到着、ゴミの街
朝の音が聞えて、目を覚ます。
昨日食べ物を暖めるために使用された焚き火の跡が、黒い焦げ跡となって僅かな炭を残している。
何となくそれに目を向けたまま、アオハルは頭を掻きつつ身体を起こすと、グッと背筋を伸ばした。
背骨がパキパキと音を立てて鳴った。
新鮮な空気を吸いながら、アオハルは首をグルリと回して、後ろを見る。青い芝生の中でその巨体を晒しながらパンプキンが相変わらずの存在感を示してそこにあった。
リアルはまだ眠っているらしい。
自分の身体に掛かっている布団代わりの薄布を退かし、それを手に持ったまま立ち上がる。
薄布を自転車に括り付けられたバッグに仕舞いながら、アオハルはもう一度パンプキンを見やり、同時に昨日のことを思い返した。
リアルと共に夜遅くまで語り合ったこと。彼女が語った、本音。
それに応えた自分と、その答えを聞いて、自分に顔を近づけて来たリアルのあの潤んだ瞳と、瑞々しい唇。
頭を振り、最後の光景だけを取り除き、アオハルは一度深呼吸をした。
「一緒に旅を続けてやる。か」
自分で言った言葉に、アオハルは笑った。
なんて傲慢な言葉だろう。本当はそんなことを思っていない。むしろ逆だ。
自分が一緒にいさせて貰っている。少なくともアオハルはそう思っている。
リアルがいるから、自分はここまで来れたのだ。そうでなければもう、夢を諦めていたかも知れない。
たった一人で世界中を巡る底なしに明るい少女の姿に、アオハルは救われた。
だからこれからも一緒にいると決めた。彼女が良いと言ってくれる限り、ずっと。
そして今日。彼女に支えて貰って持ち直した夢が、叶うかも知れない。
昇り始めている太陽に目を向けた。アオハルの目に直接飛び込んでくるかのような、黄色い光に思わずアオハルは唇を持ち上げ、両腕を頭の後ろで組んで目を細めながら太陽を見た。
「何してんのよ?」
「いや、今日はいつもより太陽が明るいと思ってな」
パンプキンの入り口が開く音と共に後ろからリアルが声を掛けてくる。アオハルは振り返ることなく、それに応えた。
「何それ。今日が記念すべき日だからそう見えるとか言わないでよね」
もうすっかり、いつものリアルだ。
アオハルは腕を組んだまま、鼻を鳴らして言う。
「いや。そう見えるなんてものじゃない。間違いなく今日の太陽は明るい。この俺の門出を祝福するために太陽の奴が頑張ったに違いない」
「馬鹿言うな。冗談にしてはつまんないし、本気で言ってるなら頭を取り替えなさい」
「相変わらず冷たい」
「暖かくなる意味が無いもの。アタシの言葉に温度を求めるなら、お金を積みなさい」
呆れたような声でリアルが言う。アオハルは肩を竦めることで答えながら、ようやくリアルを振り返った。
パンプキンに身体を預けた恰好で、リアルは冷たい目を向けている。
「気が済んだなら行くわよ。結局昨日もお風呂は入れなかったんだから、今日こそ、絶対にお風呂に入るんだから!」
「了解ー」
パンプキンに戻るリアルを見送ってから、アオハルも自分の自転車に近づいた。
自転車に跨ると、アオハルはハンドルに手を掛け、グリップを強く握りしめた。
「よし」
ペダルに脚を乗せてから、アオハルは前を見据える。今はまだ何も見えないどこまでも続く平原。しかし、この道は自分の未来へと続いている道だ。
ペダルを踏み、自転車を発進させる。
アオハルの力を受けて加速して行く自転車。脚を踏み切るたびに、速度が上がる。今日は妙に力が入った。
身体が軽く脚が良く回る。
「はっ、ハハッ!」
思わず口から漏れる笑いに一体どんな意味があるか、彼自身にも分からなかった。
一度も休憩すること無く自転車を走らせ続け、昼近くになると周りの風景が変わり始めた。
これまでは青々とした平原だった地面が、今は砂を押し固めた地面と、所々に大きな岩が有る荒れた荒野へと変わっていた。
各地に点在する町々が自分の管理する土地の境界線で、地面のあり様を変えるのは良くあることだ。
畜産に力を入れている町の近くでは今まであったような平原にし、家畜の餌として使用する。移動することが多い土地なら、土地を整備して歩きやすくする。
この硬い地面は一体何を意味するのだろうか。先ほどより自転車は格段に走りやすくなっていた。
