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 翌日、再度職業安定所へ向かおうとしたヴィクトアだったが、エリアスは布団にくるまったまま彼を拒絶した。

「「働きたくない……」」

 リーダーにがみがみ怒られたことがよほど腹に据えかねているらしい。最初こそ落ち込んでいたエリアスだったが、それは次第に怒りへと変貌し、今は布団の中でふくれっ面を晒している。

「「気持ちは分かりますが、働かざる者食うべからずですよ、王子」」

「「お前はちょくちょく妙な言い回しをするな」」

「「ヒノモト語の慣用句というものだそうです。それはそれとして」」

「「それはそれとしても、嫌なものは嫌だ。もうあんな理不尽な思いしたくない」」

「「職場の上司とは、えてしてそういうものです」」

 諭そうとしたヴィクトアだったが、隣の部屋からドンと壁を殴る音が聞こえた。さらに反対側からもドンと殴られる。

「「うるさいようなので、一度外へ出ましょう」」

「「職業安定所にはいかないぞ」」

 王子の不満げな声に、再び壁を殴る音がサラウンドで重なった。二人してかなり声を押さえているつもりだったが、やはり響いてしまうものらしい。

 渋る王子を外へ連れ出す。午前中から労働のない久々のオフである。空は青く風は気持ちがいい。近くの公園へ行く頃には、エリアスの機嫌も少しだけ回復していた。入り口をふさぐように停まっている白い車を避けて、中に入る。

「「お前も私を理不尽だと思っていたのか」」

「「めっそうもないことでございます。とはいえ王子には初めての上司に思えたかもしれませんね」」

「「実際、初めてだろう」」

 エリアスはベンチに踏ん反りがえっている。ヴィクトアは座らず、直立不動で傍に控えたままだ。

「「いいえ、王子の上司はいらっしゃいます。それは民です。王族とは民の部下に過ぎないのですよ。そして分母の大きいものというのは、常に理不尽なのです」」

「「……もういない者を言っても仕方ない」」

 踏ん反りがえっていても、この国でその場に傅く者はいない。もとよりエリアスはその義務を放置していたのだから、母国だとて同じことであるが。空しいと言わんばかりのその横顔がすべてだ。

「「だが納得は行かぬ。なぜああも叱られねばならないのだ。がみがみ言われてもやる気など出るわけなかろう」」

 少し、鞭で打ちすぎたかもしれないとヴィクトアは反省する。飴もくれてやらぬのでは、確かにやる気は出ないだろう。給料を目にしているだけでは、そろそろ限界だ。

「「次の仕事が決まりましたら、アキツシマ町へ行きましょう」」

「「えっ、いいのか?」」

「「前々から行ってみたいと仰せでしたでしょう。しかし無職の内はいけません」」

「「だったらさっさと、決めてしまうぞ!」」

 効果覿面だった。エリアスはすっくと立ち上がると、猛然と職業安定所の方角目指して歩き出した。ヴィクトアは慌てて追いすがる。

「「楽しみだなあ。ずっと行ってみたかったんだ。ユキカゼカフェとメイド喫茶!」」

「「……前者はともかく、メイドなら飽きるほど見ていたでしょう」」

「「私は見ていないぞ。部屋から出なかったからな」」

 それでもどうしても参加せざるを得ない晩餐会には出ていたはずだが、開始一時間もせずにすぐ退室していたから、彼女らの仕事ぶりもろくに見ていないようだ。

「「いっそメイド喫茶で働いてみてはどうだろうか!?」」

「「男は雇ってくれませんよ」」

 王子のその外見なら、あるいは採用されてしまうかもとは、言えなかった。


 次の仕事は、レストランだった。とはいってもファミリー向けの大衆食堂と言った方がよさそうだ。二人そろってホール担当である。

 エリアスは呆然と蒼ざめている。これまでの職種とは一切縁のない、どころかそこで培った経験も生かせない初めての職場だったからだ。

「「メイドの仕事をしてみたいと仰せでしたよね」」

「「お前、わざとか……」」

「「たまたまですよ」」

「いやあ、二人ともほんとに顔がいいよね! 顔だよ、顔! 経歴怪しい外人でもこれだけ顔が良ければ何も問題いらないよ! それに朝から晩まで入ってくれるって!? 神様かい!?」

