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 次の仕事は、引っ越し業者だった。エリアスは露骨にうんざりした顔をした。

「「また力仕事ではないか……」」

「「申し訳ございません。経歴怪しい外国人を二人まとめて雇ってくれるところがなかなか見つからず。しかし土木作業ほど過酷ではございませんゆえ」」

 しかしそれは、甘い目論見だった。

「ちんたらするんじゃねえぞ、バイト! おら急げ急げ! 傷一つつけんじゃねえぞ!」

 現場のリーダーたる男が、常に苛々ピリピリしているのだ。搬入搬出時間が細かく決められているためとはいえ、ただでさえ重い家具類を運び出すのに慎重とスピードを両立させるのは、ヴィクトアですら困難だった。

「急げっつってんだろ、何もたもたしてんだ!」

 スピードより傷をつけないことの方が大事と面接時に社長に言われたためそちらを重視していたヴィクトアは、リーダーに叩かれた。他のバイトより荷物を多く持っていてもお構いなしだ。

 そんなだから、エリアスはもっと大変なことになっていた。

「てめえ、段ボールは一度に二個運べって言ってるだろ! サボってんじゃねえ!」

「で、でもこれ、中身本だから、重くて」

「言い訳してんじゃねえ!」

 ひいひい言いながら運んだのに、突き飛ばされて持った段ボールごとひっくり返り、また怒られていた。幸いにして客から「破損した」などとクレームがつくことはなかったが、これまで諌められはしても、叱られることも怒られることもほとんど知らずに生きてきた王子にしてみれば、屈辱的だったようだ。

「「なんだあの男は、横暴がすぎるぞ。何故私ばかり目の敵にするのだ」」

「「王子だけではありませんよ」」

「「いや、絶対に私だけだ。理不尽だ。もう嫌だ。こんなところ辞めたい」」

「「始めたばかりではありませんか。もう少しがんばりましょう」」

 泣きべそまでかきだした。それを見ていた副リーダーが、リーダーがいない時を見計らってこっそり教えてくれた。

「リーダー、外国人が嫌いなんすよ。この間雇った外人が手癖が悪くて客のバッグを盗んで、会社の心証が悪くなっちゃってるんで、余計に。しかもそれがツイッターで瞬く間に拡散しちゃったから」

「ツイッター?」

 それなら怪しい外人を二人も雇う余裕はない気がするが、それよりもヴィクトアは別の言葉が引っかかった。副リーダーは副リーダーで、めそめそしているエリアスが気になって仕方ない様子だが。

「それは何ですか?」

「あれ、知らないっすか? こういう……あれ? 電波悪いのかな、繋がらないな」

「失礼」

「え?」

「なんでもありません」

 スマホを取り出して操作する副リーダーの傍ら、脈絡なくポケットに手を突っ込むヴィクトアに、グリッツェン語で恨み節を呟いているエリアスは気づいていないようで、ほっとする。

「ああ、繋がった。これこれ、こういうの」

「この短い一文を、ツイートというのですか?」

「そうだよ。なんだ、知ってるんじゃん。これをさ、不特定多数で共有できたりするわけ」

「なるほど」

 ヴィクトアは、間宮真美が「ツイート」と言ったことをずっと気にしていた。そしてやはり危険な情報ツールだと確信する。警戒すべきは、マミではなくそのツールの方だと。

 どこかから、彼らの情報が漏れている。それが、静かに拡散されているようだ。しかしリーダーも副リーダーも、それらを知っている様子はない。まだ一部でとどまっているのか。それにしても、なぜ「王子」だと分かったのか。それとわかりそうな単語はグリッツェン語でしか喋っていないのに。それとも誰か、母国語を理解する者に聞かれたか……。

「お前ら! 飯買って来たぞ! とっとと食え!」

 コンビニに行っていたリーダーが大量の荷物を抱えてやってきたため、思考は中断せざるを得なかった。さすがに休憩中にまでどやすことはしないだろうに、エリアスはそそくさとヴィクトアの背後に引きこもるポーズを見せていた。同じく怒鳴り声に驚いたように、近くに止まっていた白い車が急発進していなくなった。


「とろとろしてんじゃねえぞ、ちびすけ! お前のせいで遅れてんだぞ!」

 リーダーの暴言はどうしても、仕事が人一倍遅くて人一倍力のないエリアスに行きがちだった。それでも最初、国を出たばかりの頃と思うと断然たくましくなっている。ガラス製の人形以上の重さの物を持ったことがなかったから、相対的にだが。

 しかしそれでもまだ一般人には遠く及ばないのが現状である。

「お前は外人だが、なかなか見込みがあるな」

 逆にヴィクトアが褒め言葉を引き出す始末だった。そんな場面を見せられて、エリアスが面白く思うはずもない。

 彼の人相は日に日に悪くなっていった。母国にいて守られていた頃の美々しいかんばせは、嫉妬と屈辱で歪むばかりだ。それでも一般的に見れば、まだ「かわいい」方なのかもしれないと、何かと彼を補佐したがる副リーダーを見ていると、思うのである。

