最強スキル「他人の不幸」
◇◇
これは、私が体験した奇怪にして戦慄すべき出来事の記録である。
平凡な会社員であった私が、気がつくと見知らぬ森の中に立っていた。そう、いわゆる異世界転移というやつであった。困惑する私の前に現れたのは、透明な板のような表示画面。そこには私のステータスが記されていた。
【名前:田中一郎】
【職業:なし】
【レベル:1】
【スキル:『他人の不幸』- 他者の不幸度に応じて全能力値が上昇する】
何とも不気味なスキルである。しかし、この時の私はまだ知らなかった。この忌まわしきスキルが、やがて私を地獄の底へと突き落とすことになろうとは...
◇◇
森を彷徨ううち、私は一人の商人に出会った。彼は魔物に襲われ、商品を全て奪われて途方に暮れていた。その瞬間、私の体に奇妙な力が宿るのを感じた。筋肉が引き締まり、頭脳が冴え渡る。
「これが『他人の不幸』の効果か...」
私は商人を慰め、近くの町まで案内した。町の人々は私の親切に感謝し村の宴に招待されたが、内心では別の感情が芽生えていた。商人の不幸が私に力を与えてくれた...その事実に、薄ら寒い快感を覚えていたのである。
◇◇
町のギルドで冒険者として登録したのち、私は順調にクエストをこなしていった。そして気づいたのだ。私の周りでは、なぜか不幸な出来事が頻発することに。
仲間の冒険者が怪我をする度、恋人に振られる度、家族を失う度に、私の力は強くなった。最初は偶然だと思っていた。しかし、徐々に疑念が頭をもたげてくる。
本当に偶・然・なのだろうか?
◇◇
ある日、私は決定的な行動に出た。パーティの仲間であるエルフの魔法使い、アリアの恋人に嘘の情報を流したのだ。「アリアが他の男性と密会している」と。
案の定、二人は別れることになった。アリアは彼のことをとても愛していたようだから、アリアは泣き崩れ、そのおかげで私の力は飛躍的に向上した。この時、私の心の奥底で何かが完全に壊れた。
「これは...なんと素晴らしいスキルなのだろう」
以降、私は積極的に他人の不幸を演出するようになった。商売の邪魔をし、恋人同士を別れさせ、家庭を破綻させる。処女懐胎を信じる村娘を繁殖期のゴブリンの巣に放り込んだこともあった。そのたびに私は強くなり、町では「最強の冒険者」として崇められた。
◇◇
ある日突然、私のレベルは上がらなくなった。
私の周りには誰もいなくなっていたのだ。かつての仲間たちは皆、不幸のどん底に沈み、町を去っていった。町の人々も、なぜか私を忌み嫌い避けるようになった。
しかし、私は気にしなかった。強さこそが全て。他人の不幸など、私の力の糧でしかない。
そんなある日、町の外れの廃屋で、一枚の古い鏡を見つけた。埃を拭い、そこに映る自分の姿を見た瞬間—
◇◇
鏡に映っていたのは、見るも恐ろしい化け物の顔だった。目は血走り、口は耳まで裂け、顔は憎悪に歪み切っている。
「これは...私なのか?」
慌てて手で顔を触る。しかし、手に感じるのは普通の人間の顔。だが鏡には、あの醜い化け物が映っている。
そうか...これは私の心の奥底に潜む醜さが、ついに表面に現れたのだ。他人の不幸を糧として生きてきた結果が、この姿なのだ。
だが、待てよ。本当に私は強くなったのだろうか?町の人々は私を「最強の冒険者」と呼んでいたのか?それとも、私がそう思い込んでいただけなのか?
思い返してみれば、最近の戦闘で本当に強さを発揮した記憶が曖昧だ。むしろ、皆が私を見る目は恐怖と嫌悪に満ちていたのではないか?
『他人の不幸』というスキル...それは本当に存在していたのだろうか?それとも、私が他人の不幸を見て喜ぶ自分を正当化するために作り上げた幻想だったのか?
鏡に映る醜い顔・・・
それこそが、他人の不幸を甘美な糧として生きてきた私の真の姿だったのである。
◇◇
今、私はこの廃屋で一人、この手記を書いている。
町の人々が私を避けるのは、私が強すぎるからではない。私が人間として醜悪だからなのだ。スキルが存在していたかどうかさえ、もはや定かではない。だが、それがどうした?
現実の私は恐らく、精神を病んだ哀れな男なのだろう。他人の不幸を見て喜び、それを「力」だと勘違いしている狂人なのだ。異世界転移も、もしかすると私の妄想かもしれない。
だが、もはや引き返すことはできない。
真実など、どうでもよいのだ。スキルが存在しようがしまいが、異世界が現実であろうがなかろうが、私にとって大切なのはただひとつ。他人の不幸を見ることの、あの甘美な快感だけなのだから。
鏡の中の化け物が、今日も私に向かって笑いかけている。そして私も、それに向かって笑い返すのだ。
他人の不幸こそが、私の糧なのだから...
【完】