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 ヴィクトアがマルグリット王妃に出くわしたのは、国王の許可を取り付けてエリアスの部屋へ向かっている最中だった。

「おや、お前はエリアス王子の従者ではないの?」

 端へ寄ってこうべを垂れ、道を譲ったヴィクトアに、侍女のみならず金魚の糞のごとくおつきのご婦人らをはべらせた王妃が目を向けた。若いころはそれなりの美女だったようだが、今では贅沢の成果が如実に表れてしまっている。

 話しかけられた以上、向こうが飽きるまで相手をせねばならない。一刻も早く王子のもとへ向かいたかったヴィクトアだったが、苦い顔は仕舞いこんで無理やりに笑顔を浮かべる。

「はい。王妃様におかれましてはご無沙汰して申し訳ないと、エリアス王子が」

「ほほ、あのぐうたら坊やがそんなこと言うかしら?」

 王妃が笑うと、おつきの物たちも右習えで笑った。エリアスのぐうたらぶりは宮廷の者なら周知である。

「何せ母親が、不倫なんかするだらしない女ですからねぇ。全く部屋から出てこないという噂だけれど、中で何をしているものやら。よもや他国の文化に溺れてなどいないでしょうね? でもあたくしは、ちゃんと息子として平等に愛していてよ?」

 高笑いする王妃と目を合わせないようにしながら、よく言うとヴィクトアはこの女性を心の中で侮蔑した。

 ヴィクトアは会ったことがないが、エリアスの母親ゼルマは、始めこそ愛妾として迎えられたのだが、このマルグリットに陥れられ無実の罪を着せられた末、離縁させられたのだ。

 男子を生んだことで不興を買ったのみならず、どうにもゼルマが他国籍の人間とのハーフであることが気に食わなかったらしい。とはいえエリアスの容姿以外、金髪碧眼などの外見因子は父王譲りで、この国では珍しくもないのだが。

 エリアスが部屋から出ないのは、この女性のせいでもあった。我が物顔で宮廷を闊歩して、会う度母親の悪口と内緒にしているはずの趣味への罵倒を聞かされるのが嫌なのだ。マルグリットとしても、再三の進言にも関わらず依然として国王が後継者を名指ししないことが、癇に障っているのだろうが、彼女は鎖国も厭わないほどに、よその文化が入ってくることを嫌っているのである。

「エトヴィン王子およびエーレンフリート王子におかれましては、お元気そうで何よりでございます」

 いつもは言わせておくだけのヴィクトアが細やかな反撃に出たのは、国王の許可を得て気が大きくなっていたせいかもしれないが、同時にエリアスに対する冷遇具合にも腹を据えかねていたのは事実だった。

 この女はエリアスが働かないことに一役買っているのだ。これが怒らずにいられようか。

「あら、ええ。二人とも元気よ、おかげさまでね。エリアス王子は病気がちなのかしら? かわいそうに」

「エトヴィン王子は女癖の悪さのせいで、またどこぞの商売女を孕ませたそうですね。おめでとうございます」

 マルグリットの厚化粧がぐにゃりと歪んだ。おつきの女性らも笑うに笑えなくなっている。こちらはあくまで祝辞を述べただけのに。

「逆にエーレンフリート王子は女の扱いがまるでわからず……清い身ゆえに教会の受けもよく、それを笠に着て金に物を言わせては高価なものをあちこちへ貢いでおられるとか。商売女の口をふさぐのも金がかかりますし、国王陛下は大変お悩みでいらっしゃいましたよ」

「お、お前のところのエリアス王子だって、くだらない他国の文化にうつつを抜かして、散財をしているというじゃないの……!」

 マルグリットは弛んだ顎の肉をぶるぶる震わせながら、裏返った声でヴィクトアを糾弾した。彼女が痛いところを突かれているのは明らかだったが、それで反撃しているつもりならへそで茶を沸かすというものだ。ヴィクトアは笑いながらボールを高く打ち返した。

「お二人に比べたら微々たるもの。とてもかないませんよ」

「こ……この、顔だけ従者! お前など国王に言いつけてクビにしてやるわ!」

 どんな罵倒だと思ったが、それならばとその顔を侍女らに存分に見せつけて去るまでだった。案の定彼女らはヴィクトアの顔に見惚れて、王妃の味方をするどころではなかった。母国語とは思えぬ言葉で盛大に喚きだしたマルグリットを背後に、ヴィクトアはそそくさとエリアスの私室へ向かいながらつぶやく。

