第4話
シノブがインカムから聞いた、それは今回のターゲットがルークであるという情報だった。
「うへ~」
自由時間、いつものように食堂で端末を開いたシノブ達の隣でルークが唸り声をあげた。傍らには何枚かのディスクと紙資料が置いてある。彼はそこに突っ伏すように頭を抱えていた。
「一週間でレポート3つってひでぇ…」
「これでも今回はマシな方よ」
「まぁ、高い授業料だったと思って甘受するんだな」
へこむルークに、シノブとジーンはお互い手元を見たまま視線を向けようともせずにあっさりとした意見だけを口にする。
わかっているけど、もう少し優しさがほしいと、逆恨みっぽいよなぁと自覚しながら思う。シノブの口元が、さり気に柔らかく笑った形になっている事くらいが救いかもしれない。
ルークは確かにアイマンを確保した。腕をひねりあげて頭を地面に押さえつけその動きを封じたところまでは確かによかったのだ。
通常授業中の組み手なら、そこで終わりだ。これが知らない相手ならばルークも気は緩めなかったと思う。相手がなまじよく顔を合わせる担当教官だった事が災いした。
シノブが制止するよりも早く、ルークは手を緩めていた。
「訓練の終了が宣言されるまでは、確保した侵入者は拘束しておく。これは必須ね」
「ア~イ・マム」
結局そのままルークが確保され、その場で訓練は終了した。おかげでルークは肩身が狭い事この上ないのだが、意外にも他からの評価は悪くない事が判明した。
もとより、よくわかっていない新入生を抱えての訓練だった事もあるらしい。今回は負けることもありだと、みんなどこかで思っていたようだ。しかもルークは、最後こそしまらなったが教官を確保していた。その技術が高く評価されたと言うのだ。
ポン、とルークの肩が叩かれた。振り向くと同級生がニヤリと笑っていた。えぇと、こいつは…、あぁ、隣の部屋のアランだ。
「なんだ、ルーク。シノブ達に教えてもらってんのか~?」
「う~ん。グレイツ先生、ここんとこ教えてくれます?」
「高いぞ」
「だってさ」
こんな軽口を通りすがりの同級生ときけるようになったのも訓練以降からだ。
結局今回の訓練はよくある通過行事をおぜん立てしてくれたのだと思う。どこかでケンカでも起こされてはたまらないとでも思ったのかもしれない。
「2人は課題は?」
指揮官である2人にも相応の課題が課せられていたはずだ。なのにルークのように苦しんでいる様子はない。
「「終わった」わ」
「…まぁ予想はしてたけどさ。いつの間に?」
「資料は潤沢にあるレポートで、しかも規定フォーマット、レポート3ページ程度だろう?」
「資料に関しては暇を見つけて分類してストックしておけば、こういう時にすぐに使えるから、あとはその都度テーマに合わせて要所要所を押さえていけば」
「3つ程度はすぐにできる、と。シノブ、共有フォルダに次回想定の班割入れておいた。あとで確認してくれ」
「了解」
「その班割って、やっぱり2人の仕事なんだ?」
「候補生対教官の構図で行う実習だから。私たち側に教官が関わったのは最初の2回だけ。そのうち2回目は教官は見ているだけだったわ」
「その2回は予告もあったしな。ただ、以降は奇襲形式、すべて候補生側で取り仕切るルールが出来上がった」
「でも2回あったおかげで、それ以降がグンと取り仕切りやすかったわよね」
「ま、今回と同じだろう?」
コキコキと首を鳴らすジーン。この会話の間、2人は一切視線を上げず、さらに一度は合わせもせずに書類を手渡しあう。
「…やっぱりあの強襲ってそういう意味?」
「少なくともルークを目標に設定したのはそういう意味ね」
「お前だってここで羽目外して怪我人出ても困るだろう?」
あっさりと言われて、ルークはあぁ、とため息をついた。
新入りに対して、暗黙の了解の通過儀礼があるのは昔からよく聞く話だ。それが男社会の軍隊ならなおのこと。ルークは一度文句なしに実力を見せつける必要があった。
「ま、お前格闘訓練でシノブ相手にあれだけやってたから、今回の事はダメ押しにしかならんかったけどな」
「ここ一週間でのルークの評判も悪くないしね」
「え~」
『評判』は気になるけれど怖くて聞けない。
「なになに?どうしたの?」
聞くに聞けないと小さく唸っていたルークの後ろからひょっこりと顔を出したのはルミだった。彼女は今回の訓練で標的がルークである情報をいち早く手に入れた功績が認められて課題を免除されている。
「ルークの評判。悪くないわよねって」
「あ、うん。みんな言ってるよ、転校してきた理由が嘘なんじゃないかって思うって。それにね、女子みんなで言ってたんだよね」
そこ、そこが重要。少し期待したルークはドキドキしながらルミの言葉を待った。
「ルークってちょっと可愛いよねぇ~って」
「……え、っと…」
可愛い?それは初めて聞く褒め言葉だ…。というか、褒められてるのか?
