第2話
名門である第1シティー士官学校で問題を起こし、異例の転入をすることになった候補生と言う事でどこか構えて迎えてみたものの、やって来たルーク・K・ホーバンは意外に普通の男の子だった。
「緊張した~」
校長への挨拶をし、最低限必要な転入の手続きを済ませる。その時にはすでにその日の講義は終了していたため、シノブは講義室には向かわず彼を連れて寮の食堂にやってきた。まだ人影の少ないそこの、手近な席に座るとルークはため息をつきながらテーブルに突っ伏する。
「そんな風には見えなかったけど?」
「いやいや~、虚勢張るのに精いっぱい」
シノブが差し出したアイスティーのカップを受け取ると彼は人懐っこい笑顔でありがとうと微笑んだ。
「あんなに間近で校長と会うなんて、士官学校入ってからは初めてだし」
「そうね、普通に学校生活を送っている分にはめったにお会いすることのない方だから」
「総代だと、よく会う?」
「私だってそうそう、ってわけじゃないけど。でも、そうね。普通の候補生よりは機会も多いし、顔を覚えてもらっているから声をかけていただけることもあるわ」
まぁもっとも、とシノブは苦笑交じりに笑った。
「ウチの全校生徒なんて100人ちょっとだから、第1に比べたら少ないだろうけど」
シノブがそう言うと、ルークは一瞬びっくりした顔をした。それから天井を振り仰ぐようにしてあぁ~、そっか~と間延びした声を出す。
「2学年しかいないんだっけか、ここ」
「おかげで自由が利く部分もあるわ。…あなたの紹介だけど、今日この後の夕飯の席でまとめてやることになっているから。簡単でいいわ、自己紹介を考えておいて」
最初はルークがもう少し早く着くと予想していたので順次紹介していく予定だったのだが、交通機関のダイヤの乱れが原因で到着がずれ込んだ。そのための次善の策だ。
「ここの夕食って、全員でまとめて?」
「それは月に何回かね。基本はある程度の時間枠でその人の都合に合わせてになるわ。今日は特別。ジーンが連絡を入れてくれているから、よほど予定がつかない場合を除き夕食の時間になり次第着席していることって」
「…わざわざ?」
「こういうと、気分を悪くするかもしれないけど」
シノブは一つ前置きして彼を正面から見た。
「あなたが転入してくるにあたって、幾つかの噂が一人走りしているわ」
ルークが第1を転出し、第5シティーに移らなくてはいけなかった理由は暴力事件だ。
シノブは総代と言う立場上、知ることができる限りの詳細を耳にしている。ルークの友人に当たる候補生の1人に対して数人の同級生が多対一での格闘技訓練を強行しその不公平な状況にルークが割って入った。結果同級生が3人、病院送り。被害者はルークの勘違いによる一方的な暴力であったと主張したそうだ。しかし、状況を聞く限りでは彼に一方的な否があったとは思えない。相手が、軍閥に影響力を持っている一族の出でなければこの処分はなかったかも知れない。逆に、ルークの親戚に高級士官がいなければ彼は『転校』などという目立つことをすることなく退学を余儀なくされていただろう。
「暴力事件の事は、詳細が伝わらずに噂だけ先行している。正直、みんなどんな乱暴者がウチに回されてくるのかと思ってるの」
「……それは覚悟してるよ」
表情を固くするルークに、でも、とシノブは笑って見せた。
「私は安心したのよ?それはアイマン教官もジーンも一緒。私たちは事情も知っているし、直接あなたに会って話をして、これなら直接あなたと言う人をみんなに見てもらって誤解を解いてもらえると思ったの。だったらそれは早い方がいいわ」
「っても、猫かぶってるだけで急にキレて暴れるかもよ?」
「ええ。その時のための準備もしてあるわ」
シノブはゆっくりと、できるだけ落ち着いた声で自嘲するルークに話しかけた。
「寮の部屋は副総代と寮長が同室。校内での行動に関しても、この2人がしばらくサポートに入ります。…これはね、あなたをいい意味で特別扱いするものじゃないわ。むしろ逆。監視とストッパーも兼ねている事をあえて伝えておきます。衝動的に暴れても、この2人を倒すのは簡単じゃないわよ」
シノブは持っているカップの中にうつる自分を見た。そこでは自分が小さく笑っている。
「うちの副総代、小柄な分だけ闘い方はタチが悪いから」
「…ハタノ総代は?」
「私?…そうね。ジーンほどじゃないと思うけど。格闘技の腕ではピカイチの候補生が転入してくるって聞いたから、実はとても楽しみにしてるの。これでようやく、自分の対外的な実力を知ることができるもの」
「ピカイチっていうか、まぁオレは昔からやってるだけだから」
困ったように笑う彼は、少し天井を振り仰いだ。
「相手に怪我させる位の未熟者だし」
その、どこ韜晦するような表情はこれまで見ていたぼんやりとしたルークの雰囲気からはずいぶん遠かった。シノブは目の前の同級生に気がつかれないように目を細める。
