、リアルに声を掛けられて思い出したように、彼女の疑問に答える。
けれど、リアルの表情は晴れることなく、むしろ不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「あの女を捜してるの?」
自分を見ずに視線を右往左往しているアオハルのことが気に入らないのだろう。リアルの目に険呑さが宿る。
「まあ、それも否定しないけど」
あっさりとそれを認めた上で、アオハルはもう一度、周囲を見渡した。
「ここにある物、結構面白い物ばっかりだと思わないか?」
そう言いながら、右へ左へ視線を移す。その目は子供のように無邪気に輝いていた。
「そう? 何か、この町臭い」
「ばっさり行くね、お前も」
「畑を耕してばっかりの土臭さも嫌いだけど、油と金属の錆臭いのも嫌いよ」
「そう言うなよ。ここまで雑多な町を、俺はまだ見たことがないんだ。好奇心は旅人には必須なピースだろ」
楽しそうに言うアオハルに、リアルは鼻を鳴らし、そのまま取り出したハンカチで口と鼻を押さえて露骨に顔をしかめて見せた。
二人が歩いているのは、入り口から真っ直ぐに伸びる一本道、その左右には様々な店が建ち並び、店と店の間には道があり、奥には更に店が並んでいる。
殆どの店には入口が無く、建物の一面全てが入り口となり、そこに商品を並べているため、外からでも何を売っているのか見られるようになっていた。
「おお。機械油か、いいな。メンテナンス用の油がそろそろ切れかけていたんだ。買っておこう」
「後にしなさいよ。先ずは私達の泊まる宿を探すわよ。いい加減お風呂に入らないと苛ついて仕方ないわ」
ふと目に着いた、黒ずんだ油で汚れた小瓶に手を伸ばしかけたアオハルだったが、その手が瓶に触れる前に、ダン。と威嚇するように音を立てて地面を踏んだリアルによって止められる。
「随分沸点が低いと思ったら、そう言うことか」
「このアタシが何日もお風呂に入れないなんて、今のアタシの怒りは想像を絶するわ」
「誰の想像を絶してんだよ」
「アタシ自身のに決まってるでしょ! いいから早く行くわよ! そんなもん持ち歩いて匂いが染みついたら大変じゃない!」
一方的に宣言すると、リアルは空いている手で、無理矢理アオハルの手を引いて歩き出す。
やれやれ。と思わないでもなかったが、男のアオハルとは違い、女であるリアルにとって、数日とは言えお風呂に入れないのは、かなりのストレスなのだろう。
思えば撫子と会った時から既に妙に怒りやすかった。先ほどの乗り物に乗った中年男に対する辛辣な言葉も、それが原因かも知れない。
こうなっては仕方が無い。
彼女の望み通り先ずは宿を探すことにした。
宿を探しながら見て回ったが、思った以上に雑多な町だ。人通りも多く、その上服装やら雰囲気もちぐはぐで、色々な町や村から人が集まっているようだ。
あまり人と交流の無い町や村であれば、余所者は直ぐに分かる。それは服装であったり、顔つきや肌の色であったり、或いはそうした余所者に向けられる住民の視線であったりするのだが、この町ではそれが無い。
つまり、アオハルはこの町を見てこう考えた。
この町で人捜しをするのは大変そうだ。
ならばやはり先に宿を見つけた方が良い。そこを拠点にして撫子を捜した方が、見つかる可能性は高いだろう。
それほど時間に余裕がある訳でもないのだから、可能性は少しでも上げておくべきだ。
そう、彼女がいつまでもこの町にいる保証など、どこにもない。
露天の前に立っていた店主に、この町に風呂付きの宿があるかを尋ね、教わった場所に向って歩きながら、アオハルは徐々に諦めの気持ちが浮かんできている自分を見つけた。
そうだ。その可能性もある。
彼女はこの町に向った。それは確かなのだろう。だがそれは昨日の話だ、撫子と出会ったあの場所から真っ直ぐここを目指したのならば、恐らく昨日のうちにこの町に着いたはずだ。
その後、町に泊まった保証はどこにもない。
買い物だけしてさっさと町を出て行った可能性もある。
もしくは一泊したとしても、早朝にはもう出て行ったかも知れない。
むしろそちらの方がよっぽど現実的に思えてきた。
「ちょっと! 足が速いわよアオハル!」
いつの間にか彼女より前を歩いていたアオハルの背に文句が飛んでくる。
そんな彼女をアオハルはチラリと振り返った。
またニアミスか。
既にそう決めつけている自分がさっきより大きくなっていた。
リアルには告げたことが無いが、実はこうした一足違いでガクラン隊と出会えなかったと言う経験がアオハルには何度かあった。
今回のように実際にガクラン隊が活動した現場を、直接見るようなことは初めてで、気付かなかったとは言えガクラン隊の人間に出会ったのも初めてだったから妙に期待していたが、昨日まではいた。つい先ほど出て行った。入れ違いだ。そんな話ならばもう何度も聞いたことがある。