「しかし散財には違いないからな。あのひとが馬鹿でよかった」

 しかも代償たる労働力の提供もしていないのである。あの王妃も王子二人も、僅かであってもその務めを果たしているというのに、エリアスは零に近い。

「エリアス王子、ヴィクトアです。入りますよ」

 ノックと同時に部屋に入ると、エリアスは荷造りにいそしんでいた。従者の失礼な侵入にはまったく頓着しないのは、夢中になっているせいばかりでもない。いつものことだからだ。

「ヴィクトア、少し早いがイベントに行く支度をしていたところだ。今度着ていく服はこれでどうだろう?」

「よろしゅうございます」

 王子が用意していたのはヒノモト風のファッションである。街中ではあまり見ないが、イベント会場では数多見られるパターンだ。

 しかしあっさり頷いたヴィクトアを、エリアスは不思議そうに眺めた。

「なんだ? いつもなら早すぎると諌めるところだろう」

「いえ、今回は前ノリいたしましょう。他の健全なイベントも開催されるため、混雑が予想されます」

「そうか。しかし前ノリとは、何やらわくわくするな」

「お急ぎください。今夜発ちます」

「今夜!?」

「何を驚かれます。いつもイベント前日は夜に出発なさるでしょう」

「う、うん。そうだが……」

 エリアスは疑わしそうな目をヴィクトアに向けた。

「お前、何か企んでないか?」

「いいえ、何も。お急ぎください、高速艇を捕まえております」

「飛行機が使えないのが不便だな」

 グリッツェンにも、空港がないわけではない。しかし大っぴらにパスポートを使ってはお忍びの意味がない。船とて偽物を使っているわけではないが、口をつぐんでもらうための諸費用はこちらの方が少なくて済むのである。

「しかも発電機が空港使用のためにしか使えないのでは、民たちも不便だろう。テレビもない。ラジオもない」

 妙な節をつけながら、エリアスは揺らめくろうそくの明かりを眺めた。とはいえ彼はひそかにヒノモト皇国からハンドタイプの電灯を買い入れていたため、ろうそくの明かりは一つだけだが。おかげでこの部屋だけろうそくの減りが緩やかだ。だが理由はと言えば、ドウジンシなどがうっかり燃えないようにとの王子の配慮なのだが。

「不便を感じているかどうかは、ご自分でお確かめください」

「またそれか。私は何があっても働かないぞ。ニートと蔑まれようが……」

 そうして意地になっていられるのも今の内だと、ヴィクトアは内心ほくそ笑んだ。


 ヒノモト皇国は海に囲まれた島国だ。グリッツェン王国からは空路で3時間、海路で6時間かかる。しかも空路では直通がなく、中継地点を3つもまたがなくてはならず、その間の待ち時間も含めると海路とどっこいになることもある。搭乗時間は長くとも、一直線で行ける(実際は曲線の連続だとしても)海路はそれなりに便利とも言えた。

「前ノリということは、ネットであらかじめ検索ができるではないか! 今まではパンフレットを見るまで分からなくて、それでも時間切れで全部を見ることもできなかったからな」

「はしゃいでも船の中では使えませんから、寝てください」

「久しぶりに散策でもできるな。何とかいうタワーができたとかなんとか」

「高いところはお嫌いでしょうに」

 大はしゃぎの王子は、海が時化って船が大揺れになっていることも気づかないようだった。彼が寝てくれないとヴィクトアが仕事をできない。最終的には無理やり寝台に詰め込むことで、眠ったと判断するしかなかった。

 予定より二時間遅れて到着したヒノモト皇国は夜の9時。散策したがる王子をもう遅いからとビジネスホテルに突っ込んだ。

 王子なのにこんなランクの低い、などという文句を、エリアスがつけたことはなかった。何せここには狭いながらも、テレビも冷蔵庫もあるのだ。小さくともグリッツェンにはないものばかりである。ネット検索用のパソコンは一階のロビーにしかないが、追加料金を払えば部屋でも使えると言う。しかし使い慣れない王子には、下階にあるもので十分だった。