 面接をしてくれた雇われ店長はまだ若く、30そこそこといった風情の男だった。このレストランは全国チェーンらしいが、すぐにバイトがやめてしまうのだと笑っている。無理に笑顔と明るさを作っていないと折れてしまいそうな精神的脆さが明らかで、怖い。

 とはいえ、力仕事はない。重さとしては、エリアスでも余裕で運べる。だが今度は失敗して怒鳴られないようにと慎重さに拍車をかけていて、一度にいくつも運べないのが難点だったが、店長も他のバイトもそれに文句を言うことはなかった。

 文句を言うのは、客の方である。

「おい、まだかよ、頼んだ奴! 早くしろよ! 腹減ってんだよ!」

「注文! いつ取りに来るの!」

「ねえここ早く片づけてよ! 待ってんだけど!」

「なんかネット繋がんないんだけど、ふざけてんの?」

 店側が、仲間に文句を言う暇もないのである。安さゆえか客が多く、注文も途切れることがない。そして安さゆえか、客層もお世辞にも上品とはいいがたかった。

「「なぜ、なせあんなにも粗雑なんだ? 腹が減っているからか?」」

 力仕事はなくなったのに、エリアスは震えていた。時には半分泣いていた。だが客は容赦しない。休憩室の隅っこで小動物のようにぷるぷるしているのを何度も目撃した。その都度引っ張り出すのはヴィクトアの役目だった。

「「サボらないで下さい。それとも怖いんですか?」」

「「お前は怖くないのか? リーダーが100人いるみたいだぞ……あ、分かったぞ。あいつらも民と同じなのだな?」」

 ヴィクトアはひそかに瞠目した。エリアスは民衆と接したことがない。怒鳴りもしなければ下品な我儘も言わない上流貴族としか顔を合わせたことがないから―――それも数えるほどでしかないが―――自分でそれに気づけたのは、称賛に値するだろう。

「「……まあだからどうだって話だけどな」」

 自らがもはや王子ではなく一市民に過ぎないことを言い聞かせるように、力なくつぶやくエリアスを見て、さすがのヴィクトアも少しだけ心が痛んだ。だがそれを表に出すことはない。

 一方でヴィクトアは、特に失敗することもなく一度に何人前か運ぶコツも早いうちに覚えた。同僚はできて当たり前のそれをすごいとは言わないが、女性客が彼に食いついてくることが多かった。

「素敵、力持ちなのね」

「外人さん、わたしのところにも注文取りに来てー」

 それを見て、店長は「俺の目に狂いはなかった」と頷いていたが、エリアスは納得がいかないようだ。休憩時間に狭い休憩室で二人きり、遅い昼を取りながら、彼が不満げに口火を切った。

「「お前、何デレデレしている」」

「「しておりません」」

 従者の仕事ぶりを観察できるくらいまで、余裕が出てきたのだろう。彼が女子モテしているのが気に食わないようだ。お前が顔でモテるなら私の方が、と肩を並べたがるかと思いきや、言いだしたのは別のことだった。

「「お前、女なら誰でもいいのか?」」

「「どういう意味です。僕がそんないい加減な男に見えるとでも」」

「「マミのことはどう思ってるんだ」」

「「……別に」」

 ここで突然、間宮真美が出てきた意味がヴィクトアには分からなかったので、答えに若干遅れが生じる。他に理由はないはずだ。

「「彼女とは偶然が重なって会っているだけで、どうこう思うほど仲が深いわけではないでしょう」」

「「お前はそうでも、私はお前よりマミを見ている。彼女が見ているものも、分かっているんだ」」

 しかしエリアスは、そうではないようだ。思えば最初から、彼は彼女に心惹かれていたのかもしれない。今も必死な顔をして、ヴィクトアから決定的な言葉を引き出そうとしている。

