騎士団長様が洗濯物のポケットで「シマエナガ」になって震えていた件。〜牛脂をあげたら理性が崩壊して溺愛されたので、こっそり職場で飼育します〜
王城の地下深くに位置する洗濯場は、一年を通して、ほんのりと湿った石鹸の香りに包まれている。
ボイラーから漏れ出る蒸気が天井を這い、配管から落ちる水滴が、規則正しいリズムを刻んでいた。
ポチャン、ポチャン。
その単調な音だけが響く薄暗い空間で、私は今日も山のような洗濯物と格闘していた。
「……ふう。やっと半分、か」
私は額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、大きく息を吐き出す。
目の前に積み上がっているのは、近衛騎士団から回収された制服の山だ。
分厚い生地。
重厚な刺繍。
そして、染み付いた土や草の匂い。
私の名前はチセ。
この城で働く、ごくごく平凡なリネン管理係だ。
地味で、口数も少なく、目立たない。
そんな私だが、実は誰にも言えない秘密がある。
それは、前世の記憶を持っていることだ。
平凡な会社員。
満員電車に揺られ、パソコンの画面と睨めっこをする日々。
そんな私の唯一の癒やし。
それは、週末にカメラを持って森へ入り、小さな野鳥たちを追いかけることだった。
ファインダー越しに見る、丸くて小さな命。
特に、雪の妖精と呼ばれる『シマエナガ』への愛は、信仰と言っても過言ではなかった。
真っ白で、ふわふわで。
一円玉数枚分しかない、儚い重さ。
あのお姿を拝むためだけに、私は氷点下の雪山で何時間も地蔵のように立ち尽くしていたのだ。
けれど、この世界にシマエナガはいない。
空を飛ぶのは、翼竜か、目つきの悪いカラスのような魔鳥ばかり。
私の推しは、ここにはいないのだ。
「……はあ。モフモフしたい」
独り言が、湯気に溶けていく。
シマエナガ不足で干からびそうだ。
禁断症状で手が震えそうになるのを堪えつつ、私は次の洗濯物に手を伸ばした。
それは、ひときわ上質な黒い生地で作られた、儀礼用の軍服だった。
襟元には銀の糸で施された獅子の刺繍。
そして、ずっしりとした重量感。
「あ、これ……グランドリエル団長の上着だ」
私は思わず背筋を伸ばした。
第三騎士団長、グランドリエル・フォン・ヴォルガード。
王国の剣であり、騎士たちの頂点に立つお方。
常に眉間に皺を寄せ、滅多に口を開かない厳格な人物として知られている。
私のような下っ端が声をかければ、その威圧感だけで石になってしまうという噂まであるほどだ。
「丁寧に扱わないと……ボタン一つでも取れたら、始末書じゃ済まないわ」
私は慎重に上着を広げた。
洗濯機のないこの世界では、手洗いが基本だ。
そのためには、まずポケットの中身を確認しなければならない。
ハンカチ、硬貨、あるいは重要なメモ。
それらを出し忘れて水につけてしまえば、大惨事になる。
自分で出しとけよ。という話ではあるんだが。
私は右のポケットに手を入れた。
空っぽだ。
次に、左の胸ポケットに指を滑り込ませる。
その時だった。
私の指先に、不思議な感触が伝わってきたのは。
「……ん?」
それは、ハンカチの布地とは違った。
もっときめ細かくて、繊細で。
まるで、最高級の真綿に触れたような。
そして何より。
ほんのりと、温かかった。
「なんだろう。手袋? それとも、お守り袋?」
私は首を傾げながら、その温かい「何か」を、そっと指で摘んだ。
ポケットの入り口から、ゆっくりと引き出す。
薄暗い洗濯場の灯りに照らされた、その正体を見た瞬間。
私の思考回路は、プツンと音を立ててショートした。
「…………へ?」
私の手の中にあったのは、白い毛玉だった。
いや、ただの毛玉ではない。
白くて、丸くて。
そこに、黒胡椒のようなつぶらな瞳が二つ。
ちょこんとした小さな嘴。
そして、体長と同じくらい長い、黒茶色の尾羽。
「う、そ……」
声が震えた。
幻覚だろうか。