 始めて、ようやく一週間。これ以上は色々な面で無理があるかとヴィクトアが思い始めた頃だった。

「あれ!? ヴィクトアくんじゃない?」

 その日2件目の現場に向かった先で待っていたのは、古びたアパートに住む間宮真美だった。1件目で散々に怒られまくって体力も気力も使い果たしくたくたになっていたエリアスは、オレンジのスウェットを着た彼女の姿を見て即座に潤いを取り戻した。

「マミ、どうしてここに?」

「どうしてって、あたしが頼んだんだよ。引っ越そうと思って。やっぱり二人一緒だった」

「すごい……偶然だ」

 ヴィクトアとエリアスが二人揃っているのが、彼女には嬉しいようだ。エリアスとしてはそこから運命的なこの出会いをなんとか感動的な言葉に乗せたかったようだが、彼女の前で上がってしまう性質は抜けていないようで、わたわたしている間にリーダーにまた怒られていた。

「ていうかエリアスくん、引っ越しなんて大丈夫? あたしの荷物、結構重いよ?」

「大丈夫大丈夫……うぐっ」

 いいところを見せるように、重ねた二箱の段ボールを持ち上げようとしたエリアスは、数ミリ浮かせただけで顔を引きつらせた。同じように並んでいる段ボールを同じように持ち上げたヴィクトアも、その重さに絶句する。

 よく見ると彼女の部屋には、本、と書かれた段ボールだらけだ。容赦ない紙束の重さに気圧されながらも、ヴィクトアは余裕を一部残して持ち上げることができた。

「わあ、ヴィクトアくんすごい。さすがね」

 マミの歓声を聞いて、エリアスも必死になる。顔を真っ赤にさせながらもどうにか持ち上げていたが、そこから一歩も動けないようだ。

「無理しないでください。腰をやっては意味ないですよ」

「なんの……これしき……!」

「エリアスくん、がんばって」

 無責任な応援はやめてもらいたいと思ったが、その声でエリアスがやる気になっていることもまた事実だった。彼が下手をこく前にどうにか手を貸そうと急いで戻ったヴィクトアだったが、時すでに遅かった。

「ああっ!」

 亀の歩みのごときすり足で小さく距離を稼いでいたエリアスは、段差に躓いて段ボールを空中へ吹き飛ばしていた。飛ばされた段ボールは正面の柱に激突し、著しい衝撃と凹みを与えられた。

 しかもその瞬間を見ていたのが、ヴィクトアだけではなかった。

「何やってんだ、この愚図! てめえふざけてんのか!」

 エリアスの脳天にげんこつを落としたかったであろうリーダーだったが、素早く駆け寄って起こしたのは投げ飛ばされた荷物の方だった。どうしたことか、梱包のガムテープがはがれかけている。彼は蒼白になってマミに頭を下げた。

「申し訳ありません、お客様! うちの者が不始末を……!」

「……きゃあああ!」

 遅れて悲鳴を上げたマミは、同じように蒼ざめながら差し出された段ボールをひったくった。隙間からちらりと肌色が見えたが、彼女がすぐ手で塞いでしまったので中身までは分からない。だというのに彼女は、リーダーでもなければエリアスでもなく、その場に突っ立っていたヴィクトアに涙目を向けた。

「見てない? 見てないよね? 見てないって言って!」

「何も見ておりません」

「だよね、誰も何も見てないよね!?」

「お客様、破損の方は……」

「大丈夫、大丈夫だから!」

 リーダーの声にも余裕のない素振りで、マミは全員から荷物を隠すようにしながら背を向けた。そっと中身を確認している様子だったが、はた目にも分かるほど悄然と肩を落としたところから察せざるを得なかった。

「もし破損しているなら、弁償させていただきますが」

「いいの。どうせ手放すとき、価値が下がるってだけだから。それに当分、手放す気はないし」

 マミは強がりとしか思えないことを言いながら、そっと愛しげに段ボールのへこみを撫でた。大丈夫でないのは明らかだが、客がそう言う以上引っ越し屋としては突っ込めないのだろう。リーダーは呆然としているエリアスの襟首をつかむと、外へ出て行った。ヴィクトアもそれに続こうとしたが、マミに止められた。

「待ってよ。こんな状態の客を放っていく気?」

「いえ、仕事はまだ終わってませんから。しかしあのリーダーはかなり大声で叱るので、ご近所にご迷惑になると思いまして」

「そんなこと言って、エリアスくんが心配なんでしょ。妬けちゃうな。そんなにも愛されてて、羨ましいよ」

 マミの言い方には、邪気も悪意もない。だが大事なものを破損させられて、落ち込んでいるのは確かだろう。いつもの覇気がまるで見られない。棒読みに近いとでも言おうか。

 それはやはり、マミらしくない。彼女には暗い顔も影も似合わないのだ。

「やはり、弁償を申し出た方が」

「いいの。お金には換えられないの」

 ヴィクトアとしては、この機にツイートの件を聞きたかったのだが、とてもそんなこと言いだせる雰囲気ではなかった。ただでさえ、不似合いな痛々しい空気を纏わせた彼女の傍にいるのはつらいのに。