「話してみると面白いし、格闘技は強いけど、肝心のところで教官に捕まっちゃうあたりとか。間が抜けてる感じが」
傷口に塩を塗られた気分で、ルークは撃沈された。
褒められてない。それは男として褒められていない。
ポン、と誰かがルークの肩を叩いた。ちらりと見れば、それは隣に座るジーンだった。同性として彼の心境をわかってくれるのだろう。いたわるようにもう一度叩いた後、何とも言えない顔で首を小さく振る。
「気にするな」
「ア~イ・サ~」
「え?え?どうしたの?」
「お前は男心がわかってねぇって話だよ」
「え~!?」
ジーンの言葉にルミはふくれたが、シノブは作業の手を止めて頬杖をついた。意味ありげに笑う。
「そうよね~、誰かさんみたいに異性心理に詳しい人はなかなかいないわよね?」
「わかるかよ。女心なんざ、俺だって不思議以外の何でもねぇ」
「誰もジーンの事だなんて言ってないじゃない」
「目は口ほどにものを言いってな」
少し眉をひそめつつも、シノブと同じように意味ありげに笑って返す。
「あら、正直者は損ね」
一歩間違うと殺伐とした会話になりかねないのに、双方の雰囲気が柔らかい事でかろうじて冗談だとわかる。でも
(怖ぇ~)
この殺伐とした会話はなんだろうか。知らない人間が話の内容だけ聞いていたらものすごく仲の悪い2人だと誤解しかねない。というか、正直あの場面を見ていなければルークは噂そのものがデマなんじゃないかと思っただろう。
「お!やっぱりここか」
コメントのしようがない現状にどう口をはさむか悩んだルークに救いの手は意外なところから差し出された。低い声につられてそちらを見てみればそこにはアイマンが立っていた。彼は真っ直ぐルークたちの座る席に近づいてくる。シノブが勢いよく立ちあがるのと同時に、全員が一斉に敬礼する。彼はそれに軽い調子で答礼すると、楽にしろ、と片手で合図した。その時、袖が落ち、白く包帯の巻かれた手首が見えた。
「…教官、それ…」
「あ?あぁ、たいしたこたぁない。ちょっと違和感があったからドクに診せたら大仰にまかれただけだ」
ルークがアイマンを確保する時にひねりあげた方の手だった。彼は軽く笑いながらそう言ったが、間違いなくルークに責任のある怪我だ。
「すみません…」
「この位は訓練中につきものの怪我だ。それに、謝るのはオレにも失礼だぞ」
アイマンの言わんとするところはルークにも理解できた。対等の立場ならばともかく、アイマンとルークは教官と候補生だ。それもアイマンは白兵戦技も教えている格闘に関してのエキスパート。怪我をしたのはひよっこをさばききれなかっただけでないと、ルークの方が腕が上と言う事になってしまう。
「…え~と…」
かといって、この場合に相応しい言葉もわからない。ルークが言い淀んでいるとシノブが心持ち眉を寄せながら困ったような顔を作る。
「無理はなさらないでくださいね、教官。私たちに出来る事なら何でもおっしゃってください」
「力仕事なら、ホーバン候補生がそっせんして行うそうですよ」
フォローなのか、まっぜ返されたのかわからないタイミングでジーンが付け加えた。が渡りに船。ルークはカクカクと首を振る。そのくらいいくらでも引き受ける心境だった。
「タイミング良く我々に御用がおありのご様子でしたが」
「おぉ、雑用を少しな」
空いていた椅子を一つ自分で引いてシノブとジーンを正面に見るところにアイマンが座る。
「第2シティーの第4師団第2連隊所属の部隊にオレの同期がいるんだが、そいつの持っている部隊との合同訓練ができることになった」
「現役の、部隊とですか?」
「こっちに演習で来るって話を聞いたんだ。ちょうど空きがあるらしいから、同期のよしみでな」
ぶっちゃけた話にシノブが苦笑を浮かべた。
「ねじ込んだんですか?」
「おう、グリグリな。前からお前らの話はしてたし、ホーバンも来ただろう?向こうも興味津々だったから、ま、上司だまくらかすくらいだが」
「何の話をされたのか、すごく気になりますけど」
