証拠
彼女の涙が漸く止まったのは、住宅街の灯りが全て消えた頃。誰もが寝静まった頃だった。
一日で二度に渡って大泣きをしたからか、彼女は疲れ切った様子で窓に寄りかかるように座り込む。俺も同じように座り込んでいると、肩が重くなり、彼女の頭が預けられたのに気づく。
そんな彼女の表情を伺い見ると、気力は残っていないようだが、多少なりとも息がしやすくなったようだ。
「あなたは、変わった死神だね」
夜空を見上げながら彼女は呟いた。
「出逢った死神があなたでよかった」
その言葉に思わずふっと息がもれ、その音で自身の口角が上がっていることに気づく。
何とはなしに彼女に目を向けると、彼女も同じようにこちらを見た。
目が合い、やがて彼女そっと笑みを浮かべる。
穏やかな空気の流れる無言の中、その心地よさの延長線上のまま、彼女は言った。
「ね、あなたの名前、なんていうの?」
そんなことを聞かれたのは初めてだった。
強いて言えば、いわゆる番号ならあるが……、彼女が求めているのはそういうものではないだろう。
「さぁ、なんだろうな。俺も知らない」
そう答えると、彼女は何か吹っ切れたように遠慮することなく、続けざまに問いかけてくる。
「じゃあ何て呼べばいい?」
「……お前の好きに呼べばいい」
わざわざ死神に名前を必要とすること自体がない。死神同士ですら番号で呼び合っているというのに、人間がわざわざそれを知ろうとするなど有り得ないことだ。
実際、彼女の好きなように呼んでもらって支障もなければ、それが名前になると言っても過言ではない。
彼女は自身の指同士を絡めながら暫し考えを巡らしていた。夜空と俺を交互に見て、うんうん唸る。
やがて――
「――秋夜。“秋”の“夜”って書いて、秋夜」
――そう、口にした。
俺は小さく繰り返すようにその名前を口にして笑みを零す。
「単純だな」
「しょうがないじゃん、そんな頭回らないし」
「ま、いいんじゃないか。……悪くない」
今までなら、“何でもいい”やら“どうでもいい”やら言っていたところだが。秋と夜という単純な名前であるものの、存外気に入っている自分がいた。
……その後、気づけば彼女は器用にも俺の肩で寝息を立てていた。
仕方なく彼女を抱き上げ部屋に入り、起こさないようベッドに寝かす。
穏やかな寝顔を見て、俺は不思議と胸を撫でおろしていた。
……今思えば。
名前が存外気に入ったのは、秋という季節に対しても、夜という時間に対しても、いわゆる“思い入れ”ができた証拠で――。
彼女の寝顔に胸を撫でおろしたのは、俺の無意識下に“彼女”という存在が入り始めた証拠だった――。