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「働きもせず、物や金をぐうたらと消費する生産性のかけらもない物体をなんというかご存知ですか、エリアス王子」

「うん」

 静かに問いかけるのは、従者のヴィクトア。栗色の髪をした二十歳前の、まだ少年の面影を残した若者である。アメジスト色の瞳には聡明さが宿っている。

 一方問いかけられたエリアスは、豪奢なベッドに行儀悪く寝転がって、明らかに話を聞いていない体で生返事を寄越すだけだった。父譲りの金髪碧眼と、母譲りの少女のような可憐なかんばせに華奢な体躯で、とても従者と同い年には見えない。

 その彼が、王族にしか着用が認められていない特有の刺繍模様の入った絹の衣をまとっていても、その姿はまさしく「ぐうたら」以外の何者でもなかった。

 そしてその部屋は、十分な広さが与えられているにも関わらず所狭しと置かれた書籍や玩具のせいで、圧迫感を覚えるほど窮屈な状態になっている。

 ヴィクトアはその中の一つを手に取った。精巧につくられたガラス製の美少女の人形。ふわりと浮き上がるスカートの襞などは細かすぎて見事な職人技と感嘆せざるを得ないが、異様なまでに少女性を強調したそれは明らかに現実離れしていて、気色悪さしか湧かない。

 それでも王子が彼以外を部屋に入れたがらないせいで、埃を払うのはヴィクトアの役目である。本来は彼の仕事ではないのだが。

「王子」

「うん?」

「話を聞いてくださらないのなら、壊しますよ」

「!? らめえええ!」

 本気で叩き落とすつもりはなかったが、振り上げた人形を見て王子が血相を変えた。寝そべって読んでいた本を放り出し、無理やりにヴィクトアの手からそれを奪い取る。といっても背はヴィクトアの方が高いため、彼の意思で下した腕からもぎ取ったに過ぎないが。

「私の『りあむたん』になんということをするのだ、不埒ものめっ! これは世界に3体しかない激レア品だぞ!」

「それは存じませんで。しかしこうしなければ王子が行動なさらないことは存じておりましたので」

「だいたいお前は私の所有物をなんだと心得ているんだ! ここにあるのは宝物庫の金銀財宝などとは比べ物にならないお宝なんだぞ!」

「僕にはガラクタにしか見えませんが」

「ガラクタだと……!?」

 まるで動じた風もなくあくまで涼しげに答えるヴィクトアに、ショックを受けたように固まるエリアス。大事に胸に抱いていた人形の『りあむたん』を側へそっと置くと、震える指を彼に突きつけた。

「よくも言ったな! 不敬罪で貴様を牢獄へぶち込んでやる!」

「残念ながら、王子にその権限はありませんよ」

「何ぃッ!?」

「僕の人事権限および行動をつかさどっておられるのは国王陛下ですから、王子には何もできないのです。例え僕がここで、あなたにどんな悪事をしようともね」

「な、なんだと……!」

 エリアスは蒼ざめて、怯えるように自らの両腕を抱いた。もっともヴィクトアは、彼に何かしようというつもりはないし、国王とてその信頼があるから従者を任せたのである。

「私に乱暴するつもりだな……エロドウジンみたいに!」

「王子は少々、ヒノモト皇国の文化にかぶれすぎですね」

 このエリアスは、隣国の、特にサブカルと呼ばれる文化が殊の外お気に入りだった。先刻放り出した本もかの国でドウジンシと呼ばれる薄い書籍であり、生返事をしていたのはそれに夢中になっていたからだった。

「逃げ回っていないで、ヒノモト語以外の言語も覚えてはいかがです?」

「別に逃げてなどいない。ただその時間になると、お腹が痛くなったり頭が痛くなったりするのだ」

 王子は用は済んだとばかりに従者に背を向けて、いそいそとベッドに戻った。続きを読ませてなるものかと、ヴィクトアは先回りして薄い本を取り上げる。

「そうやって仮病ばかり使っているから、あなたの学力レベルは見るも無残なほどに低いんですよ」

「低くたっていいだろう別に。返せ」

「良くありません。もはやお兄上方と並ぶほどですよ」

 辛うじて並んでいないのは、エリアスがヒノモト語を完璧にマスターしているおかげである。

 エリアスは兄のことを出されると顔をしかめた。

「兄上たちと私は違う」

「ええ、むろん。あなたの方がやればよほど優秀な成績を治められるはずですよ」

「そういうことじゃない。私は第三王子だぞ」

 ヴィクトアの手の中にある本を奪い返すことは諦めたエリアスは、ベッド脇に積んであった別の本を手に取った。そして再びごろりと寝そべる。

「私がいくら勉強しようが、王位はどちらかの兄上が継ぐのだ。だったらもはや、好きに生きた方が建設的であろう?」

「それはどうでしょうかね」

 エリアスの上の兄である第一王子のエトヴィン、第二王子のエーレンフリートは、いずれ劣らぬ馬鹿揃いであった。その上、権力を傘に着て大威張りしているため、宮殿内でも評価は低い。そのせいか国王エマヌエル一世は跡継ぎをこれと決めておらず、それはすなわち第三王子の彼にお鉢が回ってくることも十分に予測できると言えた。

