第7話 風は王太子より
春の陽光が差し込む学園講堂。だが空気は重く、まるで嵐の前触れのようだった。
壇上に立つ王太子レオンハルトが、傲然とした笑みを浮かべる。
「本日ここに告げる。――セシリア・ド・ルーベンとの婚約を破棄する!」
ざわめきが爆発した。
来た――これが「風」。見えぬ力、王太子の気まぐれ。
シナリオ通りなら、この瞬間に私は悪役令嬢として糾弾され、破滅へと転がり落ちる。
だが今の私は違う。
私は胸元から一枚の紙片を取り出した。それは――三成が夜会の場で取り付けた「約束」。
「殿下。お言葉ですが――ご自身の誓約をお忘れですか?」
場が凍りつく。
私は紙片を高らかに掲げた。
「殿下は、王とゲルデン使節の前でこう約されました。『セシリアに関する根拠なき中傷が出たとき、必ず事実確認を行う』と!」
観衆の間にどよめきが走る。
証人は王、そしてゲルデンの軍師――石田三成。
視線が一斉に三成へ注がれた。
彼は席を立ち、静かな声で告げる。
「確かにその約束は交わされた。水三献の第三において、殿下自らの口より」
彼の灰色の瞳は揺るがない。
その一言で、場は完全に動いた。
王太子は眉をひそめ、唇を歪める。
「……事実確認を、すればいいのだな」
「もちろんですわ」
私は一歩前に出る。
「殿下が私との婚約を破棄する正当な理由――証拠を、どうぞお示しくださいませ!」
沈黙。
観衆の視線が王太子へ突き刺さる。
公爵夫人は顔を蒼白にし、取り巻きたちは口を閉ざした。
やがて、王太子は苛立ちを隠すように笑った。
「……ふん、今は証拠が揃わぬ。だがいずれ必ず――」
「証拠なき断罪は、ただの暴風。殿下の名誉をも傷つけますわ」
私は静かに言い放った。
ざわめきが拍手へと変わっていく。
その夜。私は使節館の一室で三成と向かい合っていた。
窓の外には、風に揺れる木々の影。
「殿下の“風”を退けたのは、あなたの設計図だ」
三成が低く言う。
私は首を振る。
「いいえ。私が用いたのは、あなたが注いでくださった“第三献”よ」
彼の唇に、わずかな笑みが浮かんだ。
「風を抑えた。だが、次は“水”だ」
「水……?」
「噂の火よりも広がりやすく、土よりも深く浸透する。国全体に波紋を広げる策。
――彼らは必ず、外交を揺さぶる」
私は息を呑む。
つまり、学園の枠を越え、国と国の関係を利用した罠が仕掛けられるということ。
扇を閉じ、私は三成を見据えた。
「嵐が来るのね」
「嵐を制するには――水脈を変えるしかない」
彼の瞳が、蝋燭の炎に照らされて鋭く光った。
私は深く頷いた。
「ならば、その設計図を――共に描きましょう」