 恋のライバルだと思われているのか。それも迷惑な話だ。

 とはいえ、もう一度会えるかどうかも分からない相手だ。偶然今は、引っ越し先の住所を知ってしまっているが、それだっていつまで握っていられる情報かもわからない。案外またすぐ引っ越してしまうかもしれないのに。

 切ない恋だ。

「「協力しろと仰せでしたら、いくらでもお力添えいたしますよ、王子」」

「「なっ、何を言っているっ。私のことなど今はっ……お、お前の話をしているのだぞ!」」

 真っ赤になって否定しているが、本人はばれていないつもりだったようだ。そうこうしているうちに休憩時間が終わってしまった。エリアスはまだ平常心を取り戻せずあわあわしたまま、ヴィクトアはいつも通りに冷静にホールに戻って行ったのだが、そこにマミがいた。

「!?」

 あまりの偶然の重なりに彼女の作為を疑ったヴィクトアだったが、どうやら連れがいるようだ。離れていても分かるほどマミの顔は悄然としていて、宝物を傷つけられた時とはまた違う冴えない表情を貼りつかせている。しかも他に客はおらず、その間隙を縫った来店は意図したものであるかのように、深刻そうに小声で話しをしている。

「「チャンスですよ、王子。注文を聞きに行って差し上げなさい」」

「「い、嫌だ。お前が行け」」

「「そう言ってサボろうって言う魂胆でしょう」」

「あのー、どっちでもいいから、注文取ってきてくれる?」

 疲れた笑顔を見せる店長に言われて、先ほどのやりとりを引きずって嫌がるエリアスの代わりに、ヴィクトアが行くことになった。しかしそのくせ、きっちり視線は追いかけてきていた。

「いらっしゃいませ。ご注文お決まりでしたら……」

「ドリンクバー二つ」

 ヴィクトアが言い終わるより先に、連れの男に遮られた。スーツを着た40ほどのいい感じに草臥れた男だ。マミもスーツ姿だった。男はヴィクトアを見もしなかったが、マミは彼に気づいたようだ。ヴィクトアとしては、それに気づかない素振りをする必要があった。どうにもこの二人の関係が、ただならぬものであると感じたからだ。

「かしこまりました。ドリンクバーご自由にお使いください。ごゆっくりどうぞ」

「俺が取ってくる。お前はここにいろ」

 命令口調で言って、男は席を立った。注文を手元の端末に入力し用を終えたヴィクトアもすぐ立ち去るつもりだったが、じっと見つめるマミの目がそれを引き止めた。

「また会うなんて、すごい偶然だね」

「まったくです」

「エリアスくんも一緒?」

「はい」

 とはいえ、マミは今度の偶然を歓迎してはいないようだ。困ったように微笑んでいる。快活に笑う彼女しか知らないヴィクトアは、その顔をさせる男に対して、苛立ちを覚えた。

「お兄さんとは、似てないですね」

「そんな風に見えた? あたしの彼。もとい……ううん、なんでもない」

 言い淀んだ先が気になったが、どうやらそれはこれから行われる宣告によってもたらされる未来だったようだと、後に知ることとなる。

「前の会社の上司なの。彼には奥さんも子供もいて」

「……馬鹿なのですね」

「ほんとそう。笑っちゃう」

 ヴィクトアとしては男の方を詰ったつもりだったのだが、マミは自分を下げたと勘違いしたようだ。その態度に、ヴィクトアはまたもいらっとする。どう聞いても悪いのは不倫に応じる男の方なのに、そんな男を庇う彼女が許せなかった。

「仕事がありますので、これで」

 マミはまだ言いたいことがありそうだったが、きれいなお辞儀を見せて去るヴィクトアを引き止めることはなかった。代わりに飲み物を持った男が帰ってくる。再び、明るくない話し合いが行われるようだ。