「好きに生きるとおっしゃいましたが、そのための費用はどこから捻出されているかご存知ですか?」

「どこって、民から徴収した税金だろう?」

 面倒そうに答えるエリアス。ちなみに同じ質問をしても、彼の兄たちは答えられないと言う噂である。

「そう、民たちが、汗水たらして働いた給金の一部を差し出しているのです。ですが、王子。あなたはそれを受け取るに見合う労働をしていますか」

「何を言っている? 私は王子だから働く必要は」

「王子にも仕事というものがございます」

 ヴィクトアは話を聞いてもらうため、ベッドにのしかかりエリアスの持っている本を押しのけて、彼に顔を近づけた。

「王子としての鍛錬や勉強に加えて、王の名代として各所に顔を出すなどの、接見、視察。また教会への礼拝もその一つです。定期的な周辺国への訪問や、舞踏会や晩餐会への最低限の臨席もです」

「教会は嫌だ。あの高さ至上主義の場所が嫌いだ」

「それは一万歩譲って目をつぶるとしましょう。しかしあなたはそれ以外も、どれ一つとして行っていませんね?」

「ど、どれ一つってことはないぞ。ヒノモト皇国へは何度も足を運んで」

「それはお忍びで、でしょう!」

 突然声を荒げたヴィクトアに驚いて、エリアスが身をすくませた。

「あのお兄上方ですら、嫌々とはいえ僅かたりともその役目を果たして民の前に顔を出しているというのに、あなただけですよ! いったいどんな不細工なのかと噂されているのは!」

「ええっ」

 ただしくは、不細工すぎて表に出せないのだろうと同情的な目を向けられているのだが、とはいえ実際憐れまれているのは国王その人である。特に上の二人が馬鹿な上に、器量も並み以下なものだから。

「一目でいいからちらりとでも顔をお出しになれば、国民感情はあなたを後継者にと望むでしょう。そうすれば国王陛下とて民の声を無視できなくなるでしょう」

「わ、私が後継者? 無理だ、そんなの」

「ええ、無理でしょうとも、今のままではね。ですから」

 ヴィクトアはにっこりとほほ笑んで、恫喝するように囁いた。

「どうぞ、働いてくださませ、王子。あなたのように金や物をただいたずらに浪費して怠惰な生活を送る人のことを、ヒノモト語で『ニート』と言うのですよ。ちなみに褒め言葉ではありませんから」

 エリアスの可憐な少女じみたかんばせが、静かに怒気を発する従者から目を離せぬまま、ひくりと引きつった。


 正確には、ヒノモト皇国が発祥の地ではない。だがこの王子には、ヒノモトのことを絡めて言うのが一番効くのだ。

「しかしそう急に言われても、やる気は出ぬのだ」

「せめて自国の歴史ぐらい覚えてください」

「ドウジンシになっていれば、覚えるのだが」

「……でしょうね」

 むしろ一ジャンルを築いているというヒノモト皇国の歴史の方が覚えている有様だった。

「なぜわが国ではドウジンシは発展しないのだろうな」

「まず感覚が異なりますから」

 王子の好むヒノモトの絵柄は、かわいくデフォルメしたものが多い。対して我が国グリッツェン王国は、見たままを精巧に描く方が貴いとされる。工芸品も同様だ。そのため幾人もの名画家や工芸作家を世界に向けて輩出してきた歴史があるのだが、エリアスにはつまらないものとしか映らないようだ。

