殺され
酷い隘路だった。
……多分、車一台通れるかどうかといったところだろう。手抜き工事なのか何のか、ところどころにひびも入っている。
私は多少苛立ちながら、その道を歩いていた。会社で古い工場を買い取ったらしく、見て来いと指示を出されて、今向かっているのだ。
――正直、何の意味があるのかは分からない。
私などが見ても、恐らくは何も分からないだろう。一応は、「前もって確認しました」という態が欲しいだけなのではないか? 実際、一緒に来るはずだった上司はサボっている。もし、これで問題が起こり、何らかの責任でも取らされたら堪ったものではない。
その道はやや高い灰白色の塀に囲まれていた。塀の向こうには、大きな団地があったが、不気味なほどに人の気配がしない。本当に人が住んでいるのだろうか? 湿気を含んだ空気が夏の強い陽射しに熱されて、息を吸うのも苦しいほどだった。私は大量の汗をかいていた。スーツではなく作業着を着てきたのだが、汗が滲んで変色をしていた。
くそう! 会社はどうしてこんな不便な場所にある工場を買ったんだ?
心の中で、苛立ちを吐き出す。
無性に何かに当たりたかった。そこで不意に話しかけられた。
「暑いですね」
驚いて声のした方を観ると、いつ間にかすぐ隣を男が歩いていた。痩せた男で、どこかしら斜に構えたような雰囲気があった。なんでか囚人服のような服を着ている。私が何も応えないでいると男は続けた。
「こんな道を歩く人がいるなんて珍しい。この先の工場は、今はもう稼働していないはずですよ」
私は事情を説明しようかと少し悩んだが、面倒臭くなって止めた。説明しないといけない義理はないし、そんな気分でもない。そもそもならばこの男は、どうしてこんな道を歩いているのだ? 何も言わなかったのだが、顔に出てしまっていたのか男は口を開いた。
「私はね。お化けに会いたくて、ここに来ているのですよ」
「は?」と、私は思わず声を上げてしまう。
「お化け? そんなものがここには出るのですか?」
すると、私の反応に気を良くしたのか、男は話し続けた。
「ええ。この先の工場は、戦前は軍隊の施設だったらしくて、それで兵隊の霊が出るとか、そんな噂があるのです」
そんな話、聞いた事もなかった。私は訝しんでいたが、構わず男は話し続けた。
「よくあるパターンの怪談と思うでしょう? でも、その兵隊の霊には変わった点があるのですよ。なんでも、“殺され”ようとするのだとか」
「は? 殺されようとする? なんでです?」
「その兵隊は戦争になど行きたくなかったのですよ。ところが、無理矢理に行かされて、たくさん人殺しをさせられた。それを恨みに思っているのでしょう。どれだけそれが惨い事なのか、知らしめようとしているのではないですかね?」
「はあ……」
私にはどうにもあまりピンと来なかった。誰かを恨みに思っているのに自分が殺されるとはどういう事なのだろう?
私の顔を見ると、男は自嘲気味に笑った。
まるで、“何も伝わっていない”とでも言いたげに思えた。しばらく無言のまま歩き続ける。不意に男は口を開いた。
「ところで、あなた、本当に人間ですか?」
「は?」
「さっきも言いましたけどね。この先には稼働していない工場しかないのですよ。そんな道を人が歩くとは思えない」
「いや、実は会社がその工場を買い取りましてね。前もって見ておく為に私は向かっているのですよ」
「嘘を言わんでください。こんな不便な場所にある工場を買い取る会社がありますか」
それはうちの会社に訊いてもらいたかった。私だって納得していないのだ。男は何を言っても納得しそうにない。しかも、何か興奮しているように思える。血走った眼で続ける。
「本当の事を言いましょうよ。あなた、“殺され”なんでしょう?」
はい?
私は目を大きくする。
あまりの発言に何も返せないでいると、男は懐に手を入れた。
「さっき、私は“殺され”に会いに来たと言ったでしょう? 実はね私はね、人を殺してみたいと思っているのですよ。でも、普通に殺したんなら殺人だ。それこそ戦争でもなけりゃ、警察に捕まってしまう。
だけど、お化けなら別ですよ。どれだけ殺しても罪にはならない。しかも、“殺され”は自ら殺されに現れてくれるという。私にとってはこれ以上都合が良いお化けはいない」
そう言い終えると、男は懐からナイフを取り出した。小さなナイフだが、私は丸腰だ。充分に脅威だった。
「なあ、あんた。本当は“殺され”なんだろう?」
ナイフを突きつけながら男は言った。
「私に、お前を殺させてくれよ」
それを聞くなり、私は逃げ出した。この男は絶対に危ない。私がただの会社員だと説明しても納得してくれないだろう。逃げるしかない。
「待てぇ! 殺され! 私に人殺しをさせてくれ! お前は殺されてくれるのだろう?」
血相を変えて、男は私を追いかけて来た。この先にあるのは工場だけだ。誰かがいてくれるとは思えない。鍵を預かっていて、勝手に入るように指示を受けているのだ。
しばらく駆けると工場の門が見えた。やはり閉まっている。小さな工場で誰もいそうにはなかった。私は大声で叫んだ。
「誰かぁ! 助けてくれ。人殺しだ!」
工場からは何の反応もなかった。
鍵はバックの中にあるが、取り出している間で追いつかれそうだった。多分、背中から刺される。
私は路傍に転がる手ごろなサイズの石を見つけると、それを必死に拾った。これで戦うしかない。振り返ると、ナイフを振り上げて迫って来ている男の頭に向けて私は思い切りその石を叩きつけた。
グシャリ
何かとても嫌な感触がした。堅い殻の先にある、とても柔らかく繊細なものを、私は潰してしまったのだ。
見ると、男が血を流して倒れていた。目を見開き、ぴくぴくと震えていた。多分、既に死んでいる。
息をしていない。
私は大いに慌てた。
“これは正当防衛だ”
必死に誰かに言い訳をしていた。
“きっと、言えば分かってくれる”
でも、誰にそれを言うつもりでいるのかは分からなかった。多分、そういう問題じゃないのだ。もっと他に何か手があったのじゃないか? 激しい後悔と罪悪感が込み上げて来たが、同時に怒りも覚えていた。なんで、こんな頭のおかしい男の所為で、私がこんなに苦しまなくてはならないのだ?
そこで、不意に声が聞こえた。
「……ほら、どうです?」
見ると、頭を割られた男が倒れたままの姿勢で平気な顔で喋っていた。
「誰かを殺さなくちゃいけないっていうのは、物凄く嫌な事でしょう?」
それから男は「アハハハハハハ!」と笑いながら醜い血と肉の塊になって、溶けるように消えていった。
私はただただ呆然と立ち尽くしていた。
夢だと思おうとしたが、手に持った石にはべっとりと赤い血がこびりついていた。