撫子の台詞ではないが、もしかしたら自分はそう言う運命なのでは無いか。
けっしてガクラン隊に入ることが出来ない運命。
そしてそれを受け入れ始めている自分と、諦めきれない自分。その真ん中に立っているのが今のアオハルだ。
だからここで撫子を見つけられないくても、多分、アオハルはさほど気落ちしないだろう。またか、と思って今立っている真ん中から、入ることの出来ないと言う運命の側に少し移動するだけだ。
だからこそ。
露店の店主に教わった宿を見付け、一番良い部屋と一番安い部屋の二部屋を借り、渡された鍵の示す部屋、アオハルが二階の三号室、リアルが三階の一号室。
それぞれの部屋に荷物を置いてから、また一階に集まろうと約束をして、リアルと別れたアオハルが、指定された部屋のプレートが貼られたドアの鍵穴に、預かった鍵を差し込んだその時。
突然、何の前触れもなく、隣の部屋のドアが開き、部屋の中から黒髪の少女が顔を出して、アオハルのことを見たその瞬間、アオハルは完全に固まった。
「あら。奇遇ですねアオハルくん……いえ、そうではありませんね」
長い髪を耳に掛けながら目を細めて、彼女。撫子・オオワは両目の下に付いた泣き黒子を下げる笑顔を浮かべて、大仰に告げた。
「これは運命。ならば、改めて挨拶が必要ですね――初めまして、運命の人」
「やっぱり、電波出してるんじゃないか、その黒髪は」
そんな軽口を叩きながらも、アオハルの頭は未だ混乱の中にいた。
「いえいえ。これは運命の導きです、間違いありません。なぜなら、私は朝にはこの町を離れようと思っていたのですから」
「ほう。だったら何で未だここに?」
適当な話に付き合いこちらから話を振る。頭が冷静になれるだけの時間が欲しかった。
そんなアオハルに、撫子はフフフ、なんて不気味で、それでいて上品にも思える不思議な笑い方をして、首を僅かに傾げた。
「出て行こうと自転車に跨った時、君に勧められたあの卑猥な使い方をするパンク修理のポンプを思い出して買いに戻ったのです。買い終わり再び自転車に跨ったら今度は食料を買い忘れたことに気がつきました。食料を買って、また何かを思い出したら困ると思ったので、少しの間、そう。確か二時間ばかり忘れ物はないかを考えていたら、辺りが暗くなりはじめていたのでもう一泊することにしたの。ほら、運命の匂いがして来ませんか?」
「アンタの運命は随分と間抜けだな」
言いながらアオハルは自分が冷静になったことを自覚する。よし、今なら言える。
そう考えて口を開きかけたアオハルの行動を先読みしたかのように、撫子は更に深く首を傾げて言う。
「おかしいですね。君は多分、私の下手に出てくると思ったのだけれど」
「下手?」
「ええ。君は私達ガクラン隊……瓦礫駆除乱立防止部隊の仲間に入りたいのでは無いのですか?」
そんな長ったらしい正式名称があったのか。
そんなことを考える間もなく、アオハルは絶句した。出鼻をくじかれた、と言うレベルでは無い。走り出そうとした矢先に、脚を掴まれて盛大に転倒したような、そんな気分だった。
「入れて、くれるのか?」
やっとの思いで口に出来た声は僅かに震えていた。
今自分が口にした言葉が信用出来ない。
あれほど待ちかねていた瞬間を迎えて、あれほど待ち望んだ言葉を口にした。それが全然劇的でなく、まるでいつもリアルと交わす軽口のように口から出てしまったのだから、実感が持てなくて当然だ。
「良いんじゃないかしら。別に資格が必要な訳でも、給料を貰える訳でもないですし、入りたければどうぞ。と言った所ですね」
「随分あっさりだな。なんか裏があるんじゃないかって疑っちゃうのは、俺の育ちが悪いせいなのかね」
「うん、どうかしら。私もそう思うから、多分育ちは関係ないと思いますよ?」
「それって相対的に自分が育ちが良いって言ってない?」
呆れたように聞いてやると、撫子は何故か嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そうです。実は私、箱入り娘だったんです。十になるまで一度も家の外に出たことがなかったわ」
「そりゃまた。想像を絶する箱入りだ」
リアルよりも酷い。
そう続けようとするアオハルを遮り、撫子は更に首を曲げ、続きを口にした。
「私の住んでいた家が、遺跡に破壊されるまでは、ですけどね」
「っ!」
彼女の言葉を聞き、瞬時に自らの過去が、頭の中で再生される。
自分の家が、仲間が、妹が、家族が、一度に壊される瞬間を思い出した。
心臓がキュッと縮んで行くような気がし、アオハルは汗の滲んだ手のひらで、自らの胸を掻きむしるように服を握りしめた。