「だが、かの国の即売会で、我が国出身者が出店していることもあると聞くぞ。会場が広すぎて、会えた試しがないが」

「コスプレもしていますからね」

 グリッツェンとヒノモトは、髪や瞳の色こそ違えど、顔立ちは意外と近いのだ。紛れてしまえば分らないのは、お忍びでイベントへ訪れる王子に誰も気づかないのと同じである。

 その王子が珍しく国内事情に憤慨している。

「何よりインターネットなどの環境が一向に整わないのはなぜだ!」

「辺境の、小国ですからね」

 隣国とは言うが、海を隔てた先である。各国に向かって敵愾心をむき出しにしているわけでもないのに、大使館すら数えるほどしかない。

「国民の半数が農業従事者ですから、ネットを必要とはしていないでしょう」

「なんたること。それでは民が何を望んでいるか、いちいち聞いて回らねばならないではないか」

「そのための視察ですよ、王子」

「私が王位についた暁には、ヒノモト皇国から技術者を招いてネット環境を整えてやるからな」

「それは頼もしいお言葉」

 では仕事をしましょうと持ちかけようとしたヴィクトアだったが、一時的な盛り上がりは所詮一時的でしかなく、王子のやる気はすぐさましぼんでしまった。

「しかし父上はお元気だし、兄上たちもおられるし、私の出る幕ではあるまい……」

「怠惰な生活はしかるべき責務を果たしてからなさいませ、王子」

「責務など、急に言われても、どれから手を付けていいのか分からぬ!」

 だらしなくベッドに寝そべりながら逆切れする第三王子を、他人の子供を見るような目で見下げながら、従者が言う。

「どれでも、少しずつ始めましょう。勉強が嫌になったら鍛錬を。それが嫌になったら視察を。しかしただ見て回ればいいと言うわけではありませんから、しかるべき知識を持っていないと恥をかくのは」

「私だと言いたいのだろう」

「いいえ、お父上の国王陛下です」

 途端にエリアスは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。子育ては乳母や部下らに任せきりの国王は、めったなことで息子たちに声をかけることはない。だがその目は口以上にものを言っているため、見つめられるだけでどの子も竦んでしまうのである。

「父上はヴィクトアのようにがみがみと叱らぬから、怖い」

「僕がいつがみがみ叱りましたか?」

「訂正する。お前はネチネチ叱るんだ」

 誰のせいだ、とヴィクトアは心の中で舌打ちした。彼とてこうまで執拗にネチネチなどしたくないのだ。

 そもそもヴィクトアは、第三王子の従者で終わるつもりはなかった。エリアスには何としても、王位についてもらわねばならない。今の生活を是正できるなら何をしてもいいと、国王より太鼓判すらもらっている。

「あーあ。やる気がそがれた。ヴィクトアのせいだ。せっかくやろうと思ったのに」

 ごろごろしながらエリアスが言う。その薄い腹に拳を叩き落としたいところだったが、苛立ちをぶつける許可まではもらっていないので我慢する。

「そもそも働く気がおありなのですか。ないのなら廃嫡してもらうという手もございますよ。少なくとも王位継承争いには巻き込まれずに済みます」

「え……それは、困る……。だってイベントに行けなくなっちゃう」

「別の方法で稼げばいいでしょう」

「別のって」

「仕事はなんでもありますよ」

 一応、エリアスが買い占めたお宝の財源がどこから出ているか知っている分、マシだと思うべきなのか。聞けば上二人はそんなこと考えもせず散財しているということだ。しかしここまで言わないと焦らないのも、困りものである。

「仕事……私にできることなど、あるだろうか」

「探せばありましょう。世の中には多種多様な仕事があふれていますから」

「できれば働かずに生きていきた痛いっ」

 あまりに舐めたことを言うので、思わず手が出た。バチンといい音がして、王子の顔がぶれる。

「失礼、虫がおりましたもので」

「頬に!?」

「働かずに喰う飯はうまいですか、王子」

 ぶたれた頬を押さえながらも、ここで「シェフのごはんはいつだっておいしい」などというボケた発言をしないエリアスである。

「わ、私だって、このままでいいとは思っていない……」

「本当に、そう思っておいでですか」

「だって、世はネット社会だと言うのに、我が国のありさまときたら」

「……王子が王位につかずとも、王に進言すると言う手はありましょう」

 エリアスはどうしてもネットにつなぎたいようである。しかし王位につくより難しいと言う顔で、彼は再びベッドに寝転がった。

「父上が私の話など聞いてくれるものか。こんなぐうたら王子」

「分かっておいででしたら、改善するのみです。僕もお手伝いいたしますから」

「違うんだよ、ヴィクトア。これは父上に対する反抗だ。働いたら負けなんだ」

「グリッツェンの財源を食いつぶすおつもりですか? こんな国、滅びて仕舞えと」

「そこまでは思ってない。というか、そんな大それたこと、私に思えるはずもなかろう」

 どこまで本気かは分からなかったが、今の状況で王子の仕事をする気はないようだ。

 そうなるともう、ヴィクトアが心に秘め続けた計画を実行するしかないようだ。しかしそれにはもろもろの協力を仰がねばならない。エリアス王子以外に。

「大丈夫ですよ、王子。王子は仕事をなさいます。できますとも」

「お前に請け負われてもな」

「全てこのヴィクトアめにお任せくださいませ」

「痛い痛い頬を引っ張るな」

 跪き、力強く笑みながら、余計な口をきく王子の柔らかな頬を引っ張る従者の考えを、痛みに呻く彼は僅かたりとも知るよしもない。


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