だからと言って、まさか自転車で走りする易くするためにこのような地面になっている訳ではないだろう。隣を走るパンプキンの揺れも少なくなっているので、どちらかというと乗り物全般を走り易くする為のものかも知れない。
そんなふうに考えながら、アオハルは自転車のペダルを回し、ハンドルを切って大きな岩を避ける。その先で、彼はそれを見つけた。
遠く、まだ小さくてよく見えないが、荒野の奥に何かがある。
色味が灰色で、それが人工物であることだけは分かった。
「リアル!」
「見えてるわよ! 大きな声を出さないで。どうやら、あれは壁みたいね。グルって円状に広がってる。中は見えないけど、真ん中に入り口が一つ。間違いないわ。あれが例のジャンキングタウン」
スピーカーから声が届く。直ぐに応えたところから見て、リアルはずっとパンプキンの遮音性を下げていた様だ。
視力もまた常人よりは良い、アオハルでもハッキリと見えない町の様子を詳しく解説出来たのは、パンプキンに備えられた望遠カメラのおかげだろう。
「壁か。あれだけの壁をつくるってことは、建築技術はかなりのもんだな」
「アタシの家の壁はあれの三倍は高いけどね。まあ、こんな荒野の田舎町にしては上出来じゃない。物資が無くても、教養もない庶民でも、追い詰められれば思わぬ力を発揮するって言う良い例ね」
「庶民関係なくね?」
「富民は基本的に、庶民を自分より下に見ているものよ」
「お前もかよ」
呆れるアオハルに対し、リアルは妙にご機嫌な声で、ノンと発音良く言い、自信満々に告げた。
「アタシは基本、アタシ以外をみんな下に見てるの」
「余計酷いなそれ」
「そこらの富民より、酷いからアタシなのよ」
「意味は分からないが、何となく名言っぽいな。俺も今度自分の決め台詞を考えておこう」
「その時は一番に聞いてあげる……っと、話はここまでね。見えたわ、あれがジャンキングタウン」
リアルはパンプキンの外壁を透明化し、豪華な椅子に身体を預けながら、手を前に出して言い、その後アオハルに視線を向けた。
それに合わせてアオハルもまた、前を向く。
近づけば、尚更壁の大きさが良く分かった。高さは三メートル程で、数メートル間隔でポールを立てて、壁を壊れ難くしている。
全体を囲う壁の中央に大きな扉があり、そこに様々な乗り物が列を成して並んでいるのが見えた。
「なんだあの行列」
「全部輸送系の乗り物みたい。妙に色んなデザインがあるわね」
変なの、と続けるリアルにアオハルは確かに、と言葉にはせず肯定した。
現代において乗り物は生活をする上で重要で、かつ貴重な代物だ。町々でコミュニティが完結しているせいか、旅をしていると様々なデザインや、機能を持った乗り物を見る機械があるが、大抵は一つの町ごとにデザインはほぼ同じ、差違があっても色違いや、僅かに形に違いがある程度だ。
だが今二人が見ている乗り物は全て、後ろにコンテナを繋いだ輸送系の乗り物ばかりで、デザインもバラバラだった。
様々な町から乗り物を集めて来たかのようだ。
そんなことを考えている内に、二人は行列の一番後ろに着いた。
ずっと見ていたが、一台進むまでに結構な時間が掛かっている。
「おいおい。ここまで来て、足止めかよ」
「アオハル。ちょっと先頭に行ってアタシ達を先に通すように言ってきなさいよ」
「出来るか!」
「何とかしなさい。アタシ、待つの大っ嫌いなの」
「俺だって嫌いだ。そこでリアル、相談なんだが、お前が一番前の奴に大金やるから、先に入れろって言えば……」
「却下。なんでアタシの金を庶民にやんなきゃならないのよ。そもそもアタシが下手に出るなんて有り得ない。退けって命令してくればいいのよ。文句言うようなら、のしちゃいなさい」
「だから無茶言うな!」
「おい。アンちゃん達」
そんな言い合いをしていると、突然後ろから声が掛かった。
二人は一度言い合いを止め、アオハルは首を、リアルは目だけを後ろに向けた。もっともリアルの場合、パンプキンの中から覗いてる形なので、相手の方からその動きは見えないだろう。
後ろにいたのは、輸送系の乗り物に乗った中年男だった。
無精髭を蓄えたガタイのいい男で、何故か裸にタオルを首からかけている。
