第1話
目の前で起こった光景が信じられなかった。
体を打つような轟音の後に目の前に広がった惨状。
交差する悲鳴のような叫び声。混乱が巻き起こす喧騒。
「アテンション!!」
危うく彼自身もそれに飲み込まれてしまいそうになる前に、鋭い声が響き渡った。
彼と同じ年の、まだ、十代の少女の強い声がその場にいた全員の動きを止める。その、力強さ。
「うろたえるな!各自、私とサエキ、ヘイル両候補生の指示に従って救出活動にかかれ!グレイツ候補生!動けるか?」
「…アイ・マム」
彼女の視線の先にいた少年は、自分の右足に手を当てていたがすぐにうなずいた。
「なら重傷者の手当てを頼む」
微塵の動揺も見せずに他の同級生たちの方へ歩き出した彼女の背中を半ば茫然と見送りながら彼はその頼もしさに感心し、
---すぐに己の不見識を後悔した。
彼女の、両手は血の気が失せるほど強く握りしめられていたのだ。
18世紀から始まった産業革命以後、急速に行われてきた環境破壊により、人類の母星である地球は人がそのまま住むには難しい星へと変わってしまった。大気と土壌が汚染された。水は汚され、樹木も病んだ。大小なりと行われてきた戦争もそれに拍車をかけ、この星の寿命は急激に縮められたといっても過言ではないだろう。
急激に環境が悪化するなか、人類が何とか滅亡せずに生き残れたのは、20世紀後半にはすでに建設の始まっていた宇宙ステーションの技術の進歩と一部の人々が抱いていた危機管理のおかげに過ぎない。
2570年代、地上のありとあらゆるところを闊歩していた人類はシティーと呼ばれる大きな五つのドームとそれに付随する百数ヶ所の小さなドームか、宇宙空間に造られたステーション内のみの生活を余儀なくされていた。
そんな窮屈な生活の中、人々に希望を与えたのが星間開発である。これまで太陽系内に限定されていた生活圏を抜け出し、他惑星を開拓しようとする動きが活発化したのだ。おりしもシティー建設により宇宙空間での生活環境の改善、進歩が大幅に進んだ時代だった。宇宙船の建造にも大きな改革がおき、航行能力も飛躍的に上がったのである。各シティーの代表が集まって設立された、旧国連の後身である中央政府。その政府が直属の宇宙軍を設立した。中央政府直属星間治安維持軍。激化するテロ対策も兼ねたこの軍は広い宇宙にあこがれる子どもたちの人気をも集めることになる。
その、登竜門となる士官学校。3つあるうちの最新校第5シティー士官学校は太平洋の真ん中に建設された海上都市第5シティーの中にあった。特殊な立地条件ものとに作られたこのシティーは実験場としての特色が色濃く、さまざまな研究施設が集まっている。そのため、新たに設立された士官学校はその地域色からも揶揄をこめてこう呼ばれていた『試験場』(ファーム)と。
ルーク・K・ホーバンは17歳。目じりが少し下向きになっているからだろう、一見して眠そうな顔をしている。短く切りそろえられた茶色の髪も、どこか深くモノを見すぎないように焦点をぼかしたような黒い瞳も、人ごみに紛れてしまえば見つけることは難しいかもしれない。しかし、見るものが見ればそのぴんと伸ばされた背筋と無駄のない動きから軍人、もしくはそれに準ずる少なくとも一般人ではないことが分かったはずだ。
諸事情により2年生の10月も頭と言う不自然な時期に、前例のない士官学校の転校という珍事を起こしてしまった彼は第5シティー士官学校の校舎入口に立っていた。
設立されて2年目のこの学校の校舎は新築の匂いがまだ色濃く残っている。白い壁、汚れの少ない窓のサッシ。目地の白いタイル。ここに来るまでの間に通ってきた並木道には目隠しを兼ねた樹木が植えられていたが背はあってもやはりまだ細い。若いものばかりだ。
見上げれば海上都市にできた第5シティーに相応しい錨をモチーフにした校章が壁にかかっている。
「K・ホーバン候補生?」
黙って学校を見上げていたルークは、声のした方を向いて姿勢をただした。入学直後からたたきこまれた敬礼をその人物に向ける。
校舎入口から姿を現したのは3人。先を歩いていたのが30代にようやく足をかけたくらいに見える男性でその数歩後ろをついてきていたのがルークと同じ年頃の少女と少年だ。
