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家族

 群馬県某所、青い屋根の一軒家のある一室で、ベッドに一人の男が眠っている。男の名前は埴生旅夜(はにゅうたびや)。この家の主で、若くして大企業の経営陣に登り詰めた男だ。人はそんな彼を羨ましがり、同時に嫉妬した。むざむざ若手に経営権を取られたのだ。嫉妬くらいするだろう。そういう思いが交錯するその中でも彼は毅然(きぜん)と前を向き、己が勤める企業が成長する為の戦略を次々に打ち出した。それらは(ことごと)く成功し、彼の地位を不動のものにしていく。彼を気に入らない者たちも、彼の実力を認めざるを得ない状況になるほどに彼は優秀だったのだ。

 そんな彼は普段は夜明けとともに起きる。その彼も仕事が無いこの日ばかりは惰眠(だみん)(むさぼ)っていた。

 旅夜の部屋に柔らかな朝日が差し込み、その顔を照らすと、彼は瑠璃色の瞳を眩しそうに細めながら目を開く。彼がまだ眠い目をこすりながら体を起こすと、台所の方から良い匂いが漂って来た。恐らく彼の妻が朝食を作っているのだろう。

 旅夜はベッドから降りてクローゼットに向かうと、その中から愛用の室内着を取り出しそそくさと着替える。ふんわりとした明るい(あお)のティーシャツとチノパンは、彼の休日の定番だ。

 彼はパジャマをきちんと畳み、枕元に置くと部屋を出る。顔を洗い、肩を流れ下る夕陽色がかった紺色の長い髪を整える為だ。

「パパ、おはよう」

「あぁ、おはよう。早苗」

 微笑みながら挨拶をした妻に、旅夜は同じように微笑みながら挨拶を返す。この朝の挨拶は二人が結婚して以来続く、惰性のような儀式でもある。この挨拶をかわすことで、お互いに体調を確認しあっているのだ。声の調子、表情、姿勢、その全てから相手の体調を()(はか)る。二人にとって最も大事な行事なのだ。

「早く顔洗って来たら? もうすぐ朝ご飯よ」

 フライパンでスクランブル・エッグを作りながら微笑みを浮かべ、早苗は旅夜を促した。

「あぁ、分かった」

 旅夜はそう返事をすると洗面所に向かい、顔を洗い始める。いつ見ても清潔感溢れる洗面所は居心地が良い。

 旅夜は早苗に感謝していた。旅夜は周りと異なり、歪んだ思想を好む男だ。そんな自分を受け入れ、妻となった早苗が旅夜は誇りだった。優しい顔立ちをした彼女との間には、10歳と8歳になる息子たちにも恵まれた。父でもある旅夜は子供たちの前では、自分の歪んだ一面を決して見せなかったが、不思議と早苗と居るとその一面が出ることはなかった。

 顔を洗い終わり、居間のテーブルの席に着いた旅夜の元に子供たちがやって来た。

「父さん、おはよう」

「おはよ……」

「おはよう、優太、真琴」

 旅夜は二人の息子たちの頭を撫でながら、微笑んだ。やはり息子たちの顔を見れることは嬉しいのだろう。

「父さん、今日は遊べるの?」

 優太が期待を込めた瞳で聞いてきた。よほど旅夜と遊びたいのだろう。澄んだ琥珀色の瞳がいつになく輝いている。

「あぁ、遊べるぞ。昨日の内にするべきことは済ませたからな」

「本当!?」

 優太と真琴は目を輝かせ、同時に言った。

「あぁ、本当だとも」

 その言葉に嘘はなかった。最もするべきことと言うのは夢である不老不死の研究と自らの歪んだ欲求を満たすことなのだが、それを二人が知ることは無いだろう。そういうやり方を提案したのは早苗だ。そのおかげか、今までこの生活にストレスを感じたことはなかった。

「朝食の時間よ。席に着きなさい」

「はぁい」

 早苗に促され、優太と真琴が自分たちの席に着く。食卓に並べられた朝食は、スクランブル・エッグに野菜サラダ、クロワッサンだった。

「いただきます」

 早苗が席に着いた所で家族揃って手を合わせ、おいしそうな朝食を食べ始めた。

「真琴、しっかり野菜も食べるんだぞ」

「……はぁい……」

 元々野菜があまり好きではない真琴は、旅夜に言われ、渋々(しぶしぶ)野菜を口に運ぶ。ちゃんと野菜を食べた真琴に旅夜は、頭を撫でて誉めた。一つ壁を越えたのだ。誉めない理由は無い。