女がその格好をすればきっと世情的なだけに勿体ないな。
そんなことを考えながら、アオハルは眉を持ち上げた。
「なんだよ。俺達は今どうやって一刻も早く中に入るか話をしてるんだ。その邪魔になる話なら遠慮してくれ」
とアオハル。
リアルの方は完全に沈黙を守っている。話すのが面倒なのか、或いはこの中年男が生理的に受け付けないかどちらかだろう。
男は露骨に顔を歪めながら、ガシガシと頭を掻いた。
キューティクルの欠片も見えないぼさぼさの乾ききった髪をしている。
「そんな方法があったらこっちが聞きたいぜ。良いからさっさと進め。ほら、もう前が空いてんだよ」
吐き捨てるように言う男に、アオハルは顔を元の位置に戻す。確かに一台分の空間が空いていた。
いつの間にか前で一台入車したらしい。
「あー悪い悪い。今行くよ。ほら、行くぞリアル」
「あんな男に指図されるというのが気に入らない。が、仕方ない。進んでやるわ」
「一々偉そうだよなお前って」
「この世の誰よりアタシは偉いのよ。知ってるでしょ?」
「初めて知ったぜ」
「……おめぇら、なんか妙だな。本当にここに用があってきたのか?」
前に進みながら、軽口の応酬をしていた二人に、後ろの男が再び声を掛ける。
「なんだよそれ。俺達のどこが妙だって言うんだ? このカボチャか? だったら勘弁しろよ。アイツの悪趣味だ」
「貴方に言われたくないっての。自転車馬鹿」
「そこだ。おめぇら、どうにも荷物を持っているようにも、荷物を持ち帰るようにも見えねぇからよ」
「荷物はこの通り持ってるけど、そう言う意味じゃないって事?」
「あたりめぇだろ。だからジャンキングタウンなんじゃねえか。そんなちっぽけな物持ってきてどうする気だよ」
フンと鼻を鳴らし、偉そうな態度で言う中年男に、若干の苛立ちを覚えたアオハルだったが、このままでは話が進みそうに無いので自分が折れてやることにして、下手に出てやろうとしたのだが、その前に。
「そこの中年の筋肉達磨。お前が勿体付けても、その臭い息が撒き散らされるだけなんだから、この星のことを考えて、なるべく簡単に簡潔に理由を言いなさい」
「ブッ!」
スピーカーから響く声に、アオハルは思わず吹き出した。
「何だと!」
当然のように激昂する男。
「はい。怒らない怒らない。コイツは生まれつき口が悪くなるように育てられた口悪マスターなんだ。怒っても無駄無駄。改心はしないし、この乗り物は外部からの衝撃にめっぽう強い。アンタがその乗り物で体当たりしたって壊れやしないよ」
「チッ。やっぱりおめぇらはここに並ぶ意味ねぇよ。ここはゴミに売りに来た連中か、買いに来た連中の入り口なんだからよ」
思ったよりも男は冷静だった。憮然としていたものの、一応きちんと話始めた。
「売るならともかく、わざわざゴミを買うのか?」
「ここはそう言う町なんだよ。ゴミを買って、それを修理して売る。そうやって生活してる町だ。小さい買い物なら、北に周りな。一般用の入り口がそっちにあるぜ」
あっちだ。と男は今並んでいる場所から見て右側、その奥を指さした。
円状になっているためここからでは視認出来なかったが、そちらに入り口があると言うことらしい。
「そう言えばあの村の連中がそんなこと言ってたな。納得」
「納得したんなら、さっさと退いてくれ。また前が空いてんだよ」
「お、悪い悪い。助かったぜ。オッサン」
軽い口調でアオハルが礼を口にすると、男は舌打ちをしたものの、満更でもないように顎を引いた。
そんなやり取りを余所に、先ほど盛大に毒を吐いたリアルはと言うと、礼の言葉も、毒を吐くことすらなくパンプキンを発進させ、列を抜け出すと教わった一般用の入り口がある右側に向かってノロノロと走り出した。
「礼儀の知らねえガキだな。クソ」
「富民だからねアイツ。ま、とにかく助かった」
もう一度礼を言うと、今度は男は何も応えずにフンと鼻から息を抜いてみせるだけだった。
それを見届けてから、アオハルは自転車のペダルを回し、先を行ったリアルを追い掛けた。
「何よ?」
「いやいや、別に」
隣に並んだアオハルをジロリと睨み付けるリアルの怒りを軽くいなし、二人は改めて、ジャンキングタウンの入り口を目指した。