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第  五章  イシュクンディナヴィア半島のロゼリア朝イカルガーノ王国

 男爵となったゾーイは物見櫓の集合住宅を出て、巨石を積んだ大神殿の傍に、屋敷を建てた。

 物見櫓が物見の役を果たせなくなったからだ。


 シルクのガウンを着て長椅子に脚を伸ばしながら、シャンパーニュを飲んでいると。

 新築の祝いに、今や騎士となったチエフが訪れて来た。立派な儀装だ。

 言う、

「見事なものですね、お屋敷、この内装、サテンを張った壁にタペストリー、絹張りのクッション、美しい文様、漆喰の神獣や天女の群れ、色大理石の円柱に見事に彫刻された柱頭、嵌め木細工の豪華な家具、純白の大理石の神々の彫像などなど、いや、飾り棚の食器も素晴らしい。東洋のものですね」

「まあな。

 ロネやファルコやジョン・スミス、それに五人の黄金の聖者たちも同じさ。皆、外へ転居して、豪奢な邸宅にいる。

 イシュタルーナとラフポワだけが大神殿の奥、大御社の奥の御社に残っている」

「あの二人は、対照的なのに、それぞれのかたちで超世俗的ですね。

 いったい、あそこは今どんなふうなんですか? 暗くないんですかね? 閉塞感がありそうで」

「素晴らしいステンドグラスの高窓があってな、採光も通気も十二分だ。サグラダ・ファミリアの内部のように色鮮やかに明るいよ」

 チエフはロネの従僕が差し出すワイングラスを受け取って、さっと傾け飲み干し、

「この葡萄酒、うまいですね」

 そう言った。ゾーイはそれに応えて、

「よく吟味して仕入れているからな。

 最近、街道整備を中心に治安部隊と協力して、通商の活性化に努めている。王侯貴族が利益を得るための規制は撤廃している。税もね。

 民間が活性すれば、底上げ的に社会は豊かになる。発展する。少なくとも、物的にはな。独裁や専制主義はうまくやれば、非常に早く成長するが、結局、伸び悩むし、自由主義には勝てない。なぜ、今の経済大国が自由民主を選択したか、先生主義を撤廃したかを考えてみるべきだ。それは民主主義が道徳的だからではない。

 実効性が高い。専制君主の下では、自由活発に文化文明が発達しない。自由が先生呪銀買った所以だ。

 むろん、自由と言っても、神聖な、人権主義的な自由ではない。経済のために必然的に起こった自由だ。畢竟、私利私欲だ。個々人の私利私欲を煽って、活用しないければ、社会は発展しない。発明も発見も次々と勃興する、などということが起こらない。

 いずれにせよ、現状、自由が一番に社会を高度に発展させるんだ。

 と言っても、私利私欲に基づく以上、いずれ歪みは出るだろうが」

「でしょうね」

「まあ、畢竟、どのやり方をしても同じってことなんだ。

 万病に効く薬はない。あちらを抑えれば、こちらが出る。

 しかし、まあ、今はいいよ。この程度が匙加減がよいのさ。これ以上は歪む」

「もう休止ですか」

「いや。そうでもない。

 ちなみに、海洋貿易に興味がある。

 しかし、まだ先の話だな、生きていればだが。

 ともかく、農業工業商業を盛んにしたいが、どうやら俺の得意分野は商業らしい。それに手っ取り早いって部分もあるしな、商業には。

 むろん、商業の全てについてではないがね。結局、万事うまく行くことはないんだ。

 あちこち回りながら、うまいワインやウシュクベ(麦の蒸留酒)、コニャック州の葡萄の蒸留酒なんかを買い集めているのさ、コツコツね。

 夢みたいな生活だよ」


 崇高に壮麗となった大神殿の内部をあちらこちら逍遙し、イシュタルーナは無表情に眺めた。まだまだ発展していくであろう。大理石による壮麗化が始まっていた。いつも、どこかが工事中だった。