 全員が朝食を食べ終わり、早苗が食器を洗い始めると、優太と真琴は旅夜の所にやって来た。

「父さん、遊ぼう!」

「まだ駄目だ」

「えー、なんでー?」

 優太と真琴はあからさまに頬を膨らませたが、旅夜は二人に構わず朝刊を読み始める。こうやって無視しているような対応を取るのが旅夜は好きだ。

「まだ宿題が残っているんだろ? 午前中に宿題を終わらせたら、遊んでやろう」

 旅夜は悪戯っぽい笑みを浮かべ、さながら王様のような口調で二人に告げる。旅夜の宣告を聞いた優太と真琴は、嬉しそうに顔を輝かせながら、宿題を終わらせる為に自分たちの部屋に入っていった。ノルマさえ達成してしまえば、遊んでもらえると分かったのだろう。子供たちが部屋に入った後、早苗が二人分の珈琲をテーブルに置き、旅夜の正面に座った。

「パパのおかげで、あの子たちも宿題を終わらせてくれるから大助かりね」

「それはお互い様だろ? ママだって平日はあの子たちに宿題をさせているし」

「自分の意思でしてくれるのが、一番良いんだけど……」

「そうだな」

 旅夜はコーヒーを一口すすった。息子たちと遊ぶ。その為だけに、彼らに宿題をさせる。この方針がいつまでも続くわけではないことを、旅夜は分かっていた。続かせてはいけないのだ。いずれ自分たちの意志で宿題をするように、教えなければならないだろう。



 子供たちが部屋に入ってから数時間後、意気揚々と彼らが部屋から出て来た。旅夜は息子たちが出て来るとすかさず、自分の所に宿題を持って来るように言う。最初に宿題チェックをする為だ。優太と真琴が宿題を旅夜の所に持って来ると、旅夜は二人の宿題をチェックし始めた。二人がきちんと宿題をしたか確かめ、さぼりをしていないか確認する。これもいつもの光景だ。

「ふむ、今回はちゃんと終わらせたようだな。よし、昼飯を食べ終わったら、遊ぶぞ。何して遊びたい?」

「やったぁ! 俺はゲーム!」

「キャッチボールがしたい!」

「優太がゲームで、真琴がキャッチボールか……。今日は天気も良いし、キャッチボールから先にしようか」

 旅夜が微笑みながら言うと、二人は嬉しそうに飛び跳ねた。

「その前に手を洗ってらっしゃい。お昼よ」

 早苗の一言で、三人は慌てて洗面所に駆け込んだ。あまりゆっくりしていると早苗が怒りかねない。宿題をチェックしている時から待たせていたからだ。三人がテーブルに戻って来ると、テーブルの上にうどんが既に並んでいた。相変わらず手際が良い。

「いただきます」

 全員で一斉に手を合わせると、三人は少しでも多く遊ぶ時間を確保する為に、急ぎ目にうどんを食べた。

「あまり早く食べると、喉を詰まらせるわよ?」

 早苗はそんな三人を見て、おかしそうに笑いながら注意をする。遊ぶとなると有能な旅夜でさえも童心に戻るのがおかしかったからだ。それに喉を詰まらせてもらっても困る。

「ケホッ。……変な所に入った……」

「だから言ったでしょう? 次から気を付けるのよ、優太」

「うん」

 早苗は優太の背中を優しくさすりながら諭す。旅夜はそうやって家族を気遣う早苗が愛おしかった。

「食べ終わったら、庭でキャッチボールするぞ」

「はぁい」

 優太と真琴は揃って元気な声で返事をした。これならめいっぱい遊べるだろう。

「ごちそうさま」

  全員で食後の挨拶を済ませると、真琴は自分の部屋から野球ボールとグローブ三つを持って来た。

「早くキャッチボールしよう!」

「あぁ、そうだな。優太もおいで」

「うん。父さん、キャッチボールが終わったら俺の番だからな」

「分かってるさ」

 旅夜は優太の頭を撫でながらにこやかな笑みを浮かべ、息子たちを庭に連れ出す。庭には様々な木や花壇があったが、キャッチボールをするのに困ることはなかった。花壇を赤い煉瓦で作ってあったからだ。それにキャッチボール用のスペースも確保してある。ホームランでもしない限り、花壇に迷惑をかけることは無い。