シマエナガへの渇望が強すぎて、ついに私の脳はホコリの塊を小鳥だと認識し始めたのだろうか。
だが、その毛玉は動いた。
私の手のひらの上で、プルプルと震えている。
そして、私を見上げた。
その顔は、間違いなくシマエナガのそれだった。
ただし。
眉間に、彫刻刀で彫り込んだような、深い深い「皺」が刻まれていることを除けば。
「ジュリリッ!」
毛玉が鳴いた。
鈴を鳴らしたような、可憐な高音。
だが、私の脳内に響いてきたのは、まったく別の声だった。
「(貴様、どこを触っている! 不敬だぞ!)」
低く、渋く、そして威厳に満ちた、大人の男の声。
私はパクパクと口を開閉させた。
この声、聞いたことがある。
朝礼の時、遥か遠くの演台から聞こえてきた、あの声だ。
「……え、あの。もしかして、グランドリエル団長、ですか?」
恐る恐る尋ねる私。
白い毛玉は、フンッと鼻(嘴)を鳴らし、翼を広げた。
広げたと言っても、体があまりにも丸いため、ちんまりとした白い突起が動いただけに見える。
「ジュリ!(いかにも! 第三騎士団長、グランドリエルだ!)」
ドヤ顔で名乗るシマエナガ。
そのシュールすぎる光景に、私は膝から崩れ落ちそうになった。
なにこれ。
なに、このご褒美。
厳格な騎士団長様が、世界で一番可愛い生き物になっている。
状況がまったく飲み込めないが、私の本能は冷静に分析を始めていた。
体長、約十四センチ。
体重、私の指の感覚では八グラム前後。
羽毛のコンディション、良好。
尊い。
あまりにも尊い。
「あ、あの……どうしてそのような、愛らしいお姿に?」
「ジュリッ!?(愛らしいだと!? ……不本意だ!)」
団長(仮)は、悔しそうに私の手の上で地団駄を踏んだ。
ペタペタ、と小さな足音が聞こえてきそうだ。
重さをほとんど感じない。
まるで空気を乗せているようだ。
この儚さ。
握り潰してしまいそうな恐怖と、守ってあげたいという庇護欲が同時に襲ってくる。
「(……呪いだ)」
団長は力なく翼を畳んだ。
「(森での討伐任務中、魔女の罠にかかってな。気付いたら、こんな綿毛のような姿にされていた)」
「なんと……」
魔女さん、グッジョブです。
心のなかでガッツポーズをしつつ、私は同情の表情を作った。
「(魔力も使えん。身体能力も皆無だ。……さっきなど、風が吹いただけで枝から落ちそうになった)」
屈強な騎士団長が、そよ風に負ける。
そのギャップだけで、白飯三杯はいける。
「それで、どうして私のポケットに?」
「(城に戻ったはいいが、この姿では誰にも気付かれん。いや、むしろ野鳥だと思われて、城の猫に追いかけ回されたのだ!)」
「ひぇっ……」
「(命からがら逃げ込んだ先が、この洗濯場だった。……ここなら猫も来ない。それに、貴様の制服のポケットが、手頃な巣に見えたのだ)」
「だとしても、よくご無事で……。制服の山の下敷きになっていましたよ?」
「(ふん、当然だ。最後の魔力を振り絞って、ポケットの内側に『防御結界』を張っていたからな。それがなければ、今頃はペチャンコになっていた)」
事もなげに言うが、ギリギリの攻防だったらしい。
団長は少しバツが悪そうに、モジモジと体を揺らした。
ポケットを巣扱い。
光栄です。
家賃はいりません。
むしろ住んでください。
◇◆◇
こうして、奇妙な会議が始まった。
場所は、洗濯場の隅にある休憩スペース。
私は椅子に座り、テーブルの上に敷いたタオルの上に、団長を鎮座させた。
「(……というわけでだ。俺は元の姿に戻る方法が見つかるまで、身を隠さねばならん)」
団長は、精一杯の威厳を込めて(膨らみながら)言った。
「(部下にこの姿を見られるわけにはいかん。示しがつかんし、何より……)」
「何より?」
「(……絶対に、笑われる)」
切実だった。
確かに、鬼の騎士団長が、つぶらな瞳の小鳥になっていると知られたら、騎士団の規律は崩壊するだろう。
全員が萌え死ぬか、笑い死ぬかだ。
