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「追いかけなくっちゃ。ねえ、追いかけよう?」

 マミに強く肩を揺さぶられて、はっとヴィクトアは正気に返った。だが負い目もあり、彼女の提案に素直に乗れない。

「仕事中ですので」

「何言ってるの、そんな場合じゃないでしょ?」

 立ち上がってホールに戻ろうとするヴィクトアの服を、マミが引っ張って止める。

「ねえ、彼、王子様なんだよね? あたし、グリッツェンのことそんなに知ってるわけじゃないけど、あなたはエリアスくんの従者なんでしょ?」

 誰かがツイッターなるツールで彼らのことを呟いたのだと、マミは言う。彼女が見せてくれたそのツイート内容は、どうにもビジネスホテルでの出来事のようだ。呟いた本人は彼らがしゃべったグリッツェン語を理解しておらずカタカナで聞こえた言葉だけを連ねているのに、お節介な誰かがその意味を教えたため、「王子」「従者」なる属性がついてしまったようだ。そしてそれは正解だったのだが。

「王子様の従者なら、守らなきゃ駄目なんじゃないの? それに、あなたたち恋人同士じゃない。手を放したりしたら駄目よ」

「でも僕は」

「あなたの仕事は何? ファミレスで注文とること? 違うでしょ」

 もちろん、否である。彼のすべきことは、エリアスを王位に据えること。そのために王子としてふさわしい人格になってもらうこと。すべきことをしてもらうことだ。

 分かってはいるのだが、これまで一度も見たことがなかった悲しげなエリアスの顔が、焼き付いて離れない。それはヴィクトアの足をすくませた。まだ憤ってくれた方がマシだった。彼のためとはいえ、王子の信頼を裏切ったのだ。これから何を言おうと何をしようと、信じてもらえないだろう。それがどれほど絶望的なことか、マミには分かるまい。

 もう傍にはいられない。その資格がない。

 この世に、信用ほど失いやすく貴いものはないのだ。

「ねえ、あなたたちが何を言い合ってたのか、あたしには分からない。でも、あなたに非があるなら謝った方がいいわ」

「それで許してもらえなくても?」

「大丈夫、信用はまた築けるわ。そのための一歩なんだから」

 文字通り背中を押されたヴィクトアは、エプロンをその場に脱ぎ捨てた。バーテン服に似た制服を着たままだったが、着替えている時間が惜しい。

「店長、ヴィクトアとエリアス、抜けます」

「えっ」

「必ず戻りますので」

「ちょっとそういうの困るよ、戻ってー!」

 新たに入ってきた客に応対していた店長の半泣きの声が追いすがるのを無視して、ヴィクトアはマミと共に店を出た。スタッフ用の裏口へ回る時間も惜しんだためだ。

「どこ行ったか分かるの?」

「いえ。でも土地勘もないし無一文なので……って、あなたはついてこなくていいです」

「何言ってるの、あたしも探すわよ」

 振り切られることを恐れてか、ヴィクトアの正面に回り込んだマミが、彼の服の裾をつまみながらすまなそうに俯いた。

「だって、エリアスくんがおかしくなったの、あたしがネットでグリッツェン王国のこと検索しちゃったせいでしょ? だったらあたしにも責任があるわ。あたしのせいで二人が別れたら……嫌だもの」

 マミのせいでないとは断言しきれないが、偶然が重なった結果である。確かに彼女の存在がなければ、騙し続けていられただろうが、そうすると他の要因が出現しただけで、結局は露見していたかもしれないのだ。

「……そのことですが、嘘です」

「え?」

「王子がサボらないように見張るため、二人でいておかしくない理由が必要でしたので」

「え?」

「そもそも世継ぎを望まれる王子と恋仲になるなどありえないことです」

「え?」

「ですから」

 素性がばれているマミには隠し立ては無用だと思い、最初に披露した設定を否定したのだが、どうやらマミはそれを認めたくないようだ。

「嘘~~~~~! だってどう見ても恋人同士って、このツイートに書いてあるよ!? イラストだってほら!」

「それはその方の主観と感想ですよね」

「やだやだやだぁ~~~~! やる気失せたー!」

 じだんだを踏み出したマミを、それなら置いて行こうかと避けて進もうとしたヴィクトアだったが、前から来た自転車が彼女を轢きそうになっていたため、慌てて体を引き寄せる。

「こらあ、死にてえのかあ! 爆発しろお!」

「……治安があまり、よくないようですね。ヒノモトは安全と聞いていたのですが」

「う、うん。この辺は特に、半グレとかカラーギャングとか寄生外人とか多いから……あっ、ヴィクトアくんたちのことじゃないよ!?」

「いえ、こちらこそ失礼を」

 思った以上に柔らかくすっぽり収まる小柄なマミが、顔を真っ赤にしてヴィクトアの腕から飛びのいた。若い女性にあまりに気軽に触れすぎたと反省する。エリアスと違って異性への免疫が全くないわけではないヴィクトアだが、手の中の感触とぬくもりがやけに長く残りそうだと感じ、困惑する。

