第8話 水脈を変える
数日後、学園に前代未聞の布告が下った。
「外交討論会」――隣国ゲルデンとの条約交渉を、学園の公開議論の場で模擬的に行うというのだ。
だが誰もが知っていた。これは模擬などではない。王太子派が仕組んだ“罠”。
学園という舞台を借り、私を「条約交渉を壊した無能令嬢」として失脚させる狙いだ。
討論会当日。
大講堂の壇上には王族・貴族の生徒たちが並び、観客席には教師や使節、そして――石田三成。
彼はあくまで「客人」として静かに座っている。だが、その灰色の瞳は盤面の全てを見抜いていた。
「第一議題。“交易関税の引き下げ”について」
司会役の教師が声を張る。
すぐに王太子派の貴公子が立ち上がり、私を見据えた。
「セシリア嬢。あなたはルーベン家の立場から、関税をどうするべきと思う?」
観客がざわめく。
ここで「引き下げ」と答えれば、自国の財源を削ったと糾弾される。
「維持」と答えれば、隣国を敵に回したと非難される。
どちらを選んでも、破滅。
私は深く息を吸い、扇を開いた。
「――関税を引き下げるか否かは、本質ではありません」
「何だと?」
「問題は、信用ですわ」
私は壇上をゆっくり見渡した。
かつて夜会で語った言葉を思い返す。国と国を結ぶのは剣でも金でもなく、信用。
「相互に信用を築くための第一歩は、“透明な記録”です。
私は提案します。すべての交易において両国で帳簿を照合し、三年ごとに公開審査を行うことを」
会場がざわめいた。
引き下げるとも維持するとも言っていない。だが、信用を担保する仕組みを提示することで、議論の矛先をずらしたのだ。
その瞬間、使節席の三成がゆっくりと立ち上がった。
彼の声は低く、だが講堂の隅々まで響く。
「我がゲルデンは、その提案を歓迎する。
――記録こそ秩序。秩序なき交易は、乱世と変わらぬ」
灰色の瞳が一閃する。
その言葉は模擬議論を超え、現実の条約交渉の基盤を成してしまった。
観客席から拍手が湧き起こる。
王太子派の貴公子は顔を真っ赤にして言葉を失った。
討論会のあと。
私は廊下の片隅で三成と肩を並べた。
「……大胆ね。模擬討論を、本物の交渉に変えてしまうなんて」
「水は器を変えれば流れも変わる。
君が器を示したから、私は流れを乗せただけだ」
彼の言葉に、胸の奥が熱くなる。
彼は常に冷徹だ。だがその冷徹さは、未来を切り拓くためのもの。
その夜、再び紙片が差し入れられた。
水脈を変えた。
敵は苛立ち、次は「雷」を落とす。
雷は一撃で人を裁き、燃え上がらせる。
――三成
雷――裁きの力。
おそらく、王太子自らが「公開断罪」という稲妻を振り下ろすのだろう。
私は扇を閉じ、深く息を吸った。
嵐はますます激しくなる。だがもう怯えない。
石田三成という軍師と共にある限り、雷さえも設計図に組み込んでみせる。