 無表情であったが、その素晴らしさは認めている。いゐりゃぬ神のためにも、この荘厳は必要だ。必須ではないが。

 心さえ正しければ、敢えて否定する必然性もない。 

 大祭壇の前で跪坐く。

 祭壇の奥にある大御社、その中に木製の神社建築の下に、木製周壁の円環に囲まれた御社(〝祠〟)と洞窟とイシュタルーナとラフポワの住まいがある。


「何という変化だろう。あの頃の苦労が嘘のようだ。物的には、ただ、空疎な信念だけでここまで来た」

 大祭壇の後ろに回って、大御社の、今では誰も駐在しなくなった二つの尖塔を見遣る。

 ちょうど、ラフポワが出て来た。長い貫頭衣を着ている。青い繻子地の袖や襟やふちに赤い絹が当てられ、金糸の刺繍がある。

「ラフポワよ、冠はどうした?」

「僕、あれめんどくさくて嫌なんだ」

「ふふ、まあ、仕方あるまい。神も赦そう」


 イノーグ山はイカルガーノ王国にあった。

 王国は半島の中央部にある。

 イシュクンディナヴィア半島は東大陸の北々西部にある半島で、辛うじて大陸と繋がっていて、半島と呼ばれるが、実際は、半島というよりはほとんど島嶼であると言ってよかった。

 なぜならば、鳥瞰して見ると、半島と大陸を結ぶ陸地はとても細く、一番細いあたりは幅二十メートルから百メートル、海抜もわずか五メートルから十二メートルほどしかない。

 そんな細い陸地が二キロメートルほど海を渉って、東大陸とイシュクンディナヴィア半島主要部を繋いでいるだけでしかない。

 潮が高ければ消えてしまいそうなこの細道は蜘蛛の糸のようなもので、陸続きと言ってよいやら、わからぬものであった。


 陸地の〝糸〟の続いたその先に、龍の横顔と呼ばれる、半島の主要部があり、そのまま南々東へと伸び、途中から二つに分かれ、それがあたかも口を開いた龍の横顔のように見えるのであった。

 周囲には大小の島が点在し、どれも十数メートルから百メートルほどしか離れておらず、小さいものは、東西十二m南北二十mくらい。大きなもの(龍角島)でも、東西一キロメートル、南北八十キロメートルほどであった。

 その異様に細長い島は、半島の中央辺りから、北西に伸び、あたかも龍の角のようである。


 王国を六代に亘って統治してきたロゼリア朝、第六代王ローグ・メルヴィグ三世は首都フジワラの粗野な木造の城の玉座に坐し、繁縟なるも古色蒼然たる装飾に沈み、イノーグの滅亡に続く、エミイシの町イルカの壊滅の報告を受けて、大いに憂悶に浸蝕される。イルカとフジワラの距離は十数キロメートルほどであった。危機を感じる。


 だが、憂愁の王と呼ばれる彼は黒い長髪で瘠せた身体、顔色の青白い陰鬱な、空想的で、厭世的、哲学に煩悶する、現実的に対してはまったく意気地のない、無意味な、無為の青年であった。


 いゐりゃぬ神の領域が忽然と宣言されても行動もなく、臣下の進言にも曖昧模糊な返事をするばかりである。

 嘆息するばかり、時が過ぎていた。

 諸族からも、催促されている。


「既に諸侯のうち、三人があっけなく敗れた。侮りがたし」

「国家の危機」

 イシュタルーナの勃興に脅威を感じた諸侯が連合し、軍備を整えつつあった。王にも、国軍を動かすよう、歎願が来ている。

「どうしたらよいだろう」

 積極的な意見も行動もなく、厭世的な哲学を演じたり、無常観を述べたりするばかりだったのである。


 調査から帰還した神学者サンドルは報告した。

「実証主義的科学精神に於いて、いゐりゃぬ神があそこにいると確信しました。王に進言いたします。風に唾するなと」


 しかし、それで収まりはしない。左大臣ペリゴール、右大臣シャルル、兵部卿モーリス、財務大臣ダレルランを先頭に諸侯が反対した。国は右傾化し、命を狙われて、サンドルは亡命する。若い軍人には過激派が生まれ、穏健派は萎縮した。


 ダレルランは提言する。

「神聖シルヴィエ帝国の大枢機卿イヴィルに連絡しましょう。公正で、中立的な立場の者として、調停を依頼するのです」

「それでは狼を招くようなものだ。彼は善良な調停者を装って、平和維持のための軍を配備し、実効支配するであろう」

「それも已むなしですな。今は亡きエミイシの狙いもそこでしたから。結局は同じ結論なのです」

「売国奴め」

「あはは、お戯れを。さあ、すべての契約は有利なうちに締結すべきです。大事なのは、生存です」

 一計が案ぜられた。


 イシュタルーナはイカルガーノ王国からの王の勅使の訪問を受ける。勅使から親書を受け取り、これを開くと、

『共存のための協定を結ぼんと欲す。真実義と民の福祉のために、我らは協議すべきである。場所はピース大平原の中央岩の下で。設営に当たっては、双方から人を出し、疑義のないように処することとする。時は正午』