「やっほう、小さいベッド!」

「船の中のも小さかったでしょう」

「なあ、ヴィクトア。なぜ散策しては駄目なのだ? ヒノモトは治安はいいのだぞ。夜でも女が独り歩きできると聞いている」

 私室にいる時と同じだらしなさでベッドに寝そべりながら、王子は荷解きをしている従者に尋ねた。

「王子は我が国の犯罪発生率をご存じで?」

「知るわけがない」

「威張る場面ではありませんよ。ヒノモト皇国とグリッツェン王国のそれは、ほぼ同じくらいと聞いています。あるいは在留外国人が多いヒノモト皇国の方が高いとも」

「え? そうなのか……?」

 そう言われても、母国の犯罪率など知らない王子には納得がいかないのだろう。それはそうだ。部屋に閉じこもる彼は、危ない場所には一切近づくことがないから。

「だがわが国では、夜に女の一人歩きはしないのではないか?」

「そうです。まあ危険というより、そういう商売をしている女性しか出歩かないでしょうね」

「うーん? 分からん……。治安がいいのか悪いのか。まあいっか、テレビ見よう。テレビテレビ♪」

 せっかく犯罪率という着眼点を持ってくれたと思ったら、それはあっさり誘惑の前に消え去った。王子としての仕事をする足掛かりになってくれると思ったが、そんなに甘くない。

「お待ちを。僕がつけます。何やら操作が変わったと聞きましたので」

「お、そうか? では頼む。ヒノモトの技術革新はやはり半端ないな」

 リモコンをいじればつくことは知っているはずだが、エリアスはあっさりと操作を譲った。たったそれだけのことなのにヴィクトアは心の中で快哉を叫びながら、王子から見えない位置でテレビを操作した。

「おや、ニュースですね。どうやら我が国のようですよ」

「え? そうなのか。……よもや父上が身まかられたとかではあるまいな」

「違うようです」

 ヴィクトアは体をどけて、エリアスに見えやすいようにしてやる。実際、それくらいのことがないとグリッツェン王国のことは他国では話題に上らないのだ。

 だが、テレビの中で読まれたニュースは、それどころではなかった。

『グリッツェン王国で、クーデターが起こった模様。王宮が激しく燃えています』

「……は?」

 エリアスは唐突すぎて二の句が継げないようだ。だが映された画素数の荒い映像は間違いなくグリッツェンの王国であり、夜闇を背景に赤々と燃え上がっているのは見覚えのある建造物だった。

『反乱軍による声明は出ていませんが、多数の死者が出ているようです。グリッツェン王国は我がヒノモト皇国とも親交があり、近年は……』

 アナウンサーの説明はまだ続いていたが、王子が聞いているかどうかは不明だった。彼の目はテレビに映された燃えさかる映像に釘づけであり、その表情は驚愕に満ちていた。

「クーデター? 反乱軍? どういうことだ……何が起きている?」

「王子、お気を確かに」

「私は正気だ。もっと情報を、あ」

『続いて、二足歩行する猫の話題です』

 ニュースはクーデターの話題からつなげるには明らかにおかしい内容に切り替わった。ヒノモトではよくあることだったが、エリアスはこの時ばかりはありえないと無機物たるテレビにかじりついた。

「ど、どういうことだ! あの程度の話題性なのか、我が国のクーデターは!」

「分かりません。離れているので、これ以上は情報がないのかも」

「他の番組に変えてくれ!」

 言われるままに番組を切り替えるヴィクトアだったが、どこの局でもクーデターの話題を取り上げているところはなかった。くだらないバラエティが延々と続くだけだった。

「馬鹿な……我が国はそんなに、影が薄いのか?」

 エリアスは呆然とした顔で、その場に頽れた。そういう問題でもないだろうが、よほど動揺しているのだろう。震えるその細い肩にそっと触れながら、ヴィクトアが言う。

「王子、僕が階下へ行って、検索してまいります。ネットなら少しはリアルタイムの情報が拾えるはずです」

「うん……頼んだぞ」

 ヴィクトアは部屋を出て行ったが、ほどなくして帰ってきた。同じ姿勢でうずくまっているエリアスを、彼はベッドに座るように導きながら、首を横に振る。

「駄目でした、パソコンがすべて故障中になっていて」

「そんな……」

「そもそも我が国にはネットが開通していないのですから、内側から惨状を伝えることはできないでしょう。隣国のスヴァヴォーダにしても、険しい山脈が国境にそびえていますし」

