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ラスト

 五月下旬の火曜日。千葉県木更津市のゴルフ場で、二ヶ月に一度開催される全国美容月間主催のゴルフコンペに敦史は現れた。

「敦史さん。早いですね」

 駐車場へ到着した敦史に、二ヶ月前と同じくビート・カート・ブーのオーナーが声を掛けた。

「あーこれは、ビート・カート・ブーさん。お早うございます」

 敦史は運転席の窓を開けて答えた。ビート・カート・ブーのオーナーは敦史に近づいてきた。そして、耳打ちをすることを目的とした人間がとる行動のように、顔を敦史の耳元へ近づけた。

「合併の話し、前向きに考えていただいていますよね」

 ビート・カート・ブーのオーナーのもぞもぞとした声が敦史の耳にふき掛かる。

「その件は、六月の下旬までお待ちいただきたいと、先日もお電話で申し上げたとおりです」

「ははは、そうでしたね。いや、お気持ちはすでにお決まりではないかと思いましたものですから」

 ビート・カート・ブーのオーナーは敦史から見えない方の顔半分をひし曲げた。

「それより、そちらのピーエスへ、うちから移った昴は元気にしていますか?」

 敦史の声にビート・カート・ブーのオーナーは、小刻みにいろいろなところをさわりだした。少しだけ動揺しているようだ。

「ええ、元気にがんばっていますが、どうも(ひが)み根性が強くて………困っています」

 ビート・カート・ブーのマネージャーが情けなさそうな顔をする。敦史が愛想笑いを浮かべた。

「うちは歴史は古いです。しかし、その古さゆえに時代の波に乗り損ねたと言われても否定は出来ない状況でした。ですから、そちらからの誘いにも心を動かされました。ビート・カート・ブーさんの傘下に入らないかという誘いにも魅力を感じました。でも、何となく気づいたんです。人を喜ばせることができるのは、人なんだって」

 敦史はフロントガラスの中央部分を指で触った。車検の有効日を示すシールが貼られた場所だ。

「経営に力を入れるのはもっともですが、それよりもキャストの教育に力を入れることが大事なんだって、あることで気づかされました」

 敦史がそこまで話すと、後方から大きな声が聞こえた。

「おーっ、皆さん。やる気満々ですね」

 声の主はタカサキの会長だ。タカサキはカッティングチェアーやシャンプー台といった、サロンで使用する什器関連を制作する会社だ。このタカサキの会長は、プロフェッショナル美容業界では大物として知られている。

「会長だ。この話はいったんここまでにしましょう」

 ビート・カート・ブーのオーナーは、口元に右手の人差し指をあてて敦史へ告げた。敦史もその案に同意した。


 敦史は、ビート・カート・ブーのマネージャー、タカサキの会長、レレアル社の宣伝部長と同じ組でまわることになった。晴天に恵まれた五月の空は、マイナスイオンと調合されて参加者の心を(なご)ませた。

 前の組がカートで移動を始めると、敦史たちの組はティーショットの準備を始めた。順番は事前にくじ引きで決められている。レレアル社の部長、敦史、タカサキの会長、そして最後がビート・カート・ブーのオーナーの順でまわる。

 敦史はティーをティーグランドに埋め込んだ。紫色のティーだ。

「おや、敦史君。紫色のティーとは珍しいね」

 タカサキの会長が敦史の埋め込んだティーに興味を示した。

「ええ、うちのサロンに勤務するコからの贈り物なんです。絶対に勝ってこいって」

「ほー、それで紫とは、ナンジャラほい」

 六十歳を超えているタカサキの会長はおどけながら訊ねた。

「紫って高貴な色なんです。昔はこの色をなかなか作り出せなくて、貴重な色だったんです。だから、この紫って色は王様や女王様のように位の高い人しか、着ることを許されなかったそうです」

 敦史はバックから取り出したボールを見つめた。そこには自分の名前が記されている。

「ほー、ボールに名入れもしたんだ。敦史君やる気だね」

タカサキの会長の声に軽くうなずいてから、敦史はティーにボールをのせた。ゆっくりと腰を伸ばすと、コース上にいる前の組の状況を確認した。前の組は四人とも二打目を打ち終えて、移動をはじまたところだ。

「だれにも追いつけないところまで飛ばせって、うちの浦崎がくれたんです」

 敦史はバッグから一番ウッドを取り出した。タカサキの会長が前の組を確認した。レレアルの部長が後ろの組を確認した。

「そろ、そろ、我々も行くとしますかね」

 敦史は小さくうなずき、両手でグリップを絞るように握った。テイクバックされた一番ウッドは高く、大きく振り上げられて一瞬止まった。みなみから持たされた紫色のティーの上に、敦史と書かれた球体の可能性が留まっている。敦史は冷静に、そして情熱を込めてクラブを振り下ろした。

紫のティーに支えられた可能性という球体は、高く、高く青い空へ飛び出していった。

「おや、OBかな?」

 敦史の打ち込んだボールの弾道を追いかけながら、タカサキの会長が呟いた。敦史と書かれたボールは左方向へフックしていき、林とフェアウエイの中間のラフへ落ちた。このままの球筋でいけばOBゾーンの林の中に入っていく。

「やっちまったか」

 敦史が呟くと、ボールはフェアウエーへ球筋を変えて戻ってきた。不思議そうにボールの行方を追う敦史へタカサキの会長が呟いた。

「このコースは、カラスがよく出るんだよ。いまのはカラスが置いていった石に(はね)っかえって、コースに戻ってきたんだな。たぶん。よくあるよな―。石ころみたいな奴に助けてもらっちゃう事って」

 敦史は浦崎から渡されたティーをポケットにしまいながら、口角を上げてうなずいた。

「石ころも磨けば光る事もありますからね」


 フェクション。

 鎗ヶ先の交差点で信号待ちをしていたみなみはくしゃみをした。

「誰か、私のこと噂してるのかな」

 みなみは周囲を見回した。自分の噂をしている人間を捜してみたが、見あたらなかった。

 三叉路の交差点。歩行者用信号が青に変わった。浦崎みなみは背筋を伸ばして、坂道を登りだした。

 己を磨くがごとく。一歩、一歩足に力を込めて目指すべき頂点へ近づくために。


〈 了 〉


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