「さぁ、来い。真琴」

「行くよー」

 そう言うと真琴は綺麗な放物線を描き、ボールを旅夜に投げた。それを受け止めると、旅夜は優太にボールを投げる。それを難なく受け止めた優太は、真琴にボールを投げた。だがボールは、真琴の頭の上を通り過ぎて行く。

「あ、ごめん!」

「もう。兄ちゃん、ちゃんと投げてよー」

「ごめんって」

 ボールを取りに行きながら文句を言っていた真琴に、優太は苦笑いしながら謝る。旅夜はそんな息子たちを微笑ましく思い、穏やかな笑みを浮かべていた。

「父さん!」

「……ん? あでっ!」

 ボーとしていた為か真琴が投げたボールが旅夜に当たった。旅夜は苦笑しながら、優太にボールを投げる。

「父さんもちゃんとボール見なよ」

「すまん、すまん」

 旅夜はどこか嬉しく感じながら言った。いつまでもこうやって誰かを注意できる心を持ってほしい。あわよくば優しい温かな心も持ち続けてほしい。そう願わずにいられなかった。



「さて、三時間経ったし、ゲームをするか!」

 旅夜が声をかけると、優太と真琴は飛び跳ねた。二人ともゲームが好きなのだ。優太は家に上がると、アクションゲームを取り出しテレビに繋ぐ。ゲームを繋ぎ終わった頃、旅夜たちもテレビの前にやって来た。

「じゃあ、始めるよ」

「おう! 今度こそ兄ちゃんに勝つからな!」

「父さんが勝つんだ」

「父さんは負けるだろうねぇ」

「何!? じゃあ、勝負だ!」

「おう!」

 優太の合図と共に、ゲームが始まると三人は勝負を始めた。早苗はそんな様子をただにこやかに微笑んで、見守っていた。旅夜を挑発する優太の生意気さが微笑ましく思えるのも今の内だろう。ゲームを始めてしばらく経つと、三人はゲームに熱を入れ、勝負もヒートアップしていった。

「なっ!? くそっ、ていっ!」

「父さん、そんなんじゃまた負けるよー?」

「今度は負けん!」

「あははっ、父さんよわーい」

「よそ見は頂けんな」

「あっ! くっそー、負けたー」

 優太が旅夜を負かせると、旅夜は油断していた真琴を負かせた。旅夜は真琴に勝ったことで上機嫌になったが、その時背後からゲーム機を取られてしまった。

「いつまでゲームをしているの? 夕飯、出来たわよ。さっさと片付けなさい」

 ゲームをしていた三人は一斉に溜め息を吐いた。ちょうど良いところで終わらなければならないとなると、こういう反応にどうしてもなってしまう。

「あら、何か不満でもあるの?」

 早苗がそう尋ねると、旅夜は苦笑して答えた。

「いや、楽しい時間が終わってしまったなぁって思ってな」

「母さん、もうちょっと遊んでもいいでしょ?」

「駄目よ、優太。さっさと片付けて手を洗って来なさい」

「……はぁい……」

 優太たちは渋々ゲームを片付け、ゆっくり腰を上げると洗面台に向かった。洗面台で順番に手を洗っている間も、優太と真琴は溜め息を溢していた。

「母さんっていつも時間に五月蠅(うるさ)いよな」

「もうちょっとだけいいよね」

「まぁ、母さんもお前たちのことを思ってのことだろうから我慢しなさい」

「父さんはどっちの味方さ」

「楽しい方だ」

「何それ」

 旅夜が曖昧な答えを言うと、優太と真琴は同時に怪訝(けげん)な顔で呆れたように言う。旅夜はそう言うことだ、と苦笑するしかなかった。三人が手を洗い終えテーブルに戻って来ると、早苗がツナサラダとカレーライスを並べて待っていた。早苗は三人を見ると、にこやかに微笑み三人に席に座るように促す。先程とは180度態度が違う。三人が席に座ると全員で手を合わせ、夕食を食べ始めた。

「今日のカレー美味しい」

「うん。母さんって何でも美味しいよね」

「不思議だ」

「パパまでどうしたのよ」

 旅夜がふむと考えていると、早苗が不思議そうに旅夜に聞いた。旅夜は早苗に神妙に答えた。

「ん? 料理が上手な奴と下手な奴がいるのが不思議だな、と」

「皆が皆同じじゃないのよ? ちゃんと個性があるんだから」

 旅夜はそうだな、と言うとカレーを平らげた。全員が食べ終わると、旅夜は息子たちと風呂に入る。その間に早苗は食器を洗って、水気を落とす為に仮置き場に食器を置いた。しばらくすると、旅夜たちが風呂からあがって来たらしく居間に現れる。