「優秀でかわいい候補生達がいるって話だよ」
豪快に笑いながら、アイマンはシノブの頭をぐりぐりとなでた。
「日時は来月のあたま。学校外での演習になるから連れて行ける人数は限られる。全部で20人、適当なのを選んで組んでおいてくれ。絶対に行くのはハタノ、グレイツ、ホーバンの3人だ」
「演習の形式をうかがってもよろしいですか?」
「普通の格闘訓練形式を予定してる。基本1対1の対戦形式。興が乗れば多対多もあるかも、だけどな」
「…興が乗れば、ですか」
どう反応するか困ったような表情をするシノブのわきで、ジーンは手際よく端末を操作する。すぐさまアイマンにそれを向けて見せた。
「今のお話を伺っただけなら、このメンバーがいいかと思います」
「さすが、早いな」
アイマンは自分の端末をとりだすと、そこに送れと合図する。データ送信のあと、ジーンは改めて口を開く。
「第2シティーの第4師団第2連隊で、来月第5シティーに来るとなると第1大隊ですか?」
「ん、そうだな。そこの第3中隊の中隊長がオレの同期だ」
「…ウォラス・クーパー大尉?」
「そうそう」
リストを確認しているせいか適当な相づちを打つアイマンをちらりと見ながら、ルークはそっとジーンの後ろに移動して端末を覗き込んだ。簡単な経歴と顔写真がそこに映し出されている。
「……すげぇ~、軍式格闘技の大会での優勝経験者だ」
「88年の第1シティー要人人質事件でも指揮官として活躍してるな」
「88年の要人人質事件って何?」
首をかしげたのはルミだ。視線を向けられてルークは一緒に首をかしげる。…確か…
「何だか会議か何かがあって、偉い人達が集まってるときにテロリスト集団が会場をのっとって立てこもったんだっけ?」
「月と地球間の就航船籍規制緩和の調印式だ」
「各都市の市長と軍の首脳部数人、それに宙航船を多く所持してる大型宙航船会社の上層部が人質に取られての立てこもり事件だったのよね」
「作戦進行の妨害にために報道規制はしかれちゃいたみたいだが、片っ端から番組改編でマスコミも大騒ぎだったな」
「お気に入りの番組がやってないからって、うちは下の兄弟が大騒ぎ」
「うちの兄貴たちは真剣に見てた。軍の部隊の活躍なんざ、まともに見れる機会はそうそうないだろう?」
「あぁ、あの事件のおかげで『宇宙』以外の軍人希望者が増えたんでしょう?一度突入してからが見事だったものね」
「上層部では相当ごちゃごちゃもめてたらしいけどな。あほらしい。現場レベルで有能な指揮官がそろってたから、人質に怪我人は出ても死人は出なかったらしいぞ。……大変だったそうですね、教官」
そんな8つの時のニュースなんかよく憶えてるなとルークがシノブとジーンの会話に感心しているとジーンがさらりとアイマンに話を振った。
「現場にいらっしゃったんでしょう?指揮官で」
「え?!」
シノブまで驚いてアイマンを見上げる。彼はあ~、と人差し指で顔をかいていた。ジーンは自分の端末をシノブの見える位置に移動してやる。
「…ほんと、指揮官でいらっしゃいますね」
「最前線指揮官だ。この功績で中尉に昇進してる」
「…お前、本当にその辺の情報収集に抜け目がないな」
「活躍した新人士官が2人いた話を聞いていただけですよ」
澄まし顔のジーンの横でアイマンが苦虫をつぶしたような顔をして、シノブが心底尊敬したまなざしを彼に向けた。
「オレはそいつと作戦を合わせただけで、たいした事はしてない。すごかったのはオレ達の上司に当たる方で、……ホーバン、お前の後見人だよ」
げ、と今度はルークが苦い顔をした。彼の後見人は軍の高官をしている。士官としては有能なのだろうが、親族としては奔放過ぎて手に負えない人物だ。
「…それは…、さぞやご迷惑を」
後見人に関して愚痴以外をあまり聞いた事のないルークとしては当然の台詞だったのだが、アイマンはぶっと吹き出した。テーブルを叩いて爆笑する。周囲にいた他の候補生達がぎょっとしたように彼に視線を向けたが、それにはシノブが何でもないと片手を振ってこたえた。
