幕間:渡辺綱の独白
離宮の裏手――誰も来ない兵舎跡の縁に、渡辺綱は膝を立てて腰を下ろしていた。
頭の中ではまだ、あの女の強い眼差しと、怒りを滲ませながらも冷静な声が鮮やかに反響している。
(……私は、何をしていたのだろう)
柄に手をかけたのは、本能だった。
頼光様を惑わす“何か”があると見抜いたつもりで、あの女に問いを投げかけた。
それが礼を欠く行いであることくらい、百も承知だった。
(それでも……間違いではなかったはずだ)
頼光様は、誰よりも民を思い、己を律し、常に正道を歩まれてきたお方だ。
浮ついた話ひとつ聞いたことがない。
その方が、どこの馬の骨ともわからぬ異邦の女に、あれほど心を砕いておられる。
この中で、最も長く頼光様に仕えてきたのは自分だ。
他の者たちも、少なからず違和感を覚えているに違いない。
あれは、確かに今まで見たこともない接し方だった。
望月澪が見目麗しい部類であることは否定しない。だが、頼光様に言い寄った女人の中には、あれよりさらに美しい者もいた。
(……術でなくて、何だというのか)
そう思った矢先、あの女の言葉が胸を貫いた。
『……お言葉ですが、仮に私が妖術使いで、源さんを誘惑していたとして――それを真正面から聞かれて“はい、そうです”と認めると、本気でお思いですか?』
(確かに……答えるはず、ない)
そんなことは、わかっていた。
わかっていても、疑いたくなるほど――頼光様の変化は、異質だった。
それに、望月澪は昨日は所在なげにおどおどしていた。今朝だって、卜部殿の後ろに隠れるような様子だった。だから、少し突けば動揺を見せると踏んでいた。
そうして核心に迫れば、化けの皮が剥がれ、素の姿が見えると信じていた。
(……それにしても)
あの女の口ぶり。
自分の予想に反して返ってきたのは、正論と怒気に満ちた反論。
頼光様を守るどころか、逆に危険に晒している、と言外に指摘されたのだった。
(私は、彼女を――望月澪という人物を、侮っていたのかもしれない)
警戒が完全に解けたわけではないが、少なくとも、彼女が頼光様に恩義を感じていて、害意を持っているようには思えなかった。
それに、体格も力量も大きく劣るはずの彼女が、真正面から自分に言い返してきた。
そんな女には、今まで出会ったことがない。
(本能は、まだ受け入れていない。だが――理性では、わかっている)
(――彼女は、おそらく“敵”ではない)
手元の石を拳で叩く。
音が空気を震わせても、胸のざわめきは収まらなかった。
「――何してるの?渡辺さん」
声をかけられて振り返ると、そこには碓井貞光が立っていた。
「また望月さんのことで頼光さんに怒られたの?」
感情の読めない顔で、淡々と訊いてくる。
「うるさい」
そう返すと、貞光は勝手に隣に腰を下ろし、空を仰いだ。
「……お前はどう見ている、望月殿のこと」
「正直、怪しいとは思ってますよ。でも――あれだけ堂々と渡辺さんに言い返すなら、少なくとも後ろ暗いところはなさそうに見える。……まあ、それすら演技だったら大した悪女ですけど」
「……見ていたのか」
「ええ、あそこ、私もお気に入りの場所なんです」
綱は唇を噛む。
自分が受け入れられない変化を、望月澪に擦り付けていたのだと、ようやく気づいた。
そこにどんな理屈をつけようとも――道理が通らなければ、それはただの八つ当たりだ。
(……謝らねば)
「……詫びを入れてくる」
「渡辺さんって、本当、真っ直ぐですよねー。……あ、そうそう。さっき頼光さんが、月守の報告の件で皆を呼んでましたよ」
「なっ……! それを先に言え!」
「えー、でもすぐ行ったら、頼光さんに合わせる顔がないと思ってたんで。私なりの配慮です。」
先ほどより幾分かすっきりした表情で、綱は足早に広間へ向かっていく。
その後ろを、貞光が苦笑混じりに肩をすくめながらついていった。




