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騎士団長様が洗濯物のポケットで「シマエナガ」になって震えていた件。〜牛脂をあげたら理性が崩壊して溺愛されたので、こっそり職場で飼育します〜

作者: 文月ナオ
掲載日:2026/02/02

 

 王城の地下深くに位置する洗濯場は、一年を通して、ほんのりと湿った石鹸の香りに包まれている。


 ボイラーから漏れ出る蒸気が天井を這い、配管から落ちる水滴が、規則正しいリズムを刻んでいた。


 ポチャン、ポチャン。


 その単調な音だけが響く薄暗い空間で、私は今日も山のような洗濯物と格闘していた。


「……ふう。やっと半分、か」


 私は額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、大きく息を吐き出す。


 目の前に積み上がっているのは、近衛騎士団から回収された制服の山だ。


 分厚い生地。


 重厚な刺繍。


 そして、染み付いた土や草の匂い。


 私の名前はチセ。


 この城で働く、ごくごく平凡なリネン管理係だ。


 地味で、口数も少なく、目立たない。


 そんな私だが、実は誰にも言えない秘密がある。


 それは、前世の記憶を持っていることだ。


 平凡な会社員。


 満員電車に揺られ、パソコンの画面と睨めっこをする日々。


 そんな私の唯一の癒やし。


 それは、週末にカメラを持って森へ入り、小さな野鳥たちを追いかけることだった。


 ファインダー越しに見る、丸くて小さな命。


 特に、雪の妖精と呼ばれる『シマエナガ』への愛は、信仰と言っても過言ではなかった。


 真っ白で、ふわふわで。


 一円玉数枚分しかない、儚い重さ。


 あのお姿を拝むためだけに、私は氷点下の雪山で何時間も地蔵のように立ち尽くしていたのだ。


 けれど、この世界にシマエナガはいない。


 空を飛ぶのは、翼竜か、目つきの悪いカラスのような魔鳥ばかり。


 私の推しは、ここにはいないのだ。


「……はあ。モフモフしたい」


 独り言が、湯気に溶けていく。


 シマエナガ不足で干からびそうだ。


 禁断症状で手が震えそうになるのを堪えつつ、私は次の洗濯物に手を伸ばした。


 それは、ひときわ上質な黒い生地で作られた、儀礼用の軍服だった。


 襟元には銀の糸で施された獅子の刺繍。


 そして、ずっしりとした重量感。


「あ、これ……グランドリエル団長の上着だ」


 私は思わず背筋を伸ばした。


 第三騎士団長、グランドリエル・フォン・ヴォルガード。


 王国の剣であり、騎士たちの頂点に立つお方。


 常に眉間に皺を寄せ、滅多に口を開かない厳格な人物として知られている。


 私のような下っ端が声をかければ、その威圧感だけで石になってしまうという噂まであるほどだ。


「丁寧に扱わないと……ボタン一つでも取れたら、始末書じゃ済まないわ」


 私は慎重に上着を広げた。


 洗濯機のないこの世界では、手洗いが基本だ。


 そのためには、まずポケットの中身を確認しなければならない。


 ハンカチ、硬貨、あるいは重要なメモ。


 それらを出し忘れて水につけてしまえば、大惨事になる。


 自分で出しとけよ。という話ではあるんだが。


 私は右のポケットに手を入れた。


 空っぽだ。


 次に、左の胸ポケットに指を滑り込ませる。


 その時だった。


 私の指先に、不思議な感触が伝わってきたのは。


「……ん?」


 それは、ハンカチの布地とは違った。


 もっときめ細かくて、繊細で。


 まるで、最高級の真綿に触れたような。


 そして何より。


 ほんのりと、温かかった。


「なんだろう。手袋? それとも、お守り袋?」


 私は首を傾げながら、その温かい「何か」を、そっと指で摘んだ。


 ポケットの入り口から、ゆっくりと引き出す。


 薄暗い洗濯場の灯りに照らされた、その正体を見た瞬間。


 私の思考回路は、プツンと音を立ててショートした。


「…………へ?」


 私の手の中にあったのは、白い毛玉だった。


 いや、ただの毛玉ではない。


 白くて、丸くて。


 そこに、黒胡椒のようなつぶらな瞳が二つ。


 ちょこんとした小さな嘴。


 そして、体長と同じくらい長い、黒茶色の尾羽。


