第 〇 章 零以前 彝ヰりゃぬ聖帝王神の臣 亜沙羅偉の長の分御霊
真究竟神なる啊素羅神群。
この最古神群を統べる、天の真究竟神の皇帝神たる神々のさらなる上の究竟皇帝神。
彝ヰ啊ゑえ烏乎甕。
全てはその究極最高神が起こした狂奔裂である。
自らに拠って在る、自在狂裂の神、因果や法則に縛られぬ自由狂奔裂なる神、一切が意に随って互わず、異叛があり得ず、全てを網羅し、一切を肯定して万事万象各々そのものたる神である。
狂奔裂によって、全一切世界が同時に、唐突に開闢した刹那、インフレーションによってあらゆる意味で限りなく分裂し、さらに派生的に無数の異世界が生じ、多次元世界を構成した。
それから、それぞれの世界のなかに無数無際限に並行(平行)宇宙や、異宇宙が生まれ、その一つひとつが膨張して大宇宙となった。
最高神は、その魂の精髓を分御霊し、それぞれの世界に分御霊神を配し、その分御霊神を世界聖齊天帝皇神と命名して統治させた。
世界聖齊天帝皇神もまた分御霊し、それぞれの宇宙に宇宙聖齊天帝皇神を配し、宇宙聖齊天帝皇神はさらに分御霊して各管轄を統治させた。
なお、世界や宇宙のかたち・あり方のバリエーションは無限無際限だ。したがって、かたち・あり方が想像もできないような世界や宇宙があって、それを統治する神についても、到底、一概一様には語り尽くせない。
ただし、基本的には次のとおりである。
たとえば、イデア(ιδέα)世界のうちにある一つの宇宙を例にとれば、
超銀河団を統治する聖齊天帝皇神。
銀河団を統治する聖天帝皇神。
銀河系には聖皇帝皇神。
太陽系に聖皇帝神。
地球に聖齊天神。
大陸に聖帝王神。
広域地方に聖齊王神。
国に聖王神。
地方に聖族長神。
地域に聖神が置かれている。
さらには齊神、清神、天神、地神、風神、雷神、青龍神、朱雀神、白虎神、玄武神などが配された。
ちなみに、我々が棲む世界はシャバ(娑婆)世界と呼ばれている。
かくして各神族を以て大神群をなし、全世界を統治していた。
先に例に挙げたイデア世界については、皆アスラ系の神々で一様にアスラと呼ばれることもあった。かつて神聖シルヴィエ帝国を崩壊させた神がアスラと呼ばれたのも、そういう事情である。
さて、そのイデア世界では、アスラの一支族であるイージャ族の長であるイリヤ・イージャ世界聖齊天帝皇神が統治していた。
そのなかの一つの宇宙のなかの一つの銀河系のなかの一つの太陽系のなかの一つの星であるイデア・アース(IE)は、彝ヰ・イージャ聖齊天神が統治していた。
原初のIEには一つの大陸のみがあった。それは中枢大陸とも、大源大陸とも呼ばれた。
太古、大陸が一つであったその時代、イデア世界を統治するイリヤ・イージャの御霊の流出の裔を汲んだ全智なる聖イリヤ・イーノ( Ίλια 彝巸璃亜 彝之)が生誕する。
聖女イリヤの美は余りにも美し過ぎ、その超純粋な神聖美は躬ら狂裂し、その精髄である〝彝〟が各地に飛び散った。
同時に、一つであった中枢大陸が四つに牽き裂かれた。
裂かれた中枢部が海となり、葡萄酒のように豊饒で紺碧なる大陸中枢牽裂大海洋となる。
彝ヰ・イージャはイリヤを弔うため、それぞれの大陸に分御霊し、神を配した。
すなわち、今日知られるように、北大陸を彝ヰりゃぬ聖帝王神が統治した。なお、さらにその一部である広域地方をヴァルゴ聖齊王女神が統治した。
南大陸には羅聖帝王神、東大陸には龍聖帝王神、西大陸にはアヌ・エルロ聖帝王神が鎮座し、統治した。
彝ヰりゃぬ聖帝王神の臣に、亜沙羅偉という姓の神族がある。
その亜沙羅偉神族の族長の御霊を分霊した御霊、分御霊である彝巸璃啊濡女神が唐突に、濃緋の非文字の彫られた、直径一メートルの、聖の聖なる石の上に、光の降臨とともに顕現した。