「事情は分かりました。つまり、ここで匿ってほしいと?」
「(うむ。……貴様、名はなんと言う?)」
「チセです」
「(そうか、チセ。……頼めるか?)」
団長が上目遣いで私を見た。
黒曜石のような瞳が、潤んでいるように見える。
これは、シマエナガ特有の顔立ちであり、彼が媚びているわけではない。
分かっている。
分かっているけれど、破壊力が凄まじい。
心臓が痛い。
「……お任せください。このチセ、命に代えても団長様をお守りします(主に猫と空腹から)」
「(うむ。殊勝な心がけだ)」
団長は満足げに頷いた。
契約成立だ。
となれば、まずは「おもてなし」をしなくてはならない。
シマエナガは燃費が悪い生き物だ。
常に何かを食べていないと、体温を維持できずに死んでしまう。
「団長様。お腹、空いていませんか?」
「(……言われてみれば、空いたな。さっきから目眩がする)」
「でしょうね。すぐに食事を用意します」
私は立ち上がり、自分専用の棚を漁った。
こういうこともあろうかと(ないけど)、私は常に「野鳥用のおやつ」を常備している。
取り出したのは、白い塊。
厨房の料理長に頼み込んで譲ってもらった、新鮮な『牛脂』だ。
それに、砕いたクルミと、少量の穀物を混ぜ合わせる。
指先でコネコネと丸め、一口サイズの団子を作る。
「どうぞ。特製のエナジーボールです」
私が差し出すと、団長は訝しげに首を傾げた。
コテン、と四五度。
あざとい。
天然でこれをやっているとしたら、とんでもない才能だ。
「(……なんだこれは。白いな)」
「栄養満点ですよ。騙されたと思って、一口どうぞ」
団長は恐る恐る、嘴を近づけた。
ツン、と突っつく。
そして、微量を舌に乗せた瞬間。
ピクリ、と白い体が跳ねた。
「(……ッ!?)」
カッ、と目が見開かれる。
「(う、美味い……!)」
脳内に衝撃が走ったのが分かった。
「(なんだこれは!? 濃厚な脂の旨味と、木の実の香ばしさが絶妙に絡み合っている! 口の中でとろけるぞ!)」
「ふふ、お気に召しましたか」
「(も、もっとだ! もっと寄越せ!)」
団長の理性が崩壊した。
彼は猛然と脂身に食らいついた。
ツンツンツンツン!
高速のつつき攻撃。
食べるたびに、丸い体がボールのように弾む。
可愛い。
無限に見ていられる。
嘴の周りが脂でテカテカ光っているのも、愛おしすぎて辛い。
私は頬杖をつき、その光景をうっとりと眺め続けた。
もう、仕事なんてどうでもいい。
このまま一生、この白い毛玉に餌を貢ぐ人生を送りたい。
そう思った、その時だった。
ボンッ!!
突然、目の前で小さな爆発が起きた。
視界が真っ白な煙に覆われる。
と同時に、テーブルがミシミシと悲鳴を上げた。
「……っ!?」
煙の中から現れたのは、巨大な影。
私は驚きで椅子ごと後ろにひっくり返りそうになった。
そこにいたのは、小鳥ではなかった。
銀色の長髪。
冷ややかな美貌。
そして、無駄のない筋肉に覆われた、広い肩幅。
グランドリエル団長、ご本人だ。
しかも、なぜか半裸。
破れかけた軍服が腰に巻き付いているだけで、上半身は見事なまでに露わになっている。
「……戻ったか」
低く、艶のある声が響く。
さっきまでの謎脳内通信ではない。
空気を震わせる、本物のイケボだ。
団長は自分の手を見つめ、握ったり開いたりしている。
「ま、魔力が食事で回復したから、一時的に戻れたのでしょうか……?」
私が呆然と呟くと、団長は私を見た。
その視線は鋭く、冷たい。
鳥の時はあんなに可愛かったのに、人間になるとこんなに怖いなんて。
私は思わず身構えた。
口封じに消されるかもしれない。
しかし。
団長は真剣な眼差しで、私の手元――に残った牛脂を見つめていた。
「……おい、チセ」
「は、はいっ!」
「その団子。……まだあるか」
「……へ?」
「今の体だと、あの量では足りん。もっとデカいのを寄越せ」
私は耳を疑った。
この人、今なんて言った?