「確かに柄のよくない方々が多いようですね」

「そうだよ、危ないよ。早く見つけてあげないと……あんなかわいい子、どうなるか……!」

 まだ恥ずかしさが勝っているマミが先導して歩き出したので、ヴィクトアもその後を追う。土地勘がないのは彼も同じだ。エリアスの思考をトレースするのは常から行っていることだが、入り組んでいるようにしか見えないこの路地の数々を見ていると、どこへ行ってもおかしくないように思えてしまう。

「やはり、交番に聞くのが無難ですね」

「待って、下手に動かない方がいいかも。こういう時こそツイッターを利用しなきゃ」

 突然立ち止まったマミが、猛然とスマホを操作し始めた。ヴィクトアとしてはせめて通行人の邪魔にならないように、彼女をそっと隅へ引っ張っていくことぐらいしかできないのが、歯がゆい。

「それはツイッターですか? なぜこの状況で?」

「情報を呼びかけるんだよ。フォロワーが多い人がリツイートしてくれればいいんだけど、あたしあんまりいないんだ。ただ、フォロワー多い人をフォローしてるから、もしかしたら、ね」

 覗き込んでみると、王子の外見特徴を細かく記してくれているだけで、出自などは伏せられていたので、ほっとする。それにしても、結構彼のことを見てくれているようだ。このことを知ったらエリアスも喜ぶだろう。

 その前に、見つけて謝らなければいけないが。

 そう思っていると、触れそうなくらい近くにいるマミが体を硬直させてべらべらと喋り出した。

「あっ、あのね、さっきの人ね、元彼なの。ていうか、元彼になったの。あたし馬鹿だから、まだ関係続いてるかと思ったら、あっちもう新カノいてね……捨ててやるつもりで呼びだしたのに、あたしが捨てられちゃった。あはは……」

「あなたがくだらない男から離れられてよかったです」

「ほんとそうなんだけどさ。やめて、優しくしないで……」

 眼下にあるマミの細い肩が震えだしたので、泣かせてしまったかとぎょっとしたが、どうやら泣くのを堪えている様子だった。とはいえこのまま泣かれるのも困る。柄になく狼狽えるヴィクトアの視界の中で、その時何かが動いた。どうやらスマホの画面の中で動きがあったようだ。

「何か、表示が出たみたいですよ」

「え? あ、ほんとだ。やったわ、青々山先生がリツイートしてくれた。これは爆発的な勢いで広まるわよ。一部界隈でだけれど」

 広まるのか広まらないのか、どっちなのだろう。マミが属するコミュニティがそんなに広くないということかもしれないが、それで見つかるものだろうか。やはり警察に届けた方がいいのではと思い始めた頃、続々と情報が届けられているとマミから告げられた。

「そんなに早く?」

「だってほら、例のツイートであなたたちのことは知られてるからね。……あ、でもこれ違うなあ。『ウィークリーマンションに出入りしてるのを見た』とか『スーパーで半額惣菜買ってるの見た』とか『公園でいちゃついてた』とか……あ、『従者も一緒』って書いてある」

「……事実ですね」

 今は関係ないことだ。しかしマミのコミュニティの人間に見られていると思うと、なんだかうすら寒いものを感じる。監視カメラなどなくとも相互監視で犯罪を未然に防げそうなくらいだ。

「うーん。無理かなあ。あんまり知られると、王子を暗殺しようっていう悪い奴まで引き寄せちゃいそう」

「その辺は大丈夫でしょう。彼は第三王子で、敵対勢力は……」

「あれっ?」

 マミが画面を見ながら素っ頓狂な声を上げた。

「何コレ、『車で連れ去られるのを見た』だって。これはさすがに違うよね? いくらかわいいからって、ハイエースしようとは、さすがに現実では思わないよね?」

 だがヴィクトアは、何か嫌な予感を覚えた。

「念のため、その方に詳細を聞いてもらえますか?」

「いいけど……じゃあ、DMで」

 それだとやり取りが表面化しないのだと言う。しばらくちまちまとスマホをいじっていたマミが次第に顔色を曇らせていくのを見て、ヴィクトアも確信を深めていく。

「外国語喋ってたって。聞いたことない言葉で……歩いていたところを突然白いワゴン車に押し込んだって。顔は黒い布のかぶってて分かんなくて。なんだろ、これ、ハズレでも通報案件だよね」

「では、その聞こえた言葉をカタカナで表してもらってもいいですか?」

「うん……」

 深刻なヴィクトアの表情を見て、マミも不安そうにしていた。これで違うなら、そのまま警察に通報すればいい。だがもし、知っている言葉を喋っていたら。

「ヴィクトアくん、これ」

「「大人しくしろ、不義の子め」」

「え?」

「……当たりのようです」

 目撃者の耳が良かったことが幸いした。マミに見せられたカタカナを声に出したヴィクトアは、鳥肌が立つほどざわめいた己の胸に、自分でも驚いた。

 それは、純然たる怒りだった。


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