 ロネは反対したが、イシュタルーナは決意し、

「逝く。逝かざるものかは」

「では、仕方ない。協議に赴く隊の人選をいかがいたしますか」

「ロネ、おまえとラフポワ、ファルコ、あとは黄金の聖者を」

 ロネは首を横に振った。

「いかにも手薄です。銀や青銅も連れて行きましょう。いや、銅からも兵を。隊の編成は私がします」

「善きに計らえ」

 そんな折、ファルコが銀髪の青年を伴って来た。

 謎めいた知者ユリアスだ。

「未だ紹介せずにいました、我が家の食客です。古王国コプトエジャのユリアス。協議には彼が有用でしょう」

「コプトエジャとな。砂漠の国、それは南大陸(スール)ではないか。

 おまえの手の者なら黄金の聖者と同等の資格がある。しかし、協議において、弁護士でもあるおまえを措いても、彼の方が必要だという理由は何だ」

「知識と叡智です」

「知識と叡智か、よいだろう、おまえがそう言うならば」

 

 ピース大平原。見渡す限り低い草の絨毯が広がる平地。遠く霞む山々が周囲を囲んでいた。

 大天幕の張られた仮設の協議会場がその中央に置かれる。天幕の設営は、罠、絡繰り、秘密の通廊等、陰謀のないよう、双方同数の戦士を出して行われた。

 近くまでは、それぞれに軍を引き連れ、代表十数名のみが一キロメートル圏内に入り、天幕に入った。警備も案内も接遇も、双方の戦士が控えて行う。その数は代表とは別に、百名と定められている。


 彼らが協議のテーブルに着いた時、議長席には、純白のローブをまとう、青みがかった氷白の髪長くも、若き氷の肌を持つイヴィルが坐っていた。薄い唇に冷笑の張りついた青年、高貴な生まれ、冷厳な神像のようである。


 金の刺青を燃え立たせるイシュタルーナ、雷霆神剣のラフポワ、月の弓のロネ、海の大鉞のファルコ、コプトエジャの賢者ユリアスが東に坐した。向かい合う西に左大臣ペリゴール、右大臣シャルル、兵部卿モーリス、財務大臣ダレルランが坐する。


 議長席は北であったため、イヴィルは左側を見て驚いた。

「おや、これはユリアス、銀の髪をもつ者、白と薄紫の長きトーガをまとい、何と意外な、貴殿がここにいるとは。

 もっとも、世界を旅する貴殿のこと、どこにいても不思議はないが」

「そのとおりです、大枢機卿猊下、どうかお気になさらないように」

 イシュタルーナは、さような事柄など無視するように、主張した。

「いゐりゃぬ神が顕現した以上は、王制を廃し、いゐりゃぬ神の統治とせよ。王権神授は委任に過ぎない。真の主が来た以上は、王は統治権を返上すべきである。懲罰を明らかにし、宗教改革を提唱した者を罰する。

 又、エミイシは賠償を実行すべきだ」

 老獪なダレルランが言う、

「緩やかな変革を。巫女騎士殿の主張は過激に過ぎる。権限については、段階的に返上すべきであろう」

 青みある白き氷の長髪、怜悧なまなざしのイヴィルが仲介する、

「期限を決めて返上を行うとして、プログラムを作成し、平和裡に確実に実行されるように、わが軍が駐留し、監視し、進行をチェックしつつ、平和維持に努めよう」

 イシュタルーナは睥睨のまなざしで、

「それは無用。侵略の口実か」

「何と仰せられるか」 

 そう言って顔色を変えるイヴィルに、ユリアスは問い糺し、

「ならば、ついでに復興に大いなる協力をいただけると思ってよろしいか」

 イヴィルが油断ならぬと言わんばかりの眼つきをし、慎重に言う、

「内容にもよるが、基本はそうだ」

 澄ました顔で、ユリアスは言う、

「では、駐留していただこう。

 まずは、インフラ整備への補助と無利子の借款をお願いしたい。

 二年前、貴帝国の司教団グラディアスによる絶対神聖皇帝への嘆願書の中に、『他国の尊敬を得るための善政を布くことに関する条項』があって、『善意の第三者として駐留する際に、借款とインフラ整備に特段の配慮をすること』というのがあったはずです」