「その荷物、運びますよ」

「いいわ。これは自分で運ぶ。大事な青々山先生の本だもの」

 外へ行けば人はいる。怒鳴り声もする。だがヴィクトアはマミを一人で行かせるのはよくない気がして、傍にあった別の段ボールを運びながら、彼女の後を追う。

「青々山先生とは、有名な方なのですか」

「それを言われると困っちゃうんだけど」

 マミはなぜか恥ずかしそうにしている。身内なのだろうか。しかしそれにしては態度が妙だ。

「あたしはね、大ファンなの。フォロワーだし、先生もフォロバしてくれたし、本も全部大事にとってる。宝物よ。でもね、遠いんだ。あたしとヴィクトアくんくらい離れてる」

 そう言ってマミは、ヴィクトアをじっと見つめてきた。手を伸ばせば届く距離にいるのに、何を言っているのだろうと首をかしげる。もっとも物理的には、互いに両手がふさがっているから触れられはしないけれど。

 その時マミの大きな目が、何かに気づいたように瞬いた。

「あ、ヴィクトアくんの目って、紫なんだ。じゃあやっぱりあのツイートって」

「人が喋ってる時にどこ向いてる!」

 リーダーの怒鳴り声に、マミがびくっと体をすくませた。どうやら叱られているエリアスがこちらを見ていたためさらに逆鱗に触れたようだ。手こそ出していないが、指を何度も突きつけては手際の悪さから貧弱さまで散々にけなされている様子だ。もはや失敗を咎めて反省を促すことは二の次になっている。

「だいたいお前はみんなの足を引っ張るだけで、それを感謝する気すらないんじゃないのか? もう一人は使えるがお前はまるで使えないし、そんなひ弱ななりで引っ越し業に来ること自体が間違ってるんだよ、この役立たずめ」

「もうそのくらいにしておいてもらえませんか」

 副リーダーは目に入れないようにしながら仕事に専念するふりばかりで一向に止めてくれないので、仕方なくヴィクトアが止めに入った。当然、いい顔はされない。

「なんだ。お前は仕事してればいいんだよ」

「いえ、そろそろ本腰入れないと、お客様の新居への搬入が遅れることに」

「なんだと? お前、いつから俺に指図する立場になった? 外人のくせに」

「指図ではなく提案です」

「うるせえ! てめえに言われなくても分かってる! おら、ぼけっとすんな!」

 リーダーは発散しきれなかった怒りをぶつけるように、エリアスの頭をはたいた。よそ見を注意されて以降はずっと俯いていた王子だったが、その一撃でぺたりとその場に頽れてしまう。ヴィクトアは慌てて荷物を片付けると、彼に近寄った。

「「大丈夫ですか、お怪我は」」

「外人! そいつを甘やかすな!」

 副リーダーと共に大型家具を運びだしながらリーダーが怒鳴った。思わず反発心が芽生えて、反論してしまった彼を誰が責められよう。

「僕も外人です」

「口答えするな! さっさと動け!」

「言われずともそのつもりです」

 ヴィクトアは顔を上げられないでいるエリアスの腕を掴んで無理に起こして、古アパートへ向かう。そんな二人の背中に、リーダーの声が突き刺さった。

「お前らのことはよくわかった! 上に報告するからな!」

 聞かなかったことにして、ヴィクトアはエリアスと共に梱包された洗濯機を運ぶ。しかしエリアス側はひどく低い。泣いてこそいないが、その顔はひどいものだった。ただでさえない力を出そうという気力すら枯らしてしまっている。

「あたしも手伝う」

「マミさん」

「いいの。ごめんね、あたしのせいで」

 彼女が加わったことで、エリアスはもはや縁を持っているだけになっていたが、自分からやると言いだした客にやめろとは言えない。それに彼女の力は文字通り百人力なのである。

「マミ、ごめん。私が……マミの大事なものを、落としたから」

「いいって。それに本とかでよかったわ。柱にも傷ついていないし」

「私にできることがあれば、何でも……言ってほしい」

「ん? 今なんでもするって言った?」

「こらぁ! 何くっちゃべってる!」

「すみませーん、今喋ってたのあたしでーす」

 マミの目が一瞬きらりと光った気がしたが、リーダーの怒鳴り声にまぎれてしまった。客に言い返されて「お、おう」となっているリーダーをしり目に、マミは二人に含み笑いしながら目配せした。エリアスは力なくも笑い 返しているが、ヴィクトアとしては苦笑しか浮かばない。マミにはそれが不満なようだったが。

 果たして二人は、その週で引っ越し業者を辞めた。



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