「いや、…あぁ、まぁ強い個性をお持ちの方だったが、ずいぶん自由にやらせてもらったしな」
「や、もうそういうフォローはいいです」
「ルークの『後見人』の人ってそんなに面白い人なの?」
「ルミ!」
この聞き方にシノブがたしなめるように彼女の名前を呼んだがルークは大丈夫と笑う。
「面白いって言われて怒るようなタイプじゃないし」
「そうじゃなくて」
「まぁ、確かに軍の高官、それも大将閣下だからな。…でもま、知らない事に目くじら立てても仕方ないだろう、ハタノ」
「あぁ~、そっか。うん、まぁ軍の高官だけど実態は単なる家族バカのおっさんだからさぁ。そんなに気にしなくていいよ」
『家族バカのおっさん』にアイマンがまたもや吹き出す。それでだいたい上司としての後見人の姿の想像もついた。
「嫁バカの親バカ。結婚記念日と家族の誕生日は本人そっちのけで張り切って用意するタイプ。奥さんの誕生日にはひと抱えもある花束持って帰ってくるのは当たり前。本当はその日一日休みを取りたいらしいんだけど、さすがにそうそう休めないらしいから、代わりに絶対残業はしないって決めててさ」
アイマンが笑いながらそうだったそうだったと頷く。
「子供が4人いて、真ん中2人が男の子なんだけど『大きくなったらお母さんと結婚する』って子供らしい発言に大人げなく『父さんのだから駄目』とか即却下だし。娘2人は目に入れても痛くないくらい溺愛するし。正直家族の中じゃ一番ガキっぽかったし」
ここまで来てシノブが頭痛を抑えるようにテーブルに突っ伏した。ルミが目を丸くして、ジーンが苦笑する。アイマンは目じりに涙まで浮かべて爆笑だ。
「いや~、家族の目から見るとこんなに手厳しいか」
「普通の高官がどんな人たちかは知りませんけど、少なくともオレの後見人は几帳面、神経質、常識家のどれにも引っかからない特例士官だと思いますよ~」
「いやいや、現場ではそれなりに有能だったぜ、あの人はさ」
一応な。とフォローしているのかどうかわからない調子でようやく笑いを収めたアイマンが言った。
「メリハリがきいてていいって事だ。…ホーバン、オレの前ではかまわないが他の教官や公式の場では気をつけろな。反省文と基礎訓練の追加だけじゃ終わらないぞ」
「アイ・アイ・サー」
ルークのどこか軽いものの、明快な返事にアイマンはよしよしと彼の頭を叩く。それからジーンの方を見て自分の端末を指さす。
「何人か入れ替えをしてくれ。最前線現役相手の訓練だ。打たれ強いのを入れておかないとコテンパンにノされたあとのフォローが面倒だ。ちょっとくらい力量が足りない程度なら、心配いらん。そのくらいの方がよく伸びる」
「アイ・サー」
「後で改めて相談して、出来るだけ早くリストを転送しておきます」
トップ2人の返事に、任せた、と答え、それからふと何かを思い出したような顔をする。
「そうだ、グレイツ」
「アイ・サー。なんでしょうか?」
「前々から申請のあったB級ライセンス取得講座の話、参加希望者の少なさと講義の専門性から今年中に資格取得条件を達成するのは難しいそうだ」
「…アイ・サー。来年からは順次講義を受けることが可能になるんですよね?」
「来年からはな。今年は何はともあれ人を集めてくれ」
「了解しました、サー。心当たりがあるのでどうにかします」
「無理強いはするなよ」
「無理に入れた奴がギリギリな時にはちょっとくらいフォローもしますよ」
「ちょっとかよ」
「甘やかすのは本人のためになりませんから」
冗談めかしてはいるもののジーンの様子では洒落に聞こえない。
「大丈夫ですよ、教官。ジーンはかなり甘いですから」
「あ、うん。ジーンって何だかんだ言いながらやさしいよねぇ~」
「お前、口調も性格もひねくれてるくせに根本的なところ『いいところの坊っちゃん』なんだよなぁ」
シノブ、ルミ、アイマンと立て続けに突っ込まれた時のジーンの何とも言えない表情は正直見ものだった。