卯 月 【うづき】
「人とは、面白きものよのう」
「そんなもんかね」
1人分の洗濯物をたたみながら、傍らに応える。
「我を見て、妖と呼ぶものあり、恐れ敬うものあり、また見えぬものあり」
指折り数えて、この居候はにやりと笑う。
「ぬし殿のように驚きもせぬものあり」
「驚かなかったわけじゃないけどさ」
新居の扉を開けて真正面に人魂が浮いていたら、大抵は驚くと思うが。
「我が人魂であろうとも人形をとろうとも、こうやって住まわせておるではないか」
「開口一発、『家主殿か、よしなにの』と言ったのは、お前さんじゃないか」
「それで納得したのはぬし殿であろうに」
無難な会社勤めを諦めて、安い賃貸に越したのがこの春のこと。
うらびれた不動産屋の、破格に安い築28年モノを、更に値切って借りた挙げ句がこのていたらく。
「憑き物付き賃貸、なんて、看板にも契約書にも書いてなかったんだけどな」
引っ越して、この変な居候と暮らしはじめてはや1週間。年寄りのような口調の突飛な会話にも、流石に慣れてきた。
「あの貸し主は我が見えんでのう。いままでの家主殿らが苦情を訴えても首をひねっておったよ。ぬし殿が何も言わぬで、安心しておるであろうの」
擦り切れても変える金もない六畳一間の畳に、煤けた黄緑色の狩衣を着た居候が胡座をかいている。
土地神、なのだと言う。
一体何者だと聞いた返事がこれだったから、最初から悩むことを諦めたのだ。
「大昔は人であったようだがのう、忘れてしもうた」
「祟ったンで、慌てて祀られたクチじゃないか?」
そうかもしれんのう、と笑って返すその顔は、5~6歳の子供に見える。立ち居振る舞いは年寄りじみているから、その落差がなんとも可笑しかった。
最初は半信半疑だったが、壁やら床から出たり消えたりしているところを見ると、どうやら本物らしい。
害もないから放っておいているが。
「バイト決まったからさ、明日から昼間はいなくなるけど、大人しくしてなよ。バツイチで子供でもいるんですかなんて言われたら、ちょっとたまんないから」
「ぬし殿のおらぬ時は寝ておるさ。ところで、ばいと、とやらは、なにになったのじゃ?」
「古本屋」
一言で済ませた答えに、居候が声高く笑った。
「ぬし殿は書痴であるからの」
「阿呆、ただの本の虫だ」
憮然と返したが、先方が納得したようには見えない。本の重みで床が抜けるからと言う理由で1階を選んだ人間が言うには、説得力のない反論だったから仕方がない。
「ま、店先で読み出さぬようにのう」
「よけいな世話だ」
数少ない所帯道具の煎餅布団を敷いて、薄っぺらな毛布にもぐり込む。
漆喰塗りの押し入れでしっけた敷布が、少し冷たかった。
「春でよかったな。金が貯まるまでに凍死する心配だけはない」
思わず呟くと、壁のほうから鍋が煮えるような忍び笑いが聞こえてきた。
「早く寝ろ、この不良土地神」
「ぬし殿こそ、寝坊せぬようにの」
窓の外で、勘違いしたのか寝ぼけたのか、うぐいすが一声啼いた。
風の音がよく通る。
明日も、晴れるらしい。