牛脂を寄越せ?
「あ、あの……これは鳥用のおやつでして、人間がそのまま食べると、その、胸焼けが……」
「構わん。今の俺の体が、それを欲しているんだ」
団長は真顔で言い放った。
どうやら、体は人間に戻っても、味覚や本能の一部はシマエナガのままらしい。
なんてことだ。
クールなイケメンが、真顔で牛脂を所望している。
このギャップは、法に触れるレベルではないだろうか。
「分かりました……。ですが、人間用にはもっと美味しく調理しますから! 少し待っていてください」
「む。……調理か。なら、待とう」
団長は腕を組み、テーブルの上にドカリと座った(行儀が悪い)。
その姿は、どう見ても偉そうなのだが、口元にはさっき食べた牛脂のかけらが、ほんの少しだけ付いている。
拭いてあげたい。
いや、舐め取ってあげたいくらいだ。
私がそんな不敬なことを考えていると。
「……チセ、お前はいい匂いがするな」
「えっ? 洗剤の匂い……ですかね?」
「……いや……」
おや?
気のせいかな?
いま一瞬、団長の頬が少し赤くなったような?
「……その、なんだ。俺は……」
団長がそう言いかけたその時。
ボンッ。
再び、気の抜けた音がした。
一瞬で、イケメンが消滅する。
代わりに、テーブルの上には、ちょこんとした白い毛玉が残されていた。
「ジュリ……! (チッ、時間切れか……!)」
団長は、心底がっかりしたように項垂れた。
「ジュリリ(まあいい。服を着なくていい分、こちらのほうが楽だ)」
そう言うと、彼は「寒い」と訴えるように、羽を膨らませた。
まん丸になる。
餅だ。
雪見だいふくだ。
「(おい、チセ。寒いぞ。温めろ)」
「はいはい、ただいま」
私は両手を差し出した。
団長は迷うことなく、私の手のひらに飛び乗ってくる。
ちょこん。
その軽さ。
その温もり。
やっぱり、こっちのほうがいい。
人間姿のイケメンも眼福だったけれど、私の心を満たすのは、この八グラムの命だ。
「団長様」
「(なんだ)」
「もう、一生そのままで良くないですか?」
「(ふ、ふざけるな! 絶対に戻るぞ!)」
団長は怒って、私の親指を甘噛みした。
痛くない。
全然痛くない。
むしろ、ご褒美だ。
私は幸せを噛み締めながら、この可愛い上司をポケットの中に優しくしまい込んだ。
「(……ふん)」
ポケットの奥から、もぞもぞと動く感触と共に、くぐもった声が脳内に届く。
「(……ここ、さっきの牛脂の匂いがして、悪くない。それと……お前の匂いも)」
……チョロい。
世界最強の騎士様が、牛脂一つで何故か私に陥落しかけている。
愛おしすぎて、私はポケットの上からそっと手を添えた。
こうして、私のポケットには、国一番の英雄が住み着くことになった。
「(……おい、チセ)」
「はい?」
「(……もし俺が人間に戻ったら……責任、取ってくれるんだろうな?)」
「え、何の?」
「(……毎日、俺に触りまくった責任だ!)」
「はいはい。取ります取ります」
「(なら、いい)」
「その時が来たら、ですけどね?」
「(来る! 絶対にだ!)」
彼が元の姿に戻る日が来るのかは分からない。
そもそもこれがなんなのか、イマイチよくわからない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
私のポケットの中は今、世界で一番、尊くて温かい場所だということだ。
書きながら、(なんだこれ……)と思っていましたが、なぜか手が止まりませんでした。
シマエナガは不思議な魔力を持ってますね。