「う、そ……」


 声が震えた。


 幻覚だろうか。


 シマエナガへの渇望が強すぎて、ついに私の脳はホコリの塊を小鳥だと認識し始めたのだろうか。


 だが、その毛玉は動いた。


 私の手のひらの上で、プルプルと震えている。


 そして、私を見上げた。


 その顔は、間違いなくシマエナガのそれだった。


 ただし。


 眉間に、彫刻刀で彫り込んだような、深い深い「皺」が刻まれていることを除けば。


「ジュリリッ!」


 毛玉が鳴いた。


 鈴を鳴らしたような、可憐な高音。


 だが、私の脳内に響いてきたのは、まったく別の声だった。


「(貴様、どこを触っている! 不敬だぞ!)」


 低く、渋く、そして威厳に満ちた、大人の男の声。


 私はパクパクと口を開閉させた。


 この声、聞いたことがある。


 朝礼の時、遥か遠くの演台から聞こえてきた、あの声だ。


「……え、あの。もしかして、グランドリエル団長、ですか?」


 恐る恐る尋ねる私。


 白い毛玉は、フンッと鼻(嘴)を鳴らし、翼を広げた。


 広げたと言っても、体があまりにも丸いため、ちんまりとした白い突起が動いただけに見える。


「ジュリ!(いかにも! 第三騎士団長、グランドリエルだ!)」


 ドヤ顔で名乗るシマエナガ。


 そのシュールすぎる光景に、私は膝から崩れ落ちそうになった。


 なにこれ。


 なに、このご褒美。


 厳格な騎士団長様が、世界で一番可愛い生き物になっている。


 状況がまったく飲み込めないが、私の本能は冷静に分析を始めていた。


 体長、約十四センチ。


 体重、私の指の感覚では八グラム前後。


 羽毛のコンディション、良好。


 尊い。


 あまりにも尊い。


「あ、あの……どうしてそのような、愛らしいお姿に?」


「ジュリッ!?(愛らしいだと!? ……不本意だ!)」


 団長(仮)は、悔しそうに私の手の上で地団駄を踏んだ。


 ペタペタ、と小さな足音が聞こえてきそうだ。


 重さをほとんど感じない。


 まるで空気を乗せているようだ。


 この儚さ。


 握り潰してしまいそうな恐怖と、守ってあげたいという庇護欲が同時に襲ってくる。


「(……呪いだ)」


 団長は力なく翼を畳んだ。


「(森での討伐任務中、魔女の罠にかかってな。気付いたら、こんな綿毛のような姿にされていた)」


「なんと……」


 魔女さん、グッジョブです。


 心のなかでガッツポーズをしつつ、私は同情の表情を作った。


「(魔力も使えん。身体能力も皆無だ。……さっきなど、風が吹いただけで枝から落ちそうになった)」


 屈強な騎士団長が、そよ風に負ける。


 そのギャップだけで、白飯三杯はいける。


「それで、どうして私のポケットに?」


「(城に戻ったはいいが、この姿では誰にも気付かれん。いや、むしろ野鳥だと思われて、城の猫に追いかけ回されたのだ!)」


「ひぇっ……」


「(命からがら逃げ込んだ先が、この洗濯場だった。……ここなら猫も来ない。それに、貴様の制服のポケットが、手頃な巣に見えたのだ)」


「だとしても、よくご無事で……。制服の山の下敷きになっていましたよ?」


「(ふん、当然だ。最後の魔力を振り絞って、ポケットの内側に『防御結界』を張っていたからな。それがなければ、今頃はペチャンコになっていた)」


 事もなげに言うが、ギリギリの攻防だったらしい。


 団長は少しバツが悪そうに、モジモジと体を揺らした。


 ポケットを巣扱い。


 光栄です。


 家賃はいりません。


 むしろ住んでください。




 ◇◆◇




 こうして、奇妙な会議が始まった。


 場所は、洗濯場の隅にある休憩スペース。


 私は椅子に座り、テーブルの上に敷いたタオルの上に、団長を鎮座させた。


「(……というわけでだ。俺は元の姿に戻る方法が見つかるまで、身を隠さねばならん)」


 団長は、精一杯の威厳を込めて(膨らみながら)言った。


「(部下にこの姿を見られるわけにはいかん。示しがつかんし、何より……)」


「何より?」


「(……絶対に、笑われる)」


 切実だった。


 確かに、鬼の騎士団長が、つぶらな瞳の小鳥になっていると知られたら、騎士団の規律は崩壊するだろう。


 全員が萌え死ぬか、笑い死ぬかだ。


「事情は分かりました。つまり、ここで匿ってほしいと?」