「お風呂あがったよー」

「はいはい、子供はそろそろ寝る時間よ」

「はぁい」

 優太と真琴は早苗が寝るように促すと、素直に部屋に入って行く。優太たちが部屋に入ったのを確認すると、早苗は風呂に入った。それから一時間後、早苗が風呂から上がり、風呂を簡単に綺麗にして出て来ると、旅夜がソファに座って待っていた。

「先に寝ていてもいいのに」

「なに、気まぐれで待っていただけだ。その方がお前と過ごす時間が増えるだろう?」

「まぁ、パパったら」

 早苗は小さく笑うと、旅夜の横に腰を下ろした。その途端、彼女の髪からシャンプーのいい匂いが広がる。旅夜はその匂いをたっぷり吸うと早苗の髪を撫で、そっとキスを落とした。こんなことをするのは10年ぶりくらいだろうか。早苗は頬を薄紅に染めると旅夜を恥ずかしげに見つめる。三十路を過ぎても風呂上がりの彼女は色っぽい。

「もう寝るか」

 旅夜は名残惜し気にソファから腰を上げ、早苗に手を差し出した。早苗がその手を取ると、優しく立たせて一緒に寝室に向かう。二人仲良く廊下を歩き寝室に入ると、ベッドに潜り込んで眠りに就いた。



 翌朝、旅夜が目を覚ますと、既に早苗は起きているらしくその姿はなかった。おそらく朝食でも準備しに行ったのだろう。そう思い、旅夜も会社に行く支度を始める。まず、洗面所に行き、顔を洗って髪を整える。そして、一旦部屋に戻ってクローゼットからアイロンがきちんとされているカッターシャツと紺のズボンを取り出し、てきぱき着替える。そこまでしてからネクタイをコンパクトに丸めて鞄に放り込んだ。何も家を出る前にする必要はない。旅夜はそう考えていたからだ。

「おはよう、早苗」

「おはよう、パパ。時間があるなら子供たちを起こしてくれる?」

「わかった」

 旅夜は郵便受けまで新聞を取りに行くとその足で子供部屋に向かった。子供たちはすやすやと気持ちよさそうに眠っている。ここで起こすのはなんとなく後ろめたい気もしたが、早く起こせばそれだけ遅刻しないで済む。そう思い、優太と真琴を同時に()する。これも旅夜が長身だから出来ることだ。

「さっさと起きろ。遅刻するぞ」

「んー」

 遅刻と言う単語を出しても起きる気配はない。ここは多少手荒だが、あの手を使おう。旅夜は部屋のカーテンを開け、布団を引きはがした。その上で二人をさっきよりも激しく揺する。そうしながら一人ずつくすぐるという器用な真似もこなした。そのおかげかようやく優太と真琴は目を覚ます。

「母さんが待っているぞ。さっさと支度しろ」

「はーい」

 寝ぼけ眼で返事をした息子たちにくすりと笑みを溢した旅夜は、「ちんたらするなよ」と言い残し部屋を出た。廊下を歩き、テーブルに着くや(いな)や新聞を読み始める。これでいつも通りの朝になったはずだ。そう心の中で呟いていると、味噌汁とご飯、きゅうりの漬物が並んでいた。そこからはいつも通りに全員でいただきますとごちそうさまをして、洗面所で歯を磨く。と言ってもあまり歯を傷つけてはいけないから、うがいをしっかりしてからしたのだが。そうして子供たちを送り出し、再びテーブルに着くと時間が来るまでゆっくりと新聞を読む。

「そろそろ時間じゃない?」

 早苗にそう言われて時計を見ると出勤する時間になっていた。旅夜は「そうだな」と短く言い、鞄を持って玄関に行くと早苗が見送りに来る。

「行ってらっしゃい、パパ」

「あぁ、行ってくるよ、早苗」

 ジッパー式の白いコートを羽織った35歳の男は、白い光の中に足を踏み出し、いつもの仕事場に向かって行った。

不老不死を追い求めるエリートサラリーマンの埴生旅夜。

彼は自身の頭脳と力で夢を追う中で、とある陰謀に巻き込まれていく。

その中で、彼は何を見て何を得るのか。


これはそんなお話の外伝です。

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