「お前も混乱しているのだな、それくらいすぐ思いつきそうなのに。しかし、ではさっきの映像は?」

「おそらく、どこか外国の放送局がとらえたものでしょう。続報があれば、きっとそこが流すはずです」

「ヴィクトア」

 エリアスが心細げに、従者の袖を掴んだ。二人ともヒノモト風ファッションに着替えているためか、いつもより袖も裾も短い。そのためエリアスの拳の先には、多くのしわが刻まれていた。

 しかし深刻そうな顔で口に出た言葉はと言えば、およそ真剣とは言い難いものだった。

「私のお宝は……どうなってしまったのだ? それだけでも知りたい」

「国王陛下のご無事ではなく、ですか……」

「う、うむ。もちろんそれも気になるが」

 まるで気にしなかったわけではないだろうが、彼の関心が家族より所有物へ向かっていることは否めない。唐突な事態ゆえの錯乱のせいばかりとも言えないところが、嘆かわしいが。

「おそらく陛下は反乱軍にとらえられているでしょう。王妃やお兄上らは、陛下より価値がないためまず殺されているでしょうね」

「ふむ」

 顔が明らかに、どうでもいいと語っていた。国王はともかく王妃らにはまあ、妥当な反応であるが、それより自分のコレクションがどうなったか知りたいようだ。

「王子もだいたい想像しておられるのでは? あれだけの火災です。まず無事ではすみますまい」

「……やはり……」

 エリアスは上半身を丸め、両手で顔を覆ってしまった。そんな彼に、ヴィクトアは努めて前向きな言葉をかける。

「王子。本も人形も、また集めればよろしいでしょう。生きていればこそですよ」

「分かっている……分かっているが今は泣かせてくれ……」

「そのような時間がありますかどうか」

「え?」

 王子が涙に濡れた顔を上げた。

「無論、今すぐどうこうという話ではないのですが。クーデターを起こした反乱軍どもが、宮廷にエリアス王子がいないことに気づいたら」

「ど……どうなるというのだ。ここまで追ってくるのか?」

「ここがすぐ割れることはないでしょうが、明朝には移動した方がいいでしょうね」

「……捕まった方がいいのではないのか?」

「なんですって?」

 馬鹿のくせに何を言い出すのだと言いたいのを、ヴィクトアは寸でのところで飲み込む。だが思いは伝わってしまったようだ。

「お前も思っている通り、私は馬鹿で、ニートの王子だ。だがこんな役立たずでも、父上の身柄と交換してもらえるのではないか?」

「あなたが馬鹿なのは、勉強をしてこなかったせいです。ですが、それは馬鹿の考え休むに似たりというところですね」

「つまり馬鹿ってことじゃないか」

 自分で言いながらエリアスは頬を膨らめている。ヴィクトアはため息をついて、その場に跪いた。忠誠を示すと言うよりは、言い聞かせるために目線を近づける目的であったが。

「いいですか。反乱軍ということは、王政に不満を持っているということなのです。そう言う者らが王妃様やお兄上方を容易く殺してしまう理由がわかりますか?」

「いや、全然」

「彼らが、美しくないからです。中にはそれでも構わないと言う猛者もいるかもしれませんが」

「猛者なのか」

「ブサ専というジャンルがありますゆえ。しかしあなたは違う。しかも王族そのものといった美しさだ。例え馬鹿でも」

「一言余計だぞ」

「無駄な美しさを持つ以上、彼ら反乱軍の慰み者にされてしまうでしょうね。男でも穴はありますからね。括約筋が壊れて垂れ流し状態になってもやめないかもしれません」

「……。私は男だぞ」

「性別など関係ないのです。彼らは王族が穢せればそれでいい」

「じゃあまさか、父上も……!」

「彼らの中にジジ専がいないことを願いましょう」

 エリアスは項垂れてしまった。だが一応、父親の心配はしていたようだ。母親は宮廷を追われて以来国外へ行ったと言うことだから、心配せずともいいのは怪我の功名と言ったところか。

「王子。こうなった以上、もう祖国へは帰れないと思った方がよろしいでしょう」

「では、どうするのだ。このヒノモトで暮らしていくのか?」

「いかにも。ただそのためには」

 ヴィクトアは腹に力を込めて言わなくてはならなかった。思った通りに事が運んだと、うっかり喜んでしまわないようにするためだ。

「働かなくては、なりません」


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