「(うむ。……貴様、名はなんと言う?)」


「チセです」


「(そうか、チセ。……頼めるか?)」


 団長が上目遣いで私を見た。


 黒曜石のような瞳が、潤んでいるように見える。


 これは、シマエナガ特有の顔立ちであり、彼が媚びているわけではない。


 分かっている。


 分かっているけれど、破壊力が凄まじい。


 心臓が痛い。


「……お任せください。このチセ、命に代えても団長様をお守りします(主に猫と空腹から)」


「(うむ。殊勝な心がけだ)」


 団長は満足げに頷いた。


 契約成立だ。


 となれば、まずは「おもてなし」をしなくてはならない。


 シマエナガは燃費が悪い生き物だ。


 常に何かを食べていないと、体温を維持できずに死んでしまう。


「団長様。お腹、空いていませんか?」


「(……言われてみれば、空いたな。さっきから目眩がする)」


「でしょうね。すぐに食事を用意します」


 私は立ち上がり、自分専用の棚を漁った。


 こういうこともあろうかと(ないけど)、私は常に「野鳥用のおやつ」を常備している。


 取り出したのは、白い塊。


 厨房の料理長に頼み込んで譲ってもらった、新鮮な『牛脂』だ。


 それに、砕いたクルミと、少量の穀物を混ぜ合わせる。


 指先でコネコネと丸め、一口サイズの団子を作る。


「どうぞ。特製のエナジーボールです」


 私が差し出すと、団長は訝しげに首を傾げた。


 コテン、と四五度。


 あざとい。


 天然でこれをやっているとしたら、とんでもない才能だ。


「(……なんだこれは。白いな)」


「栄養満点ですよ。騙されたと思って、一口どうぞ」


 団長は恐る恐る、嘴を近づけた。


 ツン、と突っつく。


 そして、微量を舌に乗せた瞬間。


 ピクリ、と白い体が跳ねた。


「(……ッ!?)」


 カッ、と目が見開かれる。


「(う、美味い……!)」


 脳内に衝撃が走ったのが分かった。


「(なんだこれは!? 濃厚な脂の旨味と、木の実の香ばしさが絶妙に絡み合っている! 口の中でとろけるぞ!)」


「ふふ、お気に召しましたか」


「(も、もっとだ! もっと寄越せ!)」


 団長の理性が崩壊した。


 彼は猛然と脂身に食らいついた。


 ツンツンツンツン!


 高速のつつき攻撃。


 食べるたびに、丸い体がボールのように弾む。


 可愛い。


 無限に見ていられる。


 嘴の周りが脂でテカテカ光っているのも、愛おしすぎて辛い。


 私は頬杖をつき、その光景をうっとりと眺め続けた。


 もう、仕事なんてどうでもいい。


 このまま一生、この白い毛玉に餌を貢ぐ人生を送りたい。


 そう思った、その時だった。


 ボンッ!!


 突然、目の前で小さな爆発が起きた。


 視界が真っ白な煙に覆われる。


 と同時に、テーブルがミシミシと悲鳴を上げた。


「……っ!?」


 煙の中から現れたのは、巨大な影。


 私は驚きで椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。


 そこにいたのは、小鳥ではなかった。


 銀色の長髪。


 冷ややかな美貌。


 そして、無駄のない筋肉に覆われた、広い肩幅。


 グランドリエル団長、ご本人だ。


 しかも、なぜか半裸。


 破れかけた軍服が腰に巻き付いているだけで、上半身は見事なまでに露わになっている。


「……戻ったか」


 低く、艶のある声が響く。


 さっきまでの謎脳内通信ではない。


 空気を震わせる、本物のイケボだ。


 団長は自分の手を見つめ、握ったり開いたりしている。


「ま、魔力が食事で回復したから、一時的に戻れたのでしょうか……?」


 私が呆然と呟くと、団長は私を見た。


 その視線は鋭く、冷たい。


 鳥の時はあんなに可愛かったのに、人間になるとこんなに怖いなんて。


 私は思わず身構えた。


 口封じに消されるかもしれない。


 しかし。


 団長は真剣な眼差しで、私の手元――に残った牛脂を見つめていた。


「……おい、チセ」


「は、はいっ!」


「その団子。……まだあるか」


「……へ?」


「今の体だと、あの量では足りん。もっとデカいのを寄越せ」


 私は耳を疑った。


 この人、今なんて言った?