 イヴィルは大理石の彫像のように整った怜悧な顎、薄青い双眸、冷厳なまなざしの顔に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 デジャヴュだ。こんな光景を見た気がする。いや、気の迷いだ。そもそも、諸概念・諸考概など、かたちがない、蓋然たる印象に過ぎない。

 かたち・定形がないのだから、神経伝達物質の分泌によって、そう想わせる効果に過ぎない。印象として観ぜられるものに過ぎない。

 本質的な、どのような構えもない、どうにでもなるものだ。すべては経緯すらもない唐突だ。存在とは、そういうことだ。


 だが、それはそれで現実だ。司教団グラディアスも。叩き潰すべき現実の一つだ。

 帝国内の人権派と称する司祭や司教たち、彼にとってみれば、売国奴に等しい。人類の和平? この私に偉そうに説教がましく講釈する奴ら。彼らは言う、

『いいえ、大枢機卿猊下、国とは、人が国であって、国土が国ではない。ましてや、皇帝の血脈が国であるわけでもない』

 血脈だと? バカな。我が帝国の皇帝の決定は五人の大枢機卿の互選で行われるのであって、血族姻族の限りではない、などと独り言つ。ふ、思い出して憤るなど、私に相応しくない。


 それはさておき、おお、非現実的な背教徒ども、聖者イヰが「現実が真実である」と教えたことを忘れたか。国なくして、いかに人が平和に暮らせようか。皇帝なくして、いかに国が治まろうか。誰が真実義を護るのか。


 いや、今はさような時ではない。

 忌々しい、古王国コプトエジャ王の庶子め。気楽なもんだ、世界を自由に飛び回り、余計なことに首を突っ込む。愚か者め、その高貴な澄ました顔、見ているだけで虫酸が奔るわ。

 ユリアスはイヴィルの葛藤を見透かすかのように、さらに言葉を続けた。

「貴帝国内には、人権派の彼らを売国奴呼ばわりする愚劣な者もいるようだが、それは非現実的な意見であろう。

 ここは、この世界は、イデア・アース(イデアの地)である。現象世界ではない。

 人の怨嗟を積み重ねて永らえることはない。

 他国が剣と槍と弓で闘い、せいぜいトレビュシェット(固定式攻城用平衡錘投石器)や大型弩砲バリスタくらいで戦争をするのは、そのためだ。

 貴帝国のように、巨大な航空母艦から、ジェット燃料で高度一万メートルを飛ぶ戦闘機を飛ばし、追跡型ミサイルを発射、機体に備えつけたMG(自動装填連続発射銃。マシンガン)で一掃射撃、ナパーム弾や炸裂弾を投下、そんなことなどしない。

 鉄で装甲された戦車に砲台をつけ、キャタピラ走行で人を追い、民家に迫って撃ちはしない。

 大陸間弾道ミサイルの開発などに着手しない。

 なぜなら、イデアの大地では、正義こそ最も強力なウェポンだからである」 

 イヴィルは嘲笑した。

「だが、我が帝国は二千年来、繁栄している」

 ユリアスは蔑みのまなざしで、

「哀れ、そして、愚か。

 これほどの圧倒的な、科学力、十億の兵を擁する貴帝国の国力があっても、未だ世界を制し得ないことこそが証だ。

 正義がないゆえに、蟻と獅子ほどに力の差があっても、何百年たっても一向に世界を制覇できていない。これほど明瞭な証拠があろうか、偉大なる大枢機卿殿!

 衷心より貴殿に教え奉る。貴帝国が未だ潰えないのは、いかに聖者イヰの真究竟真実義が尊いかによるもので、それも限界があり、いずれ命運は尽きる、と。

 そして、司教団グラディアスのような誠実な人たちがいつの時代にも貴帝国に絶えないからだ。それをさかしまに亡国の徒だの、背教徒だのと考える者こそが真の背教徒であり、亡国の徒だ。

 非現実主義者だ。

 まあ、教えに拠れば、非現実は存在しない、あり得ない、ってことですけどね。だが、何もかもが正しいとは限らない。一向が正しいとも言い切れない。なおかつ、一つだけが正しい。それが全肯定、全網羅ということだ。異教徒はいる。それが全網羅だからだ。あなた方の聖者はそう言った、たとえ、神が万能であっても」