 エリアスはさぞ、その内容が気になるだろうと思っていたのだが、待ちうけていたのはヴィクトアに対する怒りであった。

「「やっぱり、好きなんだろう」」

「「何を仰せです?」」

「「顔を見れば分かる。お前、マミの連れの男に嫉妬しただろう」」

 エリアスは自らの眉間を指し示した。そのおかげで、ヴィクトアは己の眉間にしわが刻まれていることに気づいた。揉んでなかったことにしながら、彼は王子の言葉を否定する。

「「嫉妬ではございません。苛々しただけでございます」」

「「それを嫉妬というのだ、馬鹿め。お前にマミは渡さないからな」」

 強気に言い捨てると、エリアスはヴィクトアの傍を離れた。彼が客に何か言いに行くのではと後を追おうとしたヴィクトアだが、代わりに萎れた顔の店長がやってくる。

「ヴィクトアくん、あのさあ、言ったよね? 仕事中は携帯は所持禁止だからね?」

「携帯? 持っておりませんが」

「じゃあ、その尻ポケットに何入れてんの? 携帯だよね? 違うとしても、お客さんからクレーム来ちゃうから、ね?」

 確かにある機器が、彼の尻ポケットに押し込んであった。仕方なくヴィクトアは、それをロッカーへ仕舞いに行く。

(まあ、忙しくて見る暇はないし、見れる媒体もないし、大丈夫だろう。電池切れが怖いから、電源も切っておくか)

 そうしてホールに戻った頃には、客の姿はなくなっていた。

「先ほどのお客様は」

「うん、男性が会計済まされて出てったよ。女性の方は、トイレじゃないかな」

 しかし客はいないのに、エリアスの姿も見えない。トイレ掃除でもしているのかと思ったが、マミがトイレに行ったと聞いて、嫌な予感がして彼もそちらへ急いだ。

 すると女子トイレから、知った声が二つ聞こえてきた。

『ほら、このツイートだよ。《王子と従者っぽいのいた!》っていうの、やっぱりエリアスくんたちだよね』

『ぽいのじゃなくて、本物なんだ……クーデターで国を追われて』

『え? グリッツェン王国だよね? クーデターなんて起きたの?』

 焦ったヴィクトアはそこが女子トイレであることも忘れて、思わずドアを開けた。すると中には、目元を涙で晴らしたマミと、平然とした顔で当たり前のように女子トイレに入っているエリアスがいた。しかし一歩遅く、マミは検索結果を王子に見せてしまっていた。

「あれ、ヴィクトアくん? ってか、ここ女子トイレだよ、やだぁもう」

 彼に気づいて、明らかに泣いていた顔を赤くするマミだったが、そこにいるエリアスも同じ性別であることは分かっているのだろうか。しかしそのエリアスは、マミのスマホ画面を食い入るように見つめるばかりだ。

「「どういうことだ……? クーデターなんて、起こってない……確かにテレビでやっていて……」」

 呆然と画面を見ていたエリアスは、はっとしたようにヴィクトアを振り返った。場所が場所なだけに彼も罰の悪さを隠し切れず、結果的にたくらみは最悪の形で露見することとなった。

「「テレビの操作は、お前がやっていたな……お前が仕組んだのか?」」

「「はい。ネット検索もされないように妨害機器を使って細工いたしました」」

「「それで我々の周囲では、繋がらなかったわけか……今は?」」

「「偶さか、切っておりますゆえ」」

 こうなってはもはや、隠し立てする必要はない。正直に話すヴィクトアだったが、騙されていたと知った王子が笑顔を向けてくれるはずもなく。

「「国はあるんだな」」

「「ございます」」

「「父上も」」

「「ご健在です。今回のこの計画のことも、陛下はご存じです」」

「「それを知っていて、笑っていたのか」」

「「そのようなことは……」」

「「ふざけるなよ……信じてたのに……。ニートで第三王子だからって、傷つかないわけじゃないんだぞっ!」」

 目に涙を浮かべて声を荒げたエリアスは、ヴィクトアを突き飛ばして外へ飛び出していった。華奢でひ弱と侮っていた従者は、思わぬ力によろけて尻もちをついてしまう。

 すぐに追いかけられなかったのは、そこまで王子を傷つけることのなるとは思ってもいなかったからだ。呆然として何も考えられず、エリアスが店から出て行くのを、ただ見ていることしかできなかった。


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