「……ルー…」
「シ・ノ・ブ~!!」
どん、と背後から何かが勢いよくぶつかってきた。聞こえてきた高い声がなくともそれが誰だかはすぐにわかる。
「ね、ね、この人が転校生?」
「ルミ」
背中から両腕を回し、シノブに張り付いている少女は彼女の発した低い声には気が付いていないようにきらきらとした目でシノブ越しのルークを見ていた。
まず目に入るのはふわふわの金の髪。少し丸い輪郭の中にはビスクドールのような可愛らしい顔。明るいブルーの瞳。体格も表情も幼い。
そう見ても年下の無邪気な少女にルークは少し面喰ったようだった。しかし、ルミはそれにもかまわない。
「こんにち、はじめまして!わたし…」
「ルミ・フランク候補生!」
普通に言ってきく様子がないので仕方なく一喝するように名前を呼ぶと、さすがの彼女も寄りかかった体を起こしてシノブの横で直立不動の姿勢をとる。
「今、彼とは私が話をしているの。正式な紹介は後でとジーンから連絡が入っているはずよ」
「アイ・マム。でも…」
「でもは無し。そもそも、あなたにはジーンの手伝いを頼んであるはずなのに、なんでこんなところにいるの」
「……ジーンの許可はとったもん」
「想像はつくわ。きっとそわそわしてて『そんなに落ち着きがないのならいなくても一緒だ。目障りな分邪魔だからどこかへ行け!』とか言われたんじゃないの?」
「…………」
沈黙は状況の肯定を十分に語っていた。シノブはため息をつく。
「もう一度言うわ。あなたの今日の仕事はグレイツ副総代の補助。早急に持ち場に戻れフランク候補生!」
「アイ・マム!」
敬礼ののち復唱すると、ルミは不満そうに顔を膨らませた。
「シノブのケチ~」
「いいのよ、別に。『今日中に基礎訓練メニュー5セット』に変えても」
「すぐに戻ります!!」
基礎訓練メニューとはおもに体力作りのため入学直後から義務として課せられる腕立て、腹筋、柔軟、走り込みなどのメニューの事で一番手軽な罰則としてよくつかわれていた。ちなみに5セットともなると今日中には絶対無理だ。
「またあとでねぇ~~~」
最後の抵抗とばかりにルークに向かって手を振りながらルミが食堂から姿を消すとシノブはごめんなさいね、と彼に苦笑を向ける。
「どうしてもマイペースな子で。……彼女はルミ・フランク候補生。ウチの学校で一番年少の候補生よ。ウチが『試験場』の別称を与えられている大きな原因の一つでもあるわ」
「え?」
「あの子14歳なんだけど、私たちと同級生なのよ。つまり、飛び級」
「マジ?」
飛び級が広く認められている昨今、10代前半で大学を卒業する子供も珍しくはない。が、士官学校は軍と言う体質上、原則飛び級入学を認めていない。体ができていないと軍の訓練についていくことが難しく、また幼すぎると逆に成長に悪影響を与える可能性が高いからだ。受験資格取得の最低年齢は15歳となっている。ちなみに上限は17歳でつまりは3回は試験を受けることができるのだが、1度落ちた人間は2度、3度もたいてい落ちるので、同級生はほとんど同じ年の人間が固まっている。
「情報処理の能力がすごく高くて。特別に飛び級が認められたの。…体力的なハンデに関しては多少教官が多めに見ていることもあるけど、おおむね優秀よ」
「すっげ~…。原因の一つって事は、他にも?」
「カリキュラムが特殊だとか、校風とか。軍人一族でもない女子が初代の総代をしているのも珍しいんじゃないかしら」
冗談めかしたシノブの言葉に、ルークは表情の選択に困ったのかあいまいな笑みを浮かべる。軍閥の影響は、士官学校にだって少なからず、ある。それは目の前の彼が一番よくわかっていることだろう。
「ちなみにウチの学校は新設校だけあって、あんまり親戚が軍人って人間は目立たないわ」
軍人家系で希望すれば名門校へ入学できるような人間は、好き好んで新設校などへは来ない。任官した時のステータスも後ろ盾も全く違うからだ。
「…まぁそれで息巻いている候補生たちは私とジーンが頭を押さえつけてきたのもあるのだけど」
「押さえつけ?」
「だって、自分は代々軍人の家系で、将官も出したことがある家の出なんだから自分よりも目立つな、何て馬鹿な命令いちいち付き合ってられると思う?」
「確かに。…念のため確認するけど、それってオレに対する牽制?」
このルークの質問にはシノブは微笑んで返した。
「そうとってもらっても構わないけど、今のところ貴方には必要ないかなとも思ってる」
「どうして?」
「だって、これまでの話の中で貴方は一度も自分の親戚の名前を出していないもの」
「様子見てるだけかもよ?」
「様子を見る冷静さがあれば、のべつ幕無しにバックヤードを振りかざしたりはしないでしょう?その判断があるだけで十分」
手の中の紙コップを少し揺らしてから一口紅茶を飲んだ彼女はどう?と視線でルークに問いかける。彼は降参するように黙って両手を挙げた。