 牛脂を寄越せ?


「あ、あの……これは鳥用のおやつでして、人間がそのまま食べると、その、胸焼けが……」


「構わん。今の俺の体が、それを欲しているんだ」


 団長は真顔で言い放った。


 どうやら、体は人間に戻っても、味覚や本能の一部はシマエナガのままらしい。


 なんてことだ。


 クールなイケメンが、真顔で牛脂を所望している。


 このギャップは、法に触れるレベルではないだろうか。


「分かりました……。ですが、人間用にはもっと美味しく調理しますから! 少し待っていてください」


「む。……調理か。なら、待とう」


 団長は腕を組み、テーブルの上にドカリと座った(行儀が悪い)。


 その姿は、どう見ても偉そうなのだが、口元にはさっき食べた牛脂のかけらが、ほんの少しだけ付いている。


 拭いてあげたい。


 いや、舐め取ってあげたいくらいだ。


 私がそんな不敬なことを考えていると。


「……チセ、お前はいい匂いがするな」


「えっ? 洗剤の匂い……ですかね?」


「……いや……」


 おや?


 気のせいかな?


 いま一瞬、団長の頬が少し赤くなったような?


「……その、なんだ。俺は……」


 団長がそう言いかけたその時。


 ボンッ。


 再び、気の抜けた音がした。


 一瞬で、イケメンが消滅する。


 代わりに、テーブルの上には、ちょこんとした白い毛玉が残されていた。


「ジュリ……! (チッ、時間切れか……!)」


 団長シマエナガは、心底がっかりしたように項垂れた。


「ジュリリ(まあいい。服を着なくていい分、こちらのほうが楽だ)」


 そう言うと、彼は「寒い」と訴えるように、羽を膨らませた。


 まん丸になる。


 餅だ。


 雪見だいふくだ。


「(おい、チセ。寒いぞ。温めろ)」


「はいはい、ただいま」


 私は両手を差し出した。


 団長は迷うことなく、私の手のひらに飛び乗ってくる。


 ちょこん。


 その軽さ。


 その温もり。


 やっぱり、こっちのほうがいい。


 人間姿のイケメンも眼福だったけれど、私の心を満たすのは、この八グラムの命だ。


「団長様」


「(なんだ)」


「もう、一生そのままで良くないですか?」


「(ふ、ふざけるな! 絶対に戻るぞ!)」


 団長は怒って、私の親指を甘噛みした。


 痛くない。


 全然痛くない。


 むしろ、ご褒美だ。


 私は幸せを噛み締めながら、この可愛い上司をポケットの中に優しくしまい込んだ。


「(……ふん)」


 ポケットの奥から、もぞもぞと動く感触と共に、くぐもった声が脳内に届く。


「(……ここ、さっきの牛脂の匂いがして、悪くない。それと……お前の匂いも)」


 ……チョロい。


 世界最強の騎士様が、牛脂一つで何故か私に陥落しかけている。


 愛おしすぎて、私はポケットの上からそっと手を添えた。


 こうして、私のポケットには、国一番の英雄が住み着くことになった。

 

「(……おい、チセ)」


「はい?」


「(……もし俺が人間に戻ったら……責任、取ってくれるんだろうな?)」


「え、何の?」


「(……毎日、俺に触りまくった責任だ!)」


「はいはい。取ります取ります」


「(なら、いい)」


「その時が来たら、ですけどね?」


「(来る! 絶対にだ!)」


 彼が元の姿に戻る日が来るのかは分からない。


 そもそもこれがなんなのか、イマイチよくわからない。


 けれど、一つだけ確かなことがある。


 私のポケットの中は今、世界で一番、尊くて温かい場所だということだ。

書きながら、(なんだこれ……)と思っていましたが、なぜか手が止まりませんでした。

シマエナガは不思議な魔力を持ってますね。

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