「はいそれです。それでは駄目ですね。君がガクラン隊に入らない方が良い理由その一と言ったところでしょうか」
「やっぱり裏があるんじゃん」
「無いなんて言ってない、じゃん? ……このじゃんと言う語尾、初めて使いましたが、なにかくすぐったい言い方ですね。慣れていないせいかしら」
「知らんよ。良いからちゃんと話してくれ。俺はアンタたちの仲間に入るためにずっと」
「ずっと?」
「努力してきた」
ふん。とつまらなそうに鼻を鳴らし、撫子は片目を瞑った。
瞑った瞼に引き摺られる様に泣き黒子が動く。
「いつまで待たせるのよ! アオハル!」
廊下の奥、この位置からは死角となっている階段を登る足音と共にリアルの声が聞えて来た。
下からと言うことは、一度一階まで降りたが、いつまで経っても来ないアオハルにじれて登って来たと言うことだろう。
「リアル!?」
何故かここで撫子と出会ったことがバレるとマズイと思ってしまい、慌てるアオハルを撫子は少しの間、見つめていたが、やがて彼女は素早く部屋の中に身体を戻すと、早口で告げた。
「また後にしましょう。あの夢見る妄想少女は何か苦手なので」
「おい、ちょっと!」
「逃げませんよ。だって君は運命の人ですもの。運命からは逃げられません」
悪戯っぽく笑い、撫子は部屋に入っていった。
バタンと音を立ててドアが閉まる。
「くそっ」
「どうかしたの?」
階段の死角から現れたリアルの声は未だに不機嫌そうだ。
結局まだ風呂に入れていないのだから当然と言えば当然だ。そんな彼女に対し、いやとアオハルは否定しかけて、そのまま口を閉じる。
ここで何でもない。と言うのは簡単で、撫子が隣の部屋にいる以上、後でそれこそリアルが風呂に入っている間にでも訪ねて、話をすればいいことなのだが、それでも。アオハルは先ほどの彼女が口にした台詞が我慢出来ずに、隣の部屋。撫子が入って行った部屋のドアノブに手を掛けた。
「ちょっと! そこ隣の」
「良いから、見ろ。ここに俺の捜していた、アイツが、撫子がいたんだ」
そう言いながら、アオハルはノックも無しにドアを開けた。
「え?」
「え?」
「ええ!?」
先ずはリアルがそんな馬鹿なとでも言いたげな驚きの声を、次にアオハルが目に飛び込んできたものに対して困惑の声を、最後に撫子がこんな声が出せたのかと言う程の大声で、驚愕の声を、それぞれ同じ音で口にした。
固まっているアオハルの目に飛び込んできたもの。それは女性の裸体だった。
完全なる裸体、何一つ身につけることなく、完全に全てを脱いだ生まれたままの撫子の姿だった。
スラリと伸びた細くけれどしっかりと引き締まった脚も、やや小振りな臀部も、その臀部からカーブを描いて凹むラインを描く腹部も、その上の、こう言ってしまってはなんだが後ろで怪訝な声を出したリアルとは違い、どこからが胸の膨らみなのかハッキリと分からないまま緩やかに盛り上がり、頂点を経て緩やかに下がる胸も、脚と同じように細く締まった腕も、なでらかで骨なんか無いんじゃないかと思う程、綺麗な曲線を描く肩も、そこから続く首も、そして全身を覆う、眩しい程に白く透き通る程透明感のある肌も、その全てを彼女は一挙に晒していた。
その彼女の顔が肌と同じ美しい白色から、血が上り真っ赤に変わって行く様を見ながら、それでもなお、固まり続けたアオハルに追いつき、脇から部屋の中を覗き込んだ後のリアルの行動は早かった。
先ずは目を見開いたままのアオハルの目に、スナップを利かせた手の甲をぶつけ、反射的に目を瞑らせ、痛みと驚きでバランスを失ったアオハルの脚を払って転ばせると、そのまま首に手を掛けて思い切り首を絞め出した。
「な、何してるのよ! 貴方は!?」
「痛っ、目が、首が、息が!」
「いえいえ。まったく驚きましたわ。普通ならそちらのお嬢さんに、いや、なんでもないよ。などと言って一度帰るべきでひょうに。何で開けるのですか。まったく」
咳払いを一回してから、冷静に言おうとする撫子だったが、その声は上ずり、所々音程が狂い、しかも途中で一回噛んでいた。
「ちょっと、外で待っていて下さい。服を着ますから」
そう言う撫子の言葉に反応し、リアルはアオハルの首を絞めていた手を離すことなく、脚でドアを蹴って乱暴に閉めた。
「この責任はちゃんと取って頂き……」
その言葉を最後まで言い切らせること無く派手な音を立ててドアは閉められた。
「いや、いい加減離せ! あれは事故で」
狭まった気道から必死に空気を吸い込もうとひゅーひゅーと喉が鳴り続ける中、何とか告げようとするアオハルだったが、リアルは更に力を込めるだけで。
「取りあえずいっぺん気絶してろ!」
その言葉を聞いた三秒後、アオハルはあっさりと意識を失った。