聖女問答
汗と排泄物の漂う牢獄を聖女は歩いていた。
その臭いの下は人か獣か――いずれにせよ、この場所が何年も放置されていたことを否応なしに実感する。
ここはもう人間の『居るべき場所』ではない。
それでも最奥に人が居た。
何十年にも渡って人々を苦しめ、嘲笑い続けた罪人が。
「これは聖女様」
牢の中で罪人は聖女を見て醜悪に笑う。
「こんな場所に何の用だい。俺に最後の楽しみを施しにでもきたのかい?」
「施し?」
「あぁ――」
直後、口から放たれた言葉を聞いて聖女は問い返したことを僅かに後悔した。
こんなことを言うなんて目に見えていたけれど――性行為をここまで気味悪く表現することが出来たのね。
嫌悪感を覚えたにも関わらず聖女は眉一つ動かしはしなかった。
不愉快さ不快さ、そして吐き気も感じていたが慣れているものでもあった。
悪はいつだって神聖さを汚すことを渇望している。
「なぁ。あんたも男の前じゃ売女のように喘ぐんだろう?」
「愛を語らうことはあります」
「男の身体に対してだろう? いや、要するに男の――」
聖女はため息をついて目を閉じる。
いや、耳も両手で塞ぎたいほどだった。
――恥ずかしくないのだろうか?
性行為を大声で語ることは元より、こちらの反応を見るためだけに男役はおろか女役まで演じて寸劇を行うことが。
「ありゃ、普通のやり方はあまり好きじゃないのかい?」
「愛の形も表現方法も人それぞれとだけ言っておきましょうか」
「そうだな。俺も命を奪ってから弄ぶのは大好きだ。物を言わないのがこれまた興奮を――」
聞くに堪えない内容だ。
この男に待つ凄惨な刑の全てが相応しいどころか物足りないと思う程に。
――だが、だからこそ聞きたいことがある。
「あなたは悪魔に会った事があるのですか?」
「あぁ?」
「世間はあなたが悪魔に会ったことがあると言っています。いえ、悪魔に身を売ったとさえ言っています」
「馬鹿か。そんなもの居るわけねえだろ」
「……そうですか」
聖女は黙り込む。
やはり、悪魔など存在しなかったのだ。
つまりこの男が犯した罪は全てこの男自身のものだ。
「聖女様は悪魔を信じているのか? それとも悪魔に汚されることを望んでいるのか? そうだろうな。何せ、あんたみたいにお高く止まっている女ほど支配されることを望んで――」
二度も話を聞くつもりはなかった。
故に問う。
「何故、人の身でありながら背負い切れぬ罪を背負うのですか」
「はぁ?」
「あなたは罪の故に死ぬ。後悔することも、改心することも出来ないままに」
「……は?」
罪人は心底不思議そうな――無垢な瞳で聖女を見つめ返す。
こんなにも美しい目を持っていたのか。
聖女は思わず言葉を失い、彼の目に心を奪われていた。
「……あんたは神に会ったことはあるのか?」
純粋な問いだと思った――故に真実を答えた。
「いいえ」
「神の代弁者だとか聞いたが」
「ええ。人はそう呼びます」
「否定しないんだな」
「……肯定もしていません」
目が濁る。
瞳の奥にあった高潔さが消えた。
「何故、人の身でありながら背負い切れぬ罪を背負うのですか」
聖女の声色を真似た言葉。
直後続く、心底楽し気な侮辱の言葉。
性行為、殺人行為、侮辱行為――そして、滑稽にも神を語る神聖な行為。
全てを目の前で真似られた。
聖女は無言で一礼をすると小さな声で罪人の魂が救済されることを願う祈りの一句を告げた。
祈りはかき消される。
――聖女への嘲りで。
聖女は踵を返す。
耳には聞くに堪えない言葉が反響する。
受け止め切れない真実が纏わりつく。
振り払うことが出来ない重みが聖女の身体に圧し掛かる。
それでも聖女は止まることはなかった。