 イヴィルは不愉快な顔をする。

「異教徒からの講釈など無用。

 無利子借款もインフラ整備も、我が帝国はお断りする」

 イシュタルーナが冷ややかに言った。

「結構だ。

 おまえらの受諾など求めぬ。干渉も調停も要らぬ。和平協議は決裂だ。協定など結ばぬ。イカルガーノ王国は今日、滅ぶ。

 イヴィル殿、帝国が介入したいならば、介入せよ。七億の兵とミサイルとジェット戦闘機と一万の戦車隊を持って来い。神聖シルヴィエ帝国の終わりを見せてやる」

 巫女騎士は剣を抜いた。原蛇と聖なる御徴の文様の睿らかなる太陽の剣だ。その光燦々たるはすべてを眩さで消す。

「ぅうわゎああ」

 敵も味方も、誰もが叫んだ。光輝が収まった時、ダレルランの首に剣は当てられていた。巫女騎士はテーブルの上に灼熱の紅に輝く、黄金の装飾具の絡むブーツのままで立っている。見下ろしていた。睥睨している。

「殺そうと思えば、殺せた。おまえらの力など、吹けば飛ぶようなものだ。真実義は我にあり。神は祈る者に味方する」

 そして、髪を靡かせ、金の聖句の刺青を燃え立たせ、振り返る。

「帰るぞ、軍とともに再び来る。我らに従うならば、今のうちだぞ、イカルガーノの兵たちよ」

 剣を鞘に納める。テーブルからひらりと降り、背を向けた。 

       

 だが、ダレルランは叫んだ。

「そうは行くものか、出合え!」

 地下に隠れていた兵士ら数百が飛び出す。平原に二日前に穴を掘っていて、そこから仕掛け板を跳ね上げて出て来たのだ。


 あらわれたるは、精鋭部隊、巨漢揃いだった。だが、彼らの意気は既に大いに挫けている。なぜなら、太陽の剣の光が地下深くまでも差していたから。あの燦めきを見た者たちは偉大な、大いなるものを眼の前にした時に感じられる、根源的な畏怖に襲われるのであった。


 ユリアスが前髪をかき上げて冷ややかに言う、

「こんなことだと思っていました。

 茶番を愉しませて戴きましたよ、ダレルラン卿。さあ、行くか、諸君」


 イカルガーノ国王メルヴィング三世は懼れ慄きつつも、イシュタルーナへの微かな思慕すら抱いたが、欲望の炎に憑かれた財務大臣ダレルランは叫ぶ、

「何をしておる、やれ、逃がすな」

 意気地を甦らせ、意に反して巨漢たちは剣を抜いた。そうせざるを得なかったからである。


 ロネが白銀の弓を構えた。月の弓の恐ろしさは既に国内に広く伝わっていて、精鋭部隊は足が動かせなくなってしまった。矢を放つと、「ひゃあ」と叫んで身を竦めた。

 弓矢は兵士たちの頭上を飛んでその巨体を吹き飛ばし、大天幕を大きく裂いて周囲に散らし、空に消えた。その風圧で柱が折れ、空を貫く摩擦熱で布は燃える。

 呆然。

 ラフポワが尋ねた。

「僕も剣を抜いた方がいいのかな」

 イシュタルーナは微笑んだ。雷霆神剣は既に〝粒〟になっていた。ここにいる全員を吹き飛ばしかねない。

「もういいだろう。行くぞ」


 太陽の剣と、月の弓とは、平然とイカルガーノの精鋭兵たちの波を分けて、海を渡る聖者のように進んだ。誰もが竦み上がって見送ることしかできず、巫女騎士たちは悠々と会見の場を去った。


 イカルガーノの兵の一人が言った。

「おい、おい、俺たち、本当に戦うのかよ」


 かくして、二日後に戦い、イカルガーノ王家は壊滅した。

 王族も貴族も男爵も大商人も豪農も平民も皆、一万二千の鉄の兵となる。

 ダレルランは赦されなかった。夜間は地下牢に鎖で繋がれ、冷たく硬い土の上に眠り、黎明から夕まで炭鉱で、財務大臣に恨みを抱く者たちの監督下、十二時間も鞭打たれながら、石炭の採掘に従事する。


 国王メルヴィング三世は自殺を図ったが、彼のようなタイプの例に漏れず死に切れず、生き残って、ユリアスの肝煎りで新たに建築された古文書館の司書となり、結構、楽しく暮らしていた。待遇は鉄の兵である。悪くはない。インク壺に羽ペンを浸しながら、

「余は満足である。王よりも遙かに良い」

 苦労知らずで共感を覚えることの少ない若き王は他者に関心がなくて無責任なため、国が滅んで幸せそうであった。

 


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