唐突とは、経緯もいわれもないことである。理由も要らず、即物的な露骨、ぶっきら棒な非情である。ただ、ただ、現実であるということ。
いゐりゃぬ神は自在、自ら在る、自ら在ることに因って在る、自らあらわれることに因ってあらわれ、それは自らへの荘厳である。自らを肯定し、称讃し、いゐりゃぬ神の真言を咒す。
『唵、ぱらず・あふれいあ・いゐりゃあぬ、吽』
言葉は黄金の霧を孕んだ帯となって、リボンのように身体を廻った。
いゐりゃぬ神なれば、奇しき美しさは人間の領域を遙かに超えている。あまりに眩く燦めきて、認知不能なほど、甚深繊細緻密精妙。
美は麗々しさや完璧さと言うより、切ないまであはれ、たをやかに紗々やか、初々しさ、生命の鼓動であった。
生に涵され、生命に漲り充ちあふれた、生れ初めの軟らかで滑らかな皮膚、伸びやかな四肢。
繊く哀れ儚くも、萌えいずる芽のよう。又熟さぬリンゴのように青くかたくも、しなやか柔らかな、くるぶしの腱は思春期の少年のようでもある。
烑それ、燦々たるかな。凛々と睿らかに、玲々と晰らかに、爛々と彪らかに、光氾濫し、赫奕たる女神であった。
魂たるべき神髄は双眸にある。
太陽のごとき光芒を放つ、双つの円い炎は眸、ムリオン(ゴシック建築の大聖堂の薔薇窓などを放射状に分割する棒状の石素材)とトレーサリー(ムリオンなどで幾何学的に構成された透かしのような構造。コンパスなどでトレースし、構図する)で装飾された薔薇窓のよう、海よりも遙かに豊かな青の群れをなし、それぞれがすべて異なる青の調べを湛え、その繊やか微妙なる精緻のハルモニア、紛れもなく神なる旋律であった。
しかも、眸の虹彩は単純な放射状ではなく、ムリオンとトレーサリーで仕切られた青碧蒼葱藍紺青紫空色水色海色のステンドグラスのごとき、そのモザイク状の模様は平面ではない。海のごとくに幾重にも重層し、奥深い燠火のごとき炫きをなし、青く透き通った奥行きの、立体のモザイクであった。
瞳の孔の水晶体は無際限に透り、(我々は透明な空間と言うと、どうしても銀色の背景を思い描いてしまうが)背景を持たず、永遠に逝きて尽きず、涯がない。いずれへも結びを遂げずに、いずれにも収まらぬ未遂不収。
その透明さはあまりに純粋無欠で、生が滅却し、滅尽してしまうほどの無菌。粛たる純潔、畏れ怖れ懼れて慄くべき、真の真なる真空であった。
神聖なる明眸を飾る睫毛は曼珠沙華やシャクナゲの花のおしべのように細く長い。動く時にはアゲハチョウの羽が舞うかのようにあでやかであった。
真っすぐなる髪は、瞭らかなるプラチナ・ブロンドや、濃い山吹・鬱金・辛子色や、金箔のような雲英びやかさ、金泥のように濃くも角度によってギラリとする底光りや、黄昏の茜を帯びた黄金にも似たる色、晰らかな濃い蜂蜜の色や、光射たる太陽の爛々たる眩さなどなど、それらさまざまな光の質やら、燦めきの強度やら、色彩の濃淡の金色から織りなされる豪奢荘厳にして、捉え難き繚乱、過剰なる、繁文縟礼にも似た光燦燦の横溢である。
その華奢でありながらも奢侈な髪は、か細く瘠せた孅い身を、未だ小枝にも似たそれを蔽うかのように垂直に墜ち、地へ触れたるも、前髪のみは眉の下、はっきりした瞼の線の上で、水平に切り揃えられ、翳りがあたかもベールのようであった。
いゐりゃぬ神がかくのごとくも、猛吹雪のさなか、山の高きところ、急傾斜に厳たる聖なる石の上に降臨したのである。
誰にも知られることなき、聖なる少女神の顕現であるはずであった。
だが、誰にも知られぬにも関わらず、その聖なる石を目指し、駈け上がり来たる者がある。
耳を劈く、幻想にも似た、荒れ狂う雪のホワイトアウトのさなか、近づいて来る者であった。あろうことか、このような真夜中に、冷厳な、嶮しき山岳地の奥へである。