「ようこそ、第5シティー士官学校へ。俺は第2学年の担当責任者のエリック・アイマン大尉だ」
「はじめまして、サー。本日付で第5シティー士官学校に編入になりましたルーク・K・ホーバン候補生です」
ルークに答礼する大尉は、短い黒髪の温厚そうな人物だった。明るい空色の瞳と精悍な顔立ち。向かって右のはえ際に小さくクロスした傷跡が見えた。差し出された右手にもいくつも傷が残り、握り返せばそれが訓練で固くなっていることが分かる。温厚そうな外見に合わず力のある士官であることが分かる。
「こっちの2人は、うちのツートップだ。総代のシノブ・ハタノと副総代のユージン・グレイツ」
「はじめまして」
「第5シティー士官学校へようこそ、K・ホーバン候補生。総代のシノブ・ハタノ候補生よ。よろしく」
「同じく、副総代のユージン・グレイツだ。寮でも同室になる。よろしくな」
シノブ・ハタノは正直、決して美人とはいえない顔立ちの少女だった。見たところアジア系の、やや童顔にも見えるが愛嬌のあるかわいらしい顔立ちをしている。女子が総代を務めるという事には驚いた。しかしその濃紺の瞳は深い知性を感じさせ引き結ばれた唇には意志の強さがうかがえた。ストレートの艶のある黒髪は後頭部で一つに結ばれて彼女が動くと同時に軽く揺れた。その凛とした姿は、なるほど、総代にふさわしい雰囲気をかもし出している。
ユージン・グレイツの方は体こそ小柄で細身だが、グッと大人びた雰囲気をまとっている。銀色の髪と深い青の瞳はどこか人を突き放すような印象を与えたが、答礼を終えて手を差し出す頃には誰でも受け止めるという懐の広さを見せた。今すぐスクリーンに放り込んでも通用しそうなその容貌といい、これは女子が放っておかないだろうな、うらやましいと心中で独白する。
「ツートップと言っても、この2人はホーバンと同じ2年だ。同級生として同じ講義も受けるからな。困ったことがあれば何でもこの2人に聞けばいい」
アイマンはニコニコと笑いながらルークの肩をたたいた。
「慣れない場所で緊張もあるだろうが、転入なんて前例のないこと受け入れるこっちだって同じくらい緊張してるもんだ。あんまり肩肘張りすぎて士官候補生としての役目を逸脱しない程度にゆっくりなじめばいい」
「ありがとうございます」
「まぁ、現場に出れば急な配置換えなんて日常茶飯事だからな。いい経験だと思え」
さて、とアイマンは自分の後ろを親指で指さした。
「校長に挨拶に行くか。ハタノは同行、グレイツは訓練に戻れ。…寮に戻ってからはお前の裁量に任せるからな」
「「アイ・サー」」
「じゃぁ、後でなホーバン」
さっと踵を返してその場を後にした1人を見送るとアイマンが先に立って歩き出した。
「ひょっとして副総代はあのためだけに来てくれたんですか?」
「変な先入観を得るよりも前に顔を合せておいた方がいいだろう?あいつを表現しようとするとどうしてもタチの悪いだの、油断できないだの妙な表現になるからな」
「……そんな風には見えませんでしたけど」
多少とっつきにくさを感じはしたが、クセの強い人物には見えなかった。別れ際などはむしろ友好的な雰囲気さえあったのだ。するとアイマンは我が意を得たりと言わんばかりににやりと笑った。
「ほらみろ、やっぱり初対面の印象は大事だろう、ハタノ」
教官に振り返られた方は苦笑を返す。
「そんなおっしゃり方だからグレイツ候補生が嫌そうな顔をするんですよ」
「あいつの日ごろの行いが悪い。妙に人を食ったような言い方をするからだ」
「教官がそうおっしゃっていたことは伝えておきますけど。…ホーバンくん。ジーン、グレイツ候補生はそんなにとっかかりの悪い人間じゃないから。気にしないでね」
「アイ・マム。あ、それとオレの事はルークで構いません、総代」
「そう?それじゃぁルーク、私やジーンに対しての敬語は総代・副総代として接している時以外は必要ないから。四六時中その調子じゃ疲れるもの」
彼女がにっこり笑ったところでアイマンが足をとめた。校長室の札が出ている重厚な扉がそこにはあった。校長ともなればもちろん将官で候補生から見れば雲の上の人だ。ルークは一度息を吸い込むと